朱鷺たたら 〜TokiTatara〜 Official Blog
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2009/6/17
「5月2日倉敷イベントムービーアップしました」
ブログの5月2日、ハートランド倉敷にムービーをアップしました。
ぜひご覧ください!
13
投稿者: たたらちゃん
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2009/6/8
「鮎釣り解禁」
家の裏に高梁川という川が流れている。
新見は石灰の産地で、水にも石灰分が多量に含まれているため、水はとてもきれいだ。鮎はいままで食べたなかでも、新見の鮎が一番美味しいと思う。
全く臭みがなく、うるかは甘苦く、身はジューシーで、本当に美味だ。といっても焼き方で全然旨さが変わってしまうが、やはり炭で焼くのが一番。鮎に限らず、肉も炭で焼くとどうしてこうも美味しいのだろう。ご飯だってそうだ。飯盒炊爨が美味しい。
さて、鮎が解禁になった。
お舅さんが釣り名人で、ささっと出かけてたくさん釣り上げてくる。
夕の食卓へ獲れたてのものが登るようになった。
今夜の釣果はさらに、大物のマス。
50センチクラスだ。
他にどうも狙いたくて仕方のないのが、大きなコイ。
家族には美味しくないから、釣ってこないで!と毎回念を押されて、残念そうに、しかしかかったら仕方ないだろう・・・というような顔をして、川へ出かけて行かはる。
コイは気をつけないと、手を切るくらいヒレが鋭く、力が強い。
軍手をはめて出かけるところを見ると確信犯なのだ・・・・
いまのところ、コイは食卓へ登っていない。
1
高梁川
鮎
鱒
投稿者: たたらちゃん
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2009/6/4
「ひゃらり録音」
29日ひゃらりのライブを終え、いま山中湖へひゃらりの録音に来ている。ミディアムレーベルという最近立ち上がったレーベルからCDがリリースされることとなった。
ミディアムレーベルとしては第2弾。第1弾は超格好いい、小野越郎さんと木村俊介さんの三味線、笛もありのDuo。つい先日ライブで聴いて、ぶっ飛んだ。三味線の、笛の、格好よさが、つまり楽器を知り尽くし、使いこなし、そして独自の音楽をやっていて、とても面白くて格好いい!という演奏だった。 とにかく聴いてみぃな!である。
ひゃらりも頑張らんといかん。鼓舞されつつ、録音に臨んでいる。
5
投稿者: shinobue
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2009/5/28
「稽古予定のお知らせ」
明日はひゃらりのライブです!
インフルエンザの流行を懸念していましたが、たぶん大丈夫、ということで開催させていただきます。
ご都合よろしければぜひお出かけくださいませ。
横浜イギリス館にて
18:30開場 19:00開演
入場料 2,500円
出演:ひゃらり(朱鷺たたら・松尾慧)
それから30日からの稽古予定をお知らせします。(敬称略)
ご確認ください。
5/30 5/31 6/1
9:00 池田
9:45 大山よ
10:30 中島 土屋 大山節
11:15 真貝 石坂 松島
13:00 中里 鈴木 新津
13:45 高山 永野
14:30 池内 肥後 月村
15:15 入口 逆井
16:00 川島
16:45 肥後
17:30
18:15
19:00
19:45 長谷
20:30
5
投稿者: たたらちゃん
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2009/5/27
「新見短大講義初日」
今年で3回目になる新見短大での講義初日を迎えた。
地域福祉学科の学生たち46名、「音の文化論」(吉村淳子講師)の授業のなかで、5コマ担当する。
秋に開催される土下座祭りに笛と太鼓の囃子隊を結成するのが、この講義の大きな目的のひとつだ。そのために書き下ろした曲が4曲あり、小冊子にまとめられ、今年から学生たちに配布された。
いきなり笛を吹いてもらう。
意外によく音が出たのでびっくり。
太鼓は、まあ音は出るわな・・
でもこれも意外とリズム感よくて、なかなか期待大。
実技指導だけでも5回じゃ足らないが、実技だけではまずいので、あと4回策を練っていくこととしよう。
帰宅すると、子供が熱を出した。
ぐんぐん上がって、真っ赤な顔をしてフーフーいっている。
まだ何もしゃべれないから、可哀想だ。
先週京都へ旅行し、大阪、神戸を経由したこともあり、心配になったが、検査でただの風邪とわかってひと安心。
必死になって小児科の医学書を読んでいたら、
お医者さんにやってきて、
「風邪だと思うんですけど・・」というお母さんたちがいるが、勝手に判断されたら困る、という内容がでており、「さもありなん」心して先生に症状を伝えたのであった。
いま食欲もでてきて、見るからに快方へ向かっている。
早くに子供をもった友人は、
「はよう大きくなって欲しい思ってるやろ。」
「まあなあ・・そら大きいなったらちょっと安心かな」
「ちゃうでー 全然安心できひんでー」
という。
そうやろなあ。いまはちょっと熱でただけでオタオタしている。
いつから母は強くなるのだろう。
4
新見公立短期大学
土下座祭り
短大生
投稿者: たたらちゃん
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2009/5/18
「京都へ〜旅〜」
お舅さんの還暦を祝って家族で京都へ旅行にでた。
かつて新見は、東寺の最大の荘園であったことから、まずは東寺観光とあいなった。
わたしは幼いころに骨董市かなにかで訪れたことがあったきり、はじめてじっくりと見物した。
五重塔をみると、江戸川乱歩の五重塔に登って自殺するという作品を思い出してしまう。見事な塔を見上げて、そんなことを思っている。人は一緒に同じものを見ているようで、見ていないのだ。
さて、世にも有名な嵐山である。
学生時代のデートコースでもあった。
ここで一緒に舟に乗ると別れるといわれている。
一緒に舟に乗らなかったが、いまその彼は隣にいない。
嵐山の渡月橋脇の染め作家、奥田祐斎さんのアトリエにお邪魔した。
丸窓からの新緑が美しい。
黄櫨染という、光によって発色が変わる染め物をなさっている。上の牡丹の着物も蛍光灯の灯りではこのような青白い色味だが、白熱灯のもとに置くと、赤みを増してあでやかな華を咲かせる。
もともとは天皇が即位のとき、特別に召されるという染めものなのだそうだ。
祐斎さんのお隣には、松ライ庵という豆腐懐石料理の庵がある。隠れ家的なこじんまりとした静かなお店だ。部屋のすぐ下には桂川が流れ、窓の外には嵐山の緑が迫る。祐斎さんのところで紹介され、はじめて訪れてから今度で2度目。
1歳4ヶ月の子供もこんな年からこんな料理に舌鼓を打っていたら、末が恐ろしいが、和食好きなようで、結構食べている。そのあとは障子に激しく手を打ち付けては、笑顔をこちらに向けたりと、ほぼ怪獣状態であったが、無事どこも崩壊せずに食事を終えた。
渡月橋の方へ足を伸ばしたが、修学旅行生が揃ってマスク姿、他にも80パーセント以上の観光客がマスクをしていて、その異様な光景に背筋が寒くなった。
昨日、神戸での感染者が確認されてから、あっというまに感染者の数が増えている。
帰りの高速では途中なんどか休憩をとらざるを得なかったし、大阪、神戸辺りの大きなSAでは、赤ちゃん用の部屋が設置されていることもあり、やむをえず寄ったが、とても怖かった。そして関東でも感染者が確認されはじめている。時間の問題だと思っていたが、日本のように袖擦りありながら、多くの人が行きかうこんな人口密度の都市で、今後どうなるのか。弱毒性と見られているため、まだましだが、やはり予防に注意を払いたい。
今月末はひゃらりのライヴを企画しているが、状況によっては自粛をすべきかもしれない。ひゃらりについて、松尾慧さんと今回のインフルエンザについて話をしたなかで、わたしは死ぬとして、こんな形で死ぬという想像はしていなかったわ、と話したら、
「わたしはこんなふうに死ぬと思ってるよ」
とかえってきた。
その答えで、日ごろから死亡率100パーセントと思ってはいるが、それでも自分が死ぬとはウソのようだと考えている自分に気づいた。二十歳までは、自分の死はとても近いものだったが、年を経るにてつれて遠ざかっていった。実際は近くなっているにも関わらず・・・。そして子供が出来て、欲がたくさん出てきた。子供にはなんとしても無事に育ってほしいと思う。生きることはそんなに楽ではないとわかっていても、長く、健康な人生を望むのだ。いま感染され、病床におられる方々の一日も早い回復を祈り、この猛威が一日も早く収束へ向かうことを祈るばかりだ。ひゃらりのライヴについては、もう少し状況をみて、判断をくだそうと思う。その際には、HPや予約してくださってるお客様方には個別にお知らせいたします。ご理解を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
みなさんもどうぞくれぐれもお気をつけてください。
3
奥田祐斎
早乙女太一
ソニー・ブラビア
投稿者: たたらちゃん
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2009/5/7
「公園デビュー」
公園デビューした。
乳母車、もといベビーカーに乗せて徒歩2分の公園へ。
先客は2名。
おばあちゃんとお孫さんかと思ったが、どうやら違う。
あとでわかったが、保育士さんだった。
どうりで遊ばせ方なんかがプロっぽいな、と思ったものだ。
1歳3ヶ月の息子は、はじめての滑り台の階段をはじめおそるおそる、やがてどんどん上っていこうとする。
まともに歩けへんのに、なんちゅう怖いもん知らずや。
3段くらい上がってみれば、思ったよりも高い。
下が見えてる階段だから、なお怖い。
わたしは高いところはだめなのだ。
新宿のドーナツ状の高層ビルで、立ち往生したことがある。
エレベーターを降りると、ビルの内側がガラス張りなのだ。
地上何十階だったかは忘れたが、ビルの真ん中がぽっかり空いていて、上昇気流でも吹いていそうだ。
まんが「男塾」で崖から落ちていった富樫が、実は上昇気流に乗って、吹き上げられ助かっていた場面を思い出させる。
・・・だれも知らないだろう。
通路の幅は約2メートル。
わたしは自分が倒れたときに、はみでたくないので、結局、反対側の壁に張り付いて、かに歩きで一周した。
住友ビルだったかもしれない。
高層ビルで、夜景を見ながら食事など、もってのほかだ。
悪意すら感じる。
さて、どんどん階段を上がっていくわが子に、すっかり腰のひけているわたしの姿に、その保育士さんが声をかけてくれた。
代わりに上まで上って、抱っこしてすべってこようかというものだったが、彼女はそういいながら、
「あ、でもくせになると困るからやめとこうか」
といった。
自分が怖いので、わが子がすべってくる姿も怖い、と思っていたため、ほっとしてしまった。もうちょっとしっかり歩けるようになったら、がんばってわたしも滑ってみよう。
ところで、声をかけてくれた彼女と話すうち、
「甲状腺、大丈夫?」と聞かれた。
実はわたしは甲状腺がいつも腫れている。
正確には腫れているように見える。
甲状腺とは首の付け根のところにあるが、そこが首を囲むようにぷっくり腫れるのだ。
はじめは大学生のころ、風邪で受診した医院で指摘されたが、その場で先生に
「まあ、思春期すぎたら治るやろ」
といわれた。
思春期とはいつだ?
大学生のころは、いまから思えば思春期だったのかもしれないが、そのときは、呆気にとられた。
そして、ときどきたまに医者にかかるといわれ続け、いよいよ新見の市民検診でひっかかった。
詳しく検査した結果は、
「腫れているように見えるのは、筋肉です」
というものだった。
なんと・・・。
なぜここに?
ひょっとして、笛吹いてるせいか。
深刻な顔して検査受けてたので、拍子抜けした。
今日も甲状腺を気遣ってくださったその方に
「これは、実のところ筋肉なんです」
というと、
「・・え?そんなところにどうやって」
と聞かれた。
かなり面白い会話だ。
彼女のことを一体なにものだろうと思っていたわたしだが、この瞬間、彼女がわたしを
「一体なにものだろう」と思ったに違いない。
首に筋肉をつけている女。
師匠の一噌幸弘先生の首はすごい。
笛の方がもっとすごいのはいわずもがなだが、首もすごいのである。
とっても華奢で細い体をなさっているが、演奏中の首周りは倍くらいになってはる。
近くでまじまじと見ていて、たまげた。
あれだけものすさまじい音が出てくるのも、うなずける。
5
公園デビュー
甲状腺
滑り台
投稿者: たたらちゃん
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2009/5/4
「備前焼」
新見市の神郷へ石楠花を観に出掛けた。
車で走り出すと、お隣さんの車がすぐ前を走っていることに気づく。結局、そのまま目的地まで一緒だった。
シャクナゲは切り立った岩肌にへばりつくように桃色の花を咲かせていた。新緑のやわらかい緑のなかで、薄紫の藤の花もところどころに見え、それは美しい光景だった。
シャクナゲの群生はいまはもう限られたこの箇所だけのようで、うどんやヤマメの塩焼きを売っている露店が店をだしていた。
お隣さんの車にはほかにご近所さんが同乗しておられ、ご近所さん勢ぞろいとなり、普段の風景と変わらなかったが、加えてそこに旦那が同級生数名に出会い、シャクナゲを観に来たというよりは同窓会に来たみたいだった。
東京や京都ではあまりないシチュエーションだ。
狭い、というより行くところが限られているといった方が当たりだろうか。
結婚当初はどこへ行っても、知り合いに会うということに驚き、とまどったが、いまでは普通のことになっている。
その後、備前作家の大原砂利さんを訪ねることにした。
途中少し迷い、下校中のヘルメットをかぶって自転車を走らせているこどもたちに車窓ごしに尋ねると、口々にとても丁寧に教えてくれた。
みんなちゃんとヘルメットかぶって、かわいいなあ〜・・と思っていると、だんながえらくスピードをあげて走る。
のどかな田舎道、こどもたちの通学路でもあるのに!と思ったら、バックミラーをちらちら見ながらアクセルを踏んでいる。
「こどもらが追いかけて来よるけえな。」
さっき道を教えてくれたこどもたちが競って、車を追いかけてきていたようだ。
「はよう無理じゃと思わせにゃいけん。あぶないけえ・・」
そういえば、こどものころって追いかけてなにするわけじゃあないけど、こういう場面で追いかけたくなるもんだったなと思い出した。旦那も追いかけてた口に違いない。
さて、大原さんの工房を訪れるのは初めてだった。
家族はすでに何度もお訪ねしていて、アトリエにはいると並んでいる作品に見憶えのある作風が見られた。
家で見知った器たちの作り主だ、とわかった。
声に張りのある、肝のすわった人物で、ユーモアも兼ね備えていらして、魅力的な方だった。
開口一番、
「衣装着てるときは老けとるけど、こうしてみると若いな!」
え〜〜〜〜・・・・ま、ええけどォ
ときどき、言われることだ。
「朱鷺さんって、いくつやろねえ。20代?それとも40代?」
なんでアイダ抜かすんですか?
その中間ですわ、中間!
結婚前にも、新見の彼のお家にお邪魔したとき、
隣家のおじさま(コンサートを聴いていただいている)に紹介されると
「あ、そう!朱鷺さんのお嬢さん?」
「へ?いえ、本人です」
「ああ?・・・あ、そう!!」
さらに、おじさまは走って奥さんを呼びに行かれた。
すぐに奥さんがやってきて、わたしを見るなり
「ありゃァ、朱鷺さんのお嬢さん?」
「いえ、本人です」
一体、舞台上のわたしは何歳に見えていて、普段のわたしは何歳に見えているんやろうか。
大学生のころ、ボランティアで訪れた老人ホームで、90歳のおじいちゃんに
「お子は何人?」
と、たったそれだけ聞かれたのも鮮明な思い出だ。
「こどもは居てません」
と答えると、ただ黙って首を振ってはった。
えらい悪いことをしでかしたような気持にさせられたが、そのときって10代だったんだけど。
若いときから「落ち着いてるね」と言われ、
大学の入学式では新入生がクラブの勧誘の嵐に合うなか、ほとんど勧誘を受けず、受けたのは迷った新入生からの校舎の場所の質問だった。
ま、このへんで自分をいじめるのはやめておこう。
若いときから老けてると、もうちょっと年いくと、逆転するというから。
気を取り直して、工房へ話を戻そう。
なんと、思わぬことに本日体験をさせてもらうことになった。
ちょうどほかにお客さんがいなかったので、時間を割いてくださったのだ。
心の準備ができていなかったので、なにも浮かばなかった様子をみて、
「手形はどうや?」
1歳3か月になるわが子がじっと見上げている。
というわけで、とてもいい記念の品を作らせていただいた。
焼くのは11月だという。
備前焼の手形か、すごいな。
実は、いまお客さんほかにいないから、と大原さんがおっしゃった端から、どんどんお客さんがやってきた。
工房でわたしのCDをかけてくださっていたので、いらしたお客さんにわたしのことも紹介してくださった。
親戚とともに大勢でいらした様子の一団のなかに、とてもよくわたしを知ってくださっている方がいて、他のメンバーへ向けて私の出身地から旦那の職業から、なれそめからすっかり説明してくれた。
びっくりして、これはマネージャに雇わなアカン、と大笑いであった。
小さい町なので、コンサートなどその都度メディアが取り上げてくれるのだが、その力を肌で感じる出来事だった。
もう悪いことはできひん。
そしてわたしはとても素敵な急須に出会った。
急須が前から欲しかったのだが、これ!といったものに出会えていなかった。
備前は赤茶色の地色が普通思い浮かぶものだが、この急須は灰色がかった青みのある、なんともいえない味わいがあって、ひと眼で気に入ってしまった。
割らないように、大切にしよう。
と言ったら、大原さんに
「割ってや」と言われた。
「割れへんかったら、また買ってもらわれへんからな」
メガネの奥の目が悪戯っ子のように笑っていた。
3
大原砂利
備前焼
岡山
投稿者: たたらちゃん
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2009/5/2
「ハートランド倉敷」
5月2日ハートランド倉敷フェスティバル初日。
倉敷美観地区を流れる川をかぐや姫と笛吹きが船で行く。
という幻想的なオープニングイベントで演奏させていただく機会を得た。
ゴールデンウィーク、そして高速道路1000円さらに好天候というよい条件に恵まれて、多くの人出で賑わった。
19時半、倉敷小町3人娘によるかがり火への点灯式のあと、川の両岸に据えられた蝋燭に端から次々に火が灯されていった。
そのときわたしはすでに船上にあった。後ろには公募で選ばれた美しいかぐや姫が鎮座し、船尾には船頭さんが舵をとっている。点灯式の行われた前方のアーチ型の橋の上で3本のかがり火が燃え、その橋のたもとから順にこちらへ向かってろうそくが灯されてくる。川の真ん中の船の先頭で、おそらく一番見物にいい場所だったにちがいない。とても静かだった。ろうそくの炎が川面に揺らめいて、夜目にもやなぎの青さが映えた。
すべてのろうそくに火が入った段階で、演奏を始めた。
今回、船は橋から橋を2往復する予定である。
片道約3〜4分。まず折り返し地点で船がUターンするまでで1曲、折り返したところから、出発点に戻り、また折り返すところまで、つまり1往復で1曲、最後の片道で1曲、の計3曲の予定である。
演奏の曲目は1曲目「黎明」(遊楽のCDに収録曲のオリジナル)、2曲目もオリジナルで「たたらの森の奥深く」(コサノナオキ編曲)をカラオケで、3曲目に今回のイベントのために作ったその名も「かぐや」。
カラオケは演奏時間が決まってしまうので、どうしようもできないが、ほかの2曲は笛の独奏だったため、船が目的地に着くまでいい具合に自由に吹いていることができた。
1曲目は目的地のかなり手前で曲が終ってしまったので、あとは適当に即興していた。
作曲したときにはこの曲はこれで完結!と思っていたはずなのに、意外とうまくいったので、この曲にコーダ部分を付け足してもいいかもしれない、と即興しながら思った。
3曲目もあとちょっとというところで、本来の曲が終ってしまったので、適当に付け足した。
カラオケはそういう意味ではすべて決まっているので、メロディを間違えたり、忘れたりしたら恐怖であるが、独奏はその点は気が楽だ。
今回は衣装にも凝り、紫と白の菊綴のついた白い水干に、朱鷺色の袴、高烏帽子という出で立ち。
白拍子の静御前のいでたちと同じである。
これは男装であるが、女性の芸能者の姿と思えば、まことに己の身にふさわしいようで感に堪えない。
前日からひゃらりのリハーサルのため、新見へいらしてくださっていた松尾慧さんが、この本番にも同行してくださり、単に同行してくださっただけでなく、衣装の着付けからなにから「親戚のおばさん」(注!これは本人談)のようにお世話をしてくださった。
水干は袖がとっても大きくて、背中にも垂れるし、とにかく独りで着つけるには
「どないすんねん!」と叫びたくなるが、慧さんのアイディアで、いくつかの工夫を凝らし、独りで着つけられるような具合にしていただいた。
むかしの人は独りでは着なかったんでしょう。
この着付けから思えば小袖(いまの着物のスタイル)のなんと楽なこと。締め付け具合は今の方がきついかもしれないが。
そんなわけでとても立派な衣装で、烏帽子もつけたため、身長は20センチ以上高くなり、袖は大層大きいため、よこにも大きくなった。そして船の先頭に立っていたのであるから、後ろに座っていたかぐや姫は見えにくかったようであった、ということをあとから知った。・・・でも、立って演奏するスタイルは例年のことらしいので、申し訳ないけどしょうがなかったなあ。
船の先頭に立っているのは結構怖かったが、船頭さんが上手で、あまり揺れず、昼間のリハーサルと違って、真っ暗ななか前方から強烈な照明を浴びているため、遠近感がなくなったことが怖さを感じるのに鈍くなり、ちょうど良かった。
私自身、このイベントの素晴らしいシチュエーションに心を動かされ、大変気持ちよく笛を吹かせていただいた。
リハーサル風景
自分の企画するコンサートとは違って、今回のようなイベントでは、目指す作りたい世界があって、そのパズルのひとつのパーツを受け持つわけだから、失敗は許されないし、できるだけよいパーツでありたい。
役に立ったかどうかが、とてもよくわかる場面であるからこそ、芸能者として自身が在ることを強く感じる。
これは嬉しいことであり、誇りを感じることである。
そして同時になぜ自分がこういう役を担っているのか不思議に思うことがある。
そんなことを帰るみちすがら松尾さんに話していたら、
「自分がなぜこういうことをしているのか不思議に思うことはしょっちゅうだよ」
と彼女も言うから、面白いものだ。そしてそんな話をしていたら、慧さんといるのに珍しく道に迷った。迷い方が不可解だったので、ふたりして不思議だ、を連発しながらどうにか帰ってきた。
ところで、CD「彼は誰れ」で共演しているコントラバスの鳥越啓介さんは出身が岡山県玉野市だ。
今回ご両親が玉野から駆け付けてくださった。それも旦那の大好物の桜餅をたんと作って。
数年前、新見で啓介さんをゲストに迎えてコンサートをしたおり、差し入れにはじめて鳥越さんのお母さんの桜餅をいただき、そのあまりのおいしさに旦那がひと箱ぜんぶ独りでたいらげてしまったというほど、美味しい。あっという間にまさか全部食べられてしまうとは思わず、実はわたしはひとつも食べていなかったのである。
今回、念願の鳥越母作桜餅、ようやくごちそうになりました。
さすがだ、美味しい・・・慧さんと舌鼓を打ち、旦那はものもいわず、嬉しそうにほおばっている。
ありがとうございました〜!
夢のような一夜が明け、翌日ひゃらりの練習も無事終えた。
今月末、29日には横浜のイギリス館でひゃらりのライブがある。新曲が出来上がっている。
意図した作風の曲が仕上がらず、しかし代りに出来たこの曲はいままでの曲とはまた違い、全く新基軸であり、ひゃらりの、つまり笛の2管の世界を深める要素を持っていた。
松尾さんと作っていく過程で、それをお互いに確認することができ、さらに笛2管の世界にはまっていくわたしたち。
ひゃらりはセッションバンドではなく、作曲された楽曲を演奏するスタイルを持つが、書かれたものであるからこそ、自由になれる、作り上げていく喜びをあらためて私に知らしめてくれている。
自分自身がファンになったユニットは、いままでなかったが、それが「ひゃらり」である。
今月末のライブを終えると、録音に入る予定だ。
今年中にCDをリリースしたいと思っている。
ともあれ、イギリス館でお待ちしています。
ぜひいらしてくださいませ。
かわいいかぐや姫とともに
11
ハートランド倉敷
かぐや姫
倉敷美観地区
投稿者: たたらちゃん
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2009/4/29
「牡丹園コンサート♪」
昭和の日。恒例となった茂原・牡丹園でのコンサートが無事終わった。
気がつけばなんと7年目に入っていた。牡丹園の若のギターとのセッションもレパートリーが増えるはずだ。
牡丹の咲き具合を尋ねると、
「今年は暖かくて、(最近毎年このセリフを聞いている気がする)黄色の牡丹だけになってしまってね」とのこと。
最後に咲くのが黄色の牡丹なのだそうだ。
そうはいっても、盛りをすぎたとはいえ美しい色とりどりの花が咲き乱れていた。
今年のメニューは、第一部に笛の二重奏を2曲。
遠音を聴いてもらおうと、庭で移動しながらの演奏。
今回は生徒を何名か連れてきた。二重奏の相手も生徒であったが、長く笛をしていて、ここのところ、とみに力をつけてきている。歩きながらの演奏は想像以上に難しいもので、一度リハーサルをしてはいたが、本番、私自身も宣言していたルートを通らず、最後、ここで会いましょうね、といっていた地点にたどり着いたときには、彼の姿はどこにもなかった。
どこ行かはったんやろう・・・
きっと焦ってはるやろな、と思いながら、助けようがなかった。
まあ、陰笛といって客席から見えないところで奏するスタイルいもあるので、これもよし、である。
一部の後半からはギターとのセッションになり、蘇州夜曲、ビートルズのエリナーリグビー、そして与作と耳馴染みのある曲が続いた。楽しんでもらえたのではないかと思う。
さて、わたしが使っている笛の笛師である蘭情さんは茂原から車で約4,50分の成東にお住いで、毎年必ずいらしてくださる。
与作は蘭情さんのテーマソングなのである。
演奏終了後、客席の蘭情さんから
「ありがとっ!」と掛け声。
嬉しい。
ところで。このたびわたしは大チョンボをした。
2部に演奏予定の「ソーラン節」
5本調子のkeyだったのだが、楽譜は移動ドで書いていたことを失念し、5本調子を忘れてきたのだ。
だがしかし、茂原でだけ通用する天の助けがあった。
「あ、もしもし!蘭情さん?まだお家出てはりませんか?」
そう、蘭情さんにお願いしたのだ。
「あ、そう。5本ね?わかった、わかった。持ってくよ!」
ありえへん〜、有難い!
おまけに新作の曲がった竹で出来たなんともかわいい6本調子まで持ってきてくださって、そのまま5本調子とともに我が家へ嫁入りとなった。
千葉でのコンサートは笛が割れようが、忘れようが、笛の大明神がいてくださるので心底安心だ。
この気持ちの緩みが今回の笛を忘れるという失態へつながったのかもしれないが。
・・・数年前には演奏後に笛をケースごとごっそり忘れて帰るということもしている。
いかん、気持ちに緩みのでる土地なのかもしれない。
夜も更けるにつれ、牡丹の香りがたってくる。
夜の方が香りが強くなるらしい。確かにそうのようだ。赤羽に住んでいたころ、家路を急ぐ道すがら、どこからともなく香ってきたジャスミンを思い出した。春の宵の花の香りは、軽いめまいを覚えるような感じで、幻惑的である。
さて、いよいよコンサートも佳境に入り、第2部はさらに笛部隊が増え、総勢5名。
さらにはじめて参加してくれたカホン(普段はギタリストなのに無理やり叩かされたらしい)シノ君も加わった。
最後は牡丹と笛の夕べコンサートのお決まりになってきた「楽々舞(ささまい)」。
たたら会門下の準師範も務めるH女史が笛を脇に、代わりに手に扇を持って舞う。
その怪しげな動きから、牡丹園のスタッフから絶大な支持と「クリオネダンス」という異名を得ている。
彼女は笛を吹いているときよりも踊っているときの方が、明らかに解放されている。
笛は緊張するのだという。
それはとてもよくわかる。
今回初参加したあと二人の生徒も、かなり緊張していた。
うちひとりは緊張のあまり、可哀そうに来る途中車に酔い、おなかも壊してえらい目に遭っていた。
わたしもいつも凄まじく緊張する。
周囲はあまり信じてくれないが、本当にものすごく緊張するのだ。着物の上から心臓がバクバクしているのが見えるほどだ。
絶対体に悪いな、と毎回思う。
もっと体が弱ってきたら、耐えられないかもしれへんと思うが、かといって緊張できないと最悪である。
たまにそろそろ開演だというのに、ちっともテンションが上がらないときがある。
緊張というものはしようと思ってできるものでもなく、こういうときは緊張できていないことに対して非常な焦りを持つ。
この状態はほぼパニックに近い。
今回は生徒たちがわたしより先に緊張したため、いつものようには緊張し損ねてしまったが、お客様がとてもハートフルに受け入れてくださっているのが感じられて、演奏しやすかった。
今回も遠方から電車とバスを乗り継ぎ、または風の冷たい中バイクで、はるばる聴きにきてくださったお客様方に恵まれて、幸せなときを持てました。
どうもありがとうございました!
6
投稿者: たたらちゃん
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2009/4/18
「牡丹園コンサート近づく」
今日から東京へ出稽古だ。空港までの山道で、珍しく猿が横切って行った。ところで猿には「お猿さん」と「お」を付けて呼ぶことがあるが、このような動物は他に何がいるやろう。
犬は徳川吉宗に限ってかな…お犬さま。狐は神さまの遣いやからお狐さん。ネコは招き猫という民間信仰の対象になってもいるが「お猫」とはいわないな。
運転しながら考えてみたが、結局犬と狐の他は思いつかなかった。
生き物ではないが、関西では飴を「飴さん」だの「飴ちゃん」だのという。他に下品だが、排泄物の大きい方にも「う○こさん」あるいは「う○こちゃん」と敬称(?)がつく。
排泄物に関しては、このように呼ぶことで、まんがチックな印象となり、イメージが良くなる効果があり、飴も同じくで、かわいらしさが際立つように感じる。
どうでもいいことを考えていたら、スピードがかなりオーバーしていた。モーツァルトのレクイエムを大音量でかけていたせいかもしれない。逝ってしまいそうになっていた。
今月29日は千葉県茂原の牡丹園でコンサートがある。毎年恒例となってきた。かやぶき屋根の母屋から、夕暮れに眺める牡丹は妖しく美しい。甘酒もあり、気持ちいいところに笛の音が加わるので、心地よく春の宵に酔っていただけるのではないかと思う。
18時開演、入場料は牡丹園への入園料として600円。ミュージシャンへはお客様のお心付けとして投げ銭を期待すべく、演奏終了後にびくを持ち、客席を周りますので、よろしく待ち構えていただきたいと思います。
2009年4月29日(水・祝日)午後18時開演
場所:茂原牡丹園母屋
定員:80名
〒297-0016 千葉県茂原市山崎210
お問い合わせ Tel:0475-22-4224
入園料:大人600円
アクセス:JR 茂原駅より小湊バス
(ちはら台駅行または緑ヶ丘リゾン行き)にて舟着神社前下車徒歩五分
出演:朱鷺たたら
と笛部隊
笛部隊メンバー:岩永光誠
橋本由紀子
谷口美樹子
太田亜津子
加藤義人(ギター:牡丹園の若でもある)
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投稿者: shinobue
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2009/3/23
「次回への心構え」
日帰り京都行き。人多いなぁと思ったら、世の中連休だった。
「空港のような京都駅構内」
「京都タワー。上まで上がるには770円」
ところで実家の松の木は、枯れ始めていて、注射を五本打ったという。松の木の家と呼ばれているだけに、この松の木にはとても愛着を覚えている。できればこれからも青々とした木陰を作って欲しい。
約二時間の実家滞在で、今度は車で市内へ向かう。この辺りは鹿がたくさん出るから、用心だ。たぬきなら轢くほかないが、鹿は当たればこちらがあぶない。
さて、井筒装束屋では松尾さんがとうに到着して待ってくれていた。すでに物色が済んでおり、話は早かった。色々見て、生地は、こりゃあ高そうや、と思えば一番安かったり、これは安っぽいね、なんて言ってると高かったり、素人にはわからないもんである。定員さんが、おっとりとした年配のおじさまなら良かったが、若者だったので、まだ若輩者やし、わからんでもええかーみたいな雰囲気にならず、ちと話すにも小声になった。
とにかくも、目的を果たせた。
松尾さんはそれから浜大津で、祭衆という京都で活動する太鼓グループの本番に向かい、京都駅で別れた。明日、江ノ島へ戻るという。
帰り際、喫茶店で、
「時に、出産のとき、長ーく息吐いたと言ってたけど、あれ間違いだよ。」
「な、な、な?」
「ほら、痛みを逃すときの呼吸。笛吹くようにしたって言ってたやろう?」
・・・・あ〜あれか!
松尾さんは、あれは笛吹いたらアカンのちゃうか。初心者が吹くようにしなアカンかったんちゃうか、とおっしゃるのだ。初心者の息の使い方は、吸ったとき肩があがり、吐けば肩が下がり、いっぺんに息がなくなるという使い方。 なるほど、そうかもしれん。私たちは、吹いてるとき、息を止めている。吐いていない。
あれ…?そうか。息吐け〜言われて、よっしゃ、お手のもんや!と思ってたけど、あれ吐いてたんやなくて、逆に息止めてたわ!わあ、間違ごうた! それで3日3晩出なかったのか!
…もしれない。
管楽器奏者は特別な息の使い方してるから、産院にそういうアドバイス求めるのは酷だが、しかし、やってたこと真逆やったんか。
今更であるし、仮に次の機会があったとしても私は帝王切開なのだ。
このブログを見てくれた管楽器奏者の妊婦さん。陣痛の時は、演奏の時の息使いでなく、このときばかりは「初心者の息の使い方」!ですよ。
松尾さん、ずっと考えてくれてたらしい。次の時は、あれしたらダメだよって。
「実家の裏山に咲く桃の木」
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投稿者: たたらちゃん
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2009/3/21
「京都へ行くぞ〜」
6時41分新見発やくもで京都駅に9時到着。
今日の目的は、衣装の誂えだ。井筒という装束店に向かう。ちょうど昨日奈良で舞台を終え、今日も滋賀で本番が控えている松尾慧さんが、京都にいるというので会うことになっている。
が、その前に実家に寄る。金閣寺の近くから、京北へ移って二年目、バスで行くのは初めてだ。一時間に一本のJRバス周山行きで終点まで。所要は約1時間半。
さっきから前の席でおじいちゃんとおばちゃんがしゃべってはる。相席で、あとから来たおばちゃんに、おじいちゃんが「どうぞ〜」と快く言いはったんがきっかけやが、あれからずうっとしゃべってはる。
バスは立命館大、そして観光地・高雄を経由していく。今日はどうやら卒業式のようだ。晴れ着姿の学生たちが時折はしゃいだ声をあげる。
立命で車内は一気に空き、前の席の、ようしゃべってはったお二人さんも仲良く降りていった。結局45分間しゃべりっぱなしやったなぁ。
仁和寺を過ぎ、いよいよ山あいの道へと入っていく。
このバスの運転手さんはいい声をしてはる。
ガイアシンホォニーという映画をイダキのひでさんという音楽仲間と観に行ったとき、ダライ・ラマが出演しているシーンで彼がずっと涙を流していたのでびっくりしたことがあった。ダライ・ラマの声の波動が深くて、感動するらしい。何しゃべってたかは全然覚えてへん、というので、それはどうなん…と思ったが。
イダキとはオーストラリアの原住民アボリジニの楽器で、現地でイダキと呼ばれ、外ではディジュリドゥと呼ばれている。蟻に食われて中空になったユーカリの木に口をがばっとあてて、循環呼吸で延々ディジュディジュとやるのだ。出てくる音のオノマトペが楽器名になっている。 ひでさんはこれが専門の人やから、響きにことの他敏感なのだろう。
私の師匠の一噌幸弘先生も響きにはかなり鋭敏だった。ダジャレ王子なのだ。半端ではない。一度、笛の道の先行きについてご相談させていただいたことがあった。私としてはかなり深刻な問題で悩んだ末のことだった。先生はしばし沈黙したあと、なにか謎めいた答えをおっしゃった。一瞬、意味がわからず、深い意味があるのかと逡巡したが、先生のニヤニヤ笑ってはる顔を見た途端、ダジャレをおっしゃったのだと気づいた。もしかしてKY度(空気読めない度)の偏差値はかなり高いかもしれない。
相談した己の観察力のなさを恥じたが、先生は言葉を意味より、響きで聞いてはるんやなと痛感した。モーツァルトもダジャレ王子だったらしいではないか。 演奏中以外もずっと音を聞き、韻を踏んではるのである。意味が抜け落ちていたならば、言葉の発せられた場面には関係ない。あるいは、それらをすでに承知の上でのお答えだったんやろうか。やはり自分は平々凡々人だ。わからず終いである。
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投稿者: shinobue
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2009/3/11
「"丸腰で出かける"の巻き」
今年の「たたら」が操業も無事終わったようだ。
毎年、1月から2月にかけて、極寒の時期に1回の操業を1代と称して、連続3代行われる。
1代には1週間かかる。
たたらの炉自体も、その下の地の作成(下灰)も、毎回新しく作られる。
火が入れられてからは不眠不休で3日3晩、砂鉄と木炭が投入されるのだ。
最後に炉は壊され、ケラと呼ばれる鉄の塊が取り出される。
その行程が1代である。
はじめてたたらを訪れたときのことはいまも鮮烈だ。
新見から奥出雲へ、いよいよたたらに会えるという日の朝、わたしは笛をいくか携えて行くかどうか、悩んでいた。
実は数日前から悩んでいた。原則非公開、さらに女人禁制のたたらの見学を許可してくださった、たたらの長である村下(むらげ)・木原明先生には、私は今回初めてお目にかかるのであり、先生は私が笛吹きであるということだけをご存じだった。
「朱鷺たたら」という訳のわからない名前の笛吹きが、たたらに憧れて来るのである。
私からすれば、芸名に負っているものの、これから出会うのが本物のたたらであり、本物のたたら衆であるのであり、恐ろしく緊張していた。
笛吹きである、ということだけが先方に伝わっていることであるということを考えれば、笛を持っていくのが礼儀であるかもしれぬと思う一方で、携えて行くことに強いためらいを感じていた。
結局、私は笛を置いて出かけることにした。
新見の滞在の間中、泊めてくださり、そしてたたらへ連れていってくださったご主人は、なぜ笛を持っていかないのか、といぶかしんでらした。
車に乗る直前まで迷いに迷い、車に積んで行こうかな、という想いも一瞬よぎったのだが、その想いは断ち切った。
なぜ置いて行くことにしたのか。
確実に言えたことは、わたしは「丸腰」で出掛けた、ということであった。
笛を持っていくということは、機会があれば笛を吹かせてもらおうという、どこか打算的な下心に通ずるものを感じていた。
笛を吹くことがなぜ打算的に感じるのか、うまく説明できないのだが、自分にとって笛は、外界と自分を繋ぐ手段であるため、だからこそこの世界で自分の存在理由を堂々と勝ち取る武器になっている面がある。
たたらへ武装して参るわけにはいかない、というのが正直な感覚だった。
だから車に積んでいくわけにもいかなかった。
どうあがいても手の届かないところへ、置いていくよりなかったのだ。
決断はしたものもの、笛が手元にないという事態はまず日常的にあり得ないことで、心もとないこと極まりなかった。
落ち着かないとはこのことか、という具合で、お尻がもぞもぞし、そこに本物のたたらへ参るのだという極度の緊張が重なる。
1代の最後の夜をたたら場で過ごすため、夕刻出発した車は、やがて岡山の県境を越え、鳥取を経由して、島根は奥出雲へとひた走る。
ああ、どんどん笛に手が届かなくなっていく。
窓からの景色は見たこともない雪でおおわれた山々。
この道の先に、人が住んでいるのか。
思いのほか長くなりそうなので、今日はここまで・・・
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日刀保たたら
木原明先生
村下
投稿者: たたらちゃん
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2009/3/7
「豪華な本番でした!」
本堂に入ると、東西南北にそれを象徴する色彩の衣装が屹立していた。
美しい・・・
女優の人村朱美さんとは今回初めてご一緒させていただくので、初対面で少々緊張したが、すぐにその気さくなお人柄と、体育会系のノリにすり寄ってしまった。
今回の仕込みは私は10時すぎに現場に着き、内容の全容をそこで初めて知ることとなったのだが、開演が14時ということで、かなりタイトであった。けれども、朗読とのコラボレーションはなく、笛は独立して時間が与えられていたため、内容についてはコラボするよりもずっと易しくなった。ただ、四季と東西南北をイメージした所作があったため、(と言っても出退けだけだが)笛を吹かない間の「在り様を見せる」ということの訓練をしていない自分にとっては、大きなプレッシャーとなった。しかし、いまさらジタバタしたところで、訓練してきていないものは見せようもなく、ひっくり返せば悩みようもない!ということで、まな板の上の鯉とあいなった。
さてもさても、今回は衣装パフォーマンス。
類いまれな才気を放つ時広真吾さんが手がけた衣装の数々が、楽屋に所せましとかかっている。これがたった二人の演者のための衣装なのだ。四季折々に着替えるにしてもずいぶんあるなあ〜と感心してみていたが、いざ、着つけに入ると、それらがこのように組み合わされ、そしてそのように着付けるのですか?!という驚きと、それを経験できる喜びでとても興奮した。
お馴染みの衣装もあったのだが、自分で着つけるのと、なぜこうも違うのか・・とがっかりする。
ちょっとした着つけ具合なのだが、それがデザイナー御本人の着つけによるとこれほどまでに生きてくるのかということを痛切に感じさせられる。ちょうど、作曲家自身による演奏がものすごい説得力を持つのと同じかもしれない。
本番は春のシーンから始まった。
まず能管で、お調べを。
そのあと、人村さんの朗読による山椒大夫の一節。
衣装は私は新緑と桃色に深紅がぴりりと効いた、春の妖精のようなかわいらしいもの。
人村さんは若葉を彷彿させるグリーンがさまざまに深みを見せ、ドレープが風をはらむ優美なドレス。
夏は一転。強い赤。わたしたちは強い赤を基調に、黄色が配された長い袖の上着に朱の袴のようなロングスカート。そこへ幅広の色違いの帯を締めた。
篠笛で夕夏里を奏し、その後、人村さんの所作がはいった。
これが南=夏に配された赤のドレスのケープを使ったとても幻想的な夏の夜の夢のようなひとときであった。
そののち、能管で古典を一曲。
秋。色は白。
人村さんは上下白。たっぷりと布を使ったためか、白でもさまざまな白が折り重なってみえるなんとも神聖な衣装。
立原道造の詩を朗読。
私は白地に青い洋風の模様をプリントした正絹の上下。一見袴姿に見える巻きスカート姿に、深緑に金糸の帯を締め、上に長いひきづりのオーガンジーの白いガウンを纏った。
会場を吹きながら、しばし移動。
笛は奏している間、ほとんど動きがないので、衣装の表情があまり変わらないが、長い裾の美しい衣装を見ていただきたくて、少し移動してみることにした。
最後は冬。
衣装は黒。
生あるものはその命を終え、終息へ向かう。しかしその内側には新たな命の萌芽が生まれている。そういう季節である。
島村抱月の芸術論の序の一節の朗読と、笛の短い一節で、舞台の幕が閉じた。
時広さん御本人は交互に出たり入ったりする我々の着つけのため、舞台を見れず、本番も直前までアイロンがけ。
だめだしを喰らわないで済むが、ご本人はもちろん一番見たいであろうし、私も見ていただきたいのであるから、残念である。
コピー人形があればいいなあ・・・
こういうとき、パーマンがいてくれたら。
詮無いことを思うのである。
今日の舞台も多くの気持ちのよいスタッフとお客様に支えられ、二度とはない、濃厚な充実した時を生かせていただいた。
帰りのやくもに揺られまくりながら、人村さんとお話させていただいたことも、素晴らしい時となってわたしのなかに積み重なっていった。
彼女は福井県は敦賀にお住まい。日付が変わるころ、帰宅されるという。
我が家には時広さんが今日明日と滞在されることになり、駅弁ぶらさげて一緒に帰宅となった。
本番の写真が手元に届いたらアップしようと思う。
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投稿者: たたらちゃん
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