牛乳パックすこし淫らに開ける羽目 進藤一車
奥様を亡くされ、ご本人も病魔とたたかう明け暮れとお聞きしている一車氏は北海道にあって、最後まで故斎藤大雄の「さっぽろ」に距離を置くことで、自らの川柳の理念をまっとうされようとし、少数の同志と「どん底の会」を出しつづけた。
2003年、氏に招かれて北海道に渡り、「どん底の会」が主催する第一回「現代川柳の集い」に参加。選とスピーチをさせていただき、北海道の柳人と親しく歓談させていただくなど貴重な経験をさせていただいた。
2008年だったか、第二回をやりたいが来ていただけるか、と口ごもる一車氏に「私でよければ行かせていただきます。でも経費のことは心配なさらないでください。ぜひやりましょう」と励ましすようにお答えした。決して愚痴はこぼさなかったが、北海道にあって「さっぽろ」と距離を置くやりにくさは、ちいさな誌の運営にも有形無形の影を落とす。
結局この話は立ち消えになってしまったが、私には一車氏の無念が痛いように伝わってきた。やがて「「どん底の会」も解散した。今はバックストローク会員もおやめになりご自分の治療に専念されるという。せめて墨作二郎氏の「点鐘」だけでもつづけていただきたいとひそかに願っている。
「一人を失って牛乳パックが飲みきれない。そしてそのぶざまな開口部・・」(墨作二郎)

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