夕べ時実新子が夢にでてきた。「まあセンセおめずらしい・・お元気でしたか」、「あなたがんばっているわね」といった会話にもならぬ会話をしたような気がしたのは目覚めてからの記憶である。私は決して「川柳大学」のいい会員ではなかったし、迷惑ばかりかけてきた私の夢枕に立つなどあり得ない話だが、実はここ一週間ほど漠然と新子のことを考えていた。そのせいだろう。
お亡くなりになってもう3年が過ぎるという。もう何をしなくても時実新子という偉大な名前と作品は歴史の永遠性の中にあるという考え方は間違いではない。しかし、歴史の中に祀り上げることで、はたして新子は喜ぶだろうか。刻々と変化する時代に生き続けることが新子の本望ではないだろうか。あとに残されたものは、その時代と新子作品の検証を絶えず続けることが責務ではないか。
たとえばジャンルや流派を超えて心ある人たちが一堂に集い、時代とすり合わせながら新子とその作品を語り合う会などは不可能だろうか。
もちろんその時は仰ぎ見る偉大な新子先生てはなく、崇拝する対象としてではなく、一人の川柳作家、時実新子と向き合わなければならない。

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