ある日の川柳教室
年季です適当に入れる調味料
入ってまだ半年ほどの新人だが容赦はしない。調味料?、なんだいそのお行儀のよさは、もっとシンプルに・・「年季ですぱっぱっとふる塩胡椒」が実感でしょ。
紫陽花や触れて情けを重くする
「や」に思い入れ過剰、やすっぽい演歌になってしまったぞ。やり直し・・。
退いてくれかるがもの子のお通りだ
「どいてくれ」の啖呵がいきてない。「退いてくれかるがも一家のお通りだ」これで啖呵がいきてくる。・・あの〜啖呵って何ですか・・。どいたどいた次郎長一家のお通りだ・・あはは知らねえだろうなあ。
洗っても落ちないシミが十はある
この場合は「十」も「百」もおなじこと。あなたの中のどうしても拭いきれないシミをたった一つ思い出してごらん。「洗っても落ちないシミが一つある」の方が、十や百より深くなる。
教室の事務方によると「まあいつも笑い声の絶えない教室ですねえ」と、褒められているとも思えない感想だが、「大会でよく抜ける上手な句が作りたかったらヨソへ行ってくれ」と、最初からまあ乱暴な講師だが、よくしたもので、講師の出来がよくなければ、生徒の自習能力は必然的に高まってくる。彼女たちの勲章でもある新聞柳壇、それも、もっともレベルが高いといわれている山陽柳壇の一席になったのは、まだ二年目だったN子さん。その時は「新聞記者が取材にきた。写真も撮っていっけど変な顔してないかしら」と教室全体で大フィーバーしたし、すでに倉敷文学賞受賞者もでた。まあそんなことより、川柳が楽しい、この教室が待ち遠しいと言ってくれる生徒がいれば、講師の私も張り合いがある。
かって15年ほど前、老人中心の句会だった和気川柳から、若い3人に声をかけて勉強会をもった。もう若くない2人がついてきた。総勢5人の勉強会、だが目的がなければ勉強に身が入らない。「岡山県文学選奨を獲る会」の命名した。もちろん、私の中にある計画はあったのだが、「そんな〜ウチらにそんなことできるわけがない〜」「うるさい。私も一年に一人しか取れない賞を、そう簡単にあなたたちが取れるとは思っていない。しかし、だからこそ目標は大きいほうがいい」と押し切った。それから毎月一回公民館で例会をもち、一人15分程度のマンツーマンの勉強を始めた。私もまだ若かったし、私自身の勉強のつもりでもあった。一人は脱落した。そして三年目、思いがけないことに、一番の年嵩の一人が岡山文学選奨川柳部門正賞を獲ったのである。私は信じられなかった・・(つづく)

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