地方の硬直した川柳を揺さぶるには大会を動かすしかない。と何度も発言しているが、岡山にも200名を超す結社大会がいくつかある。相変わらず結社代表を選者に招くという習慣から脱し得ないし、そこに残される作品も平板な感動の羅列でしかない。
しかし、50年、60年と続けてきた熱意と歴史には別の評価をしなければならないだろう。私はことあるごとにこの歴史を評価してきた。
ある新興結社が大会を開いた。イヤ、大会をするためにできた結社である。優秀作品は句碑を建立するという派手な宣伝が効いたのか、初回から200名を超す大会になった。当然、川柳はまったくの門外漢の代表者は、企業的な大会運営に自信をもった。選者依頼を断った私に怪訝そうに首をひねった。
そしてある会議の席上で、「アキラさんが、その歴史は評価しなければならないと言った大会と、おなじだけの力を私たちも蓄えた。ぜひ評価していただきたい」と不躾に要請してきた。一部には「川柳活性化の一助」と評価する声もあったが、各結社の代表、県の職員も交えての会議で、あいまいに聞き流したのでは、後に誤解が生まれる。はっきりと私見を述べた。
確かに大きな大会と聞いています。しかし、西大寺も西日本大会も、玉野も、50年前、60年前、本当に川柳の好きな数人が立ち上げたのが始まりで、そこに文芸的歴史があります。しかし、あなたのところは最初からイベントが目的で、文芸的裏付けがないように私には見えます。第一、一度も行ったこともない大会の評価などすることのほうが失礼でしょう。
それにしても、この大会には関西から多くの選者がやってくる。大会の目的も理念も内容も彼らにはどうでもいいことで、ダボハゼのように選者に飛びつく「一流選者」のなんと多いことか。私の知る限り選者を断ったのは、一回目の選者を引き受けて後悔したという森中恵美子さんと、当初から本質を見抜いていた墨作二郎氏だけである。
とまあいろいろあって、昨年、私たちの「BSおかやま川柳大会」を立ち上げることにした。(つづく)

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