どこの地方にも大会で必ず好成績を収める猛者がいる。もちろん実力者も稀にいるが、大抵はたいかいのために川柳をやっている似非作家である。関西圏にぱ少ないが、地方へ行けばいくほどこの傾向は顕著で、新聞にもたびたび紹介されるから、自他共に一流と錯覚してしまう。かつて岡山にもKというモサがいた。では何故いつも好成績を収めることができるのか。独断と偏見に満ちた分析してみると、まず大仰な表現を好み、言葉のふるまい方がうまい。文学の匂いをちりばめて選者をくすぐる。あってはならないことだが、クセのある太字で、オレだ〜と主張する。特に地方では選者も参加者もおなじ顔ぶれだから、これはかなり効果がある。
定評のある○○さんの句だからと、ヘタな選者は安心して特選にする。しかも、困ったことに、特選になった「○○さんの句」はいい句として参加者の間に流通し、無定見に模倣が始まる。
そして文学とは遠いところに引き離された大会は、お祭りとして埒もない句が量産される。これをまともな文学的大会にするにはどうしたらいいか。
まず選者の意識の改革、そして参加者の文学を志向する熱意。この二つがあれば、選者は近隣結社のジイさまの輪番制というバカな制度を機能しなくなるし、意識のある選者によって入選句の質も変わってくる。そして参加者が中心の大会は取り戻せる。
岡山には「玉野川柳大会」という素晴らしい大会がある。

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