気づかなかったがMANOが10年になるという。
当時、名古屋の「みどりの会」で紹介された歌人・加藤治郎氏が、怪訝そうな顔をして足を一歩引かれた。そして申し訳なさそうに「MANO」はもつと若い方が出されたものだと思ってましたと笑いながらいい、いやいや、これでも川柳では若いほうですよと笑いを返し握手したことをよく覚えている。
それから10年である。
佐藤みさ子・加藤久子(仙台)、倉本朝世(大阪)、樋口由紀子(姫路)、石部明(岡山)という組み合わせは作品を読めば何となく分かったが、その動機はよく分からなかった。あるいは当時聞いていたはずだが、もう忘れてしまったのだろう。
当時は、時実新子を頂点として川柳は「思いを書く」ことが主流であった。だが、新子の弟子であった由紀子は、「思いを書く」ということの、実は生活的な日常の告白川柳に違和感を持ち悩んでいたという。すでに師、新子とも距離をとり始めていた。そんなときに川柳Z賞の大賞ではない加藤久子の作品に目をとめた。「これだっ」と思ったという。そしてすぐに手紙を書いた。そして、加藤久子から、仙台には私よりもっとヘン(いい)な作家がいる、と紹介されたのが佐藤みさ子であったと、1+1の会のテープで再確認した。
そして、たった5人の、ちいさな「MANO」が始まった。
私はこれを私の中だけで、小さな川柳革新運動と位置づけた。