東国無双の城

2017/2/24 | 投稿者: 鹿苑院

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童友社の小田原城のプラモはこういう形をしている。ただし北条氏の時代には小田原城に天守閣はなかった。それが造られたのは江戸時代になってからのこと。
小田原城のアイデンティティはその広大かつ複雑な構なのだから、個人的な感想を言わせてもらえば天守閣だけというのは寂しい気がする。少しは周りの小建築群を付けてほしい。もっといえば小田原城に関してだけはむしろ天守閣がなくてもいい。

城というものの概念は日本と中国ではやや違う。日本では城と城下町は別物だが、中国では両者は一体であり、町全体を城壁で囲んだものを城と呼ぶ。
小田原城の場合、秀吉の侵攻に備えて城下町全体を城壁で囲んだので、いわばその最終形態で中国式の城になったと言える。他に日本の城でその形をとったのは僕の知る限り石山本願寺だけだが、その両城は難攻不落を謳われた城の東西横綱であることを考えると、中国式の城の方が堅城たりえるのかもしれない。まあ小田原城は中国式になった途端に落城したわけだが。

ちなみに地図を見るとわかるが小田原は関東地方の南西の隅にあり、西から箱根を越えてくる敵を迎え撃つには都合が良いが例えば北から上杉謙信が攻めてきたりすると小田原までの道はほぼすべて蹂躙されることになる。関八州の首府としては偏り過ぎであり、家康がここを本城にしなかったのは当然といえば当然である。
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