2018/7/15 | 投稿者: 鹿苑院

アンゴルモア放送開始記念に。

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2018/7/9 | 投稿者: 鹿苑院

加藤剛さんが亡くなった。報道やネットを見て、一般的には加藤剛さんの代表作は「大岡越前」だったのかと知ったぐらいなもので、僕にとっては誰がなんと言おうと「風と雲と虹と」の平将門公である。書籍で将門公の活躍を辿る時、思い描くイメージでは将門公の姿は加藤剛さんで脳内再生される。
生前のインタビューを見ると、大意で「みんなが笑って暮らせる世の中にしたい」というようなことを言っており、まさしく将門公じゃないかとジンときてしまった。



この動画での将門公の演説は、やはり製作された年代の制約なのか、戦後左翼の共産主義の影響を少し嗅ぎ取ることができる。しかしそれを差し引いても、最高にカッコイー将門公の勇姿が凝縮された名シーンである。
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2018/7/6 | 投稿者: 鹿苑院



ホーガンの勇姿を見られる日はもうないと思うが、一度の過ちで埋もれさせるにはあまりに惜しい。
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2018/7/4 | 投稿者: 鹿苑院

アンゴルモアというアニメがもうすぐ始まる。歴史物アニメといえばほとんど戦国か幕末と限られている中、なんと珍しくも元寇がテーマである。なお、我らがみかこしも出演する。これは見るしかない!
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2018/7/1 | 投稿者: 鹿苑院

魏の五代皇帝・曹奐は晋の司馬炎に禅譲すると陳留王になった。後漢の献帝が魏の曹丕に禅譲した時には山陽公になっている。王と公では王の方が上だから、同じ前時代の皇帝でも曹家の方が手厚く扱われたことになる。陳留は後の開封のことであり要地であるから決して田舎に追いやられたわけでもない。

三国時代を日本の戦国時代に例える時、司馬懿は徳川家康にあてはめられることが多いが、両者には決定的な違いがある。家康は260年に及ぶ長期政権を築くことに成功したが司馬懿の西晋は50年で滅びている。ちゃんと責任を持って国の統治に当たっていた徳川幕府と、民のことなどお構いなしに皇族同士が帝位を巡って殺し合っていた西晋の違いである。

さて、陳留王の曹家はというと、西晋が滅亡しても続く東晋、さらにその後の劉宋の下で王位を保ち続けた。魏の滅亡から実に200年以上、要地の王であり続けたわけである。
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2018/6/28 | 投稿者: 鹿苑院



OPは良かった。OPはね。
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2018/6/21 | 投稿者: 鹿苑院

「信長の忍び」に本願寺顕如が登場したので、いい機会だから9年前に書き残したことを今になって書く。

「一向宗」という言葉は浄土真宗とイコールのようにして使われているが、元来は別の宗派である。その名も一向俊聖という僧が開いた。
同じ阿弥陀信仰の宗派であることから、本願寺に天才布教家・蓮如上人が現れると一向宗徒から浄土真宗に改宗する者が続出したが、名称だけは逆に一向宗が浄土真宗に取って代わるような事態になった。
本願寺としては違う宗派なのだから自分たちを一向宗と呼んでほしいわけもなく、蓮如上人はこの経緯をはっきりと書き記した上で、「外部の人が混同して我々を一向宗と呼ぶのはまあ我慢するけど、うちの門徒で一向宗と自称するやつがいたら破門する」とまで宣言している。逆に言えばそういう勧告を出さねばならないほど、浄土真宗の門徒でも一向宗を自称する者が相当数いたことを窺わせる。

江戸幕府は「浄土真宗」を正式な宗派名として認めてほしいという東西本願寺・高田専修寺・仏光寺などの訴えを却下して「一向宗」を押し付けたので、江戸時代を通じてこの不適切な宗派名が正式な宗派名とされ続けていた。浄土真宗側はこれに反発して「門徒宗」などと言い換えていた形跡がある。
明治政府は「浄土真宗」はダメだけど「真宗」なら良いという裁定を下したのでそうなったが、第二次世界大戦が終わって国家による宗教統制が解かれると、西本願寺だけは「浄土真宗本願寺派」を名乗り、他の各派は今も「真宗○○派」のままである。
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2018/6/12 | 投稿者: 鹿苑院

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2018/6/10 | 投稿者: 鹿苑院




TOKIOを知らなくても新幹線を使う人なら聴いたことがあるであろう名曲。山口達也の事件の時、もう新幹線でもこの曲を使わなくなるかもしれないと思ったが、別にそういうことはなさそうだ。
やはり目的地に着いた時、ごく一瞬とはいえこの曲で送られると少し気分が上がる。
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2018/6/7 | 投稿者: 鹿苑院

日常的によく出てくるが、実は嫌いな言葉がいくつかある。「人それぞれ」もその一つである。なんだか思考停止というか、考えるのをめんどくさがっている人が使う逃げ口上に思えるからだ。

「人それぞれ」という言葉は、意見の多様性を認めようという建設的な素晴らしい目的で使われることはほぼなく、だいたいは話の中で自分の立場が悪くなった時に自分の面子をつぶさず話を打ち切るために使用される。
なんであれ人それぞれなのは改めて言われるまでもないごく当たり前な、だからこそ反論しにくい言葉で、これを聞くと寅さんじゃないが「それを言っちゃあおしめえよ」と言いたくなる。

思い出深いのは、「麻薬が違法なら酒が合法になる理由が何も無い」という僕の持論を聞いた友人がこの言葉を使った時である。
酒に酔っぱらって他人に暴力をふるったり迷惑をかけたりするのは麻薬で幻想・幻覚を見て他人を害するのと何も変わらない。ゆえに…という論なのだが、それに対して彼は酔っぱらったからといって人を殴るやつばかりじゃないから人それぞれじゃないか、と言ったわけである。
ああこいつはこの議論がめんどくさくなってるんだな、と思いやってそれ以上は追及するのをやめたが、ここで書かせてもらうなら、麻薬も吸ったり注射したからといって幻覚で人を殴るやつばっかりじゃないから「人それぞれ」というマジックワードを使えば麻薬は合法になる。

殺人だって殺される側の方がひどい奴かもしれないから「人それぞれ」という言葉で殺人を合法にできるかもしれないし、その他窃盗、恐喝、詐欺…等々、「人それぞれ」ならあらゆる悪事が正当化される余地ができて取り締まる根拠が失われるし、反対に何の罪もない行為でも人それぞれ論を使えば犯罪にできるかもしれない。

結論。「人それぞれ」を濫用するやつは自分の頭で考えるのが苦手なアホである。
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