2010/2/8

富山米照居士  

祖父の戒名はそういう名前になった。不謹慎を承知で言えば、富山米コシヒカリみたいで、どうもセンスのない戒名をつける坊さんがいるなあと思ったが、生前に自分で付けていたらしい。ちなみに「富山(ふざん)」だの「居士」だのは飾りに過ぎず、本当の戒名は「米照(べいしょう)」だけである。俗名が米吉(よねきち)で、稲作が生涯の仕事だったから「米」という字に愛着があったのだろう。奇しくも私の「慈照」という法名と一字違いになった。
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2010/2/7

祖父逝去  

母方の祖父が浄土に往ってしまった。これで私にはお祖父ちゃんがいなくなった。
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2010/2/7

510円返せ  

JRで岐阜−京都間は1890円。岐阜−大阪間は2940円。京都−大阪間は540円。つまり岐阜から大阪に行く時は電車に乗り続けるよりも、一度京都で降りて大阪まで切符を買い直す方が510円安くつくわけだ。普通は乗り続ける方が安くつくのが当たり前じゃないかと思うのだが、なんでこういう料金体系にしたのか意味がわからない。京都駅で「ここで降りるから差額1050円返せ」と言ってみたが拒否されたので、やむなく510円ムダな料金体系を飲んで最初の予定通り大阪まで乗る羽目になった。くそ、JRめ。
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2010/2/4

歎異抄 第九条  

この条に表れている親鸞聖人の正直な言動も好きだ。


念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまゐりたきこころの候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらんと、申しいれて候ひしかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。よくよく案じみれば、天にをどり地にをどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもひたまふなり。よろこぶべきこころをおさへて、よろこばざるは、煩悩の所為なり。しかるに仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫と仰せられたることなれば、他力の悲願はかくのごとし、われらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。また浄土へいそぎまゐりたきこころのなくて、いささか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこころぼそくおぼゆることも、煩悩の所為なり。久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生れざる安養の浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりをしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。いそぎまゐりたきこころなきものを、ことにあはれみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じ候へ。踊躍歓喜のこころもあり、いそぎ浄土へもまゐりたく候はんには、煩悩のなきやらんと、あやしく候ひなましと云々。
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2010/2/2

台許下る  

無事に改名が大君に認可されました。寒中見舞いも頂いたし、意気揚々ですな。寒中見舞いの内容は要約してしかも文語にすると「天なお寒し、自愛せよ」ってとこかな(←これに反応できる博識な方歓迎)。
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2010/2/1

二番隊長  



新選組の中で元々永倉新八は好きな隊士だったが、この「燃えよ剣」での配役が理由で好きな隊士1位が確定した。それにしても油小路で藤堂を見逃してやろうとする永倉の友情に厚いところにはじんとくるぜ。
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2010/2/1

(´Q`)。oO  

こたつに入るせいだからだと思いたいが、最近22時を過ぎるともう眠い。小学生並みである。…いや、小学生の時でも夜更かしする癖があったから、小学生時代以下か。

ちょっとこたつでうたた寝をしようなんて思ったらもう最悪で、かなりの確率で朝まで電灯も消さず、歯も磨かず寝続けることになる。わかっちゃいるんだがやめられない。電灯つけっぱなしだと「ぱなしは無しって話です♪」のコに怒られそうだが、前から可愛いと思ってたのに名前を初めて知ったのがワイドショーの結婚報道だったから、もう知ったことか。

こたつの季節だから寝たくなるのはしょうがないやな、と思ってはみても、春は陽気が良いから眠たいし、秋は気候が心地良いからやっぱり眠い。夏はそうでもないが。
まあ我々仏教徒には「永眠」は無いので、娑婆にいるうちにせいぜい寝させてもらうとするか。

嬉しやと 再び醒めて 一眠り
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2010/1/31

久々に珈琲の話  

「北野坂の夕べ」。

思わせぶりな名前だが、単にUCCから発売されているブレンド珈琲豆の名前である。珈琲道楽を始めた頃(サコミズ・シンゴ氏に影響された結果なので、おそらく2007年)に買って、美味かった記憶があるので昨日また買ってみた。ひさしぶりに飲んだ感想は…

重い。

こんなに重い味だっけ?

多分炒りが深いんだな。最初の1杯は美味いが、2杯目となるとつらくなる。もっとライトな飲み心地のやつが良かったな。

珈琲といえば、以前から気になっているのが茨城県のサザコーヒーが発売している徳川将軍珈琲。200gで1800円もするので未だ手が出せずにいるが、徳川慶喜公が飲んだ珈琲を再現したという代物であり、おまけに慶喜公の曾孫にあたる徳川慶朝さんが自ら焙煎しているというのだから、ファンとしてはいつまでもスルーし続けるわけにもいかんだろう。注文する時にはついでに慶朝さんの著書「徳川慶喜家にようこそ」も同時注文しようと思う。サザコーヒーで注文すると慶朝さんのサイン入りになるらしいから。
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2010/1/30

歎異抄 第二条  

この記録に表れている親鸞聖人のお人柄が好きだ。


おのおの十余箇国のさかひをこえて、身命をかへりみずして、たづねきたらしめたまふ御こころざい、ひとへに往生極楽のみちを問ひきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておはしましてはんべらんは、おほきなるあやまりなり。もししからば、南都北嶺にもゆゆしき学匠たちおほく座せられて候ふなれば、かのひとにもあひたてまつりて、往生の要よくよくきかるべきなり。親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。仏説まことにおはしまさば、善導の御釈虚言したまふべからず。善導の御釈まことならば、法然の仰せそらごとならんや。法然の仰せまことならば、親鸞が申すむね、またもつてむなしかるべからず候ふか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからひなりと云々。
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2010/1/29

別世界  

いいないいな、ここの大学の連中が羨ましいな。毎日登校したら泉里香がいるなんてどんなに楽しいだろう。そりゃ休み明け月曜の朝もルンルン気分で登校できるわな。俺なんて大学時代はサザエさん症候群よりさらにひどい笑点症候群にかかった上に、病理学実習の時なんかあまりにもイヤで毎週前日から気分が沈んでいたくらいなのに。同じクラスにモデル? いるわけないでしょそんなもん。だいたい、いたとしてもこの身長160cm未満の非モテ系鹿苑院さまじゃ相手にされるわけがないだろうがっ。
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