先稿【切腹考】を書いたあと、『忠臣蔵』シーズンなので、二番煎じを書く気になった。
**テレビの街頭アンケートを見た。
『忠臣蔵』『浅野内匠頭』『大石内蔵助』が読めない若者が多かった。呆れるほど無茶読みする若者男女らに、がっかりした。
『内匠頭』=(たくみのかみ)
大宝令の制で、諸官庁の幹部の四等級の称。判官ともいう。
内匠寮(たくみりょう)の長官。従五位下相当。
**別のテレビ画面では、浅野内匠頭切腹場・田村邸跡に石碑が建っており、近所の和菓子店では、「切腹最中」が売れるという。
会社のセールス担当が、何かの失敗のお詫びに「切腹最中」を差し出して、「これこの通り腹切ってお詫び申し上げます」と、腹からドッサリ顔出した餡このモナカを差し出し、ひたすら恭順の意を示すと、怒っていた客も苦笑いして許してくれるのだという。
**『江戸辞典』によると、
「切腹=自裁」「」自ら屠腹せしめ、世襲の俸禄は没収する。切腹の際には検死の役人が臨監し、いろいろと作法があった。浅野内匠頭や水野十郎左衛門の切腹でもわかるように、有罪ときまると、まず他家へ身柄を預けて、それから自裁を命ずるのが順序になっていた。陪臣の切腹は大抵自宅で行われたようである。
**【幕末百話】によると、
『竜虎隊進軍』黒門が破れ、火除地がやぶれたので、彰義隊は討死。サア志ある者は切腹。(中略)
自分の組の者で、プツリ草鞋の紐が引き切れたので、後戻りしながら、後ろを向いて紐を結ぶと、コロリと首を落とされてしまった。これは敵に後ろを見せたからとのことであった。
「支那事変」当時。僕は小学校の講堂で、12月になると順番に担当する先生が、「一日講釈師」になって、「忠臣蔵」を話してくれるのだった。だから、「内匠頭」などは覚えていた。世相は忠臣愛国を煽っていたのである。
**テレビ受け売り。
今も、赤穂の小学校では、小6男女が「忠臣蔵」の児童劇を師走に演じている。
女生徒の某が浅野内匠頭の切腹を演じていた。町の学芸員から、「切腹はこうするのだよ」と教えられていた。
『裃着て股広げて堂々と着座し、裃の上の肩衣(かたぎぬ)を引き抜いて両膝下に押さえ付け、(無様に転倒しないため)前方に置かれた三方の上の短刀に手を伸ばす。(姿勢が前傾し、首を切り落とし易くなる)
介錯人が刀を振り落とし、首の皮一枚残して斬首する。』
児童劇は大興奮の内に幕となる。
泉岳寺には、四十七士の墓があり、香煙の絶える時が無い。
赤穂の郊外の某寺には、討ち入りに参加しなかった旧藩士の墓が、傾き草に埋もれて参る人もないであろうという情景が放映されていた。

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