終わりとそれから【凪】−4−
耳元で聞こえたのは、昨日から聞き慣れた骸様の声だった。
「骸様…」
大人しく身体を竦めると、骸様は私をそっと後ろから抱きしめる。
「僕の右目に着いている機材は、僕の能力を奪う為のものです。両手や首の拘束具も普通の手錠や首輪の比ではない、特殊なものを付けられています。僕の能力を封じているものに触れれば、僕と似た凪も無事ではいられない。だから触れてはいけないのです」
そう告げながら、骸様は自身の身体に付けられた拘束具を睨み付ける。
「これが僕の現実。どうやら実際の僕等の身体の状態も酷似していますよね…」
そうつぶやき、骸様の力で直ぐにまた水面へと戻る。
「大丈夫ですか?」
骸様はまた私の手を引きながら、水面に立っていた。
「あ…はい」
コクンと頷きながら、私は骸様の腕をじっと見つめる。
「どうかしましたか?顔色が悪いですね…怖い想いをさせてしまいましたね」
「いいえ、怖いなんてそんな…」
寧ろ何も出来ない自分が悲しかった。
「そんな顔をさせたくて、合わせた訳ではないのですよ。凪には現状を知った上で、僕に協力して頂きたいんです」
骸様は水面にひざまづく形で、私の俯いた顔を下から見上げた。
「貴女なら、自分の意志で僕と同じ「幻覚」の力を使えます。…それには精神面…特に感情のコントールと、イメージ能力を強化する必要がありそうですね」
そう呟きながら、骸様はさっきまで繋いでいた手の甲にキスをする。
「むっ…骸様っ!」
上目使いに、まるで悪戯っ子のようにクフフと笑むと、骸様はそっと呟く。
「そういう素直な凪も好きですよ。でも、貴女を巻き込んで、これから僕がしようとする事は、正直に言うと危険ばかりです」
そう呟きながら、骸様は真っ直ぐ私を見つめる。
「勿論、貴女が対応出来ない危機は契約通り僕がアシストします。そして、凪が僕と同じ能力を使える様にしっかりサポートしましょう」
骸様は私を見つめ、目が合うとにっこりと笑んだ。
「でも…私っ…どうしたらっ!」
不安げに眉を寄せた私を抱き寄せながら、骸様は耳元で呟いた。
「イメージするんですよ。幻覚は所詮はまがい物、しかし、相手が本物と感じるくらいのリアリティがあれば、僕等の作りだした幻覚は相手の感覚を侵す」
「そして、自分の想像力によって自滅するのです。…まずは僕に触れずに水面に立ちましょうか」
骸様はそう呟き、私から身体を離す。
手だけを繋いで。
「いいですか?自分が水面に浮いていることは『当たり前』だと思いなさい。そうすれば凪ならすぐ立てますよ」
骸様はそう言いながらゆっくり繋いだ手を離す。
当たり前とイメージする。
緊張しつつも、強く強くイメージする。
「あ、一人でも大丈夫だ…」
そう安堵しながら、私は嬉しくて少しはしゃぐ。
本当に出来るとは思わなかったから、尚更嬉しさが増して感動してしまう。
その場でピョンピョン跳ねる私を見守りながら、骸様が手招きする。
「もう貴女の思い通りですよ。歩けるでしょう?今日は凪の身体を休ませますので、ずっとここで特訓ですよ…二人っきりで」
ニッコリ笑んだ骸様につられて、私も笑む。
「はい、骸様」
少し先を歩き出した骸様の後ろを歩きながら、湖に写る空の青い風景に私は見入った。
波紋一つ立たない湖の水面は大きな鏡で、移り行く空を美しく反射していた。
「何て幻想的なんだろう…」
溜息交じりに呟いて、私は空を仰ぎ見る。
「凪は空が好きなんですか?」
不意に問い掛けられた言葉に、私は顔を染めつつ頷いた。
「僕も好きですよ。特に夕焼けと朝焼けは絶品ですよね」
振り返り、ニコリと笑む骸様と、バックの何処までも青い空がとてもマッチして、一つの絵画の様だった。
「僕は移り行く空は興味深いと思います。特に夕焼けや朝焼けは一瞬一瞬が違う世界ですから」
そう空を見上げる姿もとても絵になるのだと、私はただただ見取れた。
日差しに照らされ、宵闇色の髪はその青さを増し、空を見つめるオッド・アイはアクセントに。
さらさらと風に髪をなびかせながら、真っ白いカッターシャツの裾も踊る様に舞う。
ラフに黒いズボンのポケットに差し込んだ両手も、また、日差しを遮る為に翳した右手の動きも優雅で、私は完全に魅入ってしまった。
「さあ凪、次は僕の技をお見せしましょう。貴女なら直ぐにモノに出来ますよ」
差し出された手を私も握り返す。
この方の為に、私が出来る全てを捧げよう。
青い空の下、私はそう誓いを立てた。

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終わりとそれから【凪】−3−
よく見てみると、両手はかなり太い鎖が続く大きな手枷が細い少年の腕を封じていて、同じ太さの鎖に繋がれた首輪が首元で鈍い光を放ちながら自己主張している。
半分覆われた部分には、ちょうど右目をすっぽり包める位の太い管や細い管が何本も延びていた。
暗闇に馴れた目で、私は呼吸も忘れてただ唖然とし、見つめることしか出来なかった。
まさか…この人が骸様?
確かに夢で会った時と比べれば、顔が半分見えないし、髪形も崩れているしで、外見からはハッキリ言える訳ではないけれど、でも、そうだと直感的に断定できるのは…そうとしか思えないのは骸様と契約したからかなのな?
彼は自分を囚われの身の上だと行っていた。
幽閉されていると…。
ただ閉じ込められているだけだと、私が安易に想像した以上に現実は酷く、とても残酷なものだった。
何故、骸様がこうなったか…経緯は知らない。
でも、こんな光も音も届かない、外の世界から遮断され隔離された暗闇で独り、微かな機械の起動音と水の流れる音しかしない世界に、骸様は確かに存在していた。
骸様にとっても、この現状はツマラナイものだと思う。
こんな暗闇で、独りで生き続けるなんて耐えられない。
こんなアルコール付けの動物みたいに生かされ、誰にも知られずに朽ち果てるなんて絶対に嫌だ。
こことくらべれば、私の居る外の世界は本当に眩しすぎると思う。
今なら、先程の骸様の表情が理解できる。
この機械だって、私の様にただ生かす為のものなのか、何がデータを取られているのかすら解らない。
今朝、目の前で見た綺麗な腕にすら、何か模様の様なものが刻まれていて痛々しくて直視できなくなりそうになる。
どうにか助けられないの?
考えるより先に、私はそっと手を伸ばして、囚われの骸様に触れようとした。
が、私の身体ごと後ろからの強い力に下げられ、骸様の身体から離される。
「やっ…」
強い力に抵抗してでも、精一杯腕を伸ばしてみる。
でも恋い焦がれた大空の様に、また私の手は闇に濡れた水を悪戯に掻き回すだけだった。
「骸様っ!」
「……駄目ですよ、凪。同情心でアレに触れば、凪が僕の身体に封印されてしまう。……君をここに置き去りにするつもりはないですよ」

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終わりとそれから【凪】−2−
骸様が空を仰いだので、つられて私も見上げた。
「ここは、今の…囚われの身の上の僕には、眩しい世界です。同時に、恋い焦がれる世界でもある。凪には、今の現状を把握して頂きたい…」
そう私の肩に両手を置き、私の耳元で骸様が低い声で呟く。
私はさっきまで骸様と繋いでいた手を、そっともう片方の手で自分の胸へと寄せ、骸様に胸の高鳴りを知られまいとする。
同時に、自分を落ち着かせようとする。
「骸様…」
こんなにも近くに居るのに、目の前に居るのに…抱きしめられそうなくらい側に居るのに、何故だろう?私には哀しそうな表情の彼が、とても手の届かない存在にしか感じられなかった。
今、手を伸ばせば…触れてしまえば、霧のように掻き消えてしまうのではないかと不安を感じた。
その瞬間、大地が揺らぐ。
私はバランスを崩す。
何が起きたのか把握出来ずに、骸様を見つめると骸様の手が私から離れていることに気付く。
そうだ、私は水の上に骸様に触れることで立っていたんだ。
逆を返せば、触れていて貰わないと立つことも出来ない状態。
それは私の身体も同じ状態。
私は骸様無しでは生きられない存在なんだ。
何も出来ず、あっと言う間に水に飲まれながら、一瞬恐怖で身体がすくむ。
こうやって……もし骸様から見放されたら…私は生きてはいられない存在。
飽きて見限られた人形の様に、ただその場に置き去りにされ、死がこの意識を奪う一瞬を待ち焦がれることしか出来ないのだと自覚してしまった。
水の中でそっと目を開く。
苦しくはない。
でも、湖の中は暗く冷たかった。
光も段々届かなくなる。
とっても深い湖…。
そして、私はどこまで堕ちてゆくのだろう。
ゆっくり誘うように、私の身体は暗い湖の底へと引き込まれる。
もう上を見ても、水面がどこなのか…骸様が何処にいるのか解らない。
ふっと身体が沈むのを止める。
気付けば、目の前に大きな機械に繋がれた人を見つける。
こんなにも深く、光の届かない闇の中に、少年か少女…ちょうど私くらいの子が大きな管や機材を装着し、水の中で固定されていた。
外見はまるで、集中治療室にいる時の私みたいだ。

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終わりとそれから【凪】−1−
「う…ん…」
目覚めたら、風が髪を頬をゆっくりと撫でてゆく。
ここは見覚えがある。
骸様と出会ったあの夢の中だ。
まだ身体は目覚めていないことを理解しつつ、暖かな自然に優しくつつまれて目覚める贅沢さに驚きを覚えた。
ここは骸様と唯一出会える、夢の中の世界。
緑生い茂る大自然の香りと、優しく暖かな木漏れ日。空気は凜と澄み切って、肺に新鮮な酸素が染み渡ってゆく。
温かな太陽に照らされ、光合成をし、浚に緑豊かな草原。湖は静かに波打ち、ただただ緩やかに時間が過ぎ行く理想的な世界。
今まで経験してきた学校の分刻みのスケジュール、ギスギスした街の喧騒、噎せる程の排気ガスや電車やバスの狭苦しい空気はここには無い。
寧ろ、ここはそんな現実を忘れさせてくれるような、ゆったりとした温かみがある。
太陽の眩しさに、咄嗟に左手を翳し、視界が慣れて来たと同時に無意識に手を下ろす。
目が明るさに慣れ、今まで気にならなかった近くをぼーっと見つめる。
緑の鮮やかな芝生と、優しく私を包み込む様な腕……。
……腕!?
寝ぼけ眼に映る世界では、自分より一回り大きい、しなやかで細い手が伸び、私を寄せる様に腕が頭に当たり前の様に絡み、身体にもう片方の腕が絡んでいた。
身を起こして後ろを振り返ると、骸様が出会った時と変わらぬ姿で眠っていた。
いつしか私も骸様も眠ってしまったの?
出会った昨日は、骸様と別れてすぐにまた深い眠りについた。
それから意識が全く無いので、この状況にあたふたして、私は急いで立ち上がろうとする。
が、腕を掴まれてまた元居た場所にぺたんと座りこんでしまう。
「どこに行くんですか?」
右手で私の腕を掴みながら、骸様はにっこりと微笑む。
「むっ、骸様!起きてたんですねっ」
あからさまに慌てふためく私を、楽しそうにクフフと笑みながら骸様は眺めていた。
骸様に腕を掴まれたまま、自分の顔の温度が上がってゆくのがわかる。
「ええ、凪が起きたのも知っていますよ。少し眠りにまどろんではいましたけどね…」
にっこり笑みながら、骸様は流れるように優雅に身体を起こす。
「おはようございます、凪」
そう私の目を真っ直ぐ見つめつつ、骸様はそっと私の頬に軽くキスをした。
「むっ!骸様!?」
浚にあわてふためく私の顔は真っ赤だったに違いない。
「これは御礼ですよ。凪が協力してくれたお陰で…っと言っても、事後報告で申し訳無いのですが、昨晩貴女の身体をお借りして、昔の仲間とコンタクトが取れたんです」
屈託なく、少年の様に笑む骸様を私はただ純粋に彼を見つめ、見とれていた。
「それでそのまま…凪を抱きしめたま寝てしまいました」
私の耳元で呟きながら、骸様は嬉しそうだ。
「仲間…ですか?何人か私の様に契約された方々…ですよね?」
必死で骸様の話しに耳を傾ける私に、骸様は浚に続けた。
「ええ、それでいて凪のお友達候補ですよ。二人とも男の子で申し訳ないんですが、凪を必ずサポートしてくれるハズです」
骸様は私と視線を合わせて、にっこりと笑む。
「お友達……ですか?」
どんな方々なのか見当もつかぬまま、骸様を見守る。
骸様は私の腕から手を離すと、大きく伸びをする。
そして、一度大きな欠伸をし、肩を回してふと何か思い出した様に、自身の顎に人差し指を触れさせる。
「ああ、言い忘れていました。今夜、彼等が迎えに来てくれます。その時、あの病院を抜け出しましょう」
そう骸様に差し出された手を、私は直ぐには握り返せなかった。
病院がら逃げ出す事は、私を生かしている骸様には容易なこと。
多分、怪我も目立たなくする方法とかあるんだ。
でも、骸様の手を取ることは今までの私の居場所を放棄し、新しい赴任地に赴くことと同じ事。
直ぐには、彼の出された手に手を翳すことすら出来なかった。
「凪?」
怪訝そうに骸様は私の名前を呟く。
「あっ、あの……別に嫌っていう訳じゃないんですっ。ただ…まだ今までの自分に…その…今までの自分の居場所を失うのが怖いというか…」
しどろもどろに自分の気持ちを伝えようとするが、そう努力すればする程、余計にあやふやな言葉しか紡げない自分が悔しかった。
「せめてもう一日頂けないですか?…昨日の今日って言っても、色々な事があり過ぎてパニック状態ですし…。その、心の準備をさせて頂けないでしょうか?」
怖ず怖ずと、骸様を上目がちに見つめる。
骸様は私に差し出した手を、私へと伸ばす。
叩かれるかもと、反射的にびくびくすくむ私に苦笑しながら、骸様は浚に近づいて来た。
そして、私の頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「いいでしょう。明日まで待ちます。しかし、それ以上は待てませんよ。いいですね」
そう私に念圧ししながら、骸様は私に手を差し出す。
「さぁ、今日からは特訓を始めますよ。君の身体に施した僕の幻覚能力は、確かに普通の術者の数倍は頑丈で強固です。しかし、それは僕が凪の身体を拝借している状態の時の話だ。凪が起きている時に、凪の集中力が乱されて幻覚が破られない様に、凪にも僕の能力が使える様に特訓して貰いますよ」
ニッコリ笑みながら骸様は私の手を引き、後ろにあった湖のたもとまで私を連れ出す。
「私なんかに、骸様の力が使いこなせるとは思えません」
私は力無く首を横に降る。「そうですか?僕はそうは思っていませんよ」
クフフフと楽しそうに笑みながら、骸様は私の手を離し、すっと目の前の湖に向けて歩き出す。
「え!?」
骸様の身体は、水面に波紋すら起てずに湖の上を歩き出す。
湖の上を優雅に歩く常識はずれの行動に、私はただぽかぁんと骸様を見つめることしか出来ない。
「さぁ凪、貴方もいらっしゃい」
ニッコリ笑む骸様は、私に振り向き、手を差し延べる。
「でも…」
そう、足を止めたままの私に、骸様は優しく諭す。
「今の君なら、僕に触れているだけで出来ますよ。さあ、おいで」
おずおずと手を差し出すと、骸様は私を力強く引き寄せた。
「え?嘘、浮いてる」
驚きふためく私に、骸様はそっとウィンクして見せる。
「ね?出来たでしょう?!凪は僕にも似ていますが、あの少年にも似ていますねぇ」
そう呟きながら、骸様は私の左手を握りながら、再度水面を歩き出す。
「あの…少年?」
いぶかしむ私を連れながら、骸様は浚に湖の中心部に私を誘う。
「クフフフ、いずれ対面出来ますよ。沢田綱吉という人です。記憶の片隅にでも、覚えておきなさい」
ニッコリ笑みながら、骸様は小さく彼は面白いですよと付け足す。
「…はい」
骸様に手を引かれるままに、私は湖のほぼ中心に招かれた。
「確か…この辺りですかね」
骸様はそう呟くと、私に向き直る。
「凪の家庭環境等、大体の背景はこの世界に連れ込んだ時に把握しました。今度は僕の番です」
そう呟く骸様の横顔は、少し寂しそうだった。
「骸様?」

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