常磐線用の交直流機関車EF80、この機関車は常磐線の特殊事情によって製造されることになった機関車です。
常磐線は、茨城県石岡市柿岡に地磁気観測所があって、この周囲50Km/h以内では法令上の規制もあって直流電化が難しいという事情があり、長年取手以北は非電化でした。交流電化は地磁気観測に与える影響が少ないということもあって、取手以北の常磐線と水戸線は交流電化が採用されました。
この地磁気観測所の影響は大きく、関東鉄道は未だに非電化となっています。本来なら、水戸あたりに黒磯に相当する地上切替駅が出来て、常磐線の水戸以南と水戸線は直流電化になっていたはずですが、地磁気観測の影響もあり、機関車交換を上野の近くで行う事も運用上難しかったため、取手藤代間にデットセクションが設置され、車上切替が採用されました。
余談ですが、内房線君津付近に国土地理院の鹿野山測地観測所があり、こちらも地磁気の観測を行っていますが、内房線では運用上も交流電化があり得なかったため、変電所間隔を数kmおきに設置して、地磁気観測への影響を極力抑えています。
閑話休題、EF80はこういった経緯で、1962年から63両が製造された交直流機関車です。変圧器や整流器を搭載するため軽量化が必要で、ED46やEF30に準じて1台車1モーター式を採用し、駆動方式としてクイル式が採用されています。前年に製造されたEF30が交流側部分出力なのに対して、交流側も全出力運転をする設計になっています。また常磐線の客車列車は電気暖房が採用されたため、直流側での電気暖房対応として、大型のMGを搭載しています。一部はMGを搭載せず貨物列車専用として製造されています。
EF80は田端機関区と内郷機関区(1967年までは暫定的に勝田電車区配置)に配置され、常磐線上野〜平(現いわき)間と水戸線で運用されました。直流区間で電気暖房が使えるため、一時期暫定的に東北本線上野〜黒磯間で使用されたこともあるようです。
さて1965年10月から上野〜青森間に常磐線経由でゆうづるが設定されます。当時常磐線は平までの電化で、平でC62と交代していました。常磐線は1967年8月に全線電化されますが、EF80の運用範囲は平以南にとどまり、常磐線北部はED75が使用されています。
1968年10月改正以降は1号機から10号機までに20系客車けん引対策がされ、元空気ダメ管を増設しています。ただし、当時の常磐線の最高速度が95Km/hだったため、ED73やEF70のような高速対応改造はされていません。
この改正からゆうづるの下りは水戸で、上りは平で機関車交換をすることになっています。この後ゆうづるは1975年まで増発を続け、客車のゆうづるは最大4往復まで増えますが、けん引機は多くが水戸でED75と交代しています。ただし、内郷機関区担当列車があったことなどもあって、平で機関車交換する列車も後々まで残っています。
1976年頃からゆうづるの24系14系への置き換えが進み、特にけん引機の制限は無くなっています。
1980年頃からEF80には老朽化が目立ち初め、交流機器の劣化や1台車1モータの構造から来る駆動系トラブルなどで初期車が廃車されるようになりました。内郷田端両機関区へEF81が転入し、EF80の運用へEF81が進出するようになり、ゆうづる運用へもEF81が進出しています。こうしてEF80は1985年までに全車が廃車されています。
参考文献
鉄道ファン1987年12月号 交流・交直流電機出生の記録5
鉄道ファン1988年2月号 交流・交直流電機出生の記録6
鉄道ファン1988年10月号 交流・交直流電機出生の記録9
鉄道ファン1993年12月号 特集:惜別ゆうづるの28年