一般的な傾向らしく、特に若者の活字離れが進行しているとのことで、出版業界は途方に暮れているそうだ。本だけではなく、新聞の発行部数も減る一方だとも聞く。
昔、中野坂上の交差点近くに、商品鈴なり状態の店先から細い通路を入り、身を低くしたり伸び上がったりしつつ、さらに多くの商品をかき分けながら進んで、やっと店主のいる場所に辿り着く金物屋があった。通路は幾つかあったが、そのどれもが両側を商品で覆い尽くされ、ひと一人通り抜けるのがやっとの狭さだった。
一応金物屋の看板を掲げてはいたが、守備範囲の広い雑貨屋のようなものだった。ここに行くと大抵なんでも手に入った。その当時だって珍しいものになりつつあった紙やすりも、店主にひと言告げると、たちどころにどこぞをかき分けて「ハイよ」と手渡された。鍋蓋の取っ手だろうと、布製の接着テープだろうと、革靴の靴ひもだろうと必ずあった。あの膨大な商品のありかを全て熟知していることに驚かされもしたし、とにかく何でも揃う頼れる店だった。坂上近辺の都市計画が進み、店が消えた時はがっかりしたのだけど、あの頃が町の変化の前兆だった。そのうち、スーパーに加えてコンビニが町を席巻するようになり、魚屋も八百屋も肉屋も次々と無くなり、最後に文房具屋と書店がフッと消えた。新しいビルの中に大型の書店が現れたりはしたものの、いわゆる町中の小さな本屋は軒並み店を畳んだ。
その、専門店が姿を消していく様子が残念で、幾度か書いたことはあるのだけど、最近はそれも仕方がないのかと思うようになった。時代がそうだとか言うものではなく、次の時代を作る人達が選ぶことだから、それも自然な成り行きなのかと思えるようになった。
郊外に越して来て、専門店の少なさよりも大型ホームセンター風のものが林立する様子に驚かされた。何せ巨大な駐車場を備えた店は、売り場面積が球場のように広い。たぶんこれは全国的な傾向で、都心部にいる時は知り得なかったに過ぎないのだろうけど、ま、少しは慣れた。
残念なのは、その品揃えだ。私見だが、かなり大雑把に思えて仕方ない。一応揃ってはいるのだけど、何かが違う。例えば小間物に関しては、中野坂上の金物屋の方が細やかな配慮の品物を揃えていた。大手メーカーのものも置かれてはいるが、実のところ自社開発商品が一押しってな案配で、安さで押し切ろうとする魂胆も見える。映画のサウンドトラック盤を買いに行ったら、オリジナルのサウンドトラックではなく、昔よくあった企画もののコロンビア・オールスターズの演奏する物を買わされたってな具合だ。
ま、800円ほどのジーンズが売られているご時世だから不思議はない。
専門店の復活などを望むのは、単に年老いた人間のノスタルジーなのだろうし、誰もが本を読むべきだなどと思うものでもない。あれやこれやと携帯で読むのも悪かないだろうし、次の時代に本が姿を消していたって何も問題はない。第一、今だってダウンビート誌はデジタル配信版で読んでいるのだから。ま、「昔はよかったな」と思ってしまうことに忸怩たるものがあって、少し情けない。