2008/2/27
ちょっとした、ファンタジーのこと。 創作活動
ジャンル「みゃちの作品☆」、ひさしぶり〜☆
と思われるかもしれませんが、今日の作品は残念ながらアクセサリーではありません。
時々細々と書いている小説です。
本当は長きにわたり、こちらが私のライフワークでした。
でも、筋を組み立てて論理的に小説を書くのが苦手な性質だもんで、支離滅裂なファンタジーばかり書いてました。
そして、多くは私自身の精神的なやりばのなさとかを、こういうものを書くことによって昇華させてた。
今からご紹介するお話は、1年前に書いたものです。
少し長いので、根気のある方だけどうぞ。
※無断転用、転載は固くお断りいたします。
*************
〜朽ちた猫の話〜
猫は自分の死期がわかるから死ぬ前に姿を消すという話を知っていますか。
ある桜降る町の、一軒家。
ここに、一匹の猫がいます。
今まさに、自分の最期を悟り、「行こう」と思い立った、一匹の猫が。
その気持ちは、突然降って沸いた泡のように猫の心にこだましました。
それは勘とか、虫のしらせとか人は呼ぶのだけど、彼にはそんなことわかりませんでした。
ただ、彼にわかってしまったこと。
もう眠る時がきたから、遠くへ。誰にもわからないところへ。
なにより、いちばん大切なご主人が悲しまないように ひっそりと。
…ただそれだけなのでした。
猫は猫として、幸せな一生を過ごしてきました。
春には桜が咲き、夏には向日葵、秋にはコスモスが咲く庭のある家で、優しい老夫婦に飼われ、家の外にはお気に入りの路地のある散歩コースがありました。
そこはなぜか猫の多い町で、白黒猫は自然と他の猫達とも仲良くなったり、喧嘩したり、時には恋をしたり。そんな風にして育ちました。
暖かい日差しの降り注ぐ日には、この家の縁側で、おじいさんのひざの上に乗り丸くなることが何より大好きでした。いつもは缶詰のごはんだけど、おばあさんが時々くれるお魚の焼いたのが大好物で、台所でお魚の焼ける匂いのする日はいつもそれをくれないかどうか、楽しみにしていました。
時折この静かな家に、おじいさんとおばあさんの孫たちが遊びに来ると、うるさくなって、そのことだけが彼にはちょっと面倒でしたけど。
猫はこの静かな家と、その景色に溶け込んで、とても満たされていたのだと思います。
だから、最期の時がわかってしまった時、猫はとても悲しかったのです。
おじいさんとおばあさんにお別れしなければいけないから。
彼は今や、おじいさんおばあさん以上に老いてしまっており、病気がちで寝てばかりいました。
だからおじいさんとおばあさんも、猫に最期が近づいてきているのかもしれないと、少しばかり気付いてはいました。
猫は実はとても苦しかったのですが、その日の昼下がりは、昔のように高い声でにゃ〜と鳴いておじいさんを縁側に呼び、ごろごろと膝の上で喉を鳴らしました。
縫い物をしているおばあさんにもしっぽをぴんと立てて擦り寄り、子供の時みたいに甘えてみました。
「あら、今日はとても元気なのねぇ。このまま暖かい陽気になって、もっと元気になるかもしれないねぇ」
おばあさんは嬉しそうに言いました。
それを聞いて、猫はさらに悲しくなりました。
・・・ごめんね、おばあさん。もう元気にはなれないんだよ。
あいさつを済ませると、彼は二人にわからないように気をつけながら最後の力をふりしぼり、天井裏へ上りました。昔ネズミを追いかけてきて迷い込んだことがあるのです。だって、あまり遠くまで行きたくはありませんでした。おじいさんおばあさんと離れてしまうのが嫌だったから。
猫は湿った匂いのする木の板の上で丸くなり、静かに目を閉じました。
おじいさん、さようなら。
おばあさん、さようなら。
それが、生きた猫の、最後の姿でした。
・・・それから、長い長い時間が経ちました。
どのくらいの時間なのかは、わかりません。ただ、天井裏で眠った猫の姿がかつての面影を残さないくらい朽ちてしまうには十分な長さでした。
どういうわけか、朽ちてもなお、猫の心はそこにありました。
自分がどうしてその場所にいるのか、猫自身にもわかりませんでした。
心だけになった猫の記憶はあいまいになり、死ぬ前に味わった体の辛さだとか、そういう類のことは忘れてしまっていました。
でも、この家が、ここに住むご主人たちのことが好きだったこと。
それだけは強く心に残り、決して忘れることはありませんでした。
朽ちた猫は、もはやその身を動かしてどこかへ行くことはできませんでしたが、不思議なことに、彼の眠る周りの天井裏の板が大きなスクリーンのようになり、ぼんやりと下の様子が透けて見えるのでした。
いつからそんな風に見えるようになったのかわかりません。でもそのおかげで、猫はいつでもおじいさんとおばあさんの姿を見ることができて幸せでした。
でも、叶わないこと。
それは、おじいさんの膝に乗れないこと。
おばあさんの焼くお魚をもらえないこと。
そのことを考えると、とても悲しくなりました。
おばあさんは朝、とても早く起きて、台所でごはんを作り始めます。
おじいさんはそれよりすこし遅く起きて、朝ごはんまで散歩にでかけます。
天気が良ければ、お昼に縁側で庭の花を見て。
夕方になればおばあさんがお豆腐屋さんなどに行って買い物をして。
夜、テレビを見ながらおしゃべりをする。
二人は、猫が生きていた時となんら変わらず過ごしていました。
少なくとも、猫にはそう見えました。
おじさんとおばあさんが変わらないこと。それはとても幸せだと思いましたが、猫はどういうわけか寂しい気持ちでいっぱいになりました。
でもそれがどうしてかはわかりませんでした。
ある日のことでした。
家に、新しい子猫がやってきました。
かつての猫とよく似た、白と黒のぶちの猫です。
とても愛らしく、大きな目をさらにまん丸にして、なんにでも興味深々で突進していきます。まるで、この家に来た時の猫のようでした。
おじいさんとおばあさんは、この元気な新しい家族に最初はびっくりしながらも、なでてあげたり、猫じゃらしで遊んだり、かわいがって育てました。
かつての朽ちた猫にそうしたように。
でも。
・・・・どうして?
どうしてそこに、違う猫がいるの?
朽ちた猫は戸惑いました。自分以外の猫が来るなんて、思ってもいなかったから。
このままずっと、おじいさんとおばあさんの姿を眺めながら過ごせると思っていたから。
子猫が少しづつ大きくなって、おじいさんおばあさんの生活に溶け込めば溶け込むほど、朽ちた猫は悲しみで胸が張り裂けそうになりました。
かつて自分がそうしていたように、おじいさんの膝で甘える子猫。
おばあさんから、おいしいお魚をもらう子猫。
そこに、自分の居た跡はない。
時間が経てば経つほど、その子猫に塗り替えられていく。
家も、そこを取り巻く景色も。
おじいさん、おばあさん。
ぼくはここにいるよ。
そこにいたんだよ。
・・・わすれないでよ。
そう、朽ちた猫は、自分のことが大好きなおじいさんとおばあさんに忘れられてしまうのが、堪らなく辛かったのです。
たしかにいたのに、まるで最初からいなかったことになってしまうのが。
その頃から、朽ちた猫の視界は閉ざされ、家の中の様子はわからなくなってしまいました。
なにも見えず、何も聞こえず、ただ鉛のように悲しく黒い気持ちを抱えて、朽ちた猫はさらに朽ちていきました。
なぜってたぶん、彼は自分が大好きなものを忘れたくないからここへとどまったのですから。
でも、自分のことを忘れられてしまった。
そのことが、猫を絶望させてしまったのです。
・・・それからまた、長い時間が経ちました。
どのくらいかはわかりませんが、何度か、桜が舞っては散ってゆきました。
その何度目かの桜の季節。
おじいさんとおばあさんの老いは進み、今までのように自力で暮らしていくことができなくなりました。
そこでこの家を引き払い、老人ホームへ入居することになりました。
あの新しく来た猫はとうに大人になっていましたが、老人ホームでは飼うことができないので、他の家にもらわれてゆきました。
そして、この家ももう古いからと、取り壊すことになったのです。
おじいさんとおばあさんは、家を離れたくはありませんでしたが、二人で生活することが困難である以上、仕方がありませんでした。
取り壊しの日、二人はとても寂しい気持ちになり、家の前で微動だにせず、桜の花びらが散る中で、業者の解体作業を見守りました。
きっと、最後まで見届けたかったのでしょう。
と、最初に点検のため家に入っていた若者が、何かを新聞紙に包んで老夫婦のもとに歩み寄りました。
「あのう、天井裏で動物の骨が見つかったんです。ねずみにしちゃ大きいし、多分猫かなんかじゃないかと思うんですが。これ、処分していいですか?」
それを聞いて夫婦は顔を見合わせました。
「猫の骨?」
「・・・まさか」
「お心あたり、ありますか?」
「ちょっと、見せていただけますか」
若者は無造作にくるんだ新聞紙の包みを夫婦に渡しました。
おじいさんが包みを受け取り、中をそっと開けると、そこには真っ白な猫の骨がありました。
その骨を見た途端、おばあさんが言いました。
「まぁ、まぁ、シロちゃんよ。きっとシロちゃんよ」
それは、あの猫の本当の名前でした。白黒の模様の白の割合が多いからシロちゃん。そんなふうに付けられた名前でした。
「この骨は、昔飼っていた猫のものです」
「ずっと探しておったんだよ。猫は死ぬ時が来たら身を隠すと言われているから」
「でもね、見つからなかったの。まさか天井にいたなんてねぇ」
二人は若者に向かって説明しました。そして
ひとりぼっちで辛かったでしょう
でもずっと私達を見守ってくれていたんだね
ありがとう。
老夫婦はそう言って、猫の頭の骨をなでました。
白黒猫、もとい、シロのことを、忘れてなどいなかったのです。
愛したことを、忘れてはいなかった。
おばあさんは、みつけてあげられなくてごめんねと言って涙を流しました。
流れた涙は、猫の白い骨に落ち、すっと染みてゆきました。
舞っていた桜の花びらが、一緒にはらりと骨の上に落ちました。
その途端。
それまで、黒い無の世界に落ちていた猫の心に、明るい光が見えました。
猫の前に、生きていた頃眺めていた世界が、色を持って、匂いを持って、感触を持って溢れだしてきました。
おじいさん、おばあさんに抱いてもらって、撫でてもらっていること。
晴れた日の太陽の匂い。陽だまりでまどろんだこと。
お決まりの散歩道。
この家で暮らしたこと。
忘れられていなかった。
ちゃんと覚えていてくれた。
自分のために、泣いてくれた。
・・・もう、それだけで十分でした。
思えば、このためにずっと彼はとどまり続けていたのかもしれません。
骨になってもとどまり続けていた猫の心はすっと軽くなり、自然にそこから離れました。
おじいさんとおばあさんに、ちゃんとさよならが言えてよかったよ。
もう、どこへでもゆける。なんにでもなれる。
どこへ向かうのかわからないけど、きっと。
たぶん、まずは桜の木の向こうの高い空に見える、光に向かって。
〜おしまい。〜

猫の魂に、桜の花と、涙のしずくと。
ここまで読んでくれて本当に本当にありがとう。
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と思われるかもしれませんが、今日の作品は残念ながらアクセサリーではありません。
時々細々と書いている小説です。
本当は長きにわたり、こちらが私のライフワークでした。
でも、筋を組み立てて論理的に小説を書くのが苦手な性質だもんで、支離滅裂なファンタジーばかり書いてました。
そして、多くは私自身の精神的なやりばのなさとかを、こういうものを書くことによって昇華させてた。
今からご紹介するお話は、1年前に書いたものです。
少し長いので、根気のある方だけどうぞ。
※無断転用、転載は固くお断りいたします。
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〜朽ちた猫の話〜
猫は自分の死期がわかるから死ぬ前に姿を消すという話を知っていますか。
ある桜降る町の、一軒家。
ここに、一匹の猫がいます。
今まさに、自分の最期を悟り、「行こう」と思い立った、一匹の猫が。
その気持ちは、突然降って沸いた泡のように猫の心にこだましました。
それは勘とか、虫のしらせとか人は呼ぶのだけど、彼にはそんなことわかりませんでした。
ただ、彼にわかってしまったこと。
もう眠る時がきたから、遠くへ。誰にもわからないところへ。
なにより、いちばん大切なご主人が悲しまないように ひっそりと。
…ただそれだけなのでした。
猫は猫として、幸せな一生を過ごしてきました。
春には桜が咲き、夏には向日葵、秋にはコスモスが咲く庭のある家で、優しい老夫婦に飼われ、家の外にはお気に入りの路地のある散歩コースがありました。
そこはなぜか猫の多い町で、白黒猫は自然と他の猫達とも仲良くなったり、喧嘩したり、時には恋をしたり。そんな風にして育ちました。
暖かい日差しの降り注ぐ日には、この家の縁側で、おじいさんのひざの上に乗り丸くなることが何より大好きでした。いつもは缶詰のごはんだけど、おばあさんが時々くれるお魚の焼いたのが大好物で、台所でお魚の焼ける匂いのする日はいつもそれをくれないかどうか、楽しみにしていました。
時折この静かな家に、おじいさんとおばあさんの孫たちが遊びに来ると、うるさくなって、そのことだけが彼にはちょっと面倒でしたけど。
猫はこの静かな家と、その景色に溶け込んで、とても満たされていたのだと思います。
だから、最期の時がわかってしまった時、猫はとても悲しかったのです。
おじいさんとおばあさんにお別れしなければいけないから。
彼は今や、おじいさんおばあさん以上に老いてしまっており、病気がちで寝てばかりいました。
だからおじいさんとおばあさんも、猫に最期が近づいてきているのかもしれないと、少しばかり気付いてはいました。
猫は実はとても苦しかったのですが、その日の昼下がりは、昔のように高い声でにゃ〜と鳴いておじいさんを縁側に呼び、ごろごろと膝の上で喉を鳴らしました。
縫い物をしているおばあさんにもしっぽをぴんと立てて擦り寄り、子供の時みたいに甘えてみました。
「あら、今日はとても元気なのねぇ。このまま暖かい陽気になって、もっと元気になるかもしれないねぇ」
おばあさんは嬉しそうに言いました。
それを聞いて、猫はさらに悲しくなりました。
・・・ごめんね、おばあさん。もう元気にはなれないんだよ。
あいさつを済ませると、彼は二人にわからないように気をつけながら最後の力をふりしぼり、天井裏へ上りました。昔ネズミを追いかけてきて迷い込んだことがあるのです。だって、あまり遠くまで行きたくはありませんでした。おじいさんおばあさんと離れてしまうのが嫌だったから。
猫は湿った匂いのする木の板の上で丸くなり、静かに目を閉じました。
おじいさん、さようなら。
おばあさん、さようなら。
それが、生きた猫の、最後の姿でした。
・・・それから、長い長い時間が経ちました。
どのくらいの時間なのかは、わかりません。ただ、天井裏で眠った猫の姿がかつての面影を残さないくらい朽ちてしまうには十分な長さでした。
どういうわけか、朽ちてもなお、猫の心はそこにありました。
自分がどうしてその場所にいるのか、猫自身にもわかりませんでした。
心だけになった猫の記憶はあいまいになり、死ぬ前に味わった体の辛さだとか、そういう類のことは忘れてしまっていました。
でも、この家が、ここに住むご主人たちのことが好きだったこと。
それだけは強く心に残り、決して忘れることはありませんでした。
朽ちた猫は、もはやその身を動かしてどこかへ行くことはできませんでしたが、不思議なことに、彼の眠る周りの天井裏の板が大きなスクリーンのようになり、ぼんやりと下の様子が透けて見えるのでした。
いつからそんな風に見えるようになったのかわかりません。でもそのおかげで、猫はいつでもおじいさんとおばあさんの姿を見ることができて幸せでした。
でも、叶わないこと。
それは、おじいさんの膝に乗れないこと。
おばあさんの焼くお魚をもらえないこと。
そのことを考えると、とても悲しくなりました。
おばあさんは朝、とても早く起きて、台所でごはんを作り始めます。
おじいさんはそれよりすこし遅く起きて、朝ごはんまで散歩にでかけます。
天気が良ければ、お昼に縁側で庭の花を見て。
夕方になればおばあさんがお豆腐屋さんなどに行って買い物をして。
夜、テレビを見ながらおしゃべりをする。
二人は、猫が生きていた時となんら変わらず過ごしていました。
少なくとも、猫にはそう見えました。
おじさんとおばあさんが変わらないこと。それはとても幸せだと思いましたが、猫はどういうわけか寂しい気持ちでいっぱいになりました。
でもそれがどうしてかはわかりませんでした。
ある日のことでした。
家に、新しい子猫がやってきました。
かつての猫とよく似た、白と黒のぶちの猫です。
とても愛らしく、大きな目をさらにまん丸にして、なんにでも興味深々で突進していきます。まるで、この家に来た時の猫のようでした。
おじいさんとおばあさんは、この元気な新しい家族に最初はびっくりしながらも、なでてあげたり、猫じゃらしで遊んだり、かわいがって育てました。
かつての朽ちた猫にそうしたように。
でも。
・・・・どうして?
どうしてそこに、違う猫がいるの?
朽ちた猫は戸惑いました。自分以外の猫が来るなんて、思ってもいなかったから。
このままずっと、おじいさんとおばあさんの姿を眺めながら過ごせると思っていたから。
子猫が少しづつ大きくなって、おじいさんおばあさんの生活に溶け込めば溶け込むほど、朽ちた猫は悲しみで胸が張り裂けそうになりました。
かつて自分がそうしていたように、おじいさんの膝で甘える子猫。
おばあさんから、おいしいお魚をもらう子猫。
そこに、自分の居た跡はない。
時間が経てば経つほど、その子猫に塗り替えられていく。
家も、そこを取り巻く景色も。
おじいさん、おばあさん。
ぼくはここにいるよ。
そこにいたんだよ。
・・・わすれないでよ。
そう、朽ちた猫は、自分のことが大好きなおじいさんとおばあさんに忘れられてしまうのが、堪らなく辛かったのです。
たしかにいたのに、まるで最初からいなかったことになってしまうのが。
その頃から、朽ちた猫の視界は閉ざされ、家の中の様子はわからなくなってしまいました。
なにも見えず、何も聞こえず、ただ鉛のように悲しく黒い気持ちを抱えて、朽ちた猫はさらに朽ちていきました。
なぜってたぶん、彼は自分が大好きなものを忘れたくないからここへとどまったのですから。
でも、自分のことを忘れられてしまった。
そのことが、猫を絶望させてしまったのです。
・・・それからまた、長い時間が経ちました。
どのくらいかはわかりませんが、何度か、桜が舞っては散ってゆきました。
その何度目かの桜の季節。
おじいさんとおばあさんの老いは進み、今までのように自力で暮らしていくことができなくなりました。
そこでこの家を引き払い、老人ホームへ入居することになりました。
あの新しく来た猫はとうに大人になっていましたが、老人ホームでは飼うことができないので、他の家にもらわれてゆきました。
そして、この家ももう古いからと、取り壊すことになったのです。
おじいさんとおばあさんは、家を離れたくはありませんでしたが、二人で生活することが困難である以上、仕方がありませんでした。
取り壊しの日、二人はとても寂しい気持ちになり、家の前で微動だにせず、桜の花びらが散る中で、業者の解体作業を見守りました。
きっと、最後まで見届けたかったのでしょう。
と、最初に点検のため家に入っていた若者が、何かを新聞紙に包んで老夫婦のもとに歩み寄りました。
「あのう、天井裏で動物の骨が見つかったんです。ねずみにしちゃ大きいし、多分猫かなんかじゃないかと思うんですが。これ、処分していいですか?」
それを聞いて夫婦は顔を見合わせました。
「猫の骨?」
「・・・まさか」
「お心あたり、ありますか?」
「ちょっと、見せていただけますか」
若者は無造作にくるんだ新聞紙の包みを夫婦に渡しました。
おじいさんが包みを受け取り、中をそっと開けると、そこには真っ白な猫の骨がありました。
その骨を見た途端、おばあさんが言いました。
「まぁ、まぁ、シロちゃんよ。きっとシロちゃんよ」
それは、あの猫の本当の名前でした。白黒の模様の白の割合が多いからシロちゃん。そんなふうに付けられた名前でした。
「この骨は、昔飼っていた猫のものです」
「ずっと探しておったんだよ。猫は死ぬ時が来たら身を隠すと言われているから」
「でもね、見つからなかったの。まさか天井にいたなんてねぇ」
二人は若者に向かって説明しました。そして
ひとりぼっちで辛かったでしょう
でもずっと私達を見守ってくれていたんだね
ありがとう。
老夫婦はそう言って、猫の頭の骨をなでました。
白黒猫、もとい、シロのことを、忘れてなどいなかったのです。
愛したことを、忘れてはいなかった。
おばあさんは、みつけてあげられなくてごめんねと言って涙を流しました。
流れた涙は、猫の白い骨に落ち、すっと染みてゆきました。
舞っていた桜の花びらが、一緒にはらりと骨の上に落ちました。
その途端。
それまで、黒い無の世界に落ちていた猫の心に、明るい光が見えました。
猫の前に、生きていた頃眺めていた世界が、色を持って、匂いを持って、感触を持って溢れだしてきました。
おじいさん、おばあさんに抱いてもらって、撫でてもらっていること。
晴れた日の太陽の匂い。陽だまりでまどろんだこと。
お決まりの散歩道。
この家で暮らしたこと。
忘れられていなかった。
ちゃんと覚えていてくれた。
自分のために、泣いてくれた。
・・・もう、それだけで十分でした。
思えば、このためにずっと彼はとどまり続けていたのかもしれません。
骨になってもとどまり続けていた猫の心はすっと軽くなり、自然にそこから離れました。
おじいさんとおばあさんに、ちゃんとさよならが言えてよかったよ。
もう、どこへでもゆける。なんにでもなれる。
どこへ向かうのかわからないけど、きっと。
たぶん、まずは桜の木の向こうの高い空に見える、光に向かって。
〜おしまい。〜

猫の魂に、桜の花と、涙のしずくと。
ここまで読んでくれて本当に本当にありがとう。
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