研究授業がありました。
校内の一つの学級が授業を公開して、他の先生方がそれを参観し、授業の手だてとかが学校として提案する仮説通りうまくいったかどうかあとで協議するわけですが。
こういうのがあるたびに子ども達を自習にして見に行かなきゃいけないってのがまず困りものです。1回や2回なら何とかなるけどさあ。はじめに子どもありき、じゃないのぉ?
(´ヘ`;)ハァ
あ、いや、今日はこういうことを言いたいんじゃなくって。
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今日の授業は新任さんの授業で、講師として別の学校の校長先生がいらしてたんですけどね。その先生の指導内容が、「研究以前のこと」ばっかりになってしまったんです。
簡単に言うと「授業になってない」ってこと。いや、子ども達はとってもよく頑張ったんですよ。素晴らしかった。
前にも新任さんのことについて記事にしたことあるけど、ここの学校も、というか、ここは前の学校以上に、初任研がまともに機能してないわけです。それだけじゃなくって、他の先生方の授業も、授業の基本を押さえきれていないというか…うーむっ。
今回指摘された件をいくつか。
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▲めあてに呼応したまとめになっていない。
ふつう、授業には子どもが達成すべき目標が「めあて」として掲げられます。この辺りの学校ではめあてをきっちり板書しておくことまで求められています。例えば、「ひとりぼっちになったスイミーのようすを読み取ろう」とか、「1cmより短い長さの表し方を説明しよう」とか。
そして、授業の終わりにはそれが解決して、まとめとして板書されるわけです。前の例で言うと「スイミーはとてもかなしかったけど、すばらしいものをたくさん見てだんだん元気を取り戻した」とか、「1cmを10にわけた1つ分を1mmとして、そのいくつ分で長さを表す」とか、まあたいていは喋った子どもの言葉でまとめることが多いですが、そんな感じに書くわけです。
ところが、今回の授業では、指導案の段階で、めあてに呼応したまとめが書かれていなかったし、授業でもめあてに呼応する形の物は出てこず、板書にも別のことがまとめとして書かれてしまった。「スイミーの様子を読み取ろう」なのに、まとめでは「この場面では比喩表現がたくさん使われている」としてしまうとか。(あくまでも例です)
▲板書が整理されていない。
縦書きと横書きが混じっている、べたべた資料を貼りすぎて何が大事なのか分からない、色分けの色に意味を持たせていない、子どもから出た意見のはずなのに既に紙に書いてあったものを貼っていた、などなど。
確かに、ADHDの子なんかがいたら、目がチカチカして奇声を上げそうな板書でした。子ども達よく頑張ったよ。ホント。
▲発問計画が作られていない。
発問が二転三転すること、子どもが考える時間を与えずに次々先生が発言すること、そんなところを指摘していました。誘導尋問もかなりあったしね。
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その他、もっと基本的な細かい部分の指摘もありましたし、研究のテーマに関わる内容もいっぱい言って下さいましたけど、書いちゃうと学校がばれそうなので書きません。
…こんなの、研究授業の協議会で言われるはずのことじゃないよね。初任者だろうが、あ、違う、初任者だからこそ、初任者指導担当の先生や学年の先生、校長や教頭がきっちり指導していて当たり前でしょ?
授業そのものは初任者だから下手だろうし失敗するだろうけど、授業の組み立て方、その中の発問・板書・めあてとまとめなど、ごく基本的なところは、4月から指導できるはずだし、それが忙しくてできなかったとしても、研究授業の指導案を作る時とか、授業前の準備の時とかに、いくらでも指導して、そういうところは指導案上だけでも、計画だけでも完璧にできるはずでしょ。
授業が終わった後「この発問をしなかったので子どもが悩んだ」とか、「本当はこう書きたかったのですが子どもの言葉からこう書いたのでめあてとまとめが呼応しませんでした」とかなら分かるけどさ。指導案の中身や、計画の段階のことについて言われるって、どうよ。
これって、外部の先生から「おたくの学校は初任者に授業の仕方もまともに教えてないんですか」と管理職や他の先生(私も含めて)が笑われたのと一緒だと思う。めっちゃ恥ずかしいことです。それを分かってなくてヘラヘラしている連中も腹立たしい。
授業者でなくて、指導者のお前ができてないって言われてるんだよ!
研究ごとで自説を主張して吠えるのは別にいいから、初任者にフツーの指導案の書き方とフツーの授業のしかたを教えてやってくれませんかねえ。