前振りからずいぶん間が空きました。まぁなんと言いますか、執筆中にその作業自体が時間の無駄というか、だんだんバカバカしくなってきましてねぇ。。。
でも投げっぱなしはよろしくないですし、来年になったら例の“人権擁護法”に抵触するかもしれませんのでいまのうちに好きなことを書いておきます(笑) 気の向いたときにだけアップしますので、次がいつになるやらわかりません。この点はあしからず。しかしこの法案、3月15日にどうなりますやら・・・ねぇ。。。
1.ケータイ小説は小説と言えるのか?
歴史的に見て言葉や文体は変遷してゆくものである。生活様式や社会・文化も変わってゆくのだから、これは至極当然の流れである。
さて、ケータイ小説は、文字媒体が携帯電話というところに最大の特徴がある。わかりやすく比較すれば、我々旧世代が慣れ親しんでいる文庫本サイズが適当かと思う。火を見るより明らかなことだが、一目で入ってくる情報量にかなりの差がある。ここにケータイ小説独特の制約が発生し、文体に多大な影響を与えていると考えられる。
もう一つの特徴は、読者参加型でストーリーが展開するということである。もっとも、このようなことは古くは新聞小説においても多少はあった。しかし、ケータイ小説の場合には質が異なる。まず、ケータイ小説の執筆者は読者の声を極めて重視する傾向にある。(つまり、通常の小説家とは根本的に異なる姿勢で物語を書いているのである。この点は重大なので、最終稿で詳しく触れる) つぎに、この“読者の反響”が恐ろしい程リアルタイムになったのである。そして、ケータイ小説のほとんどには人気ランキングがあり、支持を多く集めたものがより頻繁に読まれる傾向にある。携帯電話が持つ速報性の為せる業である。ここにもうひとつの大きな特徴があると言ってよい。蛇足しておけば、読者の多くが10代の女性であることもまた特徴的である。
上記を踏まえてその特色を絞って列記すると
1.会話すらも極めて短いフレーズにまとめられる
2.使われる言葉が非常に単純(稚拙)である
3.恋愛モノが多く展開が扇情的な(泣ける)場合が多い
4.読者の多数派の様々な要望に応えるものである
ということになろうか。いままでの小説という枠組みから考えると、溢れ出る違和感を禁じ得ない。(ここでは煩雑さを避け、従来の“小説の定義”は省く。)
したがって、ケータイ小説というのはあくまで“ケータイ小説”と分類されるべきであり、これは新しいジャンルとすべきである。であるからして、ケータイ小説は小説ではない。それがわたくしの結論である。そう言えるとしても“小説”という名を冠すべきか否かという問題は残るが(一般の書籍として扱うべきかどうか、という問題すらあるが・・・)、ここでは触れないこととする。

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