2010/6/6

手繰らせる薄闇に  遥か1SS

昼過ぎから降り出した雨は夜になっても静かに降り続いた。
こんな雨の音があかねは嫌いではない。
敷かれた布団の上に足を崩して座り、そして焚かれた香に思考を乗せる。
これは侍従と女房が言っていたか。
天地の白虎が好きだと言っていたし、確かに彼らから香るものに似ている。
ただ調合の割合が違うらしく、あかねには言われないとよくはわからない。
現代にもアロマに詳しい者は大勢いたが、あいにくとあかねの周囲にはいなかったし、あかねも興味はあったがそれまでだ。
なんせ去年までは受験生だったのだ。
楽しいものは高校生になるまではお預け状態で・・・
考えたら今も楽しいことは帰るまではそのおこぼれもいただけない。
笑うしかない。
「出て、行こうかな」
呟きが声になって出た。
慌てて口を抑えるが、出てしまった言葉は今更無かったことにはできない。
控えの間にいる女房に聞こえた様子もない。
雨の音以外は衣擦りの音も何も聞こえない。
小さくため息をついて、今呟いた言葉を探る。
この邸を出たら、身の安全も衣食住の保証も何もない。
自由がほしいなどと、そんなことを言うつもりはない。
だが、この邸にいる意味が見いだせないのも確かだ。
自分も地の朱雀と一緒に鬼の残党を探せば良いのではないか。
または地の青龍と一緒に妹の行方を捜せば良いのではないか。
以前のように。
それが叶わなくても(あの二人が嫌がる可能性は大いにある。二人ともあかねに対して過保護なのだ)、そうだ、地の玄武に訊けば良いのだ。
また彼の師匠という男に。
この力の制御の方法を。
稀代の陰陽師なら知っているだろう。
知らなくても助言は得られるかもしれない。

よし、と今までにないぐらい前向きにあかねは握り拳を作り力を入れた。
明日の朝から決行だ。

どこかで鈴の音がした。
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2010/5/5

其れは問わぬ誓い  遥か1SS

「今日は様子見に来たのだよ。また近いうちに参内するよ」
少しばかり滞在した後、今から出仕でね、と地の白虎は帰って行った。
名残惜しそうに見てしまうのを避けるため、あかねは彼が出ていくとすぐに庭に向き直った。
彼への思いは北山に置いてきたはず、と自分自身に言い聞かせるように、胸の痛みに無視を決め込む。
まだうだるような暑さの前、少し庭へ出よう、と足を伸ばす。
庭にある池の水は透明で澄み、虫なのか魚なのか、時々波紋が浮かんで消える。
魚は声を発しないのに、どうやって他の魚と対話しているのだろう?
あかねはそっと水に手を入れた。
水は冷たく心地良かった。

一人でいることに慣れるというのは、つい最近まであかねにはわからないことだった。
一人でいることが楽だということも。
一人は寂しいと、そういうものだと思っていた。
だが今は、全くの一人ではないとはいえ、誰とも口をきかないことはそれほど苦痛が伴うものではなかった。

しばらく庭にいると、太陽の向きとともに地熱が上がり、どんどん気温も高くなっていった。
ようするに、暑くなってきたのである。
ここで屋内に戻ろうと思わないのがあかねだった。
外にいることが、風に吹かれることが、地に足を付けることが、好き、だ。
それがこの地に馴染まないものだとしても、あかねはそれだけは否と唱える。

少しばかり左右を見回しても誰もいない。
犬も星姫もいない。
そっと沓を脱ぎ、靴下も脱ぎ、池の周りの座りの良い石に腰かける。
そのまま足を水に浸せば、刹那の冷たさに眼を閉じるも、一気に暑さも和らぎ一つ息をこぼした。
水に足をつけたまま水面を見やると、そこは切り取られた空が映っていた。
水色と斑の灰色がかった雲と、霞む太陽。
今日は自然の雨が降るかもしれない。
この前みたいな、人工・・・と言って良いかわからないが、あかねが降らした雨ではなく。
自然に口元が綻んだ。
 雨よ降れ、恵みの雨よ、恵みの日とともに、この地に落ちよ――
声には出さず歌うように流れ出た言葉。
空気に溶けて消え失せる。

未だ邸内でで女房に捕まっていた地の白虎が弾かれたように顔をあげた。
耳に馴染んだ月の姫の声を久しぶりに聞いた――気がした。
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2010/4/29

隙間から零れぬ  遥か1SS

あかねが喋らなくなったとしても、物事にはそんなに支障はない。
政治を采配することも、鬼の説得をすることも、誰かと会い仕事をすることもなければ、家の者に指示をしなければいけない立場でもない。
ただあかねは青龍と朱雀の地の二人が「もう帰ろう」と言うのを持っていれば良いのだ。
我ながらアホらしいとは思う。
自ら重荷を抱え込んでいる気がしないでもない。
だがあの二人の真摯な眼を見てしまうと、やはり置いてはいけないし、己の我を突き通すことができないのだ。

「神子様、ご機嫌はいかがですか?」
朝の恒例となった星姫のご機嫌伺いは、今もまだ続いている。
だが、以前とは違いあかねも笑顔で返すのみだ。
「大丈夫だよ、今日は何をしようか」
それぐらいは言っても問題はないだろう。
しかし、誰かと喋ってしまえば、何かの拍子にとんでもないことを言ってしまう可能性もなくはない。
良くも悪くもあかねは言葉に衣を着せて話せない性質だ。
「今日は久しぶりに友雅殿が見えておりますが、お通ししてよろしいですか?」
「・・・・・・」
返した笑顔のまま固まる。
良いよ、とも嫌だ、とも言えない。
あまり人には会いたくないのだが、それが地の白虎となると考える余地が出てしまう。
彼は、あかねが、焦がれた人、なのだから。
「失礼するよ」
いまだ何の返事もしていないのに、勝手知ったる、と言わんばかりに彼の者はあかねの部屋に訪れた。
それに文句を言うのは昔から星姫の役目で、あかねは宥めるに徹していた。
乙女の部屋に無断で上がりこむなんて、と思っても良いのだろうが、あいにくこの部屋は『あかねの部屋』ではなく『あかねが間借りしている部屋』なのだから、怒る通りはない、と思っていた。
筋が通っていそうで少しずれている。
「・・・まだ、話すことはできないのかい?」
目線を合わせるために膝をつき、彼は問いかける。
あかねは先と変わらぬ笑顔で頷き返す。
故意に話さないだと、知っている者はいない。
件の陰陽師さえ、「喋れるはずだ」とは言ったがあかねの意志で話さないのだとは思っていない。
八葉も星姫も、皆『龍神の力』のせいで話せないのだと、思っていた。
あながち間違っていないんだけどね、とあかねは心の中で舌を出す。
――これは京を守ること、そして自身を守ること。
だからあかねは『話せない』となっていることに罪の意識も感慨もなかった。
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2010/4/1

鈍く、それは咆哮  遥か1SS

未だこの身に宿った龍神の力。
それがどれ程のものか、あかねにはわからない。
ただ、うまく自分の思ったように使えないのであれば、それは過ぎた力と言わずに何と言おうか。
現代においても、過ぎた科学力で身を滅ぼした形跡が確かにあるではないか。
それと同じだ。
左の掌を、半ば睨みつけるようにあかねは凝視する。
月の青い光によって眼に映るそれは、まるで人ならざるもののように見えて、ここに刀でもあれば切り落としてしまいたく思えた。
無論、そのようなことはできないが。
左手から目を離し、いつかと同じように縁に座って目を閉じる。
今は月明かりがあたる場所に出ているが、瞼を閉じれば眩しいものでもない。
満月も三日を過ぎ、これからどんどん欠けていくことだろう。
陰陽師は言った。
この力は天候さえも左右する、と。
では、その気になれば自分も鬼と変わらぬことができてしまうのではないか。
または。
その気がなくてもやってしまうことになるのではないか――先日のように――
そう思ったとき、あかねは声にならない叫びを人知れず上げたのだった。
己の持ちえた力の強大さに恐怖を覚え、いっそ、早くこの地を去りたく、それが叶わないのであればこの身を引き裂いてしまいたく。
まだ、鬼と闘っていた時の方がなんと穏やかであったことか!


人の気配がし、眼を開けるとそこにいたのは元・天の青龍だった。
彼は八葉として功績をあげた今でもこの邸の見回りの任は外れていないらしかった。
これが彼本人の希望であり、それもこの房の周囲だけであるとは、あかねの預かり知らぬところだ。
「神子殿、そのようなところにおられてはお風邪を召されます」
あかねは苦笑して一つ頷いた。
「神子殿・・・」
苦しそうに眉間にしわを寄せた彼に気づかないふりをして縁から離れた。

只人の言葉にも力が宿る。
ならば、龍神の力を蓄えた龍神の神子の言葉なら?
それがどんな些細なことでも、現実に起こってしまう力になるのではないか?
そう思ったからこそ、あかねは言葉を口にするのはやめた。
誰かとともにあるときも、一人でいる時も。
この地を去るまでは、容易にしゃべらないと決めた。
何かと折り合いをつけるのはここに来てからは随分と慣れた。
あらがっても仕方がないことだと。

縁から離れた時、誰にも聞きとれないぐらいの小さな声で「世界はきれいだ」と、思ってもいないことを口にした。
それはどうしようもなく音を発したくなった時に口にする、戯言だった。
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2010/3/21

雨に始まる  遥か1SS

あかねが全てをなし終えて京に安寧をもたらしてから早十四日間。
何故かいまだにあかねはこの地に、ひいては土御門の一角に留まっている。
それは、最後の決戦の後。
さぁ帰るぞ、という時に地の青龍曰く「蘭がいねぇ!」であり、地の朱雀曰く「セフルが心配なんだ!」であった。
この二人を置いて、じゃ、あっしはこれで、と言えるはずもなく、あかねは龍神の力をその身に宿したままここにいる。
力はあれどもはや『龍神の神子』の存在は必要ないわけで、別に土御門にいて良い理由もないのだが――思っていたより星姫も他八葉も、ひいては帝までこの『龍神の神子』という大義をなしえた少女を買ってくれていたらしく。
左大臣のご厚意により(もしかすると娘大好きパパなのかもしれないし、政治的思惑の上かもしれない)この部屋の留居を許された。
しかしながら。
――暇だ。
あかねは縁に座り込み、見るでもなく庭を眺めていた。
現代っ子のあかねは紫外線が脅威であるのを知っている。
日焼け止めもないこの地で、おいそれと紫外線の下に身をやつすことはできないので、縁側の、日の影っているところにいた。
夏は盛り、蝉の鳴き声もうるさいぐらいに降ってくる。
ああ、これを蝉時雨と言うんだなぁ、などと頭の片隅で思いながら、その実何も考えてはいなかった。
怨霊も出ず、一人では外にも出られず、八葉の者はそれぞれ己の仕事があり(現代組の二人は仕事ではないが)御供は無理で、かといって女房さんの手伝いをしようとすれば、星姫を筆頭に皆に止められ咎められ、本格的に何もすることがなかった。
書物を読むのも苦労するし、他の貴族のように何を嗜むこともできない。
「ふん」
いい加減汗がにじみ出てきた。
水浴びでもしたいなぁ・・・と掌を日なたに出す。
地平線付近に白い雲があるばかりで、太陽を隠す雲が現れる気配はない。
「雨、降らないかな」
何とはなしに呟いた瞬間。
それまで耳触りであったほどの蝉の鳴き声が消え、入れ替わりに風と黒雲が日を覆った。
そして雷とともに雨が唐突に振り出し、人の叫びが遠くに聞こえる。
道行く人、外で働いていた女房や武士団の面々の声であろう。
「わぁお」
しかし雨が降って驚いたのは室内にいたあかねも同様で。
タイミングの良さにただ呆然とするしかない。
「夕立、だよね?」
誰に同意を求めるわけでもなく、雨に向かって言葉にしてもそれには誰も答えない。
ただ激しい雨はしばらくやまず、雨に打たれたオトモダチは悪態をつきながら帰ってきた。

翌日、八葉の一人だった陰陽師が土御門に表れて、
「お前の中には龍神の力がある。天候さえも左右する。容易に使うな」
と咎められた。
それをオトモダチに聞かれなかったのは幸いだったとあかねは安堵したが、さて、天気について語ることもできなくなったのかと、頭を抱えた。
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