闇夜が辺りを静寂に包む頃、こっそりと足音を忍ばせて動く影が一つ。
そろりそろりと廊下を歩くと、両側に扉がある。その右側にチラリと視線をやりつつ、そぉっと左側の扉をノックする。
「どうぞ」
中から聞こえる優しい、穏やかな声に柔らかな笑みを浮かべながらレティシアはそっとドアを開いて室内に入った。
そして、向かい側の部屋を気にしながらそっとドアを閉めた。そして振り返るとベッドの上に座って本を読む青年に微笑みかける。
青年は、金の髪に緑の瞳、レティシアに面差しはよく似ているが、儚げで、触れれば壊れてしまいそうなそんな繊細な印象がレティシアとは異なる。
そんな彼が、旅支度を手にするレティシアを見て、柔らかで、そして少し寂しげな笑みを浮かべて、
「今夜…発つんだね。」
そう口を開くと、レティシアは小さく、でもハッキリと頷いた。
「ウン。決心したら早いほうがいいし、これ以上引き伸ばしてると…エール兄ちゃんが、それこそ本当に私の部屋の窓をふさいでドアも鍵を掛けちゃいそうで怖いしね。」
そう言って苦笑いを浮かべる。噂の主は、きっと今二人が会話をしている向かいの部屋で静かに寝息を立てていることだろう。
「……エリオット兄さんの事を、そんな風に言っちゃいけないよ。兄さんは、レティの事を誰よりも大切に思って育ててくれたんだから。レティの事を想うからこそ、心配して旅に出すことを許さないんだから…ね。」
彼の言葉に、レティシアはキュッと唇を噛む。
…そうなのだ。年の離れた妹の自分を、店が忙しい両親の代わりになって育ててくれたのは長兄のエリオットだった。
産まれてから甲斐甲斐しく世話をして、レティシアが歩いたといっては喜び、熱を出したといってはオロオロし、自分のことのように苦しんで。近所の悪ガキにいじめられたと聞いて怒って怒鳴り込んで行った事もあった。
「うん。わかってる。私だってエール兄ちゃんの事、好きだよ。でも、私は…冒険者として身を立てたいの。」