昨年末の27日から始まったイスラエルによるパレスチナ自治区のガザ地区への攻撃は、多数の非戦闘員とりわけ罪なき子どもたちの犠牲をうみ、この悲劇に世界中の非難が集まっている(先週日本でも即時停戦を求めるパレードが行われた)。7日の朝日新聞に掲載された写真は、傷つき虚ろな目付きのわが子を病院に担ぎ込む泣き叫びそうに必死な父親の姿を写したものだった。
その写真はある記憶を呼び覚ました。1999年のNATO軍によるコソボ空爆の時の写真である。虚ろげな眼差しの父親に連れられた難民の親子の写真だった。空爆はどんなにピンポイント爆撃の精度や、テクノロジーを誇ろうとも名もなき非戦闘員、一般市民の犠牲と悲劇を生み出す。「民間人は標的にしていない」という声明は実に馬鹿げたものだ。標的にはしていないが、やむなく巻き添えにしていると言いたいのだろうか?
だが、イスラエルにテロ集団呼ばわりされているガザ地区を支配するハマス側もまた民衆、一般市民を意図的に「人間の楯」にし、優位に交渉をすすめる材料としてこの悲劇を世界に訴えている側面もある。休戦の合間に無数の隊道トンネルを掘り進め、そこから武器弾薬を運び込んだとイスラエルに非難されているのである。
それにしてもイスラエル側から打ち込まれる弾薬はまるで、雨のようにすき間なく降り注ぐ映像で見ても恐怖を覚えるような量である。ガザ地区の数10メートル間隔で同時に噴煙が上がる。かってホロコーストで民族浄化、ジェノサイドの憂き目にあったイスラエルは、いまやガザ地区の皆殺しに取りかかっているのか、とまで思わせる。
フランスのサルコジ大統領の調停失敗のあと乗り出したエジプトの取りなしで、戦闘は停戦合意のテーブルにつきそうだ。とはいえ、イスラエルはハマスを代表と認めていないため同席して調印するわけではない。武器の主な持ち込み先だとみられるエジプトになんらかの条件をつけて停戦する模様のようだ。ハマス側はエジプトの提案する国際監視団の受け入れを了解するかわりに、イスラエルは攻撃を停止するという条件をのんで停戦する見込みのようだ。一刻も早い停戦合意の成立を望む。
さて、「ガザに盲いて」とはオルダス・ハックスリーの中期の小説のタイトルである。このタイトルを借用したのは他でもない複雑な中東状況を見事に表わしている言葉のようにボクには思えるからである。パレスチナはパレスチナ統一政府をつくっていたPLO(パレスチナ解放機構)主流派とハマスとの二重権力状態にあるからである。パレスチナとりわけガザの平和を考えることは、盲いてしまうほどの袋小路のようなものかもしれないとさえ思う。
有無を言わさぬ居直りから始まったとしか思えないシオニストによるイスラエル建国の既成事実化などの歴史をかんがみても「ガザに盲いて」しまう。神は(この場合お二人いらっしゃる。ユダヤの神と、アラーの神である)この事態を外から傍観するものに、目くらましの罰を与えてでもいるのだろうか?

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