やはり厳しい冬の時代なのか、11日、所用で行った高円寺のPAL商店街のなかほどで乞食(こつじき)さんを見かけた。冷たい鋪道に直に座り、フード付きの上衣をまぶかにかぶって土下座している。目の前には敷物のうえに置かれたザルがあった。小銭が数枚入っていただろうか? このひとがどうのという話では一切ないが、街から乞食さんの姿を見かけなくなって久しかった。
ホームレスのひとはいる。現在、派遣切りの救済が叫ばれているが、それは現在ホームレスをしているひとを救済するという話ではない。派遣労働者が職を失うことによって寮から追い出され、街にホームレスがあふれることを「政治の問題」として憂慮するという「貧困化」を政治テーマとした運動であるとも言えるかも知れない。だから、それは日比谷公園が選ばれた。新宿西口公園や上野公園でもなく、山谷の玉姫公園でもなかった。「寄せ場」の越冬闘争はおかげで話題にもならなかった。
国中が「寄せ場」化しているのが、現在の「貧困化」の実体ではないのか?
「寄せ場」の周辺にだけ存在した「簡易宿泊所(ドヤ)」は、いまやネット・カフェが代用している。繁華街や駅の近くにあるネット・カフェは「寄せ場」に存在する既成権益の縄張りが存在しない。その上、若い女性もカップルも利用して寂しさがまぎれる。シャワーもTVもあって飲み物は飲み放題、お湯もあれば安いジャンクフードも食べられる。それに、少々ファッショブルだ。好きなAV女優のファックシーンも見れればティシュもある(笑)。
2年前の正月から朝日新聞系列は、新聞、雑誌、TVなどのメディアを総動員して「失われた10年世代=ロスジェネ」キャンペーンを展開した。その執拗な一年余にわたるキャンペーンの結果、そのことば「ロスジェネ」(ボクは当初からこのヘミングウェイなどを代表とする「失われた世代」を指すことばを使うことに反対した)が社会に定着したと思われた矢先に今度は「失われた百年」がやってきてしまったようだ。
このごろ、なんだか頭の中をゴウゴウと風が吹いているのだ。そう、ボクの頭の中ではそこは安達ケ原のススキ野なのだ。遠く都は戦乱で焼け落ち、残った廃墟のような寺社には野党が住みつき、奇怪なる鬼が出ると噂されている。
むかし、をのこ(男子)ありける。のこのこと所用で都へ出て行つたをのこは、洛外のにぎやかなる市(いち)の中で、ひとりのこつじき(乞食)に逢いたる。をのここつじきの背後に広がる闇に鬼の住まうカルカツタの無数の乞食の子どもたち、非可触賤民の路上生活者の姿を見たりと申すなり。あなあやしきことよ。

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