七夜待:監督の河瀬直美の名声がなければ、この映画は興業作品として映画館のロードショー上映にかかることはなかっただろう。この作品は、たとえば映画学校の学生の作品だと言われても納得してしまうほどの稚拙な作品だ。これまでの、河瀬作品の支持者のひとりとしてこんなことを言わねばならないのもつらい。
ドキュメンタリー・タッチの作品は、観客の頭の中に物語を醸造できないと観客のこころを掴むことができない。カット割りや、美しい音楽や、計算しつくされたテクニックを総動員して、商業映画は観客にすり寄る。匂いと触覚は別にして、五感を総動員して物語の情感や、哀しみや歓びを伝える。ましてや、ドキュメンタリー・タッチを身上とする河瀬直美は映像の美しさと、編集の力で観客のこころを鷲掴みにしなければならないのだ。なぜなら、そこにはストーリーという物語が不在だから、観客はみずからの似通った体験を喚起して物語を組み立てなければならないからだ。
だから、この映画に脚本と言う立場のひとがいるのが不思議だ(狗飼恭子と河瀬直美)。きっとスクリプト程度のものを提示したのだろう。
そのスクリプトはこうだ。主人公はドンムアン空港に到着する。空港周辺の下町的な市場に紛れ込み、大きなバッグをひいて熱と混沌の街で片手にもった「地球の歩き方」でホテルを探し回る。インフォメーションセンターで遠いからタクシーで行きなさいと指示される。目の前に停まっているタクシーに乗り込む。いましも、娼婦然としたおんなと西洋人の男が降り立ったばかりのタクシーだ。タクシーの運転手はホテルの名前を告げても浮かぬ顔だ。主人公は街の喧噪にあてられたのか、いつのまにかうたた寝をしてしまう。
目覚めてみれば、そこはバンコクではなく郊外の見知らぬバーン(村)だ。身の危険を感じた主人公は、タクシーから逃げ出し、近くにいたフランス人のグレッグに助けを求める。グレッグに連れていかれた村の民家にはタイ式古代マッサージを教えているアマリとその幼い息子のトイと祖母がいて、グレッグはその民家に逗留してマッサージを学んでいるようだ。そして、そこはあのタクシーの運転手の住居でもあって……。
主人公の名前は彩子というらしいことが、あとで分かる。そしてトイの父親は日本人で、母はタイで運転手を夫として穏やかに暮らしている。信心深いアマリはトイを出家させ、いつか日本へいくことを夢みている。
さて、思うのだが、きっと河瀬監督はこの作品で、現代日本女性の癒しと再生をテーマにしたかったのだろう。それをカンヌ以来関係のできたフランス人スタッフと撮りたかったのだろう。ならば、舞台はタイではなく、むしろバリ島の方が良かったのではないかと余計なアドバイスを考えてしまう。
映像は美しい。雨の場面、ヤシの葉をそよがす南国の風、ラストシーンの河を下るように流れてゆくシーン。しかし、観客の内側に物語が醸造されるには、やや監督の独り合点におちいっていて稚拙だ。残念である。
「七夜待」という詩的なタイトルも生かされていないのも残念だが、欄の花をあしらったパンフレットは南国的で美しい。作品自体は「予告編」をいささかも越えていない。予告編でたっぷり想像を効かせる方が楽しめたかも知れない(公式サイトで見れる)。
新宿武蔵野館へ見に行ったこの日は、レディス・デーで女性も千円だったためか、観客は女性が多かった。その女性の感想も聞いてみたいと思ったものだ。
評価【★★1/2】
監督:河瀬直美 脚本:狗飼恭子・河瀬直美 2008年日本映画
七夜待公式サイト→
http://www.nanayomachi.com/index.html

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