「勝ち組」「負け組」というイヤな言葉は、そもそもはブラジル移民のひとたちのあいだで使われていた言葉だった。1945年8月の日本の敗戦を信じないひとたちと信じるひとたちの間で、日系社会を二分するような事態がおこったとき使われた。
ひるがえって数年前、ITバブルがたけなわの頃、若きサクセスストリーを歩んだひとにぎりの人間が、「勝ち組」としてたてまつられ、あのホリエモンに見るようにTV出演までしてタレントのように活動しマスコミの寵児となっていた。今日の「格差社会」、「あらたな貧困」を象徴するようなその言葉の裏にも、実はこの国の歴史のなかにあるブラジル移民の歴史がひそんでいた。
ブラジルを夢のような別天地として移民船笠戸丸が790名余の第1回めの移民を運んだのが、いまから丁度100年前の1908年6月18日である(その日にサントス港に到着した)。日本政府の意向を受けた移民斡旋会社の甘言にのったひとびとは、ひと旗あげて故郷へ帰るくらいの気持ちだったらしいが、実は披瀝した農家のありあまる人口を整理するための言わば「棄民」に近いような政策だったようだ。
開拓民として異国の地に散った移民たちは、慣れぬ風土の中で辛酸をなめ、民族的特質なのかその石にかじりついてものがんばりと勤勉さでブラジル社会に140万人ほどの日系社会を作り上げた。
その100年の歴史を「苦難」とひとことで片付けていいものかどうか迷うが、ともかくもこのひとたちは同朋なのである。働き詰めに働いて一定の地盤をブラジル社会につくった一世の苦難に対し、クレオールな感性を育てているに違いない二世、三世ともに思いをはせあらたな100年(1世紀)のはじまりが幸せに満ちたものであることを祈りたい。