宿泊地となった天徳寺は、ボクが樹木葬地としてお世話になり母の遺骨をヒメコブシの木の下に埋葬した寺である。実は今回、現在建築中の2階屋の方に泊らせてもらった。建築中とはいえ屋根は塩ビトタンで、ふいてあり、一部にフローリングの床材がはってあるので、電気をがまんすればどうにか泊れるのである。
その日は、ホタルを見にいったのち、夜半から雨が降っていた。雨の音が静かに鳴り響く。まだむきだしになった無垢の木材の匂いが心地よい。
そのような環境のせいか、こんな夢を見た。
新鮮な空気を吸いながら、いつも都会ではこんな汚染された空気を呼吸しているとタールのような粘ついた物質が付着したフィルターをボクは見ている。まるで、汚染物質で真っ黒になった自分の肺を見つめるように……。
エコロジーを訴えるようで、その実、空気清浄装置を売り込むようなそんなCMを見ているような複雑な気分におちいる。
ボクら家族が泊まったその建築中の空間は、寺の裏手に当たりより樹木葬地に近い場所にある。と言うか、窓の向こうは駐車スペースをへだてれば、もう樹木葬の霊園である。母はその第1区画の場所に眠っている。そして、ボクも眠るであろう場所である。
自分も将来、眠ることになるだろうこの地で、ボクは昏々と熟睡してしまった。
母の遺骨を埋葬してから4年近く、奇妙な偶然からつれあいの関係する国際的なボランティア団体(NGO)と深くむすびついた天徳寺との出会いがあった訳だが、その間に家族絡みのつきあいとなった天徳寺住職一家との交流も含めてこの地はますますボクにとっては、やすらぎの場所になってゆくようである……。
そう、ある意味では奇妙だ。ボクは、若い頃、どこか見知らぬ場所とか、異国で客死するような死に方しか考えていなかったから……もしかしたら、野ざらしになって荒野に潰えることがあっても受け入れようと思っていたはずなのに……。
母のために受け入れた地が、ボクにとっても安息の地になりそうだというこの展開がおかしくてならない。そして、ボクは深く眠る。
そういえば昨夜、子どもたちはある絵本を読んでいた。娘が他の子どもたちのために読み聞かせしていたのだ。小さい子たちは、娘の朗読におとなしく耳を傾けていた。
その絵本のタイトルは、『ほたるホテル』と言うのだった。
うん、いいタイトルだ。韻を踏んでるということだけでなく、なんだかほのかなイルミネーションに照らされたそのホテルでは、静かに安眠できそうな気がする。
たとえ、それが永遠の眠りだったとしても……。
(おわり)