あとから知ったのだが、8日代々木公園でアムネスティ・インターナショナル日本支部が呼びかけた「ベッド-イン」(Bed-in)の催しがあったようだ。これは、ジョンの命日の8日に、現在アフリカ・スーダンで続くダルフールでの紛争を止めようと言う主張をもったギャザリングだったようだ。
さすがに、ベッドまでは用意できなかったらしく、シーツを敷いてその上に座って「WAR IS OVER」というレノンとヨーコの反戦運動でおなじみのメッセージ・ボードをかかげるというものだったらしい。
実は、ベッド-インはボクもやった。9.11のあと明治公園で呼び掛けられた最初の「Be-in」に、出店した時だ(たしか、2002年9月11日だった)。最初、例のごときチャイ屋をやるつもりだったのだが、飲み物は主催呼びかけ側の「Be good cafe」の独占と、ドタン場になって告げられた時だ。それは、開催の3日ほど前に突然言い渡された。ボクは憤りを覚えたが、そこから急遽アイディアがわき、わずか3日ほどで看板とベッドを用意した(キャンプ用の簡易ベッドだ)。
アイディアはふたつあった。そのふたつともを自分のブースで展開した。そのひとつが、「Bed-in」で、協力してくれたつっちぃとひとつベッドにベッドインして平和を語ろうと言うものであった(つっちぃ!あの時は本当にありがとう!)。
つっちぃはボクが頼んだ訳でもないのに、ブラジャーにホットパンツという服装でやってくれて、店の呼び込みをやっていたボクがハラハラしていた(笑)。
もうひとつは、これも協力してくれたマリーが、うすものをはりめぐらしたテントの中でヒザ枕で、耳掻きをしてくれるというもので、まさしくインドの大道商人に学んだアイディアだった。これは、後日談だが、先日ある繁華街の風俗ビルの一角にこの「耳掻き屋」(美女のヒザ枕で至福のひとときを!といううたい文句だった) を見つけた時は、思わず「あ!パクられた!」と叫んでしまいました。
このアイディアは、きちんと「ベッドイン」の意味などを書いたタテ看板をかかげてやったものだが、1回500円だったにもかかわらず、異様な列が出来てしまったのでした(笑)。ベッドインに女性がならんでいたのも記憶に鮮明に残っています。
(つづく)