そうそう、誤解をまねかないように、急いで書いておくが、「太陽族」はエセで嫌いだが、「太陽族映画」はボクは評価している。
むしろ「太陽族」というのは「太陽の季節」で1955年度の芥川賞をとった石原慎太郎が、弟の裕次郎などのために金稼ぎで書いた日活映画の脚本の中にしか生きていず、むしろそれらの一連の映画に影響されてファッションを真似て(アロハシャツにサングラス、慎太郎刈り)湘南に出没したナンパな若者を、週刊誌などが映画にたとえて「太陽族」と言い出したところからはじまるので、その「族」としての実体はまったくない。
一種のアプレゲール現象として、1950年代に同じような生きざまをする若者が世界中に輩出した。これは、「族」としての実体は数十人から始まったろうアメリカのビート・ゼネレーション、パリのサンジェルンマン・デュ・プレのカフェやクラブに登場した実存主義者たちなどである。
「太陽族」の方には刹那的な生き方、自暴自棄、反抗的態度そのうえ快楽主義なのはいいが、モーターボート、ヨット、オープンカー、別荘といった当時の若者の憧れの小道具が頻発し、そのようなブルジョア的生活など石原兄弟はしていたのかもしれないが、一般的には高嶺の花でむしろアメリカナイズされた架空のまったく生活感のない設定であった。
当時の新聞の投書にも、それも当の若者世代からのこのような批判が掲載されていた。
それにつけても、ニガニガしいのは、世のいわゆる作家と称せられる人たちの、このようなシンチャン刈りのアンチャン文学や、ただ特殊な人物をあつかったというだけで、何のとりえもない未熟な文学をかつぎまわる出版社のタイコもち的な態度である。(学生=1956.05.17)
このような当時の投書を、石原の芥川賞での高評などとつきあわせて読むことは楽しい。時間と言うものの皮相な批評を感じるからだ。しかし、これを読む限り文芸春秋社の営業態度というのはあまり変わっていないようだ(笑)。
さて、話を戻そう。「太陽族映画」は石原慎太郎が書いたホンにもとづく映画だ、と言い切ってしまいたいのだが、大島渚監督の『青春残酷物語』(川津祐介・桑野みゆき主演/1960松竹)まで含めるという説があるそうだ。松竹時代の大島渚は日本のヌーベルバーグの旗手として売り出していた。とすると「太陽族映画」の中の最高傑作『狂った果実』(中平康監督/石原裕次郎・北原三枝主演/1956日活)がフランスのトリュフォーといった監督に影響を与える事によって生まれたヌーベルバーグ(『大人は判ってくれない』仏1959)が、さらに大島渚などに影響を与えというキャッチボールは、たかだか4〜5年のうちにおこなわれたことになる。このような映画の面で生まれた影響の栄光のルーツとなった「太陽族映画」は、さすがに素晴らしいと評価せざるをえないだろう。


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