2008/11/24

バンコクへあそびに  日記

 また,土曜日,日曜日,ホンダSTEED400CCでバンコクへあそびにいってきました。BTSプロンポンでおりて,ソイの32か33あたりに,日本人街があるんですけど,ラーメン亭で豚角煮ラーメン190バーツをくいました。これで5回目くらいかな。ほんものの日本の味がします。
 いくらタイ料理が好きでも,たまに日本のラーメンが食べたくなります。8番ラーメンはまずいわけではありませんが,日本の味ではありません。
 途中,ナコンサワンでは,洪水のためか,橋が閉鎖となっており,ちょっと遠回りをしてしまいました。行きも帰りも,バンコクの西側をせめて,軍人通りを利用し,悪徳警官にはひっかかりませんでした。アユタヤを通らずにチャイナートの340号線はバンコクへ出入りするのにお勧めですが,ちょっと路面ががたがたします。

 今回は,パンタミット(政府庁舎を占拠しているチャムロンの民主同盟PAD)が日曜日に,最大規模のデモをバンコクで行うとのことで,ちょっと心配でした。途中,検問がすこしありましたが,とめられもせず,バンコク内ではなにもありませんでした。バンコクの交通渋滞じゃやりようがない。
 で,心配した混乱はなく,どうやら今日の月曜日に行われたようです。

 前期に日本事情という授業をやったので,日本の「昭和史ビデオ」(NHK)や「怒りをうたえ」を授業準備でよく見ていましたが,今の政治混乱は1975年のスト権ストや,戦後の電産争議,生活賃金闘争などを思い起こさせます。60年安保の樺さんの写真を掲げたデモなどなど。樺さんのお父さんは中大社会学の教授でしたから,有名ですね。
 1975年の時は,ゼネストをねらって,国労と日教組が指導部だったわけだが,総武線が全線止まっても三木内閣は動かなかった。完全な敗北で,そのあと官公労つぶしがはじまり,民営化が加速され,市場原理主義の現在のおかしな労働市場ができあがった。
 三木は,ギック(愛人)をみとめたソムチャイ首相とおなじくタカ派ではないように見えたが,スト権ストは失敗した。日教組は槙枝。当時の国労の書記長は富塚さん。高校の時のクラスメートのおやじだった。神奈川から立候補して,国会議員になったね。

 電産はその後,9電力分割,民営化(戦時中は電力供給のための国策会社,沖縄をのぞき1社体制)で,中国地方本部をのこしてなくなった。ここは自社の原子力発電に反対していた。タイの電力公社の労働組合会長のマイガームというひと,けっこう人気があるみたいだけど,PADに国労のソムサック・ゴサイスックと電力のマイガームがならぶと,階級性が色濃くなるね。もちろん WORKING CLASS は貧乏人ではない。マイガームさんは,はたしてタイの電力開発,水力,火力,原子力についてどう考えるか。タイの輸出入銀行のラオス・ダム開発への投資をどう考えるか。きいてみたいね。労働組合として政策がないなら,PADでおわりだね。生き残れない。

 日本では,アメリカのもと社会学会会長,労働過程研究で著名なブラウォイ教授が,日本社会学会や日本労働社会学会で講演してくれるそうだが,「市場原理主義のなかの労働研究」とかいう題。原理主義はもちろんファンダメンタリズムの訳。なんで日本では労働研究が広がらなかったのか,よく考えたほうがいい。
 世界的な経済的混乱のなかで,タイでは製造業,とくに自動車関係はそれなりに堅調らしい。労働過程,労働市場は重要。これだけが重要。あとはどうでもいいんじゃない。わたしはそんな考え方。人生いろいろ,消費いろいろ,趣味いろいろ,宗教いろいろ,勝手にやってくれ。おれもかってにやりますってことが言えるからね。
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