ルールは難しい
日曜日に県大会の準々決勝がありました。うちもここを目指しましたが、今年はかないませんでしたので、次年度以降をご期待ください。ここからは熊谷ラグビー場のメイングランドで、テレビ中継付きになります。ちょっとかっこいいでしょ。数年前までは私はグランドで主審だったり、副審だったりしたのですが、今はすっかり地上勤務状態で当日も一番上の部屋から試合を見て、公式記録用紙の作成をしていました。
さてこの試合、今年はある意味では順当で番狂わせはありませんでした。ここでは「今年は」が重要で、「昨年は」番狂わせがあったのです。トーナメントのやぐらのイメージはあるでしょうか。準々決勝ですから第一シードは、一番シード順位の低いチームとの対戦になります。つまり第八シードとの対戦です。二番シードは七番シードと、続きます。ですから三番と六番、四番と五番あたりでは逆転の可能性はあっても、その上の組み合わせでは難しいのです。ところが昨年は、世界的にこれまでにないくらいの新しいルールの試行が実施されたのです。それによりこれまででは考えられないような番狂わせがあったのです。まず第一シードが八番手と引き分けて抽選で上に上がれず、三番手が六番手に僅差で負け、他の二つの試合もこれまでのような点差にはならなかったのです。観戦しているだけなら緊張感のある試合といえなくもないのですが、当事者として慌てふためきますね。この試験的ルール適用、高校生の試合に与えた影響は少なくなかったようです。
高校生には影響の大きかったのですが、他のカテゴリーでは思ったほどではなかったようで、今年はその条項は元に戻ったのです。その結果として、昨年のような番狂わせは起こりにくくなったのです。まだまだ技術的に未熟な高校生の場合、体格というものが影響します。体格のよいチームが有利になるルールと、それ以外の要素が勝敗に影響するルールとがあるわけです。
スポーツにおけるルールというものは、競技者には絶対的なものとして君臨しますが、必ずしも唯一絶対のものではないようです。必ず何年かに一度は、見直しがされています。場合によってはそこに政治的な意図が入り込むことも少なくありません。たとえばフィギュアスケートの採点方法が変更になったりする背景には、発言権の大小は影響するわけですし、かつてノルディック複合で日本チームが活躍していた頃には日本に不利になるようなルール変更がなされたこともあります。もちろん変更にはもっともらしい大義名分が付けられますから、ある特定の国が不利になったり、有利になったりする意図はないかのように語られますが、因果関係は注意深く見ると見え隠れしていることが一目瞭然なのです。
柔道なども世界的な波に押される形でルール改正があり、柔道の持っている精神が失われてしまうかもしれません。ポイント制の導入で、一本を取りに行くスタイルから、効率よくポイントを重ねるための戦術へと世界は移行している中で、発祥国である日本はどうしてもこれまでのスタイルにこだわり、世界で勝てないなどということも十分に考えられるわけです。ルール変更の目的、誰に利益をもたらすのかということなどが問われていきます。
もちろん時代のニーズに合わせてルールも変えていかねば、そのスポーツそのものが衰退してしまう可能性を持っていますから、必要なことです。ただどのスポーツも、一流選手を生むためにはその育成が必要で、育てていく指導者が選手たちに説明の難しいルール改正だけは避けてほしいものです。スポーツを通じて心も育てたいと思うのに、戦術や戦略といったある意味では小手先のものを伝えねばならないような変更は、指導者としては悲しいのです。柔道の精神、ラグビーの精神、スポーツそれぞれに求めている領域があります。それを具現化するためのルール変更であってほしいですね。

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