神無月が終わります
今月は日本の中にいる神々が出雲に集うために、全国のほとんどは神無月です。唯一、出雲だけが神在月となるわけです。それはご存じでしたか。旧暦の、月の異名にはそれぞれに意味があります。その中でも象徴的なのは、今月だったといえるのかもしれません。
私は大学での自分の専門は『古事記』です。『古事記』は、歴史書としてあろうとした『日本書紀』とは異なり、天皇(当時はもちろん帝)がどうして神の委託を受けて日本(当時はもちろん大和)を統治するに至ったかの経緯を語ることを目的としています。この二作品、成立年代はあまり変わらず、わずかに『古事記』が早くに完成しますが、採録内容ではかぶるところも多数あります。『古事記』は上・中・下の三巻構成で、上巻は主に神話です。ここにはいざなみ、いざなぎを初めとする多くの神々が登場します。天野岩戸の戸を投げ飛ばされた先が、今の戸隠高原の地名起源になったりと、今の私たちにつながるような逸話が盛り込まれていたりするのです。
そして上巻の最後に天孫降臨があります。ここに登場するのが、今のサッカーの日本代表のユニフォームに描かれる三本足の八咫烏が登場します。そして地上に降りた神たちから天皇へと統治が移る中、崇神天皇の巻きでなぜか神話が差し込まれます。これがどうしてなのか、それが私の卒業論文でした。へび年に多くの参拝者を迎える神社があります。奈良にある三輪神社です。ご神体は三輪山です。そうめんで有名な地でもあります。この地に三輪山伝説というものがあります。神が蛇の姿を借りて、登場するわけです。そこからへび年の参拝となるわけです。
文化というものは、歴史と密接に関係します。今の私たちの生活の中に根付いているものもあります。たとえば一週間の曜日だって、陰陽道と五行思想に基づいて、日・月・火・水・木・金・土になっています。午前・午後だって、十二支が時刻に当てはめられていたときの名残ですものね。そうしたものが私たちの生活の中には入り込んでいるわけです。そうしたことを理解することが、教養なのかもしれません。教養とは、そうした文化理解をし、それを運用する力を意味するのです。
文系学問へと進む人たちは、この教養についても、歴史についても異論のないところでしょう。それでは理系の人たちはどうでしょう。自分が極めようと思っている学問の歴史に関心があるでしょうか。何人かが環境問題について考えたいと話しています。この環境問題こそ、人類の歴史そのものだと自覚しているでしょうか。人類の歴史と向き合い、その人類の方向性を模索するのが、実は環境学なのかもしれません。だとしたら理系学問だって、歴史と向き合い、総合的な視点を持つべきですよね。その意味で我がクラスが文理融合クラスであることは幸いするかもしれません。文系のメンバーは文化に対するアンテナは高めですよ。一方で理系メンバーはいかがでしょう。文化を理解すると、もっと世界が広がりますよ。
今では宗教すら一つの文化として考える傾向にあります。唯一絶対の神を信じる人たちがいて、生きとし生けるものすべてに神が宿ると考えている文化もあります。日本は古くから後者の考えをとっているために、明確な宗教観というものを持たずに今日までやってきたのかもしれません。そしてそれが結果として多様なものを受け入れる文化性を育み、海外の文化を受け容れ、柔軟に対応している気がします。もちろんそれが時に根のしっかりしていない曖昧な民族性へと姿を変えるような場面がないわけでもないのですが、それでも私は地球規模で抱えている諸問題の解決に必要なのは、多様性を容認できる見識だと信じています。だからこそ文系であれ、理系であれ、根本に文化を理解しよう、歴史を知っていこうとする目がほしいのです。明日からまた神が戻って、年も暮れていきます。

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