情けは人のためならず
昨日の話題の続きになるのでしょうかね、タイトルにしたこの言葉の意味を知っていますか。最近はこの言葉、情けをかけるとその人のためにならないから、人に情けをかけない方がいい、という意味で捉える傾向があるようです。しかし本来の意味は、情けというのは人にかけておくと、巡り巡って自分に戻ってくるものだから、情けは人のためではなく自分のためのものなのだ、というものです。
日本語というのは、その構造からハッキリと主張するよりは、相手に自分の意図するところを理解してほしいという傾向があるかもしれません。前述の言葉がその典型例かもしれませんよね。言葉に表れている部分だけを見ると、本来の意味とは異なるものとして解されそうです。その意図するところを理解するためには、日本について理解しなければならないわけです。つまり言葉を知るということは、言葉という結果だけを受け取るものではないようです。もともと言葉は、言の葉といわれ、葉っぱとして考えられていたわけですから、その葉ができるまでには根を張り、幹を太くする必要があります。その結果としての言葉ですから、言葉を使う私たちはその根や幹についても知る必要があるはずなのです。
言葉には少なからず、その言葉を使う人たちの文化性がにじみ出ます。たとえばA rolling stone gathers no mossということわざです。「転がる石に苔は生えぬ」というものですが、この意味をあなたはどのように考えますか。まず苔をどのように捉えるかが問題となります。苔に価値を見いだすイギリスでは、転がる石に苔が生えないのは、落ち着きのない人間と捉えて、もっとじっくりと腰を据えて取り組みなさいとなるわけです。日本でなら「石の上にも三年」というやつでしょうね。それがアメリカに渡ると事情は一変します。苔は否定的なものになるので、苔が生えないことがよいこととされます。つまり自分の能力を活かすために少しもジッとしていない、つまり苔が生える暇のない人が評価されるのです。こうなってくると、どちらが正しいとか、間違っているという次元の問題ではないのです。あくまでもその国の文化の物差しによるわけです。
もちろん今、私たちが古典として読んでいるものを考えれば、言葉というものは文化を背景としながら、時代に合わせて変化するものなわけです。だから変わっていくことは当然だともいえます。それでもその言葉の持っている精神のような根っこはやはり大切にすべきなのかもしれません。だって「情けは人のためならず」を他人に施しをするのは、その人のためにならないからというのは、本来の意味を知ってみると、実に寂しい発想ではないでしょう。日本語の中にある「お互いさま」という感覚を、実に見事に表した言葉ですよね。巡り巡って自分に戻ってくることなのだから、人には情けをかけ、相手のためになることをしてあげようというのはいいではないですか。
言葉は表現されるものの中では、氷山の一角でしかなく、その下には大きな下地が隠れているものです。そういうものを知っていくことそのものに関心が向けられるといいですよね。そうすることで紀貫之が『古今和歌集』の「仮名序」で指摘するように、人間関係をなめらかにし、天地をも動かす力となるわけです。これを拡大解釈といわれることを恐れずにいうのであれば、言葉こそが国境を越え、人々をつなぎ、絆を深め、武力で解決できないものを解決へと向かわせるものなのです。たかが言葉、されど言葉です。その言葉の持っている本当のメッセージを受け取れる人であってください。それはあなたが自身に「情けは人のため」ではなく自分のためにかけておけるかどうかという問いかけから始まるかもしれません。あなたが何気なくした善意が、巡り巡って、それこそ忘れた頃に自身にほんの些細なものかもしれませんが、戻ってくる瞬間があるかもしれません。そんな日のために…。

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