便利さはどこまで
以前、話をしましたね。私が高校生だった頃に比べて、圧倒的に今の高校生であるあなたは大変です。だって二十四時間あっても足りないくらいに、あなたの回りにものがあふれて、それに埋もれてしまっているからです。そんな中、受験勉強を強いられているあなたの苦労は、私の想像を絶しているようです。だからこそ歯を食いしばってでも、超えてほしいと願うわけです。他に安易に回避してほしくないわけです。それほどに私たちがものに依存している図式があるのです。そう感じているのは、どうやら私だけではなく京都銀行の頭取がこんなコラムを書いていました。
昨年六月、京都市は地球温暖化対策として、コンビニなどの二十四時間営業の自粛を 表明し、今も議論が続いている。深夜営業自粛による二酸化炭素排出量の削減とともに 「夜型の生活」を見直し、青少年の非行防止にもつながるとする自治体と、二酸化炭素 削減量は国内全体のごくわずかで、女性や子どもの駆け込み所として「街の安全拠点」 ともなっているとして猛反発する業界。便利さや社会機能優先か、温暖化の歯止め優先 か、の選択は極めて難しい。
ところで、我々が夜も休むことなく働き、あるいは遊ぶことが当たり前となったのは いつからだろう。四十年ほど前にはテレビに深夜放送はなかったし、三十年前には深夜 営業のコンビニもなかった。二十年前には携帯電話もなかったのだ。なかった時代には、 ないことに何の不思議もなかったし、不便とも思わなかった。ところが、生まれた時か らそれがあった人たちには、深夜テレビが観られない生活、コンビニに、パソコンやケ ータイのない暮らしなど、とても不便で考えられない。
人間は当たり前という感覚に麻痺してしまう。文明の進歩、科学技術の発展が、さら に便利に、さらに豊かにと急き立てる。もしかすると、二十年後には、新幹線も二十四 時間運行しているかもしれない。まさか、銀行も全店二十四時間有人営業?そのとき、 二十年後の人たちは、今を振り返り「えっ、新幹線も夜中は運行してなかったの?銀行 も夕方には店を閉めていたの?」「そんな不便は我慢できない」などと言っているかも。
今、ちょっとだけ立ち止まり、便利さや手軽さを少しだけ我慢する生活を、考え直し てみることも必要なのではないか。
なかった時代にはなかったことでそれなりに対応していたものが、あることが当たり前になったところからはないことが許せなくなります。今のあなたの生活の中で、携帯電話のない生活は考えにくいかもしれません。携帯電話の急速な拡大はこの十年くらいでしょう。それまでは携帯電話がないのが当然だったわけで、連絡の手段も時間帯にひどく限定的でした。不便だと感じるのは、それが存在してからのことでしょう。その当たり前の感覚というものを改めて見直してみる機会があってもいいですよね。
何度も話すとおりに、受験は覚悟だと考えています。覚悟が決まって、具体的な行動に移せたところで受験は半分は成功しているのです。覚悟というのは、志望校に受かるために我慢すべきものを我慢することになります。それは今までの縛りのない生活から考えれば、ひどく窮屈ですし、不便です。前述の表現であれば、当たり前のものを当たり前としないことになりますからね。ただそのことを通じて、本当に必要なものが見えてくるのも事実でしょう。携帯電話の電源を切り、ゲームや漫画を封印し、自分の時間のほとんどを勉強へと向けていくことにより、自分にできることとできないこととが見えてきます。それを継続していくことで、自分はどこへ向かうのか、どこまで伸びていきたいのかも見通せるはずです。その意味において、ここでしばらく窮屈な生活を自らに課してみることを勧めるわけです。

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