今日もコツコツと荷ほどきをした。
食器類などはまた実家を出た時に使うだろうということで、段ボールに入れたまま押入れにしまうことに。
が、肝心の押入れがモノ多すぎ…。
まず押入れの中の整理やな〜とモソモソしていたら、なんとアタシの小学校の卒業文集を発見!
親の部屋の押入れにアルバムと共にしまってあるとばかり思っていたのでビックリ。
自分が一体何を書いたのかさっぱり忘れてしまった。
全員が「6年間の思い出」の作文の後に「2001年のわたし」という題で絵とコメントを載せてある。
そこにアタシは、
「音楽関係の仕事をしたい。普通の主婦には絶対なりたくない。」
と書いていた。
・・・。
スマヌ、小学6年生のアタシよ。
音楽関係の仕事は高校時代にあきらめました。
そして、2001年は普通の主婦どころか離婚をした年であった。
まぁ、主婦してないから夢がかなってるっちゃーかなってるのか??
考えてみれば、アタシは両極端な考えを持った子どもだった。
「バリバリのキャリアウーマンになりたい!」と思いつつも、一方では「専業主婦にでもなって、ダンナの稼ぎでのんびり子どもと過ごしたい…。」とも思っていた。(専業主婦の皆様すいません…)
ちなみにこの考えはオトナになるまで続く。
元々アタシは、こう見えても本当はダラダラノンビリしたい性分なのだ。
勉強をガツガツやるのは、親の金でメシを食べさせてもらっている学生時代だけにしたいと昔から思っていた。
が、そうは問屋がおろさない。
ヘタにガツガツ勉強をしてしまったがために、なんだかいい成績をとってしまった。(アタシは元々頭がいいわけではないです。)
小学4年生の時、「将来の夢」という作文を書いてる時に「しゅふになりたい。」と書いたら、担任から
「あなたはそういうこと書いちゃダメっ。」
と言われて書き直させられた。
当時はあまり疑問に思わず、先生が言うんだから自分は将来仕事をしなくちゃいけないんだ、と思うようになった。(昔はムダに素直であったな。)
6年生の時の担任なんかうちの親に、
「きちゅーさんは将来大学に行くべきです。」
と話をしたらしい。(お前がカネ出してくれるんかい!)
それに感化されたらしいうちのおかん。
「女は学歴がないといい職業に就けないから、大学は出なさい。」
と。
というわけで、アタシは「働く女性」を夢見て突き進むことになる。
しかし、これで後々イタイ目を見ることに。
4年制大学を出たがために、第一志望の企業を受けることすらできなかったのだ。
そこは何をかくそう、銀行の銀行、
日本銀行。
「女は短大卒以下しか採らない。」と門前払いされたのであった。
当時もう90年代後半だったというのに。女は行員のヨメ候補というか。寿退社ありきの女採用というか。
金融業界の体質は古いんです。
ちなみに、今の日銀はちゃんと4年制大卒の女子も採ってるようですな。
(現在、日銀にいるアタシより年上の女性行員の方は中途採用みたいですね。)
大学までずっと公立の学校に通ってきたため、差別などされたことのない人生を歩んできたアタシにとっては人生初の、そして非常に大きなショック。
努力すれば、みんな報われるんじゃないの?世間て??
明らかにアタシより講義をサボっていた男子学生たちが、
「オレ、日銀の2次試験受かったぜ〜。」
などと話してるのを聞いて、余計ショックを受けて寝込んでしまった。
地元の地銀から内内定をもらっていたが、大学4年の秋にバセドウ氏病(甲状腺機能亢進症)という内分泌系の病気になってしまった。
甲状腺系の病気は、強いストレスがかかると発症しやすいのだ。
そしてこの病気はうつ症状も伴う。
ドクターストップで就職活動はもちろん、就職そのものをあきらめざるを得ないハメになる。
その後、大学時代にずっと付き合っていた彼氏と結婚したものの、
「病気前のきちゅーは生き生きしててよかった。病気持ちは嫌だ。」
と言われて離婚。(まぁそれだけの理由ではないと思いますがね。)
アタシは主婦にもなり損ねた。
…一体どっからトチ狂ったんだかアタシの人生。
6年2組の寄せ書き風の表紙に、ひとりずつなりたいものも書いてあった。
アタシはなんと、
「ねこになりたい」と書いてた。
…そうか、これがアタシのホントの夢だったのか。
今日のくろこ:久しぶりの顔アップ。
やっぱりくろこは美人やな〜♪
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