2009/6/14

俳句るうむ『去来抄』3  俳句

        行く春を近江の人と惜しみけり     芭 蕉

 (この句、『猿蓑』などに、「望湖水惜春」の前書があり、下五は「惜しみける」とある。この句形に従うべきであろう。)

 芭蕉は、いささか不快であった。自信作中の自信作である「行く春を近江の人と惜しみける」を非難されたのだから。

 元禄三年(1690)の晩春、芭蕉は、膳所から志賀の辛崎に舟遊びをして、珍碩・曲水・正秀・乙州など、近江の親しい門人たちと、行く春を惜しんだ。その折の句がこれだ。したがって、門人たちへの挨拶の意も含まれていよう。
  ――今日こうして、琵琶湖畔に舟を浮かべ、志賀の都このかた、この地の春を愛した古歌に思いをめぐらしつつ、この地の親しい門人たちと共に、朦朧と霞む湖の広がりを眺めながら、行く春を心から惜しみあったことである――


 (この項未完、つづきます)

※ 「去来抄」は都合により、他のブログに移動して書いております。
    「壺中日月(こちゅうじつげつ)」で検索して下さい。トップあるいはその次くらいにあります。よろしくお願いします。また、「ささめごと」の修訂版?もあります。(季己)
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2008/1/27

俳句るうむ『去来抄』 2  俳句

辛崎の松は花より朧にて 
 

 とらわれの心のない人は、誰に対しても自由でいられる。ただ微笑んで……。

 
   お手紙ありがたく拝見しました。
   お元気とのこと、何よりです。
   大津滞在の折には、ゆったりした時を過ごさせていただき、大変うれしうございました。
   貴僧のお住いの、本福寺別院で詠みました愚句を、つぎのようにお改めください。
      辛崎の松は小町が身の朧  ⇒  辛崎の松は花より朧にて 
      何とはなしに何やら床し菫草  ⇒  山路来て何やらゆかしすみれ草 
    このように、旅の途次に詠んだ句が53句もありますが、随時、推敲していこうと思っています。
    あなたの御句「夏萩の此の萩いやかほととぎす」が、論争の種になっているようですね。
    論争するのも、俳諧修業の道ではありますが、必要以上に論争をすることは、わたしの好むところではありません。
    不必要に論争せずに、適切にやってください。
    あなたが寄せた其角宛書状については、重ねて其角本人から返事がいくことでしょう。
    嵐雪は近頃、主君、井上相模守に随行して、越後高田に出張中ですので、あなたのお手紙は、まだ本人に届いていません。
    何やらかにやら、まだ取込中なので、積もる話は山ほどありますが、暇がないので、用件のみにて失礼します。
    渋谷与茂作殿から書簡があり、貴僧がお元気だということが、わかりました。

         以上       5月12日    芭蕉桃青


この手紙にあるように、「辛崎の松は花より朧にて」の句は、貞享二年(1685)三月中旬、『野ざらし紀行』の旅で大津滞在中の作である。
 「湖水の眺望」という詞書があるこの句は、
      辛崎の松は小町が身の朧
      辛崎の松は花より朧かな
      辛崎の松は花より朧にて
 と、三度の推敲を経て決定したようである。
 芭蕉は何故、「小野小町」を「花」にかえたのだろうか。
 山本健吉氏のすぐれた評釈があるので、それを見てみよう。

   いい課さないところに現実と幻想との交錯する濃淡複雑なイメーヂが
  生れてくる。小町の幻想は消えても、この「花」は幽艶な情緒を生み出
  している。この「花」が言葉としてはありながら、具象としてはない。
  しかも詩的イメーヂとして存在するという重層的な性質に、この句の魔
  力がかかっていると思うのである。(『芭蕉その鑑賞と批評』)

 さて、ある俳席で、伏見の名の知れた俳人が、
 「連句の発句は必ず“云ひ切るべし”という教えのあるとおり、切字が必ずあるべきである。それなのに、この句は「にて留め」になっていて、切字がない。そこが欠点であると思う。それとも、名人ならば許されるのでしょうか」
 と、噛みついた。
 それに対して其角は、
 「連句の第三句目は、ふつう、“て留め”や“にて留め”を多く用います。“にて”には、詠嘆して軽く切る意があり、“かな”に通用するので、“かな留め”の発句の場合は、連句の第三句目の終わりを“にて”で留めることを、嫌うことが多いのです。
 この句の場合、“かな”とすると句調の上で切迫した感じがするので、“にて”と余韻を持たせるように留めたのであります」
 と、評した。

 この伏見の某有名俳人と其角の論争は、其角の『雑談集』巻頭の話であるが、其角も芭蕉の真意は、よくわかっていないようである。
 この「にて」は、「ただ花より松の朧にて面白かりしのみなり」の「にて」であり、おのずから「切字」の役割を負っているとみなされる。
 「切字に用ふるときは、四十八字皆切字なり。用ひざるときは、一字も切字なし」の範疇における「切字」の「にて」ということである。

 次は、芭蕉の門人で出羽の国で染物業を営む呂丸と、去来との会話である。呂丸は、『奥の細道』に出てくる図司左吉が、この人である。

 呂丸は、
 「にて留めのことは、すでに其角の『雑談集』の説明通りだと思う。ただ、この句は発句ではなく、第三の句ではないでしょうか。伏見の作者は、どうしてこれを発句と見たのであろううか」
 と、分かった風なことをを言った。
 去来は、呂丸は新しい門人なので、なんにも分かってはいないと思ったが、
 「これは即興感偶、つまり、その場に臨んで興を感じ、すぐさま句になったもので、発句であることは間違いない。連句の第三は、前句に応じて考えをめぐらしてつくるものである。もし、この発句が即興でなく、頭の中で考えてつくった句であるとすれば、この句の価値は、二流に成り下がるでありましょう」
 と、言った。
 
 連句の第三は、発句・脇句を受けてこれを転ずる場である。だから実感ではなく、頭の中で考えて作ることになる。
 つまり、第三は、脇句の世界を転じて、格調高く、のびのびとやすらかかに作るべきとされている。そういう格式を考えて作らねばならず、即興感偶というわけにはゆかない、というのである。
 その場で心に感じたことを、そのまま詠むことを、即興感偶という。即興は、折にふれてものに感じたときの面白み。感遇は、正しくは偶感で、ふと起こった感想の意である。

 後日、元禄七年の夏、芭蕉が去来の落柿舎に滞在中のことである。
 芭蕉は、またも去来に教え諭すように、
 「其角やお前さんの論はみな理屈じゃ。私はただ、松もおぼろ、花もおぼろの湖水の眺望の美しさを言おうとしただけ。“松は花より朧”と言ったのは、言葉のあやにすぎない」
 と、言われた。

 発句は、理屈ではない。
 芭蕉が、「ただ眼前なるは」と言っているように、
    眼前のものに、意外性の美を発見し、新鮮な世界を開き、
    自分の実感をよりどころにして言葉を探り、
    自分の感動のまったき表現を、
    五・七・五のリズムに乗せ、
    季節を表す言葉「季語」を入れ、
    切字(切れ)が不可欠
 なものを、「発句」というのである。
 これは現在の「俳句」にも十二分に通じることである。
 これらのことをしっかりと腹の底におさめつつも、これにとらわれることなく、自由な心で、ニコニコと微笑みながら、句を詠めと、芭蕉は言っているのであろう。

 初心のうちは、知識や礼儀作法をしっかり覚えて守る。その方が、周囲の受けがよく上達もする。けれども、蓄えたものを忘れてゆくことは、もっと大切。
 理屈は、どんどん忘れていって、空っぽの状態になったとき、その人は、内なる自由を獲得できる。つまり、変幻自在に独創的な句が詠めるということだ。

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2007/11/1

俳句るうむ『去来抄』 1  俳句

蓬莱に聞かばや伊勢の初便り    芭蕉


 ――すべては、静けさにもどることだ。深い淵のように。
 去来は、そう思い、心を空(うつろ)にした。
 見えなかったものが見えてきた。
 元禄七年、師の芭蕉が亡くなる八ヶ月ほど前の、春のことである。

 この年、芭蕉は、歳旦吟として、
   蓬莱に聞かばや伊勢の初便り   芭蕉
 と詠んだ。
 この句を含め、『歳旦帳』として出版するつもりであった。
 ところが、弟子たちをはじめ、世間の評判が今一つなのだ。
 芭蕉は、「あの去来ならわかるであろう」と思い、早速、書状をしたためた。
 「わたしの歳旦吟については、さまざまな批評があります。あなたはどのように解釈しますか。ぜひ、あなたの意見が聞きたいものです」と。

 深川芭蕉庵の、師からの手紙に、去来は、しばらく考えた。
 「なぜ、故郷ではなく、伊勢なのだろう。わからない」
 蓬莱と伊勢との関係がわからないので、意味がはっきりしないのである。
 さらに、“蓬莱に”が、「蓬莱に向かって」なのか、「蓬莱の飾られたところで」なのか、それとも「蓬莱に触発されて」の意なのか、迷っているのだ。
 “に”は、かなり微妙な味わいを含んでいることは、わかっていた。

 去来は、心を静めて、座した。――すべては、静けさにもどることだ……
 そうして、「蓬莱」からくる連想を、たどっていった。

 「蓬莱」とは、三方に、ウラジロ、昆布などを敷き、その上に米、柑子、伊勢海老、数の子、ごまめ、のしあわび、勝栗、野老、串柿などを積み重ねて、蓬莱山をかたどった、縁起物のことである。
 むかし新年に、床の間に飾る風習があった。家族で食べるまねをし、年賀の客にもすすめ、客もまた食べる仕種をする。豊作や長寿を祈願したものであろう。

 「蓬莱に聞かばや…、ほうらいに…」とつぶやきながら、去来は、
 古式ゆかしい蓬莱飾り → 神代の神々しさ → 伊勢神宮の清浄な神域 → 待たれる伊勢からの初便り
 と、連想の輪を広げていった。

 「芭蕉先生が、このまえ伊勢に行かれたのは、“蛤のふたみにわかれ行く秋ぞ”と詠まれたときだから、元禄二年。足掛け六年になるのか。
 そうか、先生はまた“そぞろ神”に憑かれて、旅に出たくなったのだ。“聞かばや”の“ばや”は、先生の気負いこんだ、一途な願望の表れに違いない」
 そう確信した去来は、すぐさま返事を書いた。深川芭蕉庵の師のもとへ。

 「都からの便りとも、故郷からの便りともなっていないで、伊勢からの便りとありますのは、元日に蓬莱を飾るという風習が今ふうでなく、いかにも古式にのっとったものなので、そぞろ遠い神代の昔を思い出され、古代の神が鎮まります伊勢からの初便りを、早く聞きたいものだと、旅心が早くも心を動かし始めた気持ちを詠まれたものと拝察いたします」と申し上げ、追伸として、
 「元日の床の間の古式ゆかしい蓬莱飾りを前に、静かに座していると、そぞろ神代の昔、神々しい伊勢神宮の元朝のさまが思いやられて、伊勢からの淑気に満ちた、旅への誘いの初便りが早く聞きたくなって、そわそわしてくる」
 という句意かと存じます、と書き添えた。

 間をおかずして、嵯峨野・落柿舎の去来のもとへ、返事が来た。
 「でかしたぞ去来。あなたの理解するとおりです。わたしが見込んだ甲斐がありました。あなたの上達ぶりには、たいへん驚きました。
 ここで一つ、あなたに教えておきたいことがあります。
 今日、この元日にあたり、伊勢の神々しい神域のさまを思い出し、一方では、眼前の蓬莱飾りにある柑子から、慈鎮和尚の
   このごろは伊勢に知る人おとづれて
    便りうれしき花柑子かな
 を思い起こし、その歌の“便り”をふまえ、さらに歳旦ゆえ、“初”の一字を加えて詠んでみたのが、この句なのです。
 まあ、正直に言えば、この“初便り”のところが、いささか得意なのですが…
 いずれにしても、伊勢への旅に心を動かされる、わたしの思いの表れである、というところまで踏み込んで理解してくれたのは、あなただけです。よくぞ解ってくれました。非常にうれしく思います。
 この句のように、古歌などをとる場合は、古歌そのままではなく、一ひねりして、別趣の世界を作り上げることが大切です。ここのところを、よくよく理解してください。ご健吟を祈ります」


 うれしかった。と同時に、去来は恥じた。
 慈鎮和尚の“このごろは…”の歌は、当時よく知られていた。もちろん、去来も知っていた。知ってはいたけれど、気づかなかったのだ。

 “このごろは伊勢に知る人おとづれて便りうれしき花柑子かな”から、“伊勢便り”を導き、歳旦ゆえ、歌にはない“初”の字を冠して、“伊勢の初便り”とし、その“初便り”によって、清浄で神々しい伊勢神宮の元日のさまを知りたいという、歳旦の気持ちを表したことを知らされたのだ。
 自分の気づかなかったことを教えられ、去来は、いっそう深い理解に達した。

 “蓬莱”という眼前の具体的対象と、遠く離れた伊勢神宮の神域の心象とを取り合わせた、着想の妙。
 また、“元日に”といわずに、“蓬莱に”と、具体的なものに己の実感を語らせたところが、この句の生命であることも、去来は覚った。
 やさしい柔らかな光が、去来をつつんだ。



 ※慈鎮和尚の「このごろは伊勢に知る人おとづれて便りうれしき花柑子かな」は、芭蕉の記憶違いのようで、『拾玉集』には、「便り色ある」とあります。


                             (2007/11/08 更新)
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2007/7/23

50.歌道は人間完成の道  俳句

 先人は言っている。
 おおよそ、十の徳を備えた指導者こそ、まことの明聖というべきである、と。
 十徳とは、
    堪能  稽古  修行  求道心  手蹟  年老  閑人  明聖に逢う
    利根  身の程
のことである。

 まことに、これらをわきまえた指導者を見つけることは、非常に困難である。
 それゆえ、賢人とか聖人は、五百年か千年に一度しか出現しない、といわれるのだ。
 中国でもわが国でも、諸道において、聖人賢人に生まれ逢うことだけは難しい、といわれる。

 昔の書物にも七徳をあげている。
    賢徳  文徳  武徳  慈徳  業徳  応徳  聖徳
 また、言う。
    仁  義  礼  智  信  ガイ  諦

 仏教にも、仏法の宝、仏法の賊として七つをあげている。それなら歌道にも、必ずそうした宝があるはずである。
 仏法の宝、
    信  戒  悲  懺  多聞  智恵  捨離
 歌道の宝、
    数寄  修行  執心  道心  閑人  稽古  利根
 歌道の賊
    無数寄  睡眠  談話  大酒  早口  一人合点  有財


 この二冊のつまらぬ文章は、まことにとりとめもないことなどである。
 真実の歌道は、大虚に等しく、一人ひとりの人間完成の上のことである。
 もとより、悟りを開くことは、他から強制するものではない、といわれる。
   
    迷前是非是皆非也  覚前有無有皆無也
   (迷っているときに判断した是非は、ことごとく非である)
   (悟りを開くまえに判断した有無は、ことごとく無である)

 究極の真理である諸法実相以外は、ことごとく迷妄の魔障である、といわれる。
 諸々の苦しみが生まれる原因は、貪欲が根底にあるからである。ただちに破り捨て給うべきである。


 寛正四年五月上旬、紀州田井の庄の八王子社に参篭している間、その近辺の田舎者たちが、連歌を稽古する用心に、指南書を懇望するので、無視するわけにもゆかず、勤行の暇にあわただしく心に浮かぶまま、愚案を筆にまかせて書き記したまでだ。まったくお粗末なことだ。一覧の後は、ぜひとも火にくべて燃やしていただきたい。決して他人には洩らさないで欲しい。  
                             釈 心敬 (花押)

                  (「ささめごと」・歌道の徳と宝、跋文)


  

 十徳は、ふつう、連歌十徳などの功徳をいいます。ここでは連歌師の持たねばならない、言葉を変えれば、俳句の指導者も持たねばならない十の徳目を列挙しています。
 「堪能」は、「かんのう」と読み、深くその道に通じていること、の意です。
 「年老」は、年をとっている、ということですが、単に年をとっているだけではなく、修行年数の多い年寄り、あるいは、長年修行して野心欲望のない者とも考えられます。
 「利根」は、利口と同じ。特に、宗教的素質・能力がすぐれていることを言います。

 七徳の、「仁、義、礼、智、信、ガイ」の「ガイ」の字は、りっしん偏に、「山」、その下に「豆」と書きます。おそらく「凱」と同意で、「やわらぐ」「たのしむ」の意ではないかと思います。

 また、「道心」は、仏道を修めようとする心のことですが、ここでは、風雅の道を極めようと修行し専念する心、と解釈するのがよいでしょう。

 
 心敬は最初、『ささめごと』は一巻(上巻)で完結させるつもりでした。しかし間もなく、補遺としての下巻を書き連ねたので、その最後に今度は、上下両巻を統べる意味の跋文を付記したものと思われます。それが、この部分です。
 こうして、これまで上下両巻にわたり、連歌について長々と書き続けてきた心敬は、筆を擱くにあたって、「この二冊のつまらぬ文章は、まことにとりとめもないことなどである」と言っています。
 つまり、これまで記し続けてきたことを真実だと信じ込むのは迷妄なので、それは真実の影にすぎない、と言うのです。
 真実の歌道は、「大虚」つまり「おおぞら、虚空」のごときものであろう、と言うのです。
 大虚とは、宇宙の本体、つまり、大自然に没入し、それと一体となった自己の精神を意味するので、そうした宇宙の本体を窺い得てはじめて真実の歌道を体得したことになるのです。
 人はそれぞれの本性に従って、宇宙の本体に参入します。その体得の仕方も各々異なっていて、それぞれの本性のままに自己を完成させていきます。

 そして偉大な詩人にあっては、ついに大宇宙と渾然一体となってしまう場合もあり得ます。しかし、その境地は、自分の力で一歩一歩進めて行くほかに方法はないのです。また、どの程度、修行が進んだかということも、自分で自覚するよりほかありません。
 ですから、そうした一つの渾然たる宇宙は、筆舌につくしがたいものなので、これを表現したとたんにその真髄は失われてしまいます。

 それは無為自然の大道が行われなくなって、聖人が仁義を説き始めたのにも似ていて止むを得ないこととはいえ、言語に表したときには、もとの真実はもうすっかり失われてしまっている、といってよいでしょう。
 そういうことを認識するのが歌道の根本なので、これを忘れて是非を論ずるのは、夢の中で是非を論じているのと同じであって、「いたずらごと」に過ぎないのです。つまり、詩人の至り得た心境そのものが真実の相なので、そのほかには真実は存しないのです。

 こうして最後まで、表現されたもの(作品)ではなしに、表現の背後にあるもの(心の修養)を重視する心敬の立場から観ていくと、「諸々の苦しみが生まれる原因は、貪欲が根底にあるからである。ただちに破り捨て給うべきである」との言は、別に唐突でも何でもないのです。
 渾然たる精神状態が破綻に瀕したとき、表現されたものは一見いかに整然とした外形をとっていようとも、もうそれ自身でなんらの価値を荷うことは出来ません。それは本体の投げかける影に過ぎないのですから。

    
 結局、心敬が望んでいた歌というのは、移り変わる世界、つまり無常の世界を直視したものでした。それは、真摯な世界観に立つ作者のみ可能なものでした。和歌・連歌を詠むに際して、不退転の真心が目指されるゆえんです。
 心敬は菩薩の境地に立つよう説き、さらに法身仏の境地に至れと説きます。それが人間の望むべき在りようであると確信しているからです。形としての出家や僧形を求めているのではありません。どこまでも境地が問われているのです。

 心敬の作品には、多く人間や事物の無常・景物の無常といった現象的無常が詠まれていますが、それは「肉体のはかなさや人生のはかなさ、あらゆる存在が必然的に持つ有限性」に文学的価値を見出し、執着していたことによるものではありません。
 執着のない真心に、うつっては消え、消えてはうつる情景に「そのものになりきる」ほどに即しながら、現象の裏に存在する真理を捉え、述懐し続けようとしたのです。
 そこには、心敬自身の「念々の無常(一瞬一瞬にすべてが消滅してはあらわれつづけていて無常であることを常に理解していること)」を知る菩薩の自覚があったと考えられます。それだからこそ、移ろう世界の様相が積極的に果敢に詠まれたのです。

 変化してやまない世界を述懐し続けることに人生の意義を見出すとき、仏道と歌道とは両翼となって、真理世界を飛翔するのです。
 心敬の無常詠は、絶えず変化し続ける世界を見つめ、それを絶えず詠み続ける。この態度が、仏者であると同時に歌人である者の在りようと考えられていたことは明らかでしょう。 (完)
               
                                
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2007/7/4

49.至高の和歌・連歌  俳句

 仏法を修行して、まことの仏の教えを探り求めたり、歌道を一心に精進努力して、その奥義をきわめるにしても、どのような形をまことの仏、どういう風体を至極の和歌・連歌と決めてよいのか、はっきり判らないのですが……。


 この世のすべての存在には、きまった姿や形というものはない。
 ただ折々の時節により、あるいは、さまざまな縁の働きかけに応じて、立ち現れた心が徳、すなわち、姿なき真の姿、声なき真の声を明らかにして、真実の智慧を得させるだけなのである。
 つまり、天地が森羅万象を現し、法身の如来が、思いのままに無限の形相に変化を現すような、縁起自在の境地である。その境地が縁に従い、さまざまな形として現れるのである。これを等流身(とうるしん)の仏とも言う。
 その法身仏にしても等流身の如来にしても、きまった形などまったくない。
 ただ、一ヶ所に留まることなく、行雲流水の境地に立つ作者だけが、真理を体現しつつ変化し続ける存在を、正しく見通すことが出来るのである。
 
 古人が「いかなるが、これ、仏」と問うたところ、僧は「庭前の栢樹子」と答えた。そのわけを弟子に尋ねると、「師は何もおっしゃらなかった。どうぞ悪しからず」と言った。

    森羅万象即法身  是故我礼一切塵
 (宇宙に存在するあらゆるもの一切は、即ち、法身仏そのものである)
 (だから自分は、取るに足りない塵のようなものでも、仏として崇め奉る)
    

 仏教でも、智門の目標は、菩提を望み求めるので高く、悲門の目標は、衆生を救おうと志すので低いのが妙理である。

 歌道においても、ただ単に歌を作るだけの、悲門に属する作者がいる。念仏のみにすがる、念仏宗徒のようなものであろう。無知愚鈍の輩が、学問修行の苦行を忘れ、ただひたすら南無阿弥陀仏と唱えて信仰する類である。

 智門に属する歌人は、天台止観などを実践する、修行者に当たるであろう。
 悲門の、低級で愚鈍な教えといえども、仏法の真実である点では、智門となんら変わりはない。
 たとえて言えば、寒い夜に、綾錦のりっぱな着物を着ても、また、粗末な麻の綴れや、紙の衾を重ねても、寝入った後はどちらも同じである。
 かたよらず、こだわらず、とらわれない、人間本来持っている純粋な心は、それ自身清浄であり、一切空無の涅槃真如の境地に等しい。

    西方浄土無為楽  畢竟逍遥離有無
 (西方の極楽浄土には、寂静無為の楽しみがあり)
 (そこに心を遊ばせ、悩みや迷いから解き放たれる)

 さまざまの、対象をめぐる分別や対象にとらわれた誤った想念が、心に波風を立ち騒がせるのは、第八識の世界までのことである。
 十識の真心に到達してこそ、善悪の判断に惑わされない不動の心が得られるのだ。
 この世の現象は、塵芥にまみれた人間のなせる業と、神仏の通力のなせる業であると見抜く叡智を起こし、幻化にとらわれていた妄染から次第に離れることによって、ついには対象へのとらわれがなくなり、主客の相対も超越され、一体となった主客がただ真実として存在するようになるという。

  平等無差別の仏の慈悲心で、空の境地に向かって働きかけるのみ。  
  夢幻のこの世の現実の是非は、ことごとく非である。開悟寸前の者の有無の判断は、つまるところ無である、と。

    有為報仏夢中権果  無作三身覚前実仏
 (さまざまな因縁により生じた報身仏は、夢幻に生じた仮初めの因)
 (不生不滅の存在である三身仏は、開悟直前の実仏) 

                           (「ささめごと」・至極の歌連歌)


    
 「どのような形をまことの仏、どういう風体を至極の和歌・連歌というのか」という問いに対し、心敬は、「この世のすべての存在には、きまった姿や形はない」と答えております。般若心経で有名な「色即是空 空即是色」の、あの「空」である、と言うのです。
 「空」は、からっぽということではありません。私たちの身の周りの一切のものが、縁という、細い細い糸をたどり、偶然を重ねて、われわれのところにやってくる、ということです。
 すべてのものは実体を持たず、「空」ですけれども、それは縁をつむぐ「空」でもあるのです。
 人を喜ばすものも、悩ませるものも、人を取り巻く一切のものは「空」なのです。

 奈良・薬師寺の前管長、故高田好胤師は、
 「かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心、広く、ひろく、もっと広く、これが般若心経‘空’の心なり」
 と、説いておられます。

 かたよったり、こだわったり、とらわれたりしているうちは、「まことの仏、至極の和歌・連歌」は、わからない、と心敬は言っているのです。

 水は、行く手を阻む大きな岩があっても、なんなく流れていきます。こだわりなく、とらわれることなく海に向かって……。
 水にきまった形はありません。丸いものに入れられれば丸く収まり、四角いものに入れられれば四角に収まりますが、固まったわけではありません。
 大空に浮かぶ雲も、きまった形などありません。形を変え、姿を変え、一ヶ所に留まることなく、自由にどこまでも流れて行きます。
 このように自由で、なにものにも束縛されないことを、「行雲流水」といいます。

 心敬は、行雲流水の境地に立つ作者だけが、物事を正しく見通すことが出来る、と言うのです。

 「庭前の栢樹子」は、庭さきにある栢の木、という意味ですが、有名な禅問答のひとつです。
 仏法の究極を尋ねる僧に、趙州(じょうしゅう)和尚が、「庭前の栢樹子」と答えたのです。
 趙州和尚の意図はどこにあるのでしょうか。
 メーテルリンクの『青い鳥』と同じように、崇高なるものを自己の外に求めようとする態度そのものを否定し、日々の生活における知覚そのものが、《仏法の究極》であることに気づかせるところにあるのだと思います。
 
 けれども、心敬の意図は、すこし違うようです。
 「庭前の栢樹子」のすぐあとに、、「森羅万象即法身 是故我礼一切塵」とありますので、「庭先の栢の木も仏、お前さんも仏。この世に存在するものすべてが仏。つまり、仏というきまった形はないのだ」と言いたいのでしょう。


 仏門に、智門と悲門の二つがあるといいます。
 智門は、自ら悟りに至ろうとする自力門を指し、他力門である悲門と対になる仏教語です。

 歌道においても、ただ歌を詠むことが目的の歌詠と、学問修行を重んじる歌詠とが、他力の念仏門と、自力の観心門とに配されています。
 心敬は、和歌を詠むことを、勘案と単なる詠吟とに分け、これを観心と口ずさみとに理解し、はやよみの傾向を批判する中で、観心なき詠吟を念仏に相当させながら排斥しています。
 つまり、心敬にとって和歌・連歌は観心修行(自己の心を観察することによって心を練磨し、真理に到達しようとする観法)そのものであり、その中で、理想の境地を悟りの境地に見出すと同時に、その境地から生まれる和歌・連歌を、綺語(きご=巧みに飾って美しく表現したことば)ではない真言としてとらえていたのです。
 
 さらに心敬は、究極の心と歌との関係を明確に述べます。
 「さまざまの、対象をめぐる分別や対象にとらわれた誤った想念が、心に波風を立ち騒がせるのは、第八識の世界までのことである。十識の真心に到達してこそ、善悪の判断に惑わされない不動の心が得られるのだ」と。

 八識というのは、具体的な個物を直感的に知覚する五種の感覚機能(眼・耳・鼻・舌・身の五識)、五識に伴ってはたらき、五識の知覚した内容を概念化して判断を下し、また五識から独立してはたらいて、さまざまな思考をめぐらす(意識)、無意識的な自我執着心である(末那識・まなしき)、自己の心や肉体、さらには自然界を生み出す根元的な心である(阿頼耶識・あらやしき)の八つをいいます。

 この八識までの心の状態でいるから、是非妄想が起こり、安心立命(あんじんりゅうめい=心を安らかにし身を天命に任せ、どんな場合にも動じないこと)の世界に入れないのです。修行を重ねて、心を十識まで高めれば、不動の心、つまり安心立命の世界に遊ぶことが出来る、というのです。

 心敬は第九識については触れていません。けれども、第八識と第十識の間に第九識が置かれていることは、「十識の真心に到達してこそ」とあるので、明らかです。
 心敬は、煩悩を離れた自性清浄心(九識)を本来的な心と考え、その真如としての面を究極の到達点(十識)として希求する立場であると考えられます。

 それでは、妄動する八識から不動の十識の真心に至るには、具体的にどうすればよいのでしょうか。
 わかりやすく言えば、つぎのようなことだと思います。

 禅語に「両忘」ということばがあります。
 人は何かにつけ、良いとか悪いとか判断をします。判断しようとするから、悩み、迷います。
 苦楽を忘れる。貧富を忘れる。生死を忘れる。このような二元的な考え方から抜け出せ、というのが「両忘」の教えだと思います。
 禅僧が言います。
 「生きているときに、死んだらどうしようなどと、くよくよ考えるな。生きることに徹せよ。さすれば、死を忘れることが出来る。さらに、死ぬことも生きていることも、両方とも忘れると、心に静寂が得られる」

 さまざまな物事を対立させて見ていると、迷いに惑わされ、高い次元の絶対の境地に到達できません。
 自他、左右、是非、善悪などというのは、われわれがが勝手に作った判断基準です。
 全宇宙に自他も左右もなく、是非、善悪もありません。
 末那識から脱却すれば、純粋な自分の心が見えてきます。

 末那識から次第に離れることにより、ついには対象への執われがなくなります。執われがなくなれば、主客の相対も超越されます。
 そして、もはや一体となった主客が、真実として存在する。それは「無縁慈悲心」であり、「無相の境」であります。また、「無差別平等の境」でもあります。

 心敬は、明らかに心の清浄を目指しています。虚飾のない清らかな心を、すべてに優先する根源的なものとして据えています。
 本来的な真心、すなわち自性清浄心を観心修行の行程において求めるのと一致します。
 主体の澄みきった静かな心で、自然の景物に対峙することを志向していたのです。
 究極において、詠作は観照でなければならないのです。
  

 湧き水のように澄みきった心で、万象が無常であると観て、無常であるがゆえに「あはれ」と観えてくるような境地で、仏眼をもって自然を凝視し、対象と一体となり、対象になりきれたときに、思わずこぼれることば、これが「至高の俳句」だと思います。
        山ふかし心におつる秋の水   心 敬    
 
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2007/6/11

48.至高の心構え  俳句

 このごろ世間に、和歌を心得ない者がいない、と言われております。和歌隆盛のときなのでしょうか。


 誰も彼も和歌を嗜むようになったためか、まことに上下の階級はなくなり、互いにののしりあい、げびて、みだらなさまは、この道が廃れ、跡形もなく消えてゆく前兆なのだろうか。

 会席などの騒がしさ、早出や途中退席を当たり前とした軽薄な様子は、短時間に詩を作る機知・才能を競うめまぐるしさ、あわただしさのようである。
 まことに、道の賢聖が出てきてほしい、世の乱れであることよ。

 猛獣が山に勢力のある間は、毒虫は、はびこらない。
 賢聖が世に用いられるときは、心の捻じ曲がった者は、いなくなるという。
 鷹の止まり木に、鷹が眠っている時は、悪がしこい鳥や雀が、騒がしいという。
 
 する事が難しいのではない。行ずることが難しいのである。いや、行ずることが難しいのではない。よく行ずるのが難しいのである。

 釈迦仏の入滅後、教法は存在するが、真実の修行が行われない像法、仏の教えの廃れる末法の時代になると、堂塔や仏像が道端にたくさん打ち捨てられる。これはまさに、仏法衰滅の時であるといわれている。

 そうではあるが、時代も下がり、人間の性質も昔には劣っていくのだから、今の世の、形ばかりの和歌愛好者であっても、風流心のある部類に入ろう。

 仏のいなくなった世には、仏の下の羅漢でも仏のようにし、羅漢さえいない世には、破戒無知の僧の身なりをした者を尊いとして、敬うという。

 また、金銀のない国では、鉛や銅でも宝とする。

 歌道も仏教同様、先哲の教えははっきりしているが、志の浅い人には到達できない道である。ただ、その人の持っている能力を十分に発揮するか、否かによるのである。 

 代々の勅撰集は、規範として理想的なものであるが、私心の塊である成熟していない作者には、その詩美や風体などはわかるまい。天の恩恵は、無私が当然だからである。
 
 仏教でも、長い間、菩提を欣求する者だけが、信じ受けられると説いている。
 
 どんな名医の良薬も、教えの通りにしない病人をば、治すことはできない。

 眼には見えても、理解することが出来ない。
 それは氷の中に宝石をちりばめたり、水に絵を描くようなものであるという。


 歌道も、仏教の教えのように、心の修行の及ばぬ者には、もっぱらその者の素質や能力の程度に応じて、教え導くがよいと思う。

 父は賢明であっても、その子は凡愚ということもある。
 師匠は才能豊かで、骨法を心得ていても、弟子は必ずしも継いでいるとは限らない。

 斉の桓公が、書物で学んでいるのを、車作りの翁が聞き、それを非難した。「書物の字面を読んでも何も会得できない。先人の心を学ばずして、何が得られるか」と。

 鴨の足は短いが、それを長くしようと継げば嘆く。鶴の足は長いが、それを短くしようと切れば悲しむ。

 仏法にも、衆生の能力や性質に応じて説く随機と、衆生の能力にかなうように法を説く逗機があり、相手の賢愚の素質にしたがい、法の説き方を変えられるという。

 衆生を教え導く巧みな手段である方便は、たとえ愚劣であっても、方便という方法論は正しい。そうした最善の仏教の方法論である方便の手段を、初めから否定する知恵は、本当のものではなく間違っている。
 止めよう、止めよう、ここで自分が大法を説いて何になろう。この法は微妙で理解しがたい。 

 冷泉中納言為秀は、歌道を理解させるために、「ぼうっとして頭の働きの鈍い作者には、鋭いひらめきや連想、思いもよらない機知、表現技巧を教えよ。また、飲み込みの早い、感の鋭い人には、のんびりと落ち着くように教授せよ」と、仰せられたという。これも賢い庭訓ではないか。

 聖人には、己の固定した心というものはない。民衆の普遍的な心を、心としている。聖人には、自己流の偏った解釈や判断がない。民衆の普遍的な解釈や判断を基準にしている。

 仏の思想を説くために、釈迦という仮の人間の名で化現し、多くの衆生を引導された。
 迷いから覚め得ない最低の素質の無性の人も、仏となり得る素質を持った定性の人も、ともに皆、最終的には成仏できる。


ところで、和歌や連歌にも、仏の法身・報身・応身の三身、あるいは空諦・仮諦・中諦の三諦に相当するものがあるのであろうか。

 好士、つまり優れた作者の持つ、それぞれの叡智技巧の上・中・下が、それに当たるものと思う。

 誰でもすぐに意味がわかる句は、応身の仏に当たる。一切の存在は、色・受・想・行・識の五つの現象、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚によって現す仏であるから、好士の眼力で理解できるものである。

 趣向を凝らし、品格があり、技巧的な句は、報身の叡智に当たるものであろうか。人の機縁にしたがって、あるときは化現し、あるときは化現しないので、智恵分別のある真の好士でなければ会得することは出来ない。

 また、幽遠で理屈を超えて気高く、技巧を離れて融通無碍なとらわれない句は、仏の真身である法身に当たるものだろう。叡智でも修練稽古でも容易に到達し得ない境地である。
 そうではあるが、修行工夫に年を積み重ね、眼力の秀でた好士だけは、到達できるであろう。
 それこそ、実相中道の心(偏らない、厳正公平に現実を見つめ、正しい判断行動をなす心)にかなったものであるといわれる。    (「ささめごと」・法報応三身の歌連歌)



  
 この段は、長く、また各節ごとに意味が飛躍し、全体として、心敬が何を言いたいのかわからない、というのが大方の感想でしょう。

 この段は大きく三つに分けられると思います。
 最初は、《当時の会席の猥雑さ》を述べた、「それは氷の中に宝石をちりばめたり、水に絵を描くようなものである」まで。
 つぎは、《指導の方便》を述べた、「迷いから覚め得ない最低の素質の無性の人も、仏となり得る素質を持った定性の人も、ともに最終的には成仏できる」まで。
 そして、《仏の法報応の三身と歌・連歌の関係》を述べた最後の部分、となります。

 「このごろは、和歌隆盛のときなのか」という問いに対し、心敬は、その流行がいかに猥雑の限りをつくしているか、また、この混乱を統べてゆくためには、道の賢聖の出現が、いかに望ましいものであるかを説きます。
 しかし、そうしたことはこの末世においては望むべくもないから、歌道に志すということだけで、一応、満足しなければならないと、現状を是認するのです。


 「和歌」を「俳句」に置き換えると、なんだか心敬が、今の俳句世界を述べているように思えてなりません。
 句会、吟行の騒がしさ、軽薄さ。
 選句の最中に、ケータイのメールを打っている人はいませんか。おしゃべりをする人はいませんか。幹部同人のアドバイス、参考意見を、自分の句が非難された、と言って怒る人はいませんか。さっさと句会を切り上げて、早く二次会へ行こうよ、と言う人はいませんか。    

 こういうことが起こるのは、その道に賢聖がいないから、つまり、主宰がみな賢聖なら、俳句の世界の乱れはなくなる、と心敬は言うのです。
 賢聖が世に用いられ、睨みををきかしている間は、心の捻じ曲がった者はいなくなり、悪賢い人や、騒がしい人もいなくなります。だから、賢聖が出てきて欲しい、と心敬は念願するのです。

 俳句自体が難しいのではありません。
 俳句に対する執心が不足していて、それを体得するだけの素地が出来ていないのです。それには修行、それも「心の修行」が、必要かつ難しいのです。
 いや、修行が難しいのではありません。やるべきことを、必ずやることが難しいのです。
 至高の境地へ到る道筋は、先賢によってつけられております。先賢の教えを信じ、私心を捨て、自分の能力を最大限に発揮できるよう、しっかりした心構えを持つことが必要なのです。
 こうした心構えがないから、破戒無知のエセ僧を尊び、鉛を宝としてしまうのです。
 
 先賢が、どんなによい教えを残してくれても、われわれが実践しなければ、何にもなりません。「やるべきことを、必ずやる」、これが大切だと、心敬は言いたいのです。


 では、乱れた現状を打破するには、どうすればよいのでしょうか。
 やるべきことがやれないのは、その道に対する執心が不足していて、それを体得するだけの素地が出来ていない、というのが一因。
 一方、教える者の、その教え方に問題がある、とも心敬は言うのです。

 「心の修行の及ばぬ者には、もっぱらその者の素質や能力の程度に応じて、教え導くがよい」というのが、この節のポイントです。
 教え方にマニュアルはありません。習う人の素質・能力の成熟いかんによって、適宜に指導してゆくのが正しい方法で、固定した教えは、真の教えに値しません。
 相手の素質・能力の成熟度を見抜き、その程度に合わせて指導すれば、素質のある者はもちろん、最低の素質の者でも、至極の境地に導ける、と言うのです。
 素質がないのではありません。辛抱と努力が足りないのです。
 どんな方便を用いてでも、至極の境地へ近づけてあげるのが、指導者の務めではないでしょうか。

   
 ところで、人間の素質・能力に成熟度があるように、歌・連歌にもそれに相当する段階があり、それを仏の法報応の三身になぞらえて説明しているのです。
 大別すると、@すぐ意味のわかる句、A趣向を凝らして巧みに作ってある句、B世の理を絶して、幽遠で気高い句、の三つです。

 これは、無限の連続状態にある句柄を便宜上、三つの段階に要約しただけで、その境地を一歩、一歩明らかにしていくのは、自己の修行に待つ他ありません。

 こうして、先賢の示した至高の境地は、それにふさわしい至高の心構えの成熟を待ってはじめて理解することを得、そののち自己のものとすることが出来る、というのが心敬の主張です。


 心敬流に言えば、至高の俳句は、「仏のつぶやき」ということでしょう。
 俳句に“意味性”は必要ないのです。意味のある句は、まだまだ初歩段階。
 もちろん、技巧も不必要。
 目指すは、B世の理を絶して、幽遠で気高い句です。
 「仏のつぶやき」を目標に、一生、修行をつづけるのが、俳句の道ではないでしょうか。

 近ごろ、蛇笏賞を受賞された岡本眸先生が、「これからも修行です」と、受賞の弁を述べられたとか……。
 深く感銘し、心よりお喜び申し上げます。 
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2007/6/4

47.一道に専念する  俳句

 和歌の道を行く人で、さまざまな芸能をいっしょに稽古しておりますが、差し支えないのでしょうか。


 先賢は、「諸道において、真実傑出して、ほかの芸能にも優れている人はいない」とおっしゃっている。

 けれども、諸々の道には「相資相反」といって、互いに助け合うものと反発し合うものとがあって、並行して学んでも差し支えないものもあり、また、ことのほか悪いものもある、と私は思っている。

 歌道には、仏法修行・学問・書道などは相資の道で、相互に助け合い、まさに適したものである。このほかは、どんな芸能も歌道には仇敵に当たる。

 碁・将棋・双六・博打、この類はみな同一の道で、互いに補い合うものである。

 また、楽器の管弦・舞踊・能の謡、この類は一連のもので、併せて学んでも悪くない。

 蹴鞠・相撲・武術などは、みな同じ道である。

 諸道に志す人は、この「相資相反」の心得が大切であろう。
 実際、昔の人も、どんな大国にも、独歩といって一道にのみ専念する人が、天下の名声を得る、と言っている。(「ささめごと」・相資相反)
 


      
 少子化のせいでしょうか、お子さんにさまざまな習い事をさせ、それを得意顔で話す親御さんが、かなりいらっしゃいます。
 学習塾をはじめ、スイミング、サッカー、野球、ピアノ、バレー、書道、絵画、そろばん、空手、剣道、柔道、少林寺拳法などなど、日替わりは当たり前、一日に三つの習い事をしているお子さんも知っております。
 この現状を心敬さんが見たら、何とおっしゃるでしょうか。


 歌連歌において心敬は、一体にのみ固執し他の九体を学ばない狭い態度を、極力いましめました。
 そんな心敬ですが、歌道においては、並行して他の芸能を学ぶことを好んでいないようです。
 歌道の中においては風体に変化があっても、目標とする究極の境地は同じです。けれども芸道の種類が異なると、その目標とするところは各様だからです。

 心敬の所論を突き詰めていくと、究極においては、すべての芸道が同一の境地に到達するように考えられます。 
 歌道と相資と考えられている仏道でさえ、その目的は異なっているのです。
 これは、それぞれの芸道にそれぞれの持ち味を認め、その区別をはっきり意識していないときには、互いに他をそこなうものだ、と考えていたからです。

 相資相反という考えは、そうした区別の認識の上に立って、しかも共通の精神を有する芸道を大きく分類したところに成立したのです。

 先賢を装って「諸道において、真実傑出して、ほかの芸能にも優れている人はいない」、というのが心敬の本音であり、「一道にのみ専念する人が、天下の名声を得る」というのが、心敬の結論なのです。

 長年、子供の教育に携わってきた私には、心敬の結論がよく理解でき、また納得できます。
 たくさんの稽古事を並行して習ったお子さんで、大成した方を私は知りません。反対に、お子さん自身が好きで始めた一つの稽古事を貫き、大成された方は何人も知っております。

 「一芸に秀でる者は、百芸に通ず」という言葉があるように、まず一つのことに専念することが大切です。そして「一芸に秀でる」と、他の芸道においても容易に大成することができるのです。
 お互いに、一道に専念し、心を磨き上げたいものです。

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2007/5/10

46.道に達する難しさ  俳句

 諸道に、思い入れ深き人は少ないものである。
 ことに、歌道に思いも及ばないほど優れた人は、昔もわずかに一人、二人に過ぎなかったが、まことに麒麟の角のように少ないのであろうか。

 歌の道は、振り仰げばいよいよ高く、窮めんとすればいよいよ難い道である。長年、修練修業を積んでも、奥義を窮めにくい深奥な境地であるらしい。

 千里の道程も、最初の一歩から始まり、高い山も、こまかい塵や泥から起こる。

 仏法にも、敗壊(はいえ)の無常といって、人の身体がじょじょに腐り朽ちていくことは、小乗の求道者も悟り知ってはいるが、念々の無常といって、刹那々々に生滅していく現象があらゆるものにあるということは、大乗最高位の菩薩だけが悟り得るのである。
 だから、一瞬の怠りもなく長年にわたって修業する歌人は、九牛の一毛のように数少ない。楚の国でも、屈原一人のみが自覚したということである。

 仏陀が正法眼蔵、涅槃妙心を説かれた所でも、弟子の迦葉ひとりが理解して微笑したとか。

 禅家の単伝とか、印相とかは、文字や言語によらず、直接に心から心に伝えるしかない、玄旨な道であるといわれる。(「ささめごと」・真の歌仙と生涯の修業)




 「至極の歌連歌は、完成された人間の所産に他ならない」と、心敬は言うのです。これは歌連歌に限らず、すべての分野に言えることだと思います。

 そうした人間は、一瞬といえども停滞することのない、心地修行の究極に形成されるはずのものでした。ですから、至極の作品を生み出しうる者は、そうざらには見出せなかったのです。

 「一瞬の怠りもなく長年にわたって修行する歌人は、九牛の一毛のように数少ない」以下の部分は、そうした至高の境地に至り得た者が、いかに稀であるかを繰り返し述べたのも、いい加減な修行では到達できない境地であることを、強調するために他なりません。

 「振り仰げばいよいよ高く、窮めんとすればいよいよ難い道」は、俳句も同じです。
 まず、「俳句の世界」に飛び込むことが大切。
 つぎに、よき師を選ぶこと。そうして基本を学び、技術を磨いてください。ここまでは誰でもできます。

 師についても学べないのが、心の修行です。
 心敬は言います、もっとも大切なことは心を磨くことだ、と。
 この心地修行を怠ることなく続けることは、誰でも出来るということではありません。けれども、まったく不可能なことではありません。

 昔ならいざ知らず、現代では山里に隠棲するわけにもまいりません。
 毎日毎日を、「光輝心(好奇心)を持ち、感謝の心で、切に生きる」こと、これが、今の世では大切なことではないでしょうか。

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2007/4/27

45.絶えざる稽古修業  俳句

 また、稽古も歌の詠みぶりも同じぐらいで、優劣のない人たちであっても、修業を怠ると、途中でつまずき追い抜かれてしまうということは、さまざまな道や分野において見受けられることである。
 ことに、和歌の道などは、二、三年の間にも、雲泥の差が生ずることが多いという。

 昔、隆信・定長といって、歌の巧みさも、稽古修業も優劣のない、名声を博した人がいた。
 隆信は宮仕えの身で、朝夕、修業の暇がなかった。
 ところが、定長は出家して、寂蓮法師と名を変え、僧衣をまとい、暇のある身になって、もっぱら和歌の道に修練しているうちに、中年以後は、隆信とは比べものにならないほどの歌聖になったと、多くの歌仙たちが話していた。
 隆信は言ったという。
 「自分も、早くこの世を去っていたなら、寂蓮ぐらいの名声を残したろうに、なまじ長生きをしてしまったために、とんでもない名を世に流してしまった」と、いつも嘆いていたという。何という歌道への思いの深さ、切実さであろう。


 「同じ苗でも、途中で枯れて花が咲かないものがある。花が咲いても実にならないものがある」と、『論語』にあるが、これは、「諸道の命は、細心な用意と稽古修業にある」ということであろう。
 諸道に、入門当初は優秀で将来を嘱望され、名声を輝かすであろう人で、早死にするものが多い。不本意で情けないこと、この上ない。

孔子の弟子の顔淵や伯魚でさえ、一生不幸のうちに、早くにこの世を去った。

 うまい水が湧き出る泉は、早く枯渇し、まっすぐな木は、まっさきに切られやすい。

 年に二度も実がなる樹は、枯れやすく、重い荷を積んだ船は、転覆しやすい。


 また、たいした取柄もない人が、長く生きすぎ、老衰した身をさらすのも、あまりにも情けないことではなかろうか。
 優秀な人でも、あまり長生きすると、生きている有難味が薄れ、好奇心や感動が乏しくなるという。
 兼好法師が、「人は長生きしても四十歳まで」と書いたのは、なんとも奥ゆかしく、素晴らしいことではないか。


 「若いときは、思い上がった態度をとり、成長しても、たいしたこともなく、よぼよぼになるまで生きながらえるのは、世間に害毒を与える賊のようなものである」と言って、孔子は杖で、ろくでなしの幼友達、原壌の脛をたたいた。(「ささめごと」・真の歌仙と生涯の修行) 

 
       
 ここも前段からの続きです。この段の話は、「どのような道においても、油断をすると、わずか二、三年のうちにでも、雲泥の差が生ずる」ということに尽きるでしょう。

 道の修行は、死に至るまでの不断の精進を必要とすることの一例としてあげた話なのです。
 このように、長年月の修行が必須の条件であればこそ、優れた才能・素質を持ちながら、花も咲かせずに夭折する者の多いことを、「不本意で情けないこと、この上ない」と心敬は嘆くのです。

 それに引き続いて、「優秀な人でも、あまり長生きすると、生きている有難味が薄れ、好奇心や感動が乏しくなる」と、今度は長寿を否定するのです。

 ここには論理の飛躍がありそうですが、実は先の隆信の「自分も早くこの世を去っていたなら、寂蓮ぐらいの名声を残したろうに、なまじ長生きしてしまったために、とんでもない名を世に流してしまった」という部分を受けているのです。

 心敬にとっては、生涯をかけて不断の精進をつづけてゆくか、あるいはそれが不可能ならむしろ死を望むのか、いずれしかないのです。
 そうした緊張した生を過したいという気持ちも、つまりは、この道に対する執心のなせるわざなのです。
 それが、兼好の「人は長生きしても四十歳まで」に大いに共鳴する結果を生んだのです。
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2007/4/10

44.孤に徹する  俳句

 後嵯峨院の時代、頓阿・慶運といって並び称される歌人がいた。
 慶運は、惨めな境遇であったせいか、いつも述懐の歌ばかり詠んでいた。そのころ、勅撰集の選者が、四首入れてくださったといって、慶運は三拝九拝し、涙を流して喜んだ。ところが、頓阿の歌が十余首も入集していることを聞き、後日、自分の歌の削除切出しを申し出たという。道に執心深いことである。
 頓阿は、時勢に恵まれた歌人であったのであろう。
 「猛々しい虎も、ひ弱の鼠も、時機によっては逆にもなる」とか、「時勢に適うときは、鼠でも虎のように猛々しくなり、適わぬときは、虎でも鼠のようになる」といわれているように、取るに足りない歌人は、それ以上に時勢によって、光ったり曇ったりするものである。

 慶運法師が臨終の際、長年書き記した書物、詠草の類などを、住み慣れた東山の草庵の裏に、みんな埋めて捨てたという。

 また昔、能因法師という歌仙は、摂津の国古曾部という所で死んだが、そこに所持していた詠草類を埋めたという。

 この人たちは、後世の歌人を、自分の歌を正しく理解できないと、見下したのであろう。道に対する情熱の深いことである。

 人間の毀誉褒貶は、その人物の善悪によるのではなく、世間が用いるか用いないかは、その者の貧富によって決められる。

 財ある者の訴えは、水に石を投げるように広く影響があるが、貧しき者の訴えは、石に水をかけるように何の影響もない。(「ささめごと」・真の歌仙と生涯の修行)


     
 この段は前回の続きで、「世評の歌仙」についての話を、心敬が引いたものです。
 こうした話を引いた心敬の真意は、どこにあるのでしょうか。

 若くして俊敏をうたわれた人々が、年とともに名声を失い、老残の身をかこっている実例を、心敬は数多く知っていたに違いありません。そこには老年のもたらす不可抗力の悪条件が、いろいろと人ごとならず痛感されたことでしょう。
 
 慶運が、勅撰集(新千載和歌集)の中から、自分の作品の削除切出しを申し出た話などには、片意地な性格のうちに、他人の思惑を無視し切れなかった、弱い人間がのぞいているように思われます。
 そういう点で、自分を大事にしようとする潔癖さの、ひときわ痛々しく感じられる話なのですが、そこに心敬が見たのは、時流に入れられない孤独の精神です。

 慶運や能因が、死に際に、自分の詠草類を埋めてしまったという話は、自己の一代とともに生涯をかけた作品を湮滅してしまおうとした点で、文学に対する一方ならぬ執心が感じられます。
 と同時に、自分の死とともに作品を埋没してしまったということは、生前すでに自分一個のものとしか考えなかった文学を、その死後においてさえ人手に渡すまい、安易にあげつらわれるまい、という精神の表れです。それは自分の文学が、自分以外の何人にも理解されることを期待しようとしない、強い、孤独に徹した心構えなのです。
 
 心敬自身、この話に一方ならず共鳴していることは明らかで、心敬の連歌道の境地も究極においては、そうした心境に通うものを持っていた、と考えてよいでしょう。
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2007/4/9

43.究極の歌人  俳句

 どれほど道の奥義をきわめた人でも、身分が低く、世間的に名の知られていない場合は、誰も問題にするものがなく、未熟でまったく問題にもならない人でも、うまく時勢にのり、歴とした家を継いでいる場合は、世間の人は無条件で尊重しているように見えます。こんなことがあってもよいのでしょうか。


 堯は賢王であったが、その子は凡愚であったとか。舜は賢王であったが、その父は偏屈・愚鈍であった。

 家は、家として続いているだけでは本当の家ではない。その道を継承していてこそ本当の道の家である。その家の人だからといって、その道の人とはいえない。道を知っていてこそ道の人である。

 真の人間こそ、真の道を広めることができるのだ。書物が人を広めるのではない。

 黄帝は、牧童の言葉さえも信じたという。北条時頼は、農夫の諫言にも従ったという。

 君子は、下のものに問うことを恥じない。だから、人倫の道を知る。

 太公望は、世を隠れ、浜辺で釣りをしていたが、文王に見出されて、国王の師となった。

 吉備の右大臣(真備)は、卑官の左衛門尉国勝の子であったが、大臣という高位に上った。

 無間地獄に堕ちた身も環境も、すべて、その人の過去の行いに対する、仏の判断一つである。仏の真身もその環境も、凡愚が悟りを開こうと一筋に思う心以上のなにものでもない。(「ささめごと」・真の歌仙と生涯の修行)



 
 いかにその道に熟達した専門家でも、身分が卑しく世間に名の知れていない人は誰からも相手にされない。反対に、どんなに未熟放埓な人でも、うまく時流に乗り、しかも家業を継いでいるような場合には、これを無条件で尊重する。――これが中世を通じての一般的な傾向でした。
 けれども、鎌倉末期あたりから、伝統和歌の分野においてさえ、二条・冷泉の名家が地下の歌人に圧倒されるようになり、一方では、実力の前には、家重代の観念も次第に揺らぎはじめるようになったのです。

 この傾向は、連歌のような新興の文学ではさらに甚だしく、実力のある連歌の好士はすべて地下の出身でしたが、彼らの世間的な地位はきわめて低いものでした。
 世間の評判になった歌会や連歌会は、公家・武家などの貴族階級が主催したものが主であり、地下の連歌師たちはその席に連らなっても、貴族の座興の取持ちをするぐらいでした。

 地下の連歌師で、名実ともに一天下の師表となりえたのは宗祇をもって始まりとしますが、心敬のころには少なくとも、文芸の好士たちの間には、家より人を尊重する思想がすでに確乎として芽生えてきていたものと思えます。   

 ところでこの段は、質問に次いで説明がありません。「堯は賢王であったが、その子は凡愚であったとか」以下、すべて古人の言行を列挙するにとどまっています。しかし、その一節一節は、連句のように連らなり、全体的に観て一つのまとまった所論を構成しています。

 堯や舜のような賢王にしても、その体得した境地は、自分一個のもので、その親や子とは別のものです。
 歌道家、茶道家などと家が重んぜられるのは、立派な人物が継いでゆくところに意義があり、中心になるのはあくまで人なのです。
 歌道などという道は、尊重されなければなりませんが、道そのものに力があるのではなく、人がそれを体得することによってはじめて道たり得るのです。
 だから、「道ある人」こそ尊重すべきで、その人の前には、王侯貴族といえどもその権勢を屈して、虚心に教えを受けなければならないはずのものなのです。

 結論として心敬は、「無間地獄に堕ちた身も環境も……」と説いています。
 つまり、「一途な思いを、歌を詠ずることを通して、より集中する。そしてその集中によって、その他一切の雑念を払って一心に近づくことができる。この一心に至り得て初めて、その境位のあらわれとして理想の和歌が生まれる。その瞬間はまさに仏の境地である」というのです。

 稽古を超えた修行を重ねて、初めて到達可能な「清浄」な境地こそが、和歌・連歌の眼目なのです。言い換えれば、仏こそが究極の歌人なのです。文芸作品における芸術としての高さを、宗教的な高さに求めてやまなかった心敬の姿勢が窺えます。
 
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2007/4/7

42.神仏の感応  俳句

 気ままに遊楽にふける連中を大勢集めて、何の風情もないことを一言ずつ詠っても、神仏を鎮め慰めるための供養になるのでしょうか。
 同じことなら、その道に情熱を深く燃やしている達人のものこそ、神仏も願いを聞き入れてくれるだろうと思われますが、いかがでしょうか。


 むかしの賢人が語っておった。どれほど未熟で遊楽にふける連中であっても、神仏の感応は同じで、なんら違いはない、と。

 仏陀や菩薩のような偉い方を勧請して供養するよりも、極悪の僧侶ひとりを勧請して供養することは、計り知れないほど多くの福徳を得る、といわれる。
 また、盲目で、妻子を持った破戒僧でさえも、舎利弗や目連と同じように敬え、と十輪経に説かれている。
 仏は相手を選ばず、誰にでも平等無差別の慈悲をたれる。つまり、仏の真意は、大慈悲心そのものなのである。
 菩薩の実践すべき六波羅蜜のなかでも、檀波羅蜜の布施行を第一としている。そうとはいえ、不浄の僧が供養した塔婆をば礼拝してはならない、とも説いている。(「ささめごと」・神仏の感応)



 この章を読むと、親鸞の「善人なほもつて往生を遂ぐ、いはんや、悪人をや」を思い起こします。
 この言葉は、悪人こそが、仏の大慈悲心に最も強く働きかけられている存在である、という思想を直截に表しているのだと思います。 
 自らの才能や能力によってこの世で悟りを開き、善根を積んで往生を期している人は、放っておいても往生できます。「悪人」つまり、迷い、悩み、苦しみを重ねながらも、ひたすら生きるほかない人を救い、往生させてあげるのが、阿弥陀仏の本願なのです。

 気ままに遊楽にふける連中を集めて、何の風情もないことを詠っても、神仏のための供養になるかどうかという問いに対して、どれほど未熟放埓な輩の作品でも、その道の達人の作品であっても、神仏の感応になんら違いはないというのが、心敬の答えです。
 それに引き続き、「仏陀や菩薩を供養するよりも、極悪の僧侶ひとりを供養するほうが、無量の福徳を得る」と記しているところを見ますと、極悪の人間を第一に救済しようとする仏の大慈悲を前提として、放埓未熟の人間であればあるほど連歌の会席に連らならせ、この道の一端を修行させるべきだという点に、主旨があるようです。 
 
 『沙石集』にも、「十輪経の中には、破戒の比丘の盲目ならん、妻に手を引かれ、子を抱いて、酒の家より酒の家へいたらんをも、舎利弗・目連の如く敬はば、福を得べし」とあります。
 舎利弗は、釈迦の十大弟子の一人で、知恵第一といわれる人。目連も十大弟子の一人で、神通力第一の人です。そういう立派な人物と同じように、破戒僧を敬えというのです。仏は誰にでも、平等無差別の慈悲をたれる、ということを言いたいのでしょう。

 また最後の、「不浄の僧が供養した塔婆をば礼拝してはならない」というのは、「いくら世間的に名声があっても、追従に走ったり、心が清く澄んでいない作者の作品をば、崇め奉ってはならない」ということだと思います。

 『ささめごと』には、理想の作品を生み出す作者の在りようを言うのに、「閑人」という語が用いられています。そして心敬は、心を平らかに澄まし、無常の理を悟り、さらに無常述懐を実践してやまない作者を、理想の歌人像として掲げています。
 山中の隠棲が称揚され、人との交わりを絶つ姿が高潔なものとして理想視されているのは、前回に見てきたとおりです。そして、閑居幽棲と理想の歌人像が結び付けられるのです。
 閑人の対極にあるのが、栄誉栄達を望んで、そのためには追従に走り、連歌を世渡りの術とする在り方です。無常述懐を連歌の柱と考える立場に立つなら、閑人の在り方が、山中の隠棲や他者との隔絶といった在り方と結び付けられていくのは、当然のことでしょう。

 人間はなぜ、この世に生まれてきたのでしょうか。
 「人は心を磨くため、修行するために生まれてきたのだ」と、心敬は無言のうちに答えています。もし、全人格的に完成されていたら、この世に生まれてくる必要はないのです。
 この世の修行を終えた者に、会席や人との交わりは不必要なのです。だから神仏は、そういう人たちを隠棲させるのです。
 俳句の世界でいえば、相生垣瓜人や飯田龍太のように……。心敬の眼から観れば、まさに、このお二人は理想の俳人像といえるでしょう。

 心敬の風雅道は、優美なる心性を中心として、人間の全精神の営みの究極に見出される真実の境地を、神仏の理念で表現しているのです。
 風雅道に志すこと即ち、真実追究への第一歩という意味で、神仏の感応にあずかるものと考えたのです。
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2007/2/6

41.高士の風格  俳句

 風雅の道に並々ならぬ情熱をそそいでいる人のなかには、俗世間を避けて隠れ住み、悠々自適の暮らしをし、世間的な会席には一切かかわらず、世間に名の知られていない人がいるそうです。
 そして、むしろそういう人たちの方が、名声を得ている人よりもすぐれた人物が多いといわれておりますが、本当でしょうか。



 先達が語っておった。いかにもそのような高士のなかに真の歌人はいるものであると。

 並外れた賢人には友人はいない。清い水には魚が住まないように。

 許由は、箕山に隠れ住み、峰の痩せた老松の下に空しい松風の音を聞いて、人間の浅ましい野望の夢を覚ましたという。

 顔淵は、一箪一瓢の貧しい暮らしをし、民草のなかに埋もれて一生を過ごしたという。

 介子推は、晋王の招きを断り、とうとう山を降りなかったので焼き殺されてしまったが、後世、その命日を「寒食の日」として、その日は火を使用しなくなったという。

 西行上人は、乞食にひとしい修行者であったが、のちの和歌隆盛の世では、その名声が輝きわたった。

 鴨長明の方丈の庵の跡には、その業績を慕って後鳥羽院が、二度までも御幸をなさったということだ。

 在家の長者・維摩居士の樹下の方丈に、文殊菩薩がやってきて、般若の空観による不可思議な解脱の法や、一切万法をことごとく不二の一法に帰する法を受け、敬拝なさったという。

 真の歌仙といわれる人には、自分の利益とか人を感化しようとする気持は微塵もない。それは、仏が、維摩居士をして、大乗経の玄妙な理を説き明かされたようなものである。

 百戦百勝したとしても、たった一度でも堪え忍んだ態度には及ばず、万言万答したとしても、ただ一つの沈黙には及ばない。
 経巻を手にすることはなくても、つねに心中で経を唱え、声に出すことなく多くの経典を暗誦する。
 君子は、人倫の退廃を憂い、小人は、貧しさを憂う。

 このような人は、真如の正しい理性と判断をもち、詩歌の風雅の美に遊ぶことができるという。また、魅力的な歌仙を非難し、軽蔑する連中が、世間に多くいる。これは外道の畜生というべきことである。

 不死の霊薬である甘露でさえも、飲む人によっては毒薬にもなる。
 
 神力でさえも、宿業因縁の引き起こす力には及ばないといわれる。
 
 鷹は賢い鳥ではあるが、烏にはアホーアホーと笑われるという。
 
 仏陀の説教をも、多くの慢心・増長した人たちは馬鹿にして、筵を巻き、その場を立ち去ったという。 

 また、ひたすら放埓な行為を第一にして、いい加減で軽薄な作者が、世間には多い。
俗世の執着心を捨てた歌人の中に紛れ込んでいる輩もいる。
 そういう人たちは、露骨に評判を得ようとして宣伝する偽善者にも劣って、良心の受ける不安や恐怖は大きいものであろうといわれる。

 また、道に執心うすい連中は、上面だけの数寄や嗜みの姿勢は見せるが、心底からの執心のない者が、諸々の分野に見受けられる。ことに仏道修行の者のうちに多いという。そのような連中は、表現・技巧だけのことで、胸のうちは浅薄で拙劣さがはっきりしている、などと言われている。

 蛇は、頭の一寸を見れば、その大小はわかり、人は一言を聞けば、その賢愚を知ることができるという。

 仁者とは、必ず勇気のある人であるが、勇敢な人が必ずしも仁慈の心があるとは限らない。(「ささめごと」・幽栖閑居の好士)



 その道に練達するには、師匠や多くの先達から、実作についていろいろと指導を受けるのが普通です。
 それなのに、ひたすら風雅の道に心をひそめ、幽栖閑居を好み、普通の会席にも出ず、人にも知られていないのに、いつのまにか堪能の士として名を博する。一体そんなことが有り得るのでしょうか。

 心敬は古人の言を引き、幽栖閑居を好み、普通の会席に出ないような人の中にこそ、真の歌人がいるを是認しています。そして、それを証明するために、たくさんの隠遁者たちの逸話を、飽くことなく列挙しているのです。

 真の作品には、不可欠の条件として、世俗を超越し、常識的な見解に煩わされることのない高士的風格の投影がなければならないと、心敬は考えていたようです。

 連歌の会を持つとすれば、そうした高士同志の会合のみが有意義であり、優れた自己もそうした場においてのみ形成される、というのです。

 「経巻を手にすることはなくても、つねに心中で経を唱え、声に出すことなく多くの経典を暗誦する」というのは、例の梵灯庵が「連歌は座になき時こそ連歌だ」といった言葉に通ずるものです。

 連歌の席で、堪能の士にもまれて切磋琢磨することの必要性を、心敬が痛感していたことは、前にも述べたとおりです。それにも増して、常住不断の心法は重視すべきものであったのです。

 心敬の最大の関心は、表現の主体如何にあって、表現されたものは要するに、枝葉末節に過ぎなかったのです。表現の主体、つまり、作者の心持ちが大切で、その作品は枝葉末節に過ぎないということです。
 水のように澄んだ心から、水のように、無技巧、無意識にこぼれたもの、そういう作品こそ、人の心をうつと、心敬は考えていたのです。

 以下、少し長くなりますが、現在、読売新聞に連載中の『魂の一行詩』(角川春樹)より引用させていただきます。

 
     澄む水の器でありし一行詩    春樹

 いま、私の目指す地点は、一行詩という器に澄んだ水のような世界を盛ることにある。水のようなさりげない日常の中のドラマ性である。そこに深い思想が生まれる。言葉を飾らず、自分の「いのち」と「たましひ」を詠い、読者の心と魂に共振れさせる一句である。
 詩(うた)とは、古代、訴えることから由来した。詩(うた)は人の心を撃たねばならない。
 私はいま、改めて「水の思想」に思いをめぐらしている。私の目指す一行詩は「水」のように、無技巧、無作為、つまり無意識ということになる。水自身には意識がない。しかし、水を包む器があると、水に意識が生まれてくる。(「澄んだ水を盛るように」より)
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2007/2/1

40.信頼できる師を一人  俳句

 和歌の合点は、些細なことまで判詞を添えて、歌の良し悪しを明らかにしようとします。
 連歌の合点は、どうあるべきでしょうか。


 連歌の合点は、和歌と少しも変わるものではない。
 墨で合点を引く際に、句の趣旨や表現のはっきりしない部分には、必ず判詞を添え、作者と点者が、理解鑑賞について互いに納得しあう必要があるのに、理解できない句、根拠、筋の通らないことなどを、そのままにして問いたださないならば、点を取っても合点しても、なんの効果があろうか。

 和歌の合点には、どれほど小さなことでも判詞を添えて、疑問や不審を払拭するよう努めるのである。
 連歌には、この程度のことでさえ、論じ究めることは少ない。なんとも情けないことである。

 だから、合点を乞うには、作者が最も尊重し、信頼している一人に限るべきものである。
 決してそれ以外の人に合点を求めるものではない、と和歌の道では思われている。 (「ささめごと」・連歌の点)



 合点は、和歌などを批評するとき、判者が、その良し悪しを句の右肩に、点・丸・鉤などのしるしを付けることをいいます。

 いつの世の人も、他人と競うことを好む人が多いようです。
 勝ち組、負け組といって、なぜ二つに分けねばならないのでしょう。
 連歌合を好む心理は、他と優劣を競いたくてしようがない気持があるからでしょう。それはひいては、絶えず自己を検討し、向上を望む精神が根本にあるからだと思います。

 他人の句の趣旨もはっきりしないまま合点をして、ただ単に自分の好みを表明するだけでは全く無意味です。自他ともに、句において表現しようとする気持をはっきりと見とどけて、お互いに思いのままに納得のゆくまで批評してこそ、合点の意義はあるというものです。これを「合点がゆく」といいます。

 俳句の場合も、優れた作品にだけ評点を与え、そうでないものに批評を加えないというようでは、向上は望めません。
 俳句の選を乞う場合も、心敬のいうように、自分が最も尊重し、信頼している一人に限る、ということは大切なことです。ゆめゆめ一つの句を、複数の人に選を乞うてはいけません。選者の力量を試していることと同じで、非常に無礼なことです。
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2007/1/27

39.師範を尋ねる  俳句

 和歌の道には、歌合といって、作者の名を隠して、その座でいろいろ批判し合うことがあるので、わずかな欠点までわかり、自覚することができます。
 連歌には、そのようなことはないのでしょうか。

 
 ほんとうに、連歌の道には、まだ、そのような心遣いがないせいか、どんな初心者、下手な人でも、そのときの気分や自分の好みにあうものだけを、よい句であると決め込んでしまうので、邪道に陥っていくのである。

 最近、初めて連歌を、歌合の作法に少しもたがわず、句を左右に番わせ、その場でさまざまに批判し合って、勝負を決めることがしばしば行なわれているとか。
 才能のある立派な方々が、連歌合せを研究し、もてはやしたなら、連歌の道を高めるよすがにもなるのではなかろうか。

 どんなに小さな道にも、師範を尋ねて学ぶのが習いであるのに、連歌の道に限って、近頃になって自分自身でひとり合点するようになってからは、まったく邪道に偏し軽率なものになったということだ。  (「ささめごと」・連歌合)



 歌人たちを左右二組に分け、その詠んだ和歌を左右一首ずつ出して合わせ、一番ごとに判者が批評・優劣を判定し、優劣の数によって勝負を決する遊戯を「歌合」といいます。
 歌合は、平安初期の頃から、宮廷・貴族の間に流行しましたが、その方式にはいくつかあったようです。
 ここで心敬が述べている歌合は、「褒貶歌合」といって、左右に分かれた人々が、互いに自分たちの歌人の歌をほめたり、相手の歌をけなしたりして勝負を争うことのようです。

 現存している連歌合の作品でもっとも古いと考えられるものとして、救済と周阿の百番連歌合をあげることが出来ます。
 この百番連歌合は、二条良基が合点をして優劣を判じたものです。
 応仁二年六月、関東下向中の心敬は、この連歌合を見て感服のあまり、自分でも救済・周阿と互して、同じ前句に付句を付けて、旅のつれづれの慰めにしたということです。

 当時、田舎暮らしをしていた心敬にとっては、相手とするに足る練達の士を得ることは困難であり、自分の作品の優劣を批判してくれるような人物は、なおさらのこと求めることが出来なかったのです。
 そういうわけで、心敬の最も尊敬する先達である救済とその弟子、周阿の連歌合を見ては、そのまま黙っておれず、自分自身もその中に加わって、それらの先達の句と自分の句の間に、胸中ひそかに優劣を判じていたのに違いありません。

 心敬の作品の中には、自作を選んで連歌合を試みたものも残っていて、心敬が、連歌合のような批判力と鑑賞力とを要する営みに、いかに強い関心を持っていたかを察することが出来ます。


 さて、“サンデー毎日(定年退職者)”のみなさん、なにか「好き」なことが見つかったでしょうか。
 俳句を「好き」になっていただけたなら、こんなにうれしいことはありません。
 俳句が好きになったら、つぎは、俳句を楽しみましょう。
 俳句を楽しむには大きく分けて、二つの方法があります。一つは、俳句結社に入り、その主宰から指導を受ける方法。もう一つは、我流で、しこしこ楽しむ方法です。

 まずは、結社の選び方から。
 結社を選ぶということは、主宰を選ぶということです。その選び方ですが、
  1、その主宰の句が大好きで、そのような句を作りたい。
  2、評論、随筆など、文章が非常にうまい主宰。
    ※文章が上手で、俳句が下手な俳人は、まず、おりません。
  3、自宅から一時間以内で行ける場所で、句会を開いている結社。
 を選んで入会すれば、大いに俳句を楽しめると思います。
 入会の上は、主宰に全幅の信頼を置き、徹底的に学んでください。「石の上にも三年」といわれるように、歯を食いしばってでも三年間は辛抱することが大切です。

 我流で、しこしこ楽しむには、どうすればよいのでしょうか。
 答えは簡単。自由に、勝手に、好きなように作ればよいのです。

 そう突き放したように言われても困る、ひとつ俳句の作り方を教えて欲しい、とおっしゃる方のために……。
 
 「俳句は、見たまま作ればよい」と、よく言われます。けれどもこれは、間違いです。見たまま詠んだら、報告・説明になってしまいます。
 俳句は、記述文ではなく、詩なのです。

 今から三十年ほど前、岡本眸先生が、俳誌『朝』を創刊される以前のことです。個人的に通信添削を受けた最初にいただいたコメントを、いまでも覚えております。

 「二句とも、報告に終っています。日常句の場合、自分の詩の世界を持つことが大切です」

 《自分の詩の世界》を持つとは、どういうことなのか、全くわかりませんでした。
 いまでも、眸先生の真意はよくわかりませんが、独自の感性で、独自の情感を伝えるための媒体として描くイメージ、と勝手に解釈しております。

 俳句は、胸中に描く絵画であり、胸中に奏でる音楽でもあるのです。

 独特の視点で対象を凝視し、それをいったん胸中に入れ、おのれの情感によって再構成し、その句にふさわしいリズムをもって表現されたものが俳句なのです。
 
 「実在するもの」を、そのまま他者に伝える文は、報告・説明の記述であって、たとえ五七五の形式で書かれてあっても、それは俳句ではないのです。
 「実在するもの」を媒体として、おのれの情感をくわえてイメージされたものを「詩」というのです。

 再度申します。俳句は、見たまま詠んではいけません。感じたまま詠むのが俳句です。

 もう一点、大切なことを申します。
 俳句は五七五で、和歌の五七五七七より短いということです。したがって、焦点を一点にしぼることが大切で、そのためには、省略をして、単純化する必要があります。この“単純化”することが、非常に大事なのです。

 先日、「去来抄を読む会」において、座興として、「つぎの短歌の内容を、俳句で表現してください」という問題を出しました。

   冬山の青岸渡寺の庭にいでて風にかたむく那智の滝みゆ   佐藤佐太郎   

 その結果、ほとんどの方が、「冬山の風にかたむく那智の滝」とされました。

 焦点は「那智の滝」です。作者は、那智の滝のどういうところに感動しているのでしょうか。そう、「風にかたむく那智の滝みゆ」ですね。しかし、俳句ではふつう“見える”“聞こえる”などは省略します。すると「風にかたむく那智の滝」。七五ですから、あとは上五に「冬山の」と置き、「冬山の風にかたむく那智の滝」としたのだと思います。

 出題のねらいは、「省略して単純化する」ですから、全員正解といえましょう。
 もう一歩すすめれば、「風にかたむく」の「風」は、「冬山の」とありますから、「木枯し」、「北風」、「空風」のことだとわかります。
 つぎに、胸中で、「木枯しにかたむく那智の滝」をイメージします。ことに「かたむく」に注意して……。
 ここからが、人それぞれの感性、情感の問題です。
 「かたむく」⇒「まがる」⇒「ひんまがる」と連想し、さらに七音になるようにして、
 「木枯しにひんまがりける那智の滝」などとすれば、これはもう立派な俳句です。

 以上は、「省略して単純化する」過程を理解していただくためにとった苦肉の策です。
 実際に俳句を作る場合には、短歌を下敷きにして作るようなことは決してなさらぬよう、きつく申し上げておきます。

 俳句の道も独学は可能です。新聞や雑誌に投句し、掲載された自分の作品と名前を見て“独楽”するのも結構。
 けれども、心敬のいうように、自分の句の良し悪しや、人さまの句の優劣が分からず、“独が苦”になるのも事実です。
 そのような時こそ、ぜひ、しかるべき「師を尋ねる」よう、強くおすすめいたします。  
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