2005/4/29
[ 愛知万博(愛・地球博)が今、開催中である。関連する記事は季語随筆のサイトである無精庵徒然草「春の野…愛・地球博」にて若干、触れている。以下に掲げる記事は、昨年四月に書いたものだが、その話題の的である『Re瀬っ戸』は、今、まさに博覧会の会場で活躍しているのだろう。つい、先日も、この話題をラジオで聞くことができた。なので、せっかくなので、メルマガにて公表済みの「『Re瀬っ戸』だって」なる拙稿をこのブログサイトに上梓しておく。
尚、「万博ヘッドライン EXPO 2005 AICHI,JAPAN」を覗くと、この『Re瀬っ戸』に関連する記事が載っていた。記事が削除されないうちに一部、転記しておく:
「恐竜模型作家・アラン・グローブズさん、鎧竜制作中!」
グローバル・コモン6にあるオーストラリア館で恐竜が誕生しようとしています!恐竜の名は「ミンミ」。クイーンズランドで発見された全長3メートルほどの小型鎧(よろい)竜です。
リサイクル粘土「Re瀬っ戸」を使用し「ミンミ」を作り始めたのはアーティストのアラン・グローブズさん。アランさんは今までに“ジュラシックパーク”なども手掛けた恐竜模型作家です。
クイーンズランド・ウィークのイベントの一つで、11日から制作を始め、16日正午に完成式が行われる予定です。13日は、背中の鎧状の部分が作られていました。生き生きとした表情を出すために、目や口には特にこだわるアランさん。今までの作品集を見ると、今にも動き出しそうなくらいの迫力があります。
窯で焼かれた後、「ミンミ」は岐阜県柳津町立小学校に贈られます。アランさんは「すごくいい土だよ。出来上がったら小学生のみんなに楽しんでもらいたい。そして、自然環境を考えるきっかけになればいいね」とさわやかな笑顔で話してくれました。
(4月13日) (転記終わり)
(05/04/29 up時追記)]
過日(13日?)、ラジオから、耳よりというのではないが、瀬戸物についての情報を聞くことが出来た。まあ、ネーミングが面白いから小生の耳に引っ掛
かったのだろう。
そのネーミングとは、表題にある如く、『Re瀬っ戸』である。
主旨は、「4月1日から、持込品目に陶磁器が加わります。」であり、「これまで、家庭で不用となった陶磁器(廃陶磁器)は燃えないごみとして回収され処分場に埋め立てられていました。これら廃陶磁器をごみとしてではなく、
原料として再利用できるようになり資源リサイクルセンターで回収します。」
ということらしい。
その回収事業主体は、愛知県(の清掃課)であるらしい。
従来は、紙やペットボトル、そしてガラスや金属の一部などがリサイクルの対象だったが、上記のように、これまでは燃えないゴミとして棄てられていた
陶磁器も再利用可能ということで、回収することになったというのである。
話を進める前に、陶磁器について、若干の説明を加えたほうがいいかもしれない。
まず、上掲のサイトにあるように、「陶器」とは、「たたくと低い音(鈍い音)がする 生地が厚く、透光性がない」であり、「磁器」とは、「たたくと高い音(金属音)がする 生地が薄く、透光性がある」という。その他として、植木蜂のように、「割れやすく吸水性がある」ものも回収の対象となっているようだ。
より詳しくは、このサイトを見てもらいたいが、要は、「陶器は粘土を原料としてつくられ土ものといわれます。 陶石を粉砕した粉を原料とすることから石ものとい」うし、「磁器は石を原料としているため、表面は白く滑らかで硬質です。 指で弾くと金属のような高い音がします。 素地には気孔が少なく、吸水性は」ないわけである。
さて、ユニークな名称である、『Re瀬っ戸』だが、あるサイトによると、「「初めに戻す」などの意味がある「リセット」と「瀬戸」を合わせ、「Re瀬っ戸(リセット)」と名付けた」とか。
このサイトによると、「愛陶工は2年前からリサイクルに取り組み始め、廃陶磁器の粉砕粉を材料とするリサイクル陶磁器を開発」したのだという。
こうした運動を始めたのは、背景に、愛知万博(愛・地球博)があるようである。
つまり、「愛知県陶磁器工業協同組合(瀬戸市、愛陶工)は10日、愛知万博(愛・地球博)会場に設ける水飲み場のボウルのデザインを市民から募ると発表した。万博のサブテーマの一つである「循環型社会」に向けた取り組みとして愛陶工が同市と協力し、廃陶磁器を再利用してボウルを製作する。」
この瀬戸市というのがミソのように思える。小生がガキの頃、陶磁器という言い方をする前に、瀬戸物という言い方が普通だったような気がする。茶碗も湯飲みも、ガラスやプラスチック製品以外の食器の類いは、なんでもかんでも瀬戸物と呼び習わしていたのである。
それほどに、一昔前までは、瀬戸物が広く流通していたのだろう。瀬戸市は、その夢の再来を狙っているのか、瀬戸物の町としての復権を期しているのか。
瀬戸物の復権はともかく、小生などがガキの頃は、茶の間も居間も食事の風景でも、瀬戸物は当たり前のようにあった。
ようやくガラスのコップなども見られるようになったが、当時のガラスのコップは、(素材に不純物が多かったせいか)熱湯を注ぐのは禁物だった。
そう、いきなり熱湯を注ぐとガラスに皹が入る、場合によっては割れてしまったのである。だから、多少、冷まして注ぐか、コップなどの底に少々、水などを入れておいて、その水にお湯を注ぐようにしたのだった。無論、ガラス面に熱湯が触れてはならない。
なんだか、未だ駆け出しのマムシの斎藤道三が、油売りという生業をしていた頃、穴の開いた貨幣の穴に触れないようにして油をその下の器に注いで商売繁盛に繋げた、というのをほのかに連想していたりして。
ガラスのコップが割れないのが当たり前になったのは、いつからなのだろう。小生などは、つい数年前まで、ガラスの器にお湯を注ぐのが恐々だったが、それほど近年というわけじゃないだろう(実は今も怖い…)。
さて、生活の場面にガラス器のほかに、プラスチック製品が加わった。便利だった。何しろ、壊れないし、壊れない以上に割れないというのが、安心の種だった。自然、文具の類いだけじゃなく、食器にも玩具にも次々にプラスチック製品が巾を利かせるようになった。
なんとなく、その頃から使い捨てという意識が当たり前になってしまったような気がする。同時に、並行する形で(決してプラスチック製品を使うことが原因ということじゃないのだろうが)家族一緒の食事シーンも少なくなったし、テレビが複数台あるのが当たり前になったりして、家族の絆も薄まったような気がするが、気のせいに過ぎないのだろうか。
陶磁器の復権、瀬戸物の復権が家族の、あるいは地域社会の蘇生に直結するというものではないのだろうけれど、なんでもかんでもプラスチック製品、使い捨てということよりは、モノを粗末にしない、モノは壊れるものだという意識も含め、陶磁器の使用、見直しにより、何かしら生活スタイルや生活意識も変わるのかもしれない。
尚、瀬戸物にちなみ、「瀬戸物伝説」なるものがあるとか。ちょいと悲しい物語である。
(04/04/16)
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