五月の連休が終わりきらない先週末のこと、車中でぼんやりしていたら、不意に春風駘蕩という言葉が浮かんできた。
教養の無い小生も、さすがに春風駘蕩という言葉の意味くらいは知っている。
でも、一抹の不安がないわけではなく、こっそり手元の「広辞苑」で意味を確かめたいと思った。
が、悲しいかな、何年来使ってきた電子辞書が接触不良なのか、春先辺りから不調である。
そこはそれ、今はネットがある。困った時のネット検索である。
「春風駘蕩 意味」とキーワードを打ち込んで検索してみた。
即座に、「春風がのどかに吹くさま。穏やかな人物」と答えが見つかる。
納得。
と思ったら、そうはいかなかった。「春風がのどかに吹くさま」までは予想通りである。が、「穏やかな人物」というのは、全く予想していなかった。
念のため、意味を書いてあるサイトをザッと眺めてみる。
すると、「春の景色がのどかな様子」と、「人柄や性格などが温和でのんびりしている」などと説明してあるサイトが見つかる。
あるいは、「春風がそよそよと快く吹くさま」と、「人柄の温和なさま」(大辞林より)というのも、見つかった。
そうか、やはり大きく二つの意味、乃至使い方があると受け止めるべきなのだろう。そうか、春風の長閑に吹く春のうららの様子を表現するだけじゃなく、人柄の温和なさまをも形容していいわけだ。
ついでながら、せっかくヒットしたので、以下をどうぞ:
「
平清水焼 大徳利 春風駘蕩図」
あるいは、春風駘蕩という言葉そのままの
風景を愛でるのも良し(特に桜見物し損ねた方には、推奨します)。
ここで、「駘蕩」という言葉の意味を調べてみたいと思ったりするが、それは我慢。それを始めると、切りがなくなるし。
それよりも、ネット検索で見つけた、「
春風駘蕩vs一身温飽」というサイトが気になる。両者は対立する四字熟語なのか。
読むと、「一身温飽」という言葉は、かの大塩平八郎という人の詩に出てくる言葉だと書いてある。
つまり、「一身の温飽を干天に愧ず」という言葉がありまして、大塩は江戸時代の与力で、飢饉で窮民続出の当時、無策の町奉行や米買占めて値をつ
り上げようとする豪商に対して挙兵一揆を起こしたんだそう」である。
「大塩は与力だから自分は飢えに苦しんでるわけじゃぁない、しかし、その我が身の一応食えてる生活を恥じた。「存在」を捨てても、敢えて生きることを取った。それが死につながって行くことでもね」と続く。
まさに「一身温飽」とは、「春風駘蕩」たる我が身とは対極を生きる方なればこその言葉なのである。
歴史に名高い「大塩平八郎の乱」については、この
サイトを参照。
「大塩平八郎の挙兵理由は」「1836年(天保7)の大飢饉は大坂市中にも窮民を続出させる惨状を呈しているのに,大坂町奉行跡部山城守良弼は何らの対策を講じないばかりでなく,翌年4月に予定されている新将軍就任の儀式にそなえて江戸への廻米を優先させるという,一身の利益だけを考えている。また市中の豪商たちは飢饉にもかかわらず豪奢な遊楽に日を送り,米の買い占めによって米価のつりあげをはかっている。このような姦吏・貪商たちに天誅を加え,貧民に金殻を配分するための義挙であるとしている。」
今、世は年金法の問題で揺れている。前の官房長官の福田氏は、法案が委員会で可決されてから自らの年金の未納について明らかにし政治不信を招いた責任を取る形で辞めた。
公明党の三役らも、年金法が衆議院を通過してから、彼らを含む十名以上の連中の未納を認め陳謝した(こちらは謝っただけだが)。
凄い後出しジャンケンである。が、さらに凄いのは、法案の建前である将来の年金の支給額を現役世代の50%を確保するというのが、まるで絵に描いた餅だということを、法案が通過してから役人たちが認め始めていること。
恐るべし。
あるいは、野党議員が数ヶ月前に資料の提出を求めていた、年金資金の流用の実態報告も、年金法が通過してから、やっと提出された。流用の額は数百億円だとか。
世が世なら、あるいは正義感のある役人が、挙兵はしないまでも、そうした実態を内部告発くらいはしたのだろうが、そんなことは夢の夢。法案が成立すると決まった以上は、役人らの気持ちは春風駘蕩というところか。
まるで関係ないのだが、春風駘蕩という言葉を聞くと、何故か小生は、順風満帆を連想してしまう。まさに、順風満帆なればこそ春風駘蕩という気分にもなれようというもの…、ということじゃなく、実は、後段の満帆がミソなのである。
そう、満帆と言えば、満帆商事であり、『ショムニ』であり、かの江角マキコさんである。
思えば、年金未納という訳の分からない騒ぎは、江角マキコさんの未納の発覚から始まったのだった。
というより、一民間人、一女優に過ぎない彼女を国会に呼ぶとまで口走ってしまった管氏の見識の無さから始まったのだった(勿論、マスコミも社会保険庁のみならず、彼女をバッシングしていたことは忘れてはならない)。
その時に、冷静に、社会保険庁が、恐らくは調査か、代理店を通じて年金の支払いは確認の上、女優である江角マキコさんを起用したのにも関わらず、実は未納だった。本人も勘違いしていた。ということは、現行の制度も、新たな年金法案も複雑すぎて、まさに改正すべき欠陥法案ではないか、などと追求すればいいものを、見当違いな方向に追求してしまった。
世論(マスコミ)も彼女をバッシングしていた。彼女は記者会見でキツネに抓まれたような表情のまま、謝っていたっけ。
江角マキコさんは女優であり、前にもコラムで書いたが、主義主張を明確に唱え行動するというイメージが売り物なのだ。彼女自身の人格とか私生活が問題ではないはず。
議員も、過去に年金の未納の時期があったとしても、それはそれとして法の命ずるところに従って、しかるべく粛々と対処すればいいし、そうするしかない。
では、何故、議員の未納が問題になるかというと、彼らは国会で年金法を議論し成立させる上で責任を負っているからだ。国会議員であれば、自らの足元をかため、国会で議論する前に全員の支払い状況の実態を調査、(国民に)報告すべき義務がある。なのに、法案を成立させてから、みんなの実態を報告する体たらく、しかも、欠陥法案は全く修正されることなく成立してしまう愚かしさ。
明らかな欠陥さえ頬っ被りする議員たち。やるべきことを怠るから、未納の事実にもこだわりたくなってしまうのである。
それでも、国民は、ちょっとだけ怒ってみせて、ほんのしばらくしたら、年金に絡む騒ぎなど忘れてしまうのだろうな。どうも、議員さんたちも、参議院選挙が始まる頃には、みんな忘れているに違いないと、高を括っているようである。
しかも、過去の事例からすると、議員たちの見通しが当っている。国民なんて、そんなもの。
法案さえ通過したら、みんな、他の話題に飛びつくのだね。
一身温飽なんて物騒な物言いは、時代錯誤。春風駘蕩である。飽食の時代なのだ(少なくとも議員や役人たちは)。
多くの国民も、特に若い人などは、自分は、将来の年金など当てにしない。自分だけは勝ち組になるから、どうでもいいと思っているのかもしれない。怒っているわりには、春風駘蕩なままなのも、案外、そんな根拠のない将来展望があるからかもしれない。
そんなに甘くはないかもよ。勝ち組みに入れるのは、宝くじに当るより難しいかもよ。でも、今日と明日は、春風駘蕩なんだろうな。
「一身温飽」の出てくる大塩平八郎の詩は、下記サイトを参照:
大塩中斎「
詩 集」
(04/05/13)

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