2004/12/12
「燕雀の思い」
「燕雀 (えんじゃく) いずくんぞ 鴻鵠 (こうこく) の志を知らんや」という人口に膾炙している言葉がある。意味合いとしては、「小さな人間には、大きな人間の志がわかるはずがない」ということのようである:
当該の一文の漢文表記は、「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉」
出典は、司馬遷の史記(陳勝世家)だが、その典拠である漢文の全体を知りたい方は、ここ:
燕雀 (えんじゃく)は文字通り、ツバメやスズメである。ここでは小鳥の代表であり、小人物を意味させているようだ。鴻鵠 (こうこく) とは、鳳凰などの大きな鳥のことであり、大人物の喩えとして使われている。
過日、田舎からの帰京の途上、あるPA(パーキングエリア)の施設の庇の下にツバメの巣を見つけた。巣を間近で見たのは久しぶりだったので、持参していたデジカメで巣に居る四羽の子ツバメの姿を撮ってみた。
といっても、小生、気が小さいし、あまり巣に近づいてツバメたちを驚かしてはいけないと思い、5、6メーターの距離まで近づくのがやっと。どうやら、そろそろ巣立ちが間もないようなまでに成長しているように見える…、四羽ともではないのだが。
なんとか可愛い姿を撮りたいと、幾度もシャッターを切っていると、不意にファインダーを黒い影が過(よぎ)った。カメラを目から放して見ると、その影は巣からサッと遠ざかっていった。
しかし、小生の目は、しっかりその影の正体を確認していた。親ツバメだ!
そう、親ツバメが子ツバメたちに餌を運んでいるのだ。その親がオスなのかメスなのかは分からない。
餌を確保したのだろう親ツバメが旋回しながら巣に近づき、巣に居る子ツバメに餌を与えると、カメラを構えている小生がシャッターを押す間もなく親ツバメは飛び去っていく。
巣を去り、戻ってくるまで待つこと数分だったろうか。
さて、親ツバメがオスかメスかが分からないだけではなく、あるいは交互に餌を確保したほうが巣にやってくるのかもしれないのだが、それさえも分からない。
とにかく動きが素早いのである。
小生、なんとか、親ツバメが子供たちに餌をやる決定的な瞬間を撮りたいという欲求に駆られ始めている。何度、失敗したことか。こんな場合は、ビデオのほうがいいのだろうか。回しっ放しにしても数分のことなのだし、焦点を巣に合わせておけば、狙いの構図は逃すはずもないのだろう…。
小生は、PAの周りの林というのか森というのか、雨雲が彼方に不気味に垂れる空の下、緑なす木々の何処とも決められない何処かに目を凝らしている。何かが、不意に俊敏な動きを示したなら、それこそが親ツバメのはずなのだ。
たまに他の鳥(スズメ?)の姿も見かけるが、動きが違う。
と、待つこと一分か二分、あるいはそれ以上なのか、黒っぽい影が大きく蛇行するように旋回しながら、こちらにやってくる。周囲を警戒しながら近づいて来るのだろうか。
が、近づいたら、あっという間に巣に舞い降り、餌をやり、シャッターを押す頃には、子ツバメたちの大きく開いた口の並ぶ光景が残るだけなのである。
また、失敗である。そうして、子ツバメたちの姿に馴染んでくると、観察眼も鈍い小生なのだが、それでも、子ツバメたちの体の大きさにかなり差があることに気付かされてくる。
庇と壁の合わさる角にへばりつくようにして巣はあったのだが、子ツバメたちは、その巣から頭を、あるいは上半身を目一杯延ばすようにして親鳥を求め、餌を求めている。
そのうち三羽は、数メートル離れた距離からの観察だと、大体、図体が同じに育っているが、端っこに居る(端っこに追いやられている)一羽だけ、明らかに体が小さい。その一羽も、その子なりに懸命に口を開けて餌を待っているのだが、他の三羽に比べ生気に乏しいように見えたのは、気のせいなのだろうか。
そうして何度となく、失敗を繰り返し、三十分も経て、やっと親ツバメが子ツバメに餌をやる瞬間を撮ることに成功した。やはり、餌は、施設の壁から遠いほう、つまり、森(林)に近いほうの鳥に与えられている。
というか、その体の大きい、活力のある子ツバメが奪ってしまうのだろうか。
さて、そんな話(の断片)をHPの掲示板や日記の欄などに書き込んだり、必ずしも鮮明とは言えないツバメの巣の写真を載せたりすると、他のエピソード以上に反応があった。
多くは子育てが終わった、乃至は孫の居るような世代の方の反応だったような気がする(正確な年代など、知る由もない)。
小生の撮った写真(HPの画像掲示板に載せてある)では、覚束ないので、ネットでもっと素晴らしいツバメの子育ての写真を見つけた。素敵。是非、見てもらいたい:
「ツバメの子育て記録」
小生が掲示板に書き込んだ一例を掲げておこう:
「さて、ツバメの巣のこと。巣を作る家は繁栄するという謂れについて、「ツバメが玄関や軒下に巣を作ると、「家が繁栄する」とも言われています。これは、ツバメの食べ物がこん虫であることから、田畑で発生する病害虫を食べてくれる…ということからきているのでしょう」という説を紹介しました。
でも、小生が思うに、違う解釈も成り立つと思うのです。
ツバメが害虫を食べてくれるからということではなく(ツバメは人間の目から見ての害虫を食べるだけじゃなく、昆虫類も食べるのだし)、ツバメ(を含むさまざまな動物)を養うに足りるほどに、田畑や自然が豊かだということをツバメの巣で象徴されているのだと思うのです。
同時に、ツバメがいる、つまり、ツバメの餌である昆虫類が多い、ということは、自然の豊かさと同時に、農薬が使われていないことをも意味していると思います。土壌が農薬で傷んでいては、虫類もメダカも蛍もミミズもいないわけで、ツバメは住めないわけですから。
みなさんは、どうお考えになるでしょうか。」
(04/08/01)

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