2013/4/18

和歌山での教育実践録(図工科を中心に)  

和歌山での教育実践録(図工科の取り組みを中心に)                                       秋月久俊 
                                
はじめに

平凡な一教師のつたない教育実践録(図工科の取り組みを中心に)ですが、折々に書き留めてきたものと写真の記録をもとに、ここに掲示しておきたいと思います。退職して記憶が途切れがちになるのを防ぐためにもブログに表現していくことが、健康保持に役立つだろうと考えています。
 以下に、まず図工科に対する基本的な考え方などを表しました。今後、書き加えたり写真等も追加していきます。そして、具体的な取り組みを記していきたいと考えています。 

もくじ・目次(ページはありません。後ろに次々と記録・掲示していきます。)

【1】図工科と学校づくりへのかかわり
【2】(1)『詩と子どもたちの生活―豊かな感性をはぐくむために―』
   (2)連絡帳=日記帳から (予定)
【3】図工科の取り組み(実践例)
 《教材絵地図より
  (1)『花さき山』(1年生から)(予定)
  (2)『虹の橋がかかるとき』(2年生から)更新中
  (3)『ウサギさんの物語』(3年生)

  ・『トビウオのうた』 (3年生)更新中

   ・
   ・
   ・
 《基本的な素材に立ち向かう》  
  (紙)   
   (1)
   (2)
   (3)
    ・
    ・
  (土)

  (木・竹)

(1)質の柔らかい板で『かべかざり』あるいは『ペンダントづくり』3年生  
   (2)『ヨットづくり―つくって遊び、かざって楽しむ―』4年生
   (3)『凧と糸巻きづくり』5年生
   (4)『まわりどうろう(走馬燈)づくり』6年生


  (金属)

  (その他の素材)

版画・紙、木版画を中心に
紙版画(1〜3年生)
木版画(3〜6年生)
『短歌を彫る』(6年生)


【4】「大きな大きな絵」の取り組みについて (予定)
【5】「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育」
【6】
【7】
【】
【】
【】
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教室は美術館、教室後ろの壁面の山は「花さき山」。優しいことをすると一つ花が咲く、そんな優しさの詰まった山です。1年生から4年生ぐらいまでの学年で春の教室を飾ります。

※ 1年生『花さき山』(斉藤隆介・作)の取り組み参照


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6人グループ(班)ごとに分担して「花さき山」を描き、それを張り合わせて完成。
きみどり、みどり、青のなかま+黄色のなかま・・・みどりのなかまを作り出す学習

山に木を一本一本植えるように描いていきます。

(パスで描いているから1年生だと思います)

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【1】図工科と学校づくりへのかかわり
(1)子どもたちに
  「創り出す文化活動」を!!


『おにいちゃん だいく』 小2年 A子                       

 ギーコ ギコ
 ギーコ ギコ
 ガッチャン
 おにいちゃんが だいくをはじめています

 ギーコ ギコ
 ギーコ
 たのしいだいく

 ギコ ギコ
 ガッタン
 木がおれてしまいました
 またひとがんばり

 ギコ ギコ
 ギーコ
 たのしいだいく

 なかなかきれない
 ちびっこだいく
 なかなかきれない
 おにいちゃんだいく

『さとうさんへ』 小2年 T男                                  
 さとうさん
 この文はおもしろいよ
 木がおれてしまったり
 またひとがんばりしているところが
 おもしろいよ
 さとうさん
 いまこんなすばらしい詩がかけるなら
 いろいろな詩をつくってほしいです
                               
(中ノ島小学校2年1組文集『たんぽぽ』より 1991・3・22) 

 90年度、中ノ島小学校で2年生を担任しました。A子ちゃんという子が『おにいちゃんだいく』という詩(日記)を書いてきてくれました。私が心に強く残ったことは、おにいちゃんの木に挑戦している姿です。遊び半分で木を切っているのでしょうか、あるいは何かを作ろうとして真剣に切っているのでしょうか、どちらにしてもおそらく切れないノコギリで、しかも未熟な技術で一生懸命に切っているようでおもしろくて仕方ありません。私のぶきっちょな子どもの頃の姿と重なって、とても親しみを感じます。
 そして、この詩からいろいろ想像し考えてみることができます。
 このおにいちゃんは、ノコギリの歯は「縦引き」で切っているのではないだろうか、「横引き」だったら切れやすいのに、と。一般にノコギリは「引く」ものですが、やみくもにノコギリを動かしているのではないだろうか、など気がかりになります。
 また、紙や粘土などは素手で自由にかたちづくれる素材なのに対して、木はノコギリという道具を使わなければ扱えない抵抗の大きい素材ですから、「硬くて手ごわいなー」とか、木の持つあったかい質感も手に感じ取っているはずです。さらに手の活動のうらに、「真っ直ぐ切るんだ、美しく切りたい」というような美意識も内面に強く働いているはずです。
 こうして考えてみると、 例えばおにいちゃんが木の船を造っているとするならば、船という目に見える新しい形をつくりながら、心の中に新しい感情やさまざまな思い(目に見えない象・かたち)を育んでいると考えられます。この活動を「創造活動」あるいは「創り出す文化活動」と位置づけています。
 子どもたちの成長の過程で、この創造活動を大切に思うのは、ものをつくりだす巧みな手の働きを育てながら、人間としての豊かな感情・感性を育み、工夫して生きる生き方、あるいは積極的にたくましく生きる生き方を育てていると考えるからです。
 A子ちゃんの描いたおにいちゃんの姿は、かつてはどの家庭でも地域でもよく見られた風景だったと思いますが、大量生産、大量消費の社会が進み、お金さえ出せば何でも手に入ると考えられる時代に入り、手作りで何かを作るという活動が見られなくなりつつあります。このことによって、子どもたちの成長過程での創造の源泉が失われて、ひ弱な感性や知性が育てられ、たくましく生きる力がやせ細ってくる危うさを感じてなりません。
 「おにいちゃん だいく」に描かれているような子どもが、この時代このような活動ができる状況がまだあったんだなと驚きもし、嬉しくも思いました。                                             
 現代では、例えばゲームなどに夢中になっている子どもの姿をよく見かけますが、まさに「受け取る文化」に埋没している状況がまん延しているといえます。
 近年ますます少子化が進み、受験体制のなか競争の世界が激化して、治安の悪化、交通事情なども悪くなり 子どもたちから「遊ぶ仲間」、「遊ぶ時間」、「遊ぶ空間」までも奪い去られて、心身共に、成長・発達のゆがみが心配されてきています。「受け取る文化」に埋没して人間としての豊かな成長・発達が難しい時代を迎えていると考えられます。人格のゆがみまで来しているのではないかと心配もされます。                                                  
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※ 写真は キリで木に穴を開けるダウン症のK子ちゃん(3年生)魚屋さんごっこをするためにいろいろな素材で魚を作ります。この写真は糸鋸で板切れを魚の形に切りぬき、キリで目の所を穴開けている活動です。

※ 私は、連絡帳を日記帳として兼ねて使わせてきました。こどもたちには、日々の小さな感動(心の動き)を短くてもいいから書き留めていくことを大切にさせました。連絡帳ですから保護者の方も読みます。「お家の方へのお手紙ですね」と話しました。そして、「時には学級の仲間や、先生も読ませてもらいます。皆さんの書いた日記・詩などをもとに、それぞれの生き方の良さを見つけ、学び合っていきましょう」という約束事を、はじめにしておきます。それを時々名前を伏せて黒板に書くこともあるのですが、学級のみんなと『いいとこ見つけよう』ということで、その日記(詩)から、その子の生き方の良さを見つけ、自分の生活経験と結びつけたりしながら、いろいろ想像して話し合い学びあいます。(長い文になると印刷して配ります。)そして、互いに共感し理解を深め信頼関係をつくりあげていくのです。

『ひま』 小5年 K男

 きょうは ひまでした
 ファミコンやっても ひまでした
 コタツでねてても ひまでした

 アバにいって
 ビデオを借りにいくことにしました
 アバにつくと 二組の岡田君がたち読みをしてました
 まんがのビデオを借りました
 アバのサービスのスタンプは8になりました
 あと二つ集めれば何かプレゼントとかいています

 かえりました
 ビデオをみました
 終わったら またひまでした

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針金や空き缶などいろいろな金属を使って立体表現に取り組むK君

 岡崎小学校に転勤して、五年生のK君に出会いました。特に目だったこともなく真面目な子どもです。彼は日記に『ひま』という文を提示してくれました。習い事をたくさんしていて、その忙しい日々の中にも、ふっと暇な時間があるのだなと思いました。彼の日記を通して現代の多くの子どもたちの「受け取る文化」にひたりきっている生活の姿が表現されていると感じ取りました。ひまなときに、子どもたちが集団で遊んだり、何か道具を使って新しい物を造り出す創造的な遊びができれば、自らの力で生きる力を育んでいく状況が生まれると考えられます。しかし、彼が描いている生活の様子が、多くの現代の子どもたちの「受け取る文化」につかりきった姿ではないかと考え、この文を大切にしています。

 かつて子どもたちは、徒党を組んでいろいろな遊びを考え、継承して活動してきていました。その集団遊びを通して人間関係のルールを身につけ、さまざまな判断力を養い、たくましく生きる生き方を学び合ってきました。

 しかし、その子どもたちの創造的な遊びができる時間と空間、仲間が奪われてしまっています。子どもらしいやんちゃをして、駆け回って、さまざまな感情がほとばしる活動が失われてきたのです。

 そして、逆にバーチャルリアリティの世界にのみ込まれて、想像の世界が幻想や妄想の世界に陥る危険性が広がってきています。

 したがって、年を追うごとに子どもたちはアンバランスに発達してきている姿を目にするようになってきました。感性・知性が荒れている、自分の感情をコントロールできない、手が虫歯になっている(不自由な手)・・・子どものおかしさをこのように表現されてきました。さまざまな未発達の部分を持って学年を進めているといった状況を強く感じています。体力、学力問題から、現代では人格のゆがみまで危惧されてきています。


(2)学校は子どもたちのために輝くところ 

「受け取る文化」から脱却して、しなやかでみずみずしい感性と確かな表現力を

 こうした状況を考えれば考えるほど、いっそう学校という学習の場が存在価値を輝かす必要が高まっています。各教科学習の充実と発展、教科以外の取り組みの深まり、どれをとってもおろそかにできません。
 美術教育は、色や形、その構成によってものごとを捉えたり表現したりして、新しい物を創り出す活動の基礎を学ぶ教科です。その創造活動を通して自己の存在を確認しながら、人間として生きる自由や主体性などを獲得していく営みであると把握しています。
 学校における学習は、限られた時間の中で意図的、計画的に進められなければなりません。学習は、あくまでも子どもたちの主体的な学習意欲を基本に据えて、教材のもつ価値や教師の指導性に基づいて展開されるものです。美術教育も言うまでもありません。
 授業時数は、1,2年生は週2時間の年間70時間。3,4年生は年60時間、5,6年生は50時間、に規定されています。かつてはどの学年も週2時間、年間70時間でしたが、中学年、高学年とも残念ながら削減されています。(一単位時間は四十五分)本当に限られた少ない時間の学習になります。
 したがって、ひとり一人の教師が子どもの豊かな発達を見据えた美術教育観を持っておかなければ充実した美術教育は望めないし、往々にして場当たり的な学習の繰り返しに陥ってしまいます。
 学習の展開は、指導要領やそれに基づいた教科書を参考にしますが、それぞれの地域にある学校、その地域に生活する子どもたちにふさわしい教材を設定する教師の主体性が大切と考えています。こどもの生活、地域に根ざして、色や形、その構成を学ぶ教材がどのように存在するか教師が見通す必要があります。その見通しを描いたのが「教材(絵)地図」です。
 例えば、「自転車」はいろいろな「線」と「その組み合わせ(構成)」によってできた教材と考えます。また「消防自動車」は「赤い色」、公園に展示されている「機関車」は「黒い色」の学習の対象になる教材と位置づけられます。ともに広い面、大きな量・塊、導管など細い「線」などの組み合わせ(構成)によって成り立っています。
 同時に、そうした「目に見える形」を追求しながら、それぞれに持つ「役割・意味・思い・感情・・・などの目には見えない象(かたち)」が形成されます。一枚の絵を描くということ事や一つの立体作品を仕上げるということは、そういう「形」と「象」が相互作用しながら高められて形成されていくものと考えています。そのことが創造活動であり、美の追究であり、享受とみています。
 こうして心の中ばかりを対象にするのではなく、できる限り生活に関わって絵を描いたり、ものを作ったりすることを小学校では重視すべきと思います。その活動を「教材(絵)地図」をもとに描く事と紙、土、木、金属などの「基本的な素材」において取り組んできました。
 生活に根ざして、しなやかでみずみずしい感性を育み、確かな表現力を身に付けさせていくということは、なにも美術教育に限られたことではありませんが、現実の子どもたちの姿から美術教育を見つめ深めていきたいと思います。

(3)学習・授業の時間が
  子どもの生活の創造


 家庭や地域での子どもたちの生活が、創造性を発揮する「時間」「空間」「仲間」が奪われてバラバラにされて孤独に追い込まれて、妄想・幻想の世界に追い込まれる状況にあります。それ故に、学校における学習あるいは授業そのものが現実のリアルな生活そのもので、それがより感動に満ちたものであるほど子どもたちの現実に立脚した夢や想像の世界が描けるのではないかと考えます。すなわち、美術の授業・学習が子どもたちの生活の創造そのものであるということです。それは他の教科の学習や教科以外の学習も同じです。

 しかし、それぞれの教科には独自のねらいがあります。例えば国語では日本語の決まり(文法)やさまざまな表現の仕方があり、それを学びます。同時にその表裏一体になる人間の生き方も問題が提示されています。その生き方について考えるのです。
 美術教育も、色や形、そしてその構成の仕方を学びます。そして同時にもう一つの「かたち」=「象(目にみえない思い・感情など)」を意識し、感情移入したり、享受したりして人間の生き方について考えていきます。

 最近、発行された『わかやまの教育(春)』の表紙を飾る絵を頼まれて、5年生の「しろつめくさのうた」の作品を使いました。理科の時間に学校から外に出て田畑のあぜ道を歩きながらさまざまな春の息吹を感じ取りながら、しろつめくさに焦点を合わせて子どもたちが図工の時間に小さな画用紙へ描いたものです。

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「しろつめぐさうた」

 春風、ヒバリのさえずり、すずめのてっぽうの草笛、しろつめぐさのブレスレットや花のかんむりづくり、四つ葉のしろつめぐさ探し、草の匂い・・・こうした春の喜びの感動を、その子なりに記録し表現しています。

 ここでは、緑の重なりの表現や、中心を濃く強く描き、まわりは柔らかく弱く描いて全体として画面にリズムを創り出すことを大切にしています。また、しろつめくさの葉の形は、レンゲの花の葉とも違うし、カタバミの葉とも同じではないわけです。その特徴を捉えながら、子どもたちは独自の表現を追求していきます。

 このように学習の中で地域を歩き、自然やさまざまな事物にふれ、さらにスケッチなどして描き表現する・・・という営みが子どもたちの新鮮な生活をつくりだしているのです。

(4)基本的な素材に立ち向かう

 何度も繰り返しますが、学校というごく限られた場所と時間の中で、子どもたちの豊かな成長・発達に関わる美術教育を、地域に根ざした教材を設定し(絵地図)描き、基本的な素材に立ち向かわせ、巧みな手を育て対応する感情を陶冶していくことを保障するために取り組んできました。

 その基本的な素材とは、紙、土、木(竹)、金属などです。
人間が人間らしく発達してきた過程にこれらの素材があります。手が素材に働きかけて新しい価値を持った物につくり変える変革の営みのなかに人間の発達があると言えます。目に見える形をつくりながら、感情など目に見えない象(かたち)をつくって、それをコントロールしていく豊かさを生み出す、そういう営みといえます。
以下に、各基本的な素材について学年の取り組みを記しました。これらは、あくまでも目安であり子どもたちにふさわしいより良い教材が更新されていきます。

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※ 素材に対する各学年の取り組み事例の記録 参照(予定)

 子どもたちは、素材にむかって道具を使い、新しい価値を持った物に作り替える創造活動の過程とその結果の作品を通して、自分を変革し他との交流によって新しい自分を発見していきます。そのために制作の過程と結果をどう評価するかは重要な課題です。

(5)子どもを伸ばす評価

 子どもたちは認められ励まされて伸び、つぎの意欲を呼び起こします。子どものよい芽を伸ばす評価を意識しなければなりません。

 空き缶でつくったカニについて、4年生の子どもの日記があります。スチール缶はアルミ缶と違って抵抗がとても大きいのです。それでも「缶切り」や「かな切りばさみ」などの道具を使ってつくりあげた物です。作品を通して家族の評価(支え・はげましなど)がみごとに描かれています。教師の仕事をしているものにとって、子どもたちの成果・作品をどう受け止めるべきかを提言してくれていると思います。無原則的な甘やかしでなく、子どもたちは認められるために学校にきているし、人間らしく発達するために(自由になるために)学んでいるんだということを考えさせられます。


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『カニづくり』 4年 M子

 さんかん日に鉄のカニができあがりました
 さっそく見つめてみると
 なかなかのできばえです
 カニのはさみを赤くしようと位置を考えていたのに
 目のところが真っ赤になってしまいました
 こんな空きカンで、こんな立派なカニができるなんて
 思いもしませんでした      
 
 お母さんは
 「かわいいカニやなー」とほめてくれました
 お父さんも
 「たまにひまなときに作って遊んだら楽しいのにな」
 といってくれました

 お母さんは
 「お部屋のどこにかざろうかな」といいながら
 タンスの上にかざってくれました
 はさみは小さいがとてもかわいいカニにみえました 


 スチールの空きかんを切り開いて平面にし、そこにかにの形を描き、かな切りばさみで切って部分を起こして立体的なカニの形にする取り組みです。

 H男くんは、自分ではうまく仕上げたつもりでしたが、家の方には単なるスチールのかたまりのように見えたのでしょう、厳しい評価を与えられてしまいました。「スチールのような硬い金属を、よく切ったね。すごいわ」「何をつくろうとしたの」と聞いていただき、対話を広げていただければありがたかったのですが、忙しいときには誰だって直接的に評価を下してしまいがちです。学校で制作した絵や工作などは、家庭ではそれをもとに共感していただき、対話を広げていただきたいのです。そして、その取り組みを深め、その子の良さを見いだしていただければ、子どもの励みになり次の創造活動へ引き継がれていきます。学期末の通知表の評価だけでなく、日頃の子どもたちの表現している物事をも受け止めて、常にその子の良さを見つけ励ましていただければ、その子の成長・発達に深く関わることになると思います。

 H男君は、厳しい評価に対して、めげずに日記にその様子を描く事によって、たくましく飛躍したと考えています。

 評価は、学級では子どもと教師、子どもと子どもたち、それぞれ相互に共感し、理解し合い、その良さを認め励ますために行われます。学校という大きな集団の中でも、同じ事がいえます。常に子どもが生かされ、その子の存在感が輝き、確立できるように取り組まなければならないと思います。
 
『鉄のカニ』 4年 H男

 鉄のカニは
 はじめてできた時は強かった
 足もがんじょうだ
 はさみもよく切れそうだ
 目も光っていた

 しかし
 家に持って帰って
 「なんよ これ」
 といわれて
 カニは
 だんだんに
 たおれていきそうになった

(6)わかりやすいねらいを持つことと
  「教材(絵)地図」


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「教材(絵)地図」(旧・附属小学校にて)

 図工科で、いったいなにを「ねらい」に持ったらよいのでしょうか。できるだけ誰にでも分かりやすく理解できるように表現したいと思いました。

 色や形の基礎的なこと、その構成(表現の仕方)が課題と捉えています。さらにその底流に人間の生き方の問題が感得され表現されるのです。

 色については、低学年では「多彩に」、中学年では「混色や重色で、自分の色を」、高学年では「色調の統一や変化、対比などを意識して表現」を主な目標として把握して指導に当たります。

 形は、線、面、量(かたまり)などを意識して、単純な物から複雑な形へ、そして構成へ進みます。

 特に中学年以上では、関係づけて捉えて表現する力、構成力を育てることを意識します。
 こうして種々の造形課題に対応して、子どもたちの生きる具体的な生活の場に教材を見つけ設定しました。


 それを絵に描いてみたものが「教材(絵)地図」です。どの学校に勤務しても、校区を中心に歩いて調べます。このことは図工に限りません。社会科、理科など他教科にも関わる仕事です。

 例えば消防署があれば、3年生・社会科で「消防署で働く人々」について学び施設を見学します。私は「消防自動車」を赤色の学習とその形を描いて、そこで防災に関わる仕事をする人々について考えさせます。「赤色」は、絵の具の「赤」「だいだい」「黄」に対応させていきます。また蔭の部分や他の色が反映している部分などの色には、「○○○がかった赤色」を意識します。

 また、公園に機関車が展示されていてそれを教材にもしました。色は「黒」です。形は大きな円筒のかたまり(量)ですが、そこに導管などさまざまな線が組み合わされています。
 「機関車やえもん」などいくつかの絵本があります。また機関車の童謡もあります。車輪とレールのきしみが捉えられたSLの効果音も聞きます。自分の体内でエネルギーの変換をしながら多くの人々の夢を運んできた機関車です。

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「機関車」を描く・作品(6年)

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岡公園の木陰から機関車を写生 (昭和58年度市勢要覧「わかやま」P7の「次代をになう人づくり」のコーナーでページいっぱいに掲載されていた写真・右は教育実習生) 

 こうした背景をしっかり感じ取りながら、機関車の「○○○がかった黒」をつくりだし、さまざまな形を組み合わせて、その子なりの機関車の世界を構築していきます。
 子どもの描く絵は、主観を通して色や形を構成していきますから、そこに省略や強調・・・ゆがみ、息づかいまで表現されるのです。自然の営みの不思議さや美しさ、人間の営みの喜怒哀楽、工夫して生きているたくましさ、すばらしさ・・・を根底に感じさすものが生活の場にある物事なのです。それ故に、教材を子どもたちの生活の場において設定していきたいと思ってきました。そして、それらの教材は子どもたちによっても取捨選択され検証されていきます。


(7)学校(教室)は
  子どもたちのための美術館・文化会館


 学校、あるいは教室というところは、子どもたちのための美術館であり、文化会館でもあると考えてきました。教室には常に子どもたちの絵やさまざまな作品が展示されていて鑑賞できる状況にある事が必要です。それはひとり一人の子どもたちのかけがえのない存在を確認するためであり、子どもたちが互いにそれぞれの良さを確かめ合うためにあるのです。それは教室に限りません。学校のあらゆる場所を意識して子どもたちの発信の場であると自覚することが大切です。

 体育館(講堂)は言うまでもありませんが、校内の掲示板などあらゆる場所を子どもたちのための展示場として活用していきます。例えば、保健室の壁面に子どもの絵を展示させてもらいました。体調が悪くて休みに来たり相談にきたりする子どもたちも、そこで仲間の絵に接することができます。

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 体育館での夏休みの後の『大きな大きな絵』の作品展(新南小学校)・児童集会「楽しい二学期づくり集会」と兼ねている

 体育館での夏休みの後の『大きな大きな絵』の作品展は代表的な取り組みです。夏休み中に絵画教室を開いて全紙大の画用紙に、描きたいことを描きたいように描く時間と場所を提供して、応援し、制作します。時には保護者の応援や参加も得ます。幼稚園の子もお兄ちゃんやお姉ちゃんに連れられてきました。また他の学校の子も「友だちいっしょに」として描きたいとやってきました。みんな寄っといで、それぞれの世界をつくろう、そしてみんなの展覧会をしようと、体育館いっぱいに展示して集会などに紹介してきました。また大きな絵ばかりでなく、児童会主催で夏休み作品展(工作や家庭科の作品・・・)を開いてきました。
 「おもしろいで賞」「でっかいで賞」「かわいいで賞」「アイデア賞」・・・たくさんの賞をつくって児童集会で児童会から表彰されるわけです。従来のように夏休みが終わると商業主義に根ざしたコンクールに振り回されたり、郵便局の募集している「貯金箱」ばかりの工作になると言うことはありませんでした。

※ 児童会・児童集会、『大きな大きな絵』の取り組みについては別の項参照(予定)


 学校全体で、ひとり一人の子どもの良さを確かめ合い、その存在感を認め合う場として体育館(講堂)は大切です。絵の展示会ばかりでなく、合奏、合唱の発表の場であり、劇や学習の成果を発表する場でもありました。そのもとには児童会活動、児童集会活動、表現活動・・・等の活発な取り組みがあるのです。体育館、運動場はその子どもたちの文化活動を支える活動の場所なのです。美術教育(図工科)の取り組みが大きく関わってきます。学校は子どもたちの豊かな成長・発達のために輝くところです。


【2】(1)『詩とこどもたちの生活―豊かな感性をはぐくむために―』


子どもたちは、思いかばんにいろいろな思いをつめこんで学校に来ています。そして、それをいろいろなかたちで私たちに放射するように投げかけてきます。

『たび』 
日よう日 たびに でた
「たびに いこう」
と ぼくが いった。
弟が
「いこう」
といって 出発した

和歌川についた
下におりて
水をさわって
においをかいだ

「くさーっ」
はなをつまえて
しっこして かえった。


この「たび」は、ほんとうにおもしろい旅でした。というのは、学級の仲間が三度も大笑いさせられたからです。
「たび」に出たというから、どこかに旅行したんだな、どこへ行ったのだろうと想像しました。ところが、すぐに「和歌川」に着いたというもんだから、思わずふきだしてしまいました。
「くさーっ」なんて、わかっているのににおいをかぐな!!とみんなの笑いがとまらぬうちに「しっこしてかえった」とあります。おなかをかかえて大笑い。
しかし、Mくんのこの「たび」の文が、社会科の下水道の学習に結びついて長い新しい旅に出発しました。
和歌川といえば、ヘドロの川で生き物などいないと思っていましたが、次のU君の詩で、カニがいることが分かりました。

『かにとり』 
和歌川にいった
大きいカニがいた
「イター」
大きいはさみではさまれた
指が あかくなった
そっと手にのせて
ナイロンに入れた
小さいあな
大きいあな
カニのすみかがたくさんあった
おおきいあなをほった
なかなか大きいカニだ
「えいっ」
手をつっこんだ
カニはがんばってとれない
「もう やめた」
そのカニをあきらめた。
くつは どろどろ
コンクリートの角で
どろをおとした
「もうかえろかな」
「もうかえろ」

かえるとちゅう
「カニが いま出てきてるんとちがうかな」
と思いながらかえった。


後半になると心のうねりがいっそう伝わってきます。あの大きいカニが頭にこびりついて、いわゆる後ろ髪を引かれる思いで帰って行く気持ちが子どもらしくていいなと思いました。
もっと美しい川で泥んこになって遊べたらいいのにと考えながら、それでもこうして夢中になって遊べる子どもたちは、すばらしいと思いました。
最近では、感性が荒れているという言い方がよくされています。
例えば、工作や文集をつくるときなどに「ノリ」を使いますが、その使い方でノリを山のようにつんだままのつけ方で、しかも必要なポイントにつけることができなくてはみだしたり、ずれたりするつけ方をしてしまいます。ほとんど指先を使わないでチューブをそのまま押しつけたり・・・高学年の子どもでも平気でしています。
しかし、そのような状況をそのままにしておくことはできません。私たちは一つ一つていねいに感性をいやして、するどく豊かに育てねばなりません。
生活をつづること、「詩」を書くことによって自己を見つめ、互いの喜怒哀楽に共感し理解し合って信頼関係を深めていく活動もその大切な方法です。

『あまがえる』
あまがえるが三びき
葉の上に
すわりこんでいる

一日目にふんを四コのっけて
四日目にかぞえきれないふんをのっけて
四月の中ごろから
ずっとすみついている

おやこの
あまがえるよ
たまに家をきれいにしろよ


子どもたちは生き物には敏感です。見過ごしてしまいそうな小さな生き物でも、めざとく見つけて手にしています。
十一月に入ってKくんが、この「あまがえる」を書いて持ってきてくれました。
じっと座って動かないあまがえるですが、ふん(うんち)によって、その生命観が強く伝わってきます。葉っぱをトイレのように使っている親子のかえるに投げかけている気持ちにユーモアを感じます。

六月の中頃、学級の子どもたちがザリガニを持ち寄って図工の時間にスケッチしましたが、女の子も男の子もみんな生き生きとした線で鋭く描く事ができました。興味と関心の強さが見る力、描く力に大きく作用したようでした。
Nくんが、そのスケッチの横に「ザリガニくん、いつもおしゃれして、かっこいいな」と書き添えていました。真っ赤なよろいかぶとに身を固めた様子をオシャレと捉えているのがなかなか楽しいものです。
同じ時期にTくんが次のような詩を書いています。

『水にうつったくもり雲』
自転車で
おもいっきり走った
たんぼの水に
田植えが終わり
小さないねのみどりの中に
青空へのこったくもり雲が
うつっている
おもいっきり追いかけるにつれて
雲がはなれていく
まってくれ
まってくれ
知らないうちに
水にうつっていた家に
重なるように消えた


いろいろなかたちで初夏の季節感を教室に運んできてくれましたが、五月の初めに、Hくんは、

『たけのこ』
ぼくの家のれいぞう庫の中は
たけのこで
いっぱいだ

たけのこは
だいすきだが
毎日食べていると
あきてきた
もう
たけのこは
「いやだ」


と訴えてきました。
「生活の中で、心を強く動かされたことがあったら書きつづっておこう」と言ってきましたし、「やんちゃなおしゃべりを自由に書く」こともいいだろうと思っています。この「たけのこ」にも教室は笑いにつつまれました。
 季節感といえば、スパーマーケットの戦略的スローガンのひとつに「季節感をなくせ」というのがあるといわれています。スーパーマーケットでの万引きという非行問題が、今どこの学校でも表面化しつつありますが、消費文化の中にどっぷりとつかりきった生活の中での感性の荒れから人格のゆがみに発展していると考えられます。

『イズミヤ』
新しくなったイズミヤ
いろいろなお店が出て
一階も、二階も
人でいっぱい
まいごになっても
おかしくないくらい

でも もう少したつと
また人が少なくなってくるのだろうな

「空車」となっていたカンバンが
「満車」にかわっていた


子どもたちが現実(自然・社会・人間・文化・それらの諸関係・・・)にぶつかり、それをありのままに、リアルに表現することを通して、ものの見方や感じ方、考え方をするどく、しなやかなものにしています。C子さんの「空車」と「満車」という言葉は、変化を敏感にとらえているだけでなく、人間として生きることの意味に深く関わって表現しているととらえています。
喜び、悲しみ、怒り・・・新しい発見、ひとりひとりの感動を、書き留め、少し吟味して言葉を選び綴っていくことによって、その感動を学級集団の中で分かち合えます。

『かたたたき』
お父さんのたん生日に
十月十八日までしか
つかえない
かたたたき券を
あげた。
でも お父さんは
「たたけ」
といいません
あとなん日もないのに
「かた たたけ」
といいません
ひにちがたったら
どうしようかな

ひにちがすぎても
たたいてあげよう


Y子さんの「かたたたき券」という発想がとても楽しいものです。お父さんは、あまりうれしいので大切にしまっているのかも知れませんね。

『ドアの外』
やくそく守らないで
外は まっくらだった

「ただいまーっ」
ドアのとってを回した
かぎがしまっていた
「おかあさん かぎあけてー」
新聞入れのところから言った
「いま何時と思ってんのよ!!」
としかられた
妹に
「そこで一時間立ってよ」
といわれた

さんぽして
新南公園まできて
すこしあそんだ

かえってくると
妹がないていた
(またおこられたんやろ)
と思った
「おにいちゃん」
と母の声がきこえた
「はーい」
「ほれ いてら あけちゃんな」
といった
妹は ぼくがいないからないていたのだ
それを思うと
なみだがでてきた


子どもたちは、友だちの叫びに耳を傾け、心のうねりにいっしょになって感動し、それに学びながら人間的な真実にふれていくことになります。
詩であれ散文であれ、書くことは子どもたちにとって生活を見つめることです。現実の事実を言葉を選んで書き綴ることを通して、みずみずしい感覚とゆたかな感性をはぐくんでいます。
私たちにとっては、それらは子どもをよく知る手がかりになります。子どもたちが放射するものを私たちは敏感に受けとめなければならないと思います。そして、それを受けとめられるだけの感性の豊かさを私たちもはぐくみあっていなければならないと考えます。※作品はいずれも四年生のものです。 (文責 秋月久俊)

※ 以上が、新南小学校育友会広報紙「しんなん」(昭和58年12月24日発行)で保護者向けに記した記録です。子どもたちの何気ないちょっとした生活の中での心の動き(感動)を綴ることを通して自分を見つめることを大切にしてきました。そして、互いの信頼関係を結ぶために読み合うことを大事にしてきました。生活を綴り、それを読み合い、ひとりひとりの良さに共感し、理解していくことが信頼を深め、励まし合って生きていくことの希望につながっていることは確かでした。

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新南小学校育友会広報紙「しんなん」(昭和58年12月24日発行)の一部

※ 読み味わう方法は、例えば『たび』のような短い文であれば、黒板に題を書き、名前は伏せたまま「どんな旅がはじまるのでしょう」と投げかけます。そして一行目から記していきます。立ち止まりながら言葉と言葉を関連づけながら想像して読んでいきます。ここでは「弟」がすぐに登場してきます。「あれ、家族の旅ではないんだ」「弟と気持ちがよく通じ合っているんだな」・・・というように級友の思いがふくらんでいきます。
大体は、連絡帳(日記帳)をコピーして配布したり、書き写して作品の資料にして
読みあってきました。


【3】図工科の取り組み(実践例)
 《教材絵地図より》


(2)『虹の橋がかかるとき』(2年生から)
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(3)『ウサギさんの物語』(2年・3年・4年生が対象)

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ウサギさんたちを囲んで・「ウサギさんたち、緊張してる!!」

   ☆ 3年生
   ☆ 墨汁・水彩絵の具・筆(大・中・小)
   ☆ 版画用和紙(どうさ引きをしていない用紙・滲みができる用紙を使用)
   ☆ 4時間

  いくつかの小学校では、子どもたちがウサギを飼育していました。ウサギは、穴を掘って通路を通し住みかを造ります。その中で、かわいらしい子ウサギが生まれて、子どもたちの人気はいっそう上がります。野良犬などに襲われることがありますから、厳重な囲いが必要です。

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「しっかりモデルしてよ!!」
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「モデルばかりはつまらないよ。どれどれ、うまくかいてくれているかな」

  図工の時間に、ウサギの親子にモデルになってもらって、子どもたちは絵を描きました。
子どもたちが、それぞれ物語を作って絵を描きます。親子の愛情、友だち同士の語らい・・・などが多いようです。
☆ 造形の課題は、画面の中にどのように構成して描くかです。
   黒板に画面構成の基本的なパターンを考えて図で示し、子どもたちが構成のおもしろさを意識して、自分のとる画面を決めます。形と形の関係を意識するのです。
 「画面構成の基本的なパターン」は、教師が初めから図示するのでなく、子どもたちに考えさせて、それをもとに整理するのです。  
(中心に据える。はみ出して描く。左右、上下にふれて中心を置く。それぞれの組み合わせ。・・・)
☆ その中で、形と形が重なって描くという目当てを入れています。
形を重ねるという課題を持つことによって、無意識的に形を羅列する傾向にあった子どもたちが、画面構成するときにいっそう構想を練るという活動をとることになります。
愛くるしいウサギたちへの思いをもとに、子どもたちの物語が画面に展開されていくのです。

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「子ウサギちゃん、かわいいよ!!」「あったかい!!」
順番にだっこして生きてる暖かさを感じ取っています。

☆ B5ぐらいの用紙に、あらましの下絵を描いておきます。

細かい部分にこだわらないように、墨汁(パレットの中で多少の濃淡をつくり)を使い、太さの違う筆を使って、版画用の和紙(滲みが利く紙を利用)に描いていきます。彩色は和紙の裏から色づけして滲ませて表現します。
比較的短時間で仕上げる取り組みですので、単純化された形になり、やや観念的な形になりやすいですが、それでも子どもたちひとり一人の思いが描かれているようでした。

関係する同様な教材として
 「ザリガニくんのうた」「にわとりさんの物語」・・・

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掲示板に展示した作品

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(3)『トビウオのうた』 (3年生)
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《基本的な素材に立ち向かう》
(木・竹)


(2)『ヨット(船)づくり』(作って遊び、飾って楽しむ)


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ヨットを浮かばせて遊ぶ子どもたち(旧・附属小学校プールにて)

〈1〉 学年 4年生

〈2〉 教材について 

 「ヨット(船)づくり」は、小学4年生の子どもたちのために、総合的な手仕事として木を中心にしたいろいろな素材を組み合わせた工作教材として考案したものである。
子どもたち自身の手で集められる「かまぼこ板」(縦5p・横15p・厚さ1p)を2枚使って、4層からなるヨット(船)を作る。さらにもう2,3枚の板を使ってヨットを置き飾る「台づくり」をする。
着色、ニス仕上げをして、プールで浮かばせて遊び楽しむという学習過程をとる。
木という素材は、素手では変革を加えることはできないもので、ノコギリ(糸鋸を含む)、錐(きり)、などの道具を使って新しい価値を持ったものを創り出すことのできる重要な素材のひとつとして位置づけている。
中学年の、3,4年生の段階で、こうした計画的な工作で木という素材に立ち向かい、作って遊び、飾って楽しむということに目を輝かす。特に、「ヨットづくり」は算数科で“平行”の概念を学び、実際に図案を描いて物づくりを体験するという適切な時期であると踏まえたものである。
 学習の仕方についていえば、「かまぼこ板」からくる画一的な造形になるが、初めて学習する内容が多々あり、この形態は適切であると考えている。ただ、「台づくり」では、子どもひとり一人の創意に基づくアイデアを生かしたデザインを重視することになる。
「かまぼこ板」の収集は、調理員さんにお願いして、給食用のかまぼこを板付きにしていただき貯めていただく事と、子どもたちも各家庭で集めておく。また、木材工場を訪問して素材収集にもあたった。
 木という素材について関連教材として以下の取り組みをしてきた
     3年生では、木を使った「壁飾り」「ペンダントづくり」
     5年生では、「凧と糸巻きづくり(レリーフ)」
     6年生では、「走馬燈(まわりどうろう)づくり」


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完成したヨットと飾り台(子どもたちひとり一人デザインが違います)

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飾って楽しむ

〈3〉 指導目標

 木を中心にしたさまざまな素材を使って、新しい価値を持ったものを創出するという仕事のねうちを体得してほしいと願っている。この取り組みを通して、「美しさ」を常に意識して制作に当たらせたい。
  @ 木を中心にしたさまざまな素材にふれて、道具や機械に慣れ、手の豊かな感覚と巧みさを培う。
  A 設計図を描くことができ、計画的にもの作りができる。
 B 飾り台のデザインを考え、形づくるおもしろさを味わう
  C ヨットの完成の喜びと浮かばせて遊ぶ楽しさを味わう
  
〈4〉 使用する素材・道具

※ かまぼこ板(4〜5枚)、竹ひご、ストロー、糸、釘(3本)
   ビニール袋 画用紙
   針金、ブリキ(スチールの空き缶を切り開く)、鉛のおもり(丸3号)
※ きり、電動糸のこ機(6台)、両刃のこ、金づち、ペンチ、金切りばさみ、、
   木工やすり 紙やすり、カッターナイフ、定規、はさみ、(万力、カンナ)
※ 油性接着剤、水性接着剤、絵の具、ニス、シンナー、刷毛、のり
※ 工作台、工作マット

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「ヨットができたぞ―!!さあ、進水式だ!!風をしっかり受けてビュンビュン進ぞ!!」

〈5〉 指導の過程と課題

  @ ヨットの作品例を見て話し合い、より美しく作るために気を使うところを確かめる。プールで浮かばせ、風によって走らせて、みんなで楽しく遊ぶことができるという目標や製作の計画を立てる。
 ・「どんな材料で、できているのだろうか」
 ・「何枚のかまぼこ板を使って作っているのだろう」
 ・「どんな形にしたら、より美しく、より早く走るのだろうか」
 ・「なぜ倒れても起き上がるのだろうか」
(水槽に浮かべて、おもりによる重心の位置による実験をする)
 ・「家に飾っておくための台のデザインを工夫しておこう」
 ・「ヨットの名前を考えておこう」・・・

   A 設計図を描き、型紙をつくる

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  4年生 Hくんの設計図

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「設計図が完成したぞ、板に描けるかな!!」

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「設計図を切りぬいて整理できたぞ、板を切っていく順序が分かりやすいよ」

 ヨットの先の角度など、どれくらいが適当かを考えさせ、みんなで基準を作り出していく。算数で学習した平行の概念と平行線の描き方を応用する。斜めの平行線がなかなか難しい。“中心線”を意識し、設計図を描く事ができるようにする。
型紙は、これからの制作の見通しと順序を明確にできるので、設計図をカッターナイフで切りぬき整理して、学習過程のイメージを確かにする。

   B 板に線引きをして制作に当たる
   C 電動糸のこで角を切り落とす
   D 錐(きり)で穴を開ける
   E 電動糸のこで 板をくりぬく
   F 木工やすり、紙やすりで板を磨く
(3年生での経験をもとに、更に道具や機械を正しく使いこなせ、線に沿って真っ直ぐ切る事ができるようにする。3年生での学習経験がなければ、道具等の扱いをより丁寧に指導するようにする。例えば、錐(錐)では「三つ目」「四つ目」の違い、柄が下の方が太くなっているのはなぜか、錐を持って歩かない、投げないなど安全な使い方を身に付けさせる。
築港の木材工場でいただいた切り株(4〜6個)を錐専用の工作台として、使用場所を限定してきた。)

   G 油性(水に浮かばせるヨットづくりに)と水性(家に飾る台づくりに)の接着剤の特徴を知り、接着する
   H 着色する。色調、明暗などを考え四層からなる船体を塗り分ける。
   I 帆をつくる。竹ひご、ストロー、ビニルなどで帆柱、帆をつくる。
   J 舵をつくる。ブリキ板を「金切りばさみ」で適当な大きさに切る。針金をペンチで切り、ブリキ板を折り曲げて取り付ける。
   K 船底にオモリを打ち付け、船体に舵、帆を取り付ける。釘は「四つ目」の錐であらかじめ軽く穴を開けてから打ちつける(板が割れないように)。釘、帆等を糸で結んで完成させる。
   L ニス仕上げをする。
以上が、A、Bの二枚のかまぼこ板を使ってのヨットづくりの過程である。

次に、C、Dのかまぼこ板を使っての飾る台づくりに入る。
   M 船を置く(支える)腕のデザインを考える。画用紙に型紙を作る。

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   N Cの板を「両刃のこ」で二つに切る(より背の高い腕・15pを作りたいときは、もう1枚のかまぼこ板を使う)
   O 型紙をもとに、板に線引きをして「電動糸のこ」で腕の形を切りだす。
   P 磨いてからDの板に腕を接着(水性)する。
   Q プールに浮かべ風をうけて走らせ遊ぶ。

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【5】「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育」


商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育

昨年の9月に、知人のある先生から次のような手紙をいただきました。

「前略、夏休み前になると各種企業や団体からさまざまな作品募集の案内が送られてきます。そして、子どもたちに紹介した後、9月の初めに私たち学校教師は、その作品の応募の作業にこき使われています。ちょっとおかしくはありませんか?なぜ私たち学校教師が企業や団体の下働きのような作業をしなければならないのでしょうか?
プール指導の締めくくり、運動会の準備、夏休み中の算数や国語等の宿題の点検、席替え、係決め等々、9月の初めは仕事がどっさりあります。
私のような声が直接伝わるのは、まれな事であろうと思いますが、担当の教員は多かれ少なかれ感じていることです。
できましたら募集の案内は学校でしますが、作品募集は子ども各自が個人で直接そちら様の方へ送るようなシステムに早急に変更していただきたく思っています。
方法としては、新聞広告等でよびかける、あるいは、締め切り日や応募先を書いたチラシを人数分学校へ届ける、等いろいろあると思います。ご一考を。
ちなみに『みどりの絵』の送料710円もしました。学校持ちですが、コレデイイノカですね。一度、新聞に投稿したいですね。」

 怒りが伝わってくる文面でした。
 実は私も同じ思いで毎年といっていいほど、この問題について職員会議に出していました。昨年も、次のような事を提案したことを覚えています。

 『「スーパーひらまつ」に買い物に行ったら、店のガラス窓に児童画コンクールのポスターが貼っていました。私が感動したのは、応募方法で『このポスターの貼ってある店で受け付けています』と書いて知らせていることでした。つまり、「スーパーひらまつ」に、子どもや保護者が作品を持って行けばよいわけです。企業として一定の社会的ルールというか常識を守っていると思われて、私は拍手を贈りたいほどでした。
それに引き替え、多くの企業や団体が、学校を窓口にして紹介させ、さらに応募の手続きをさせ、教師のまとめさせて持ってこさせるという、ひどいときには送料を学校や教師が出さなければならないなど、大変厚かましく社会的道徳を踏みにじる行為ではないかとさえ思われることを繰り返しています。
校長会や教育委員会が、企業や団体に対して応募方法を改めるように指導すべきであると思われるのですがどうでしょうか。』

 今年も企業や諸団体の募集する絵やポスター、作文などのコンクールについての紹介のプリントがどこの学校でも子どもたちに配布されたと思われます。そこには募集方法が書かれていないということは、作品は学校で取り扱うということで、係の先生の手をわずらわせて各企業や団体の事務所に届けられることになります。

 私はこういう種類の募集を、「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)」と呼んでいます。これは、平生の授業や学校教育の中に入り込んできています。

 農林中央金庫主催の「花の絵」のコンクールがその一例です。こんな事例がありました。
「学年でそろえて出品してもらわなければ困る、だから先生も出してほしい」と私に強く言ってきました。強制されたのは初めてで何かの間違いではないかとびっくりしました。三クラスあれば、三クラスとも「花の絵」を描かせて提出してほしいというわけです。
また、図工の専科教師をしているとしましょう。担任から「企業などのコンクールに出したい」といわれる場合があります。
私の場合、美術教育は企業等のコンクールに出品することを前提にして取り組んでいませんから、どちらの場合でも出せないのです。

 「先生は、子どもたちに花の絵を描かせていたから、農林中央金庫の花の絵コンクールに出せるではありませんか」といわれても、美術教育には無縁であり、むしろ害になると考えている教師にとっては、「ついでに」という軽い気持ちにもなれないし、そう言われれば言われるほど、その先生を軽蔑してしまうのです。
「参加賞をもらえるから」と言われる方も居られました。なんと情けない根性だろうか。「教師も地に落ちたな」と思われるのが落ちでしょう。
「企業を利用しているんだ」と言われる方も居られました。たかが参加賞をもらうだけで自分の指導した子どもたちの絵を企業に売り渡せる神経を持つ教育観って恐ろしいと考えてしまうのです。
「もらえるものは、なんでも」と言われた方もありました。
粗末な商品(参加賞)に子どもの好奇心を駆り立てていいのでしょうか。こんなに物が豊かにあっても貪欲に物に執着する子どもを育てて良いのでしょうか。
公の場でコンクール主義を否定した方が、「花の絵を描いた人数を報告するだけでいいじゃない。それで参加賞をもらえるから、この方法でいきませんか」といわれたり、「企業に協力する」などといわれる場面にも出会います。

 一教師の日々の拙い実践でも真剣に考え、そして、そこに生み出された子どもたちの作品は、その人格さえ表していると、大げさかも知れませんが思い入れて取り組んでいる教師にとっては、作品が審査されるということは、子どもたちの人格が選別されるように思ってしまうわけです。思い込みすぎかも知れませんが。したがって、「たまたま花の絵を描かしていて、それをその企業のコンクールのテーマに合っていたから企業を利用して出品した、と思って出してみませんか」とか、「花の絵を描いた人数を報告してあげるだけですむこと」と簡単に考えられてしまうことに、いたたまれない気持ちがすると共に、悲しささえも感じました。

 「子どもの中に、作品を出していないのに、出したように言って参加賞をとりに来る子がいる」ともらされた先生が居られました。(この事例は、郵便局の貯金箱コンクールについてのケースだと思いますが、全員の作品は出せないので学級ごとに何点かに絞られて、選ばれなかった残りの子は作ったということで人数だけを確認して報告する仕組みでした)
 そうでしょう、当然そういう問題が起こってきます。
子どもだけではありません。「うちの子、作品出したのに賞品もらっていない」とか、「兄弟、同じような作品を出したのに、一方が賞をもらい、一方がもらえないのはおかしい」という保護者からのクレームがあった話なども出されましたが、このように保護者までもが商業主義のコンクールに巻き込まれて来ています。
 一方、「あの先生は作品をコンクールによく出してくれて、賞を取らせてくれる熱心な先生」
あるいは、「あの先生はコンクールに出すために、他の時間を割いてまで絵を描かせている」という見方をしている保護者の方々がいることも事実でした。そうなると、今度は教師が「自分の学級だけが、コンクールに出さないわけにはいかない」という意識にとらわれてきます。そして、賞を取るためには、これでもかこれでもかという過剰な表現指導が子どもたちに押しつけられてきます。
教師は保護者の目を意識し、さらに管理職は同様に「あの先生は熱心に取り組んでいる」という見方を示すものだから、教師は管理職の目も意識してコンクールに出品せざるを得ない状況に追い込まれます。「主任さんから出品しませんかといわれたら、断るわけにはいかない」という話も聞きました。教師自身が知らず知らずのうちに、競争と選別の渦の中に巻き込まれ、互いに傷つけ合い心や身体を痛め、蝕まれていくことになります。同時に子どもたちも。

ある方から、「6年生が市の音楽祭に出るに当たって、m先生が妥協したやないか、先生も交流学級の先生や図工の係の先生の意向も汲んで折れることはできないか。先生の考えを押さえつけようという気持ちはありませんが。」という趣旨の話がありました。
それに対して私は、「長年、教師であり続けることができたのは、ひとつは粗末な授業や実践しか子どもたちにしてこれなかったけれど、しかし、誠実に子どもの願いや要求をしっかり見定め、子どもたちに寄り添って教育という仕事に携わってきたつもりです。そしてそのことに誇りを失わないようにしてきました。だからこそ教師であり続けることができたと思うし、あと残りの教職についてもそれを全うするつもりです。したがって、自分が納得できないこと、特に教育観を曲げてまで商業主義にねざすコンクール主義には同意できません。
「6年生が市の音楽祭に出る」ことと質が全然違います。同じに考えてもらっては困ります。
(美術教育研究会の学期ごとの作品展、一学期の絵画、二学期の工作展、三学期の版画展などは私たち教師の力量を高め合うためなどの意義があります。それには私も子どもたちの作品を出品しています。商業主義に根ざしたコンクールではないからです。また、商業主義に根ざしたコンクールに生きがいを持って取り組んで居られる先生方に、私の考えを押しつける気持ちは毛頭ありません。私に、「出品してもらわな困る」と押しつけてくるから、困るのは私で、こうしてあえて提案しているのです)

 「美術教育ぐらい(いや、どの教育もですが)、競争と選別の教育の枠組みからはずして、子どもたちひとり一人に表現のおもしろさを味わわせ、互いの作品の良さを学級や学校で感じ取ることを大切にしていく教育を展開していくことを、なぜ考えることができないのでしょうか。」「美術教育だけでも、競争と選別の教育から、そっと静かにしておいてくれませんか。お願いしますわ。」という内容の話をさせていただき、職員会議で頼みましたが、なかなか分かってもらえませんでした。

 学校が、「企業を利用していく」「企業に協力していく」という結論になってきたようですが、結局は、「企業の戦略に手を貸す」「企業の論理に教育が従属していく」事になるのではないでしょうか。(企業は大切だと思うし、企業に協力することも時には必要だと思っていますが、何度も言いますが、企業や諸団体の商業主義に根ざしたコンクール主義、競争と選別の教育に問題を感じているのであって、企業を否定していません。できるはずがありません)

 奇しくも、ある方から「企業、企業というが、これからの世の中は教育の民営化が進んでいく。企業に協力していくことがどうして悪いのか」とまで発言されました。
「ちょっと待ってください。教育の民営化についてはまた議論しましょう。それは大きな問題です。
何度も繰り返しますが、学校が、企業や諸団体の商業主義に根ざしたコンクール主義に取り込まれては、極端な言い方をすれば、わずかな賞や賞品にあやつられて、美術教育の内容が企業の管理のもとに従属してしまいます。それでいいのでしょうか。そして、絵を描くという活動が競争と選別の対象になり、教師自身の指導力がコンクール主義によって評価される危険性が生み出されます。こうして、教師も子どもたちも絵を描くことがコンクールに出すためであり、内容も表現方法も企業や諸団体の意向に追従し、教育の主体性を投げすて(奪われ)、教育の荒廃、退廃につながるのではないだろうかと危惧します。これは、もう現実に起こっていることです。

 「確かに、一学期は、(歯科医師会の)虫歯予防のポスターのコンクールに出し、農林中央金庫の花の絵コンクールに出品したら、図工の取り組みは終わりやったな―」ともらされた先生のこの言葉は重いものでした。この事実をなんと表現しますか。長々と訴えてきた事の実態をはっきり述べられたのです。
「夏休みの自由工作の作品は、郵便局の貯金箱コンクールの作品ばっかり」と嘆かれる先生も居られましたが、無理はありません。

 私が図工の係になったとき、保護者である数人のお母さん方が絵画コンクール依頼に来られました。ある宗教団体主催の児童絵画コンクールですが、そこへの出品依頼でした。先生方の間では「豪華な賞品が出るコンクール」で有名でしたが、今までに述べてきたような観点から丁重にお断りさせていただきました。
ただ、諸団体などが絵画等のコンクールを催し、社会教育の役割を果たされていることにお礼をいいながら、学校には学校の役割がありとても忙しい所ですので、ぜひ募集の仕方を考えていただきご活動されることを願っています、と話しました。

 以上、長くなりましたが、手紙をいただいた知人をはじめ、少なからず心を痛めている教師がいます。皆さんのご意見を伺いたいと思います。
耀
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2012/12/16

和歌山での教育実践録(図工科を中心に)  

和歌山での教育実践録(図工科の取り組みを中心に)                                       秋月久俊 
                               
 平凡な一教師のつたない教育実践録(図工科の取り組みを中心に)ですが、折々に書き留めてきたものと写真の記録をもとに、ここに掲示しておきたいと思います。退職して記憶が途切れがちになるのを防ぐためにもブログに表現していくことが、健康保持に役立つだろうと考えています。
 以下に、まず図工科に対する基本的な考え方などを表しました。今後、書き加えたり写真等も追加していきます。そして、具体的な取り組みを記していきたいと考えています。 

もくじ・目次(ページはありません。後ろに次々と記録・掲示していきます。)

【1】図工科と学校づくりへのかかわり
【2】(1)『詩と子どもたちの生活―豊かな感性をはぐくむために―』
   (2)連絡帳=日記帳から (予定)
【3】図工科の取り組み(実践例)
 《教材絵地図より
  (1)『花さき山』(1年生から)(予定)
  (2)『虹の橋がかかるとき』(2年生から)更新中
  (3)『ウサギさんの物語』(3年生)

  ・『トビウオのうた』 (3年生)更新中

   ・
   ・
   ・
 《基本的な素材に立ち向かう》  
  (紙)   
   (1)
   (2)
   (3)
    ・
    ・
  (土)

  (木・竹)

(1)質の柔らかい板で『かべかざり』あるいは『ペンダントづくり』3年生  
   (2)『ヨットづくり―つくって遊び、かざって楽しむ―』4年生
   (3)『凧と糸巻きづくり』5年生
   (4)『まわりどうろう(走馬燈)づくり』6年生


  (金属)

  (その他の素材)

版画・紙、木版画を中心に》
紙版画(1〜3年生)
木版画(3〜6年生)
『短歌を彫る』(6年生)
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【4】「大きな大きな絵」の取り組みについて (予定)
【5】「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育」
【6】
【7】
【】
【】
【】
 ・
 ・
 ・

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教室は美術館、教室後ろの壁面の山は「花さき山」。優しいことをすると一つ花が咲く、そんな優しさの詰まった山です。1年生から4年生ぐらいまでの学年で春の教室を飾ります。

※ 1年生『花さき山』(斉藤隆介・作)の取り組み参照


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6人グループ(班)ごとに分担して「花さき山」を描き、それを張り合わせて完成。
きみどり、みどり、青のなかま+黄色のなかま・・・みどりのなかまを作り出す学習

山に木を一本一本植えるように描いていきます。

(パスで描いているから1年生だと思います)

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【1】図工科と学校づくりへのかかわり
(1)子どもたちに
  「創り出す文化活動」を!!


『おにいちゃん だいく』 小2年 A子                       

 ギーコ ギコ
 ギーコ ギコ
 ガッチャン
 おにいちゃんが だいくをはじめています

 ギーコ ギコ
 ギーコ
 たのしいだいく

 ギコ ギコ
 ガッタン
 木がおれてしまいました
 またひとがんばり

 ギコ ギコ
 ギーコ
 たのしいだいく

 なかなかきれない
 ちびっこだいく
 なかなかきれない
 おにいちゃんだいく

『さとうさんへ』 小2年 T男                                  
 さとうさん
 この文はおもしろいよ
 木がおれてしまったり
 またひとがんばりしているところが
 おもしろいよ
 さとうさん
 いまこんなすばらしい詩がかけるなら
 いろいろな詩をつくってほしいです
                               
(中ノ島小学校2年1組文集『たんぽぽ』より 1991・3・22) 

 90年度、中ノ島小学校で2年生を担任しました。A子ちゃんという子が『おにいちゃんだいく』という詩(日記)を書いてきてくれました。私が心に強く残ったことは、おにいちゃんの木に挑戦している姿です。遊び半分で木を切っているのでしょうか、あるいは何かを作ろうとして真剣に切っているのでしょうか、どちらにしてもおそらく切れないノコギリで、しかも未熟な技術で一生懸命に切っているようでおもしろくて仕方ありません。私のぶきっちょな子どもの頃の姿と重なって、とても親しみを感じます。
 そして、この詩からいろいろ想像し考えてみることができます。
 このおにいちゃんは、ノコギリの歯は「縦引き」で切っているのではないだろうか、「横引き」だったら切れやすいのに、と。一般にノコギリは「引く」ものですが、やみくもにノコギリを動かしているのではないだろうか、など気がかりになります。
 また、紙や粘土などは素手で自由にかたちづくれる素材なのに対して、木はノコギリという道具を使わなければ扱えない抵抗の大きい素材ですから、「硬くて手ごわいなー」とか、木の持つあったかい質感も手に感じ取っているはずです。さらに手の活動のうらに、「真っ直ぐ切るんだ、美しく切りたい」というような美意識も内面に強く働いているはずです。
 こうして考えてみると、 例えばおにいちゃんが木の船を造っているとするならば、船という目に見える新しい形をつくりながら、心の中に新しい感情やさまざまな思い(目に見えない象・かたち)を育んでいると考えられます。この活動を「創造活動」あるいは「創り出す文化活動」と位置づけています。
 子どもたちの成長の過程で、この創造活動を大切に思うのは、ものをつくりだす巧みな手の働きを育てながら、人間としての豊かな感情・感性を育み、工夫して生きる生き方、あるいは積極的にたくましく生きる生き方を育てていると考えるからです。
 A子ちゃんの描いたおにいちゃんの姿は、かつてはどの家庭でも地域でもよく見られた風景だったと思いますが、大量生産、大量消費の社会が進み、お金さえ出せば何でも手に入ると考えられる時代に入り、手作りで何かを作るという活動が見られなくなりつつあります。このことによって、子どもたちの成長過程での創造の源泉が失われて、ひ弱な感性や知性が育てられ、たくましく生きる力がやせ細ってくる危うさを感じてなりません。
 「おにいちゃん だいく」に描かれているような子どもが、この時代このような活動ができる状況がまだあったんだなと驚きもし、嬉しくも思いました。                                             
 現代では、例えばゲームなどに夢中になっている子どもの姿をよく見かけますが、まさに「受け取る文化」に埋没している状況がまん延しているといえます。
 近年ますます少子化が進み、受験体制のなか競争の世界が激化して、治安の悪化、交通事情なども悪くなり 子どもたちから「遊ぶ仲間」、「遊ぶ時間」、「遊ぶ空間」までも奪い去られて、心身共に、成長・発達のゆがみが心配されてきています。「受け取る文化」に埋没して人間としての豊かな成長・発達が難しい時代を迎えていると考えられます。人格のゆがみまで来しているのではないかと心配もされます。                                                  
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※ 写真は キリで木に穴を開けるダウン症のK子ちゃん(3年生)魚屋さんごっこをするためにいろいろな素材で魚を作ります。この写真は糸鋸で板切れを魚の形に切りぬき、キリで目の所を穴開けている活動です。

※ 私は、連絡帳を日記帳として兼ねて使わせてきました。こどもたちには、日々の小さな感動(心の動き)を短くてもいいから書き留めていくことを大切にさせました。連絡帳ですから保護者の方も読みます。「お家の方へのお手紙ですね」と話しました。そして、「時には学級の仲間や、先生も読ませてもらいます。皆さんの書いた日記・詩などをもとに、それぞれの生き方の良さを見つけ、学び合っていきましょう」という約束事を、はじめにしておきます。それを時々名前を伏せて黒板に書くこともあるのですが、学級のみんなと『いいとこ見つけよう』ということで、その日記(詩)から、その子の生き方の良さを見つけ、自分の生活経験と結びつけたりしながら、いろいろ想像して話し合い学びあいます。(長い文になると印刷して配ります。)そして、互いに共感し理解を深め信頼関係をつくりあげていくのです。

『ひま』 小5年 K男

 きょうは ひまでした
 ファミコンやっても ひまでした
 コタツでねてても ひまでした

 アバにいって
 ビデオを借りにいくことにしました
 アバにつくと 二組の岡田君がたち読みをしてました
 まんがのビデオを借りました
 アバのサービスのスタンプは8になりました
 あと二つ集めれば何かプレゼントとかいています

 かえりました
 ビデオをみました
 終わったら またひまでした

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針金や空き缶などいろいろな金属を使って立体表現に取り組むK君

 岡崎小学校に転勤して、五年生のK君に出会いました。特に目だったこともなく真面目な子どもです。彼は日記に『ひま』という文を提示してくれました。習い事をたくさんしていて、その忙しい日々の中にも、ふっと暇な時間があるのだなと思いました。彼の日記を通して現代の多くの子どもたちの「受け取る文化」にひたりきっている生活の姿が表現されていると感じ取りました。ひまなときに、子どもたちが集団で遊んだり、何か道具を使って新しい物を造り出す創造的な遊びができれば、自らの力で生きる力を育んでいく状況が生まれると考えられます。しかし、彼が描いている生活の様子が、多くの現代の子どもたちの「受け取る文化」につかりきった姿ではないかと考え、この文を大切にしています。

 かつて子どもたちは、徒党を組んでいろいろな遊びを考え、継承して活動してきていました。その集団遊びを通して人間関係のルールを身につけ、さまざまな判断力を養い、たくましく生きる生き方を学び合ってきました。

 しかし、その子どもたちの創造的な遊びができる時間と空間、仲間が奪われてしまっています。子どもらしいやんちゃをして、駆け回って、さまざまな感情がほとばしる活動が失われてきたのです。

 そして、逆にバーチャルリアリティの世界にのみ込まれて、想像の世界が幻想や妄想の世界に陥る危険性が広がってきています。

 したがって、年を追うごとに子どもたちはアンバランスに発達してきている姿を目にするようになってきました。感性・知性が荒れている、自分の感情をコントロールできない、手が虫歯になっている(不自由な手)・・・子どものおかしさをこのように表現されてきました。さまざまな未発達の部分を持って学年を進めているといった状況を強く感じています。体力、学力問題から、現代では人格のゆがみまで危惧されてきています。


(2)学校は子どもたちのために輝くところ 

「受け取る文化」から脱却して、しなやかでみずみずしい感性と確かな表現力を

 こうした状況を考えれば考えるほど、いっそう学校という学習の場が存在価値を輝かす必要が高まっています。各教科学習の充実と発展、教科以外の取り組みの深まり、どれをとってもおろそかにできません。
 美術教育は、色や形、その構成によってものごとを捉えたり表現したりして、新しい物を創り出す活動の基礎を学ぶ教科です。その創造活動を通して自己の存在を確認しながら、人間として生きる自由や主体性などを獲得していく営みであると把握しています。
 学校における学習は、限られた時間の中で意図的、計画的に進められなければなりません。学習は、あくまでも子どもたちの主体的な学習意欲を基本に据えて、教材のもつ価値や教師の指導性に基づいて展開されるものです。美術教育も言うまでもありません。
 授業時数は、1,2年生は週2時間の年間70時間。3,4年生は年60時間、5,6年生は50時間、に規定されています。かつてはどの学年も週2時間、年間70時間でしたが、中学年、高学年とも残念ながら削減されています。(一単位時間は四十五分)本当に限られた少ない時間の学習になります。
 したがって、ひとり一人の教師が子どもの豊かな発達を見据えた美術教育観を持っておかなければ充実した美術教育は望めないし、往々にして場当たり的な学習の繰り返しに陥ってしまいます。
 学習の展開は、指導要領やそれに基づいた教科書を参考にしますが、それぞれの地域にある学校、その地域に生活する子どもたちにふさわしい教材を設定する教師の主体性が大切と考えています。こどもの生活、地域に根ざして、色や形、その構成を学ぶ教材がどのように存在するか教師が見通す必要があります。その見通しを描いたのが「教材(絵)地図」です。
 例えば、「自転車」はいろいろな「線」と「その組み合わせ(構成)」によってできた教材と考えます。また「消防自動車」は「赤い色」、公園に展示されている「機関車」は「黒い色」の学習の対象になる教材と位置づけられます。ともに広い面、大きな量・塊、導管など細い「線」などの組み合わせ(構成)によって成り立っています。
 同時に、そうした「目に見える形」を追求しながら、それぞれに持つ「役割・意味・思い・感情・・・などの目には見えない象(かたち)」が形成されます。一枚の絵を描くということ事や一つの立体作品を仕上げるということは、そういう「形」と「象」が相互作用しながら高められて形成されていくものと考えています。そのことが創造活動であり、美の追究であり、享受とみています。
 こうして心の中ばかりを対象にするのではなく、できる限り生活に関わって絵を描いたり、ものを作ったりすることを小学校では重視すべきと思います。その活動を「教材(絵)地図」をもとに描く事と紙、土、木、金属などの「基本的な素材」において取り組んできました。
 生活に根ざして、しなやかでみずみずしい感性を育み、確かな表現力を身に付けさせていくということは、なにも美術教育に限られたことではありませんが、現実の子どもたちの姿から美術教育を見つめ深めていきたいと思います。

(3)学習・授業の時間が
  子どもの生活の創造


 家庭や地域での子どもたちの生活が、創造性を発揮する「時間」「空間」「仲間」が奪われてバラバラにされて孤独に追い込まれて、妄想・幻想の世界に追い込まれる状況にあります。それ故に、学校における学習あるいは授業そのものが現実のリアルな生活そのもので、それがより感動に満ちたものであるほど子どもたちの現実に立脚した夢や想像の世界が描けるのではないかと考えます。すなわち、美術の授業・学習が子どもたちの生活の創造そのものであるということです。それは他の教科の学習や教科以外の学習も同じです。

 しかし、それぞれの教科には独自のねらいがあります。例えば国語では日本語の決まり(文法)やさまざまな表現の仕方があり、それを学びます。同時にその表裏一体になる人間の生き方も問題が提示されています。その生き方について考えるのです。
 美術教育も、色や形、そしてその構成の仕方を学びます。そして同時にもう一つの「かたち」=「象(目にみえない思い・感情など)」を意識し、感情移入したり、享受したりして人間の生き方について考えていきます。

 最近、発行された『わかやまの教育(春)』の表紙を飾る絵を頼まれて、5年生の「しろつめくさのうた」の作品を使いました。理科の時間に学校から外に出て田畑のあぜ道を歩きながらさまざまな春の息吹を感じ取りながら、しろつめくさに焦点を合わせて子どもたちが図工の時間に小さな画用紙へ描いたものです。

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「しろつめぐさうた」

 春風、ヒバリのさえずり、すずめのてっぽうの草笛、しろつめぐさのブレスレットや花のかんむりづくり、四つ葉のしろつめぐさ探し、草の匂い・・・こうした春の喜びの感動を、その子なりに記録し表現しています。

 ここでは、緑の重なりの表現や、中心を濃く強く描き、まわりは柔らかく弱く描いて全体として画面にリズムを創り出すことを大切にしています。また、しろつめくさの葉の形は、レンゲの花の葉とも違うし、カタバミの葉とも同じではないわけです。その特徴を捉えながら、子どもたちは独自の表現を追求していきます。

 このように学習の中で地域を歩き、自然やさまざまな事物にふれ、さらにスケッチなどして描き表現する・・・という営みが子どもたちの新鮮な生活をつくりだしているのです。

(4)基本的な素材に立ち向かう

 何度も繰り返しますが、学校というごく限られた場所と時間の中で、子どもたちの豊かな成長・発達に関わる美術教育を、地域に根ざした教材を設定し(絵地図)描き、基本的な素材に立ち向かわせ、巧みな手を育て対応する感情を陶冶していくことを保障するために取り組んできました。

 その基本的な素材とは、紙、土、木(竹)、金属などです。
人間が人間らしく発達してきた過程にこれらの素材があります。手が素材に働きかけて新しい価値を持った物につくり変える変革の営みのなかに人間の発達があると言えます。目に見える形をつくりながら、感情など目に見えない象(かたち)をつくって、それをコントロールしていく豊かさを生み出す、そういう営みといえます。
以下に、各基本的な素材について学年の取り組みを記しました。これらは、あくまでも目安であり子どもたちにふさわしいより良い教材が更新されていきます。

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※ 素材に対する各学年の取り組み事例の記録 参照(予定)

 子どもたちは、素材にむかって道具を使い、新しい価値を持った物に作り替える創造活動の過程とその結果の作品を通して、自分を変革し他との交流によって新しい自分を発見していきます。そのために制作の過程と結果をどう評価するかは重要な課題です。

(5)子どもを伸ばす評価

 子どもたちは認められ励まされて伸び、つぎの意欲を呼び起こします。子どものよい芽を伸ばす評価を意識しなければなりません。

 空き缶でつくったカニについて、4年生の子どもの日記があります。スチール缶はアルミ缶と違って抵抗がとても大きいのです。それでも「缶切り」や「かな切りばさみ」などの道具を使ってつくりあげた物です。作品を通して家族の評価(支え・はげましなど)がみごとに描かれています。教師の仕事をしているものにとって、子どもたちの成果・作品をどう受け止めるべきかを提言してくれていると思います。無原則的な甘やかしでなく、子どもたちは認められるために学校にきているし、人間らしく発達するために(自由になるために)学んでいるんだということを考えさせられます。


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『カニづくり』 4年 M子

 さんかん日に鉄のカニができあがりました
 さっそく見つめてみると
 なかなかのできばえです
 カニのはさみを赤くしようと位置を考えていたのに
 目のところが真っ赤になってしまいました
 こんな空きカンで、こんな立派なカニができるなんて
 思いもしませんでした      
 
 お母さんは
 「かわいいカニやなー」とほめてくれました
 お父さんも
 「たまにひまなときに作って遊んだら楽しいのにな」
 といってくれました

 お母さんは
 「お部屋のどこにかざろうかな」といいながら
 タンスの上にかざってくれました
 はさみは小さいがとてもかわいいカニにみえました 


 スチールの空きかんを切り開いて平面にし、そこにかにの形を描き、かな切りばさみで切って部分を起こして立体的なカニの形にする取り組みです。

 H男くんは、自分ではうまく仕上げたつもりでしたが、家の方には単なるスチールのかたまりのように見えたのでしょう、厳しい評価を与えられてしまいました。「スチールのような硬い金属を、よく切ったね。すごいわ」「何をつくろうとしたの」と聞いていただき、対話を広げていただければありがたかったのですが、忙しいときには誰だって直接的に評価を下してしまいがちです。学校で制作した絵や工作などは、家庭ではそれをもとに共感していただき、対話を広げていただきたいのです。そして、その取り組みを深め、その子の良さを見いだしていただければ、子どもの励みになり次の創造活動へ引き継がれていきます。学期末の通知表の評価だけでなく、日頃の子どもたちの表現している物事をも受け止めて、常にその子の良さを見つけ励ましていただければ、その子の成長・発達に深く関わることになると思います。

 H男君は、厳しい評価に対して、めげずに日記にその様子を描く事によって、たくましく飛躍したと考えています。

 評価は、学級では子どもと教師、子どもと子どもたち、それぞれ相互に共感し、理解し合い、その良さを認め励ますために行われます。学校という大きな集団の中でも、同じ事がいえます。常に子どもが生かされ、その子の存在感が輝き、確立できるように取り組まなければならないと思います。
 
『鉄のカニ』 4年 H男

 鉄のカニは
 はじめてできた時は強かった
 足もがんじょうだ
 はさみもよく切れそうだ
 目も光っていた

 しかし
 家に持って帰って
 「なんよ これ」
 といわれて
 カニは
 だんだんに
 たおれていきそうになった

(6)わかりやすいねらいを持つことと
  「教材(絵)地図」


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「教材(絵)地図」(旧・附属小学校にて)

 図工科で、いったいなにを「ねらい」に持ったらよいのでしょうか。できるだけ誰にでも分かりやすく理解できるように表現したいと思いました。

 色や形の基礎的なこと、その構成(表現の仕方)が課題と捉えています。さらにその底流に人間の生き方の問題が感得され表現されるのです。

 色については、低学年では「多彩に」、中学年では「混色や重色で、自分の色を」、高学年では「色調の統一や変化、対比などを意識して表現」を主な目標として把握して指導に当たります。

 形は、線、面、量(かたまり)などを意識して、単純な物から複雑な形へ、そして構成へ進みます。

 特に中学年以上では、関係づけて捉えて表現する力、構成力を育てることを意識します。
 こうして種々の造形課題に対応して、子どもたちの生きる具体的な生活の場に教材を見つけ設定しました。


 それを絵に描いてみたものが「教材(絵)地図」です。どの学校に勤務しても、校区を中心に歩いて調べます。このことは図工に限りません。社会科、理科など他教科にも関わる仕事です。

 例えば消防署があれば、3年生・社会科で「消防署で働く人々」について学び施設を見学します。私は「消防自動車」を赤色の学習とその形を描いて、そこで防災に関わる仕事をする人々について考えさせます。「赤色」は、絵の具の「赤」「だいだい」「黄」に対応させていきます。また蔭の部分や他の色が反映している部分などの色には、「○○○がかった赤色」を意識します。

 また、公園に機関車が展示されていてそれを教材にもしました。色は「黒」です。形は大きな円筒のかたまり(量)ですが、そこに導管などさまざまな線が組み合わされています。
 「機関車やえもん」などいくつかの絵本があります。また機関車の童謡もあります。車輪とレールのきしみが捉えられたSLの効果音も聞きます。自分の体内でエネルギーの変換をしながら多くの人々の夢を運んできた機関車です。

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「機関車」を描く・作品(6年)

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岡公園の木陰から機関車を写生 (昭和58年度市勢要覧「わかやま」P7の「次代をになう人づくり」のコーナーでページいっぱいに掲載されていた写真・右は教育実習生) 

 こうした背景をしっかり感じ取りながら、機関車の「○○○がかった黒」をつくりだし、さまざまな形を組み合わせて、その子なりの機関車の世界を構築していきます。
 子どもの描く絵は、主観を通して色や形を構成していきますから、そこに省略や強調・・・ゆがみ、息づかいまで表現されるのです。自然の営みの不思議さや美しさ、人間の営みの喜怒哀楽、工夫して生きているたくましさ、すばらしさ・・・を根底に感じさすものが生活の場にある物事なのです。それ故に、教材を子どもたちの生活の場において設定していきたいと思ってきました。そして、それらの教材は子どもたちによっても取捨選択され検証されていきます。


(7)学校(教室)は
  子どもたちのための美術館・文化会館


 学校、あるいは教室というところは、子どもたちのための美術館であり、文化会館でもあると考えてきました。教室には常に子どもたちの絵やさまざまな作品が展示されていて鑑賞できる状況にある事が必要です。それはひとり一人の子どもたちのかけがえのない存在を確認するためであり、子どもたちが互いにそれぞれの良さを確かめ合うためにあるのです。それは教室に限りません。学校のあらゆる場所を意識して子どもたちの発信の場であると自覚することが大切です。

 体育館(講堂)は言うまでもありませんが、校内の掲示板などあらゆる場所を子どもたちのための展示場として活用していきます。例えば、保健室の壁面に子どもの絵を展示させてもらいました。体調が悪くて休みに来たり相談にきたりする子どもたちも、そこで仲間の絵に接することができます。

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 体育館での夏休みの後の『大きな大きな絵』の作品展(新南小学校)・児童集会「楽しい二学期づくり集会」と兼ねている

 体育館での夏休みの後の『大きな大きな絵』の作品展は代表的な取り組みです。夏休み中に絵画教室を開いて全紙大の画用紙に、描きたいことを描きたいように描く時間と場所を提供して、応援し、制作します。時には保護者の応援や参加も得ます。幼稚園の子もお兄ちゃんやお姉ちゃんに連れられてきました。また他の学校の子も「友だちいっしょに」として描きたいとやってきました。みんな寄っといで、それぞれの世界をつくろう、そしてみんなの展覧会をしようと、体育館いっぱいに展示して集会などに紹介してきました。また大きな絵ばかりでなく、児童会主催で夏休み作品展(工作や家庭科の作品・・・)を開いてきました。
 「おもしろいで賞」「でっかいで賞」「かわいいで賞」「アイデア賞」・・・たくさんの賞をつくって児童集会で児童会から表彰されるわけです。従来のように夏休みが終わると商業主義に根ざしたコンクールに振り回されたり、郵便局の募集している「貯金箱」ばかりの工作になると言うことはありませんでした。

※ 児童会・児童集会、『大きな大きな絵』の取り組みについては別の項参照(予定)


 学校全体で、ひとり一人の子どもの良さを確かめ合い、その存在感を認め合う場として体育館(講堂)は大切です。絵の展示会ばかりでなく、合奏、合唱の発表の場であり、劇や学習の成果を発表する場でもありました。そのもとには児童会活動、児童集会活動、表現活動・・・等の活発な取り組みがあるのです。体育館、運動場はその子どもたちの文化活動を支える活動の場所なのです。美術教育(図工科)の取り組みが大きく関わってきます。学校は子どもたちの豊かな成長・発達のために輝くところです。


【2】(1)『詩とこどもたちの生活―豊かな感性をはぐくむために―』


子どもたちは、思いかばんにいろいろな思いをつめこんで学校に来ています。そして、それをいろいろなかたちで私たちに放射するように投げかけてきます。

『たび』 
日よう日 たびに でた
「たびに いこう」
と ぼくが いった。
弟が
「いこう」
といって 出発した

和歌川についた
下におりて
水をさわって
においをかいだ

「くさーっ」
はなをつまえて
しっこして かえった。


この「たび」は、ほんとうにおもしろい旅でした。というのは、学級の仲間が三度も大笑いさせられたからです。
「たび」に出たというから、どこかに旅行したんだな、どこへ行ったのだろうと想像しました。ところが、すぐに「和歌川」に着いたというもんだから、思わずふきだしてしまいました。
「くさーっ」なんて、わかっているのににおいをかぐな!!とみんなの笑いがとまらぬうちに「しっこしてかえった」とあります。おなかをかかえて大笑い。
しかし、Mくんのこの「たび」の文が、社会科の下水道の学習に結びついて長い新しい旅に出発しました。
和歌川といえば、ヘドロの川で生き物などいないと思っていましたが、次のU君の詩で、カニがいることが分かりました。

『かにとり』 
和歌川にいった
大きいカニがいた
「イター」
大きいはさみではさまれた
指が あかくなった
そっと手にのせて
ナイロンに入れた
小さいあな
大きいあな
カニのすみかがたくさんあった
おおきいあなをほった
なかなか大きいカニだ
「えいっ」
手をつっこんだ
カニはがんばってとれない
「もう やめた」
そのカニをあきらめた。
くつは どろどろ
コンクリートの角で
どろをおとした
「もうかえろかな」
「もうかえろ」

かえるとちゅう
「カニが いま出てきてるんとちがうかな」
と思いながらかえった。


後半になると心のうねりがいっそう伝わってきます。あの大きいカニが頭にこびりついて、いわゆる後ろ髪を引かれる思いで帰って行く気持ちが子どもらしくていいなと思いました。
もっと美しい川で泥んこになって遊べたらいいのにと考えながら、それでもこうして夢中になって遊べる子どもたちは、すばらしいと思いました。
最近では、感性が荒れているという言い方がよくされています。
例えば、工作や文集をつくるときなどに「ノリ」を使いますが、その使い方でノリを山のようにつんだままのつけ方で、しかも必要なポイントにつけることができなくてはみだしたり、ずれたりするつけ方をしてしまいます。ほとんど指先を使わないでチューブをそのまま押しつけたり・・・高学年の子どもでも平気でしています。
しかし、そのような状況をそのままにしておくことはできません。私たちは一つ一つていねいに感性をいやして、するどく豊かに育てねばなりません。
生活をつづること、「詩」を書くことによって自己を見つめ、互いの喜怒哀楽に共感し理解し合って信頼関係を深めていく活動もその大切な方法です。

『あまがえる』
あまがえるが三びき
葉の上に
すわりこんでいる

一日目にふんを四コのっけて
四日目にかぞえきれないふんをのっけて
四月の中ごろから
ずっとすみついている

おやこの
あまがえるよ
たまに家をきれいにしろよ


子どもたちは生き物には敏感です。見過ごしてしまいそうな小さな生き物でも、めざとく見つけて手にしています。
十一月に入ってKくんが、この「あまがえる」を書いて持ってきてくれました。
じっと座って動かないあまがえるですが、ふん(うんち)によって、その生命観が強く伝わってきます。葉っぱをトイレのように使っている親子のかえるに投げかけている気持ちにユーモアを感じます。

六月の中頃、学級の子どもたちがザリガニを持ち寄って図工の時間にスケッチしましたが、女の子も男の子もみんな生き生きとした線で鋭く描く事ができました。興味と関心の強さが見る力、描く力に大きく作用したようでした。
Nくんが、そのスケッチの横に「ザリガニくん、いつもおしゃれして、かっこいいな」と書き添えていました。真っ赤なよろいかぶとに身を固めた様子をオシャレと捉えているのがなかなか楽しいものです。
同じ時期にTくんが次のような詩を書いています。

『水にうつったくもり雲』
自転車で
おもいっきり走った
たんぼの水に
田植えが終わり
小さないねのみどりの中に
青空へのこったくもり雲が
うつっている
おもいっきり追いかけるにつれて
雲がはなれていく
まってくれ
まってくれ
知らないうちに
水にうつっていた家に
重なるように消えた


いろいろなかたちで初夏の季節感を教室に運んできてくれましたが、五月の初めに、Hくんは、

『たけのこ』
ぼくの家のれいぞう庫の中は
たけのこで
いっぱいだ

たけのこは
だいすきだが
毎日食べていると
あきてきた
もう
たけのこは
「いやだ」


と訴えてきました。
「生活の中で、心を強く動かされたことがあったら書きつづっておこう」と言ってきましたし、「やんちゃなおしゃべりを自由に書く」こともいいだろうと思っています。この「たけのこ」にも教室は笑いにつつまれました。
 季節感といえば、スパーマーケットの戦略的スローガンのひとつに「季節感をなくせ」というのがあるといわれています。スーパーマーケットでの万引きという非行問題が、今どこの学校でも表面化しつつありますが、消費文化の中にどっぷりとつかりきった生活の中での感性の荒れから人格のゆがみに発展していると考えられます。

『イズミヤ』
新しくなったイズミヤ
いろいろなお店が出て
一階も、二階も
人でいっぱい
まいごになっても
おかしくないくらい

でも もう少したつと
また人が少なくなってくるのだろうな

「空車」となっていたカンバンが
「満車」にかわっていた


子どもたちが現実(自然・社会・人間・文化・それらの諸関係・・・)にぶつかり、それをありのままに、リアルに表現することを通して、ものの見方や感じ方、考え方をするどく、しなやかなものにしています。C子さんの「空車」と「満車」という言葉は、変化を敏感にとらえているだけでなく、人間として生きることの意味に深く関わって表現しているととらえています。
喜び、悲しみ、怒り・・・新しい発見、ひとりひとりの感動を、書き留め、少し吟味して言葉を選び綴っていくことによって、その感動を学級集団の中で分かち合えます。

『かたたたき』
お父さんのたん生日に
十月十八日までしか
つかえない
かたたたき券を
あげた。
でも お父さんは
「たたけ」
といいません
あとなん日もないのに
「かた たたけ」
といいません
ひにちがたったら
どうしようかな

ひにちがすぎても
たたいてあげよう


Y子さんの「かたたたき券」という発想がとても楽しいものです。お父さんは、あまりうれしいので大切にしまっているのかも知れませんね。

『ドアの外』
やくそく守らないで
外は まっくらだった

「ただいまーっ」
ドアのとってを回した
かぎがしまっていた
「おかあさん かぎあけてー」
新聞入れのところから言った
「いま何時と思ってんのよ!!」
としかられた
妹に
「そこで一時間立ってよ」
といわれた

さんぽして
新南公園まできて
すこしあそんだ

かえってくると
妹がないていた
(またおこられたんやろ)
と思った
「おにいちゃん」
と母の声がきこえた
「はーい」
「ほれ いてら あけちゃんな」
といった
妹は ぼくがいないからないていたのだ
それを思うと
なみだがでてきた


子どもたちは、友だちの叫びに耳を傾け、心のうねりにいっしょになって感動し、それに学びながら人間的な真実にふれていくことになります。
詩であれ散文であれ、書くことは子どもたちにとって生活を見つめることです。現実の事実を言葉を選んで書き綴ることを通して、みずみずしい感覚とゆたかな感性をはぐくんでいます。
私たちにとっては、それらは子どもをよく知る手がかりになります。子どもたちが放射するものを私たちは敏感に受けとめなければならないと思います。そして、それを受けとめられるだけの感性の豊かさを私たちもはぐくみあっていなければならないと考えます。※作品はいずれも四年生のものです。 (文責 秋月久俊)

※ 以上が、新南小学校育友会広報紙「しんなん」(昭和58年12月24日発行)で保護者向けに記した記録です。子どもたちの何気ないちょっとした生活の中での心の動き(感動)を綴ることを通して自分を見つめることを大切にしてきました。そして、互いの信頼関係を結ぶために読み合うことを大事にしてきました。生活を綴り、それを読み合い、ひとりひとりの良さに共感し、理解していくことが信頼を深め、励まし合って生きていくことの希望につながっていることは確かでした。

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新南小学校育友会広報紙「しんなん」(昭和58年12月24日発行)の一部

※ 読み味わう方法は、例えば『たび』のような短い文であれば、黒板に題を書き、名前は伏せたまま「どんな旅がはじまるのでしょう」と投げかけます。そして一行目から記していきます。立ち止まりながら言葉と言葉を関連づけながら想像して読んでいきます。ここでは「弟」がすぐに登場してきます。「あれ、家族の旅ではないんだ」「弟と気持ちがよく通じ合っているんだな」・・・というように級友の思いがふくらんでいきます。
大体は、連絡帳(日記帳)をコピーして配布したり、書き写して作品の資料にして
読みあってきました。


【3】図工科の取り組み(実践例)
 《教材絵地図より》


(2)『虹の橋がかかるとき』(2年生から)
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(3)『ウサギさんの物語』(2年・3年・4年生が対象)

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ウサギさんたちを囲んで・「ウサギさんたち、緊張してる!!」

   ☆ 3年生
   ☆ 墨汁・水彩絵の具・筆(大・中・小)
   ☆ 版画用和紙(どうさ引きをしていない用紙・滲みができる用紙を使用)
   ☆ 4時間

  いくつかの小学校では、子どもたちがウサギを飼育していました。ウサギは、穴を掘って通路を通し住みかを造ります。その中で、かわいらしい子ウサギが生まれて、子どもたちの人気はいっそう上がります。野良犬などに襲われることがありますから、厳重な囲いが必要です。

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「しっかりモデルしてよ!!」
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「モデルばかりはつまらないよ。どれどれ、うまくかいてくれているかな」

  図工の時間に、ウサギの親子にモデルになってもらって、子どもたちは絵を描きました。
子どもたちが、それぞれ物語を作って絵を描きます。親子の愛情、友だち同士の語らい・・・などが多いようです。
☆ 造形の課題は、画面の中にどのように構成して描くかです。
   黒板に画面構成の基本的なパターンを考えて図で示し、子どもたちが構成のおもしろさを意識して、自分のとる画面を決めます。形と形の関係を意識するのです。
 「画面構成の基本的なパターン」は、教師が初めから図示するのでなく、子どもたちに考えさせて、それをもとに整理するのです。  
(中心に据える。はみ出して描く。左右、上下にふれて中心を置く。それぞれの組み合わせ。・・・)
☆ その中で、形と形が重なって描くという目当てを入れています。
形を重ねるという課題を持つことによって、無意識的に形を羅列する傾向にあった子どもたちが、画面構成するときにいっそう構想を練るという活動をとることになります。
愛くるしいウサギたちへの思いをもとに、子どもたちの物語が画面に展開されていくのです。

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「子ウサギちゃん、かわいいよ!!」「あったかい!!」
順番にだっこして生きてる暖かさを感じ取っています。

☆ B5ぐらいの用紙に、あらましの下絵を描いておきます。

細かい部分にこだわらないように、墨汁(パレットの中で多少の濃淡をつくり)を使い、太さの違う筆を使って、版画用の和紙(滲みが利く紙を利用)に描いていきます。彩色は和紙の裏から色づけして滲ませて表現します。
比較的短時間で仕上げる取り組みですので、単純化された形になり、やや観念的な形になりやすいですが、それでも子どもたちひとり一人の思いが描かれているようでした。

関係する同様な教材として
 「ザリガニくんのうた」「にわとりさんの物語」・・・

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掲示板に展示した作品

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(3)『トビウオのうた』 (3年生)
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《基本的な素材に立ち向かう》
(木・竹)


(2)『ヨット(船)づくり』(作って遊び、飾って楽しむ)


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ヨットを浮かばせて遊ぶ子どもたち(旧・附属小学校プールにて)

〈1〉 学年 4年生

〈2〉 教材について 

 「ヨット(船)づくり」は、小学4年生の子どもたちのために、総合的な手仕事として木を中心にしたいろいろな素材を組み合わせた工作教材として考案したものである。
子どもたち自身の手で集められる「かまぼこ板」(縦5p・横15p・厚さ1p)を2枚使って、4層からなるヨット(船)を作る。さらにもう2,3枚の板を使ってヨットを置き飾る「台づくり」をする。
着色、ニス仕上げをして、プールで浮かばせて遊び楽しむという学習過程をとる。
木という素材は、素手では変革を加えることはできないもので、ノコギリ(糸鋸を含む)、錐(きり)、などの道具を使って新しい価値を持ったものを創り出すことのできる重要な素材のひとつとして位置づけている。
中学年の、3,4年生の段階で、こうした計画的な工作で木という素材に立ち向かい、作って遊び、飾って楽しむということに目を輝かす。特に、「ヨットづくり」は算数科で“平行”の概念を学び、実際に図案を描いて物づくりを体験するという適切な時期であると踏まえたものである。
 学習の仕方についていえば、「かまぼこ板」からくる画一的な造形になるが、初めて学習する内容が多々あり、この形態は適切であると考えている。ただ、「台づくり」では、子どもひとり一人の創意に基づくアイデアを生かしたデザインを重視することになる。
「かまぼこ板」の収集は、調理員さんにお願いして、給食用のかまぼこを板付きにしていただき貯めていただく事と、子どもたちも各家庭で集めておく。また、木材工場を訪問して素材収集にもあたった。
 木という素材について関連教材として以下の取り組みをしてきた
     3年生では、木を使った「壁飾り」「ペンダントづくり」
     5年生では、「凧と糸巻きづくり(レリーフ)」
     6年生では、「走馬燈(まわりどうろう)づくり」


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完成したヨットと飾り台(子どもたちひとり一人デザインが違います)

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飾って楽しむ

〈3〉 指導目標

 木を中心にしたさまざまな素材を使って、新しい価値を持ったものを創出するという仕事のねうちを体得してほしいと願っている。この取り組みを通して、「美しさ」を常に意識して制作に当たらせたい。
  @ 木を中心にしたさまざまな素材にふれて、道具や機械に慣れ、手の豊かな感覚と巧みさを培う。
  A 設計図を描くことができ、計画的にもの作りができる。
 B 飾り台のデザインを考え、形づくるおもしろさを味わう
  C ヨットの完成の喜びと浮かばせて遊ぶ楽しさを味わう
  
〈4〉 使用する素材・道具

※ かまぼこ板(4〜5枚)、竹ひご、ストロー、糸、釘(3本)
   ビニール袋 画用紙
   針金、ブリキ(スチールの空き缶を切り開く)、鉛のおもり(丸3号)
※ きり、電動糸のこ機(6台)、両刃のこ、金づち、ペンチ、金切りばさみ、、
   木工やすり 紙やすり、カッターナイフ、定規、はさみ、(万力、カンナ)
※ 油性接着剤、水性接着剤、絵の具、ニス、シンナー、刷毛、のり
※ 工作台、工作マット

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「ヨットができたぞ―!!さあ、進水式だ!!風をしっかり受けてビュンビュン進ぞ!!」

〈5〉 指導の過程と課題

  @ ヨットの作品例を見て話し合い、より美しく作るために気を使うところを確かめる。プールで浮かばせ、風によって走らせて、みんなで楽しく遊ぶことができるという目標や製作の計画を立てる。
 ・「どんな材料で、できているのだろうか」
 ・「何枚のかまぼこ板を使って作っているのだろう」
 ・「どんな形にしたら、より美しく、より早く走るのだろうか」
 ・「なぜ倒れても起き上がるのだろうか」
(水槽に浮かべて、おもりによる重心の位置による実験をする)
 ・「家に飾っておくための台のデザインを工夫しておこう」
 ・「ヨットの名前を考えておこう」・・・

   A 設計図を描き、型紙をつくる

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  4年生 Hくんの設計図

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「設計図が完成したぞ、板に描けるかな!!」

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「設計図を切りぬいて整理できたぞ、板を切っていく順序が分かりやすいよ」

 ヨットの先の角度など、どれくらいが適当かを考えさせ、みんなで基準を作り出していく。算数で学習した平行の概念と平行線の描き方を応用する。斜めの平行線がなかなか難しい。“中心線”を意識し、設計図を描く事ができるようにする。
型紙は、これからの制作の見通しと順序を明確にできるので、設計図をカッターナイフで切りぬき整理して、学習過程のイメージを確かにする。

   B 板に線引きをして制作に当たる
   C 電動糸のこで角を切り落とす
   D 錐(きり)で穴を開ける
   E 電動糸のこで 板をくりぬく
   F 木工やすり、紙やすりで板を磨く
(3年生での経験をもとに、更に道具や機械を正しく使いこなせ、線に沿って真っ直ぐ切る事ができるようにする。3年生での学習経験がなければ、道具等の扱いをより丁寧に指導するようにする。例えば、錐(錐)では「三つ目」「四つ目」の違い、柄が下の方が太くなっているのはなぜか、錐を持って歩かない、投げないなど安全な使い方を身に付けさせる。
築港の木材工場でいただいた切り株(4〜6個)を錐専用の工作台として、使用場所を限定してきた。)

   G 油性(水に浮かばせるヨットづくりに)と水性(家に飾る台づくりに)の接着剤の特徴を知り、接着する
   H 着色する。色調、明暗などを考え四層からなる船体を塗り分ける。
   I 帆をつくる。竹ひご、ストロー、ビニルなどで帆柱、帆をつくる。
   J 舵をつくる。ブリキ板を「金切りばさみ」で適当な大きさに切る。針金をペンチで切り、ブリキ板を折り曲げて取り付ける。
   K 船底にオモリを打ち付け、船体に舵、帆を取り付ける。釘は「四つ目」の錐であらかじめ軽く穴を開けてから打ちつける(板が割れないように)。釘、帆等を糸で結んで完成させる。
   L ニス仕上げをする。
以上が、A、Bの二枚のかまぼこ板を使ってのヨットづくりの過程である。

次に、C、Dのかまぼこ板を使っての飾る台づくりに入る。
   M 船を置く(支える)腕のデザインを考える。画用紙に型紙を作る。
   N Cの板を「両刃のこ」で二つに切る(より背の高い腕・15pを作りたいときは、もう1枚のかまぼこ板を使う)
   O 型紙をもとに、板に線引きをして「電動糸のこ」で腕の形を切りだす。
   P 磨いてからDの板に腕を接着(水性)する。
   Q プールに浮かべ風をうけて走らせ遊ぶ。

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【5】「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育」


商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)と美術教育

昨年の9月に、知人のある先生から次のような手紙をいただきました。

「前略、夏休み前になると各種企業や団体からさまざまな作品募集の案内が送られてきます。そして、子どもたちに紹介した後、9月の初めに私たち学校教師は、その作品の応募の作業にこき使われています。ちょっとおかしくはありませんか?なぜ私たち学校教師が企業や団体の下働きのような作業をしなければならないのでしょうか?
プール指導の締めくくり、運動会の準備、夏休み中の算数や国語等の宿題の点検、席替え、係決め等々、9月の初めは仕事がどっさりあります。
私のような声が直接伝わるのは、まれな事であろうと思いますが、担当の教員は多かれ少なかれ感じていることです。
できましたら募集の案内は学校でしますが、作品募集は子ども各自が個人で直接そちら様の方へ送るようなシステムに早急に変更していただきたく思っています。
方法としては、新聞広告等でよびかける、あるいは、締め切り日や応募先を書いたチラシを人数分学校へ届ける、等いろいろあると思います。ご一考を。
ちなみに『みどりの絵』の送料710円もしました。学校持ちですが、コレデイイノカですね。一度、新聞に投稿したいですね。」

 怒りが伝わってくる文面でした。
 実は私も同じ思いで毎年といっていいほど、この問題について職員会議に出していました。昨年も、次のような事を提案したことを覚えています。

 『「スーパーひらまつ」に買い物に行ったら、店のガラス窓に児童画コンクールのポスターが貼っていました。私が感動したのは、応募方法で『このポスターの貼ってある店で受け付けています』と書いて知らせていることでした。つまり、「スーパーひらまつ」に、子どもや保護者が作品を持って行けばよいわけです。企業として一定の社会的ルールというか常識を守っていると思われて、私は拍手を贈りたいほどでした。
それに引き替え、多くの企業や団体が、学校を窓口にして紹介させ、さらに応募の手続きをさせ、教師のまとめさせて持ってこさせるという、ひどいときには送料を学校や教師が出さなければならないなど、大変厚かましく社会的道徳を踏みにじる行為ではないかとさえ思われることを繰り返しています。
校長会や教育委員会が、企業や団体に対して応募方法を改めるように指導すべきであると思われるのですがどうでしょうか。』

 今年も企業や諸団体の募集する絵やポスター、作文などのコンクールについての紹介のプリントがどこの学校でも子どもたちに配布されたと思われます。そこには募集方法が書かれていないということは、作品は学校で取り扱うということで、係の先生の手をわずらわせて各企業や団体の事務所に届けられることになります。

 私はこういう種類の募集を、「商業主義に根ざしたコンクール主義(競争と選別の教育)」と呼んでいます。これは、平生の授業や学校教育の中に入り込んできています。

 農林中央金庫主催の「花の絵」のコンクールがその一例です。こんな事例がありました。
「学年でそろえて出品してもらわなければ困る、だから先生も出してほしい」と私に強く言ってきました。強制されたのは初めてで何かの間違いではないかとびっくりしました。三クラスあれば、三クラスとも「花の絵」を描かせて提出してほしいというわけです。
また、図工の専科教師をしているとしましょう。担任から「企業などのコンクールに出したい」といわれる場合があります。
私の場合、美術教育は企業等のコンクールに出品することを前提にして取り組んでいませんから、どちらの場合でも出せないのです。

 「先生は、子どもたちに花の絵を描かせていたから、農林中央金庫の花の絵コンクールに出せるではありませんか」といわれても、美術教育には無縁であり、むしろ害になると考えている教師にとっては、「ついでに」という軽い気持ちにもなれないし、そう言われれば言われるほど、その先生を軽蔑してしまうのです。
「参加賞をもらえるから」と言われる方も居られました。なんと情けない根性だろうか。「教師も地に落ちたな」と思われるのが落ちでしょう。
「企業を利用しているんだ」と言われる方も居られました。たかが参加賞をもらうだけで自分の指導した子どもたちの絵を企業に売り渡せる神経を持つ教育観って恐ろしいと考えてしまうのです。
「もらえるものは、なんでも」と言われた方もありました。
粗末な商品(参加賞)に子どもの好奇心を駆り立てていいのでしょうか。こんなに物が豊かにあっても貪欲に物に執着する子どもを育てて良いのでしょうか。
公の場でコンクール主義を否定した方が、「花の絵を描いた人数を報告するだけでいいじゃない。それで参加賞をもらえるから、この方法でいきませんか」といわれたり、「企業に協力する」などといわれる場面にも出会います。

 一教師の日々の拙い実践でも真剣に考え、そして、そこに生み出された子どもたちの作品は、その人格さえ表していると、大げさかも知れませんが思い入れて取り組んでいる教師にとっては、作品が審査されるということは、子どもたちの人格が選別されるように思ってしまうわけです。思い込みすぎかも知れませんが。したがって、「たまたま花の絵を描かしていて、それをその企業のコンクールのテーマに合っていたから企業を利用して出品した、と思って出してみませんか」とか、「花の絵を描いた人数を報告してあげるだけですむこと」と簡単に考えられてしまうことに、いたたまれない気持ちがすると共に、悲しささえも感じました。

 「子どもの中に、作品を出していないのに、出したように言って参加賞をとりに来る子がいる」ともらされた先生が居られました。(この事例は、郵便局の貯金箱コンクールについてのケースだと思いますが、全員の作品は出せないので学級ごとに何点かに絞られて、選ばれなかった残りの子は作ったということで人数だけを確認して報告する仕組みでした)
 そうでしょう、当然そういう問題が起こってきます。
子どもだけではありません。「うちの子、作品出したのに賞品もらっていない」とか、「兄弟、同じような作品を出したのに、一方が賞をもらい、一方がもらえないのはおかしい」という保護者からのクレームがあった話なども出されましたが、このように保護者までもが商業主義のコンクールに巻き込まれて来ています。
 一方、「あの先生は作品をコンクールによく出してくれて、賞を取らせてくれる熱心な先生」
あるいは、「あの先生はコンクールに出すために、他の時間を割いてまで絵を描かせている」という見方をしている保護者の方々がいることも事実でした。そうなると、今度は教師が「自分の学級だけが、コンクールに出さないわけにはいかない」という意識にとらわれてきます。そして、賞を取るためには、これでもかこれでもかという過剰な表現指導が子どもたちに押しつけられてきます。
教師は保護者の目を意識し、さらに管理職は同様に「あの先生は熱心に取り組んでいる」という見方を示すものだから、教師は管理職の目も意識してコンクールに出品せざるを得ない状況に追い込まれます。「主任さんから出品しませんかといわれたら、断るわけにはいかない」という話も聞きました。教師自身が知らず知らずのうちに、競争と選別の渦の中に巻き込まれ、互いに傷つけ合い心や身体を痛め、蝕まれていくことになります。同時に子どもたちも。

ある方から、「6年生が市の音楽祭に出るに当たって、m先生が妥協したやないか、先生も交流学級の先生や図工の係の先生の意向も汲んで折れることはできないか。先生の考えを押さえつけようという気持ちはありませんが。」という趣旨の話がありました。
それに対して私は、「長年、教師であり続けることができたのは、ひとつは粗末な授業や実践しか子どもたちにしてこれなかったけれど、しかし、誠実に子どもの願いや要求をしっかり見定め、子どもたちに寄り添って教育という仕事に携わってきたつもりです。そしてそのことに誇りを失わないようにしてきました。だからこそ教師であり続けることができたと思うし、あと残りの教職についてもそれを全うするつもりです。したがって、自分が納得できないこと、特に教育観を曲げてまで商業主義にねざすコンクール主義には同意できません。
「6年生が市の音楽祭に出る」ことと質が全然違います。同じに考えてもらっては困ります。
(美術教育研究会の学期ごとの作品展、一学期の絵画、二学期の工作展、三学期の版画展などは私たち教師の力量を高め合うためなどの意義があります。それには私も子どもたちの作品を出品しています。商業主義に根ざしたコンクールではないからです。また、商業主義に根ざしたコンクールに生きがいを持って取り組んで居られる先生方に、私の考えを押しつける気持ちは毛頭ありません。私に、「出品してもらわな困る」と押しつけてくるから、困るのは私で、こうしてあえて提案しているのです)

 「美術教育ぐらい(いや、どの教育もですが)、競争と選別の教育の枠組みからはずして、子どもたちひとり一人に表現のおもしろさを味わわせ、互いの作品の良さを学級や学校で感じ取ることを大切にしていく教育を展開していくことを、なぜ考えることができないのでしょうか。」「美術教育だけでも、競争と選別の教育から、そっと静かにしておいてくれませんか。お願いしますわ。」という内容の話をさせていただき、職員会議で頼みましたが、なかなか分かってもらえませんでした。

 学校が、「企業を利用していく」「企業に協力していく」という結論になってきたようですが、結局は、「企業の戦略に手を貸す」「企業の論理に教育が従属していく」事になるのではないでしょうか。(企業は大切だと思うし、企業に協力することも時には必要だと思っていますが、何度も言いますが、企業や諸団体の商業主義に根ざしたコンクール主義、競争と選別の教育に問題を感じているのであって、企業を否定していません。できるはずがありません)

 奇しくも、ある方から「企業、企業というが、これからの世の中は教育の民営化が進んでいく。企業に協力していくことがどうして悪いのか」とまで発言されました。
「ちょっと待ってください。教育の民営化についてはまた議論しましょう。それは大きな問題です。
何度も繰り返しますが、学校が、企業や諸団体の商業主義に根ざしたコンクール主義に取り込まれては、極端な言い方をすれば、わずかな賞や賞品にあやつられて、美術教育の内容が企業の管理のもとに従属してしまいます。それでいいのでしょうか。そして、絵を描くという活動が競争と選別の対象になり、教師自身の指導力がコンクール主義によって評価される危険性が生み出されます。こうして、教師も子どもたちも絵を描くことがコンクールに出すためであり、内容も表現方法も企業や諸団体の意向に追従し、教育の主体性を投げすて(奪われ)、教育の荒廃、退廃につながるのではないだろうかと危惧します。これは、もう現実に起こっていることです。

 「確かに、一学期は、(歯科医師会の)虫歯予防のポスターのコンクールに出し、農林中央金庫の花の絵コンクールに出品したら、図工の取り組みは終わりやったな―」ともらされた先生のこの言葉は重いものでした。この事実をなんと表現しますか。長々と訴えてきた事の実態をはっきり述べられたのです。
「夏休みの自由工作の作品は、郵便局の貯金箱コンクールの作品ばっかり」と嘆かれる先生も居られましたが、無理はありません。

 私が図工の係になったとき、保護者である数人のお母さん方が絵画コンクール依頼に来られました。ある宗教団体主催の児童絵画コンクールですが、そこへの出品依頼でした。先生方の間では「豪華な賞品が出るコンクール」で有名でしたが、今までに述べてきたような観点から丁重にお断りさせていただきました。
ただ、諸団体などが絵画等のコンクールを催し、社会教育の役割を果たされていることにお礼をいいながら、学校には学校の役割がありとても忙しい所ですので、ぜひ募集の仕方を考えていただきご活動されることを願っています、と話しました。

 以上、長くなりましたが、手紙をいただいた知人をはじめ、少なからず心を痛めている教師がいます。皆さんのご意見を伺いたいと思います。
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