で、クラシック音楽ですが(前回から続いているのか!)。
クラシック音楽の作曲家は殆ど男性です。しかし元々の出所がそう言う仕組みになっているためか、はたまた聖書からの影響が多大過ぎるのか、悲歌劇以外は勧善懲悪で完結することが多いと思われます。特にベートーヴェンとブルックナー。この二人は最晩年まで「歓喜は必ず起こりうる」と信じ込んでいた節があります。
まあ、ブルックナーは私にはワケワカランチンなので、ひとまずおいといて。
ベートーヴェン。
ベートーヴェンの作品、私には短調曲でも本当の意味で短調に聞こえません。短調の中にほんの僅かでも悲劇性を感じないのです。そして短調の合間、短調の後、必ず「救い」がある。いや「歓喜」と言うべきか。
作曲という作業は自己実現の手段ですから、いかに自己を隠そうが自ずと滲み出てくるものです。ハイドンという職人気質で極めて理知的に創作した方のでさえ。しかしベートーヴェンにはその点迷いがありません。いや迷いはある、だけど
「試練から歓喜は成る」とかたくなに信じ込もうとしていたかのように見受けられます。
これってなんなんでしょうね。ベートーヴェンは「物語の終わりには必ず救い」という視点があったのでしょうか(まさか)。歴史に名を残す芸術家は、多角的な物の見方が出来るようですが、ベートーヴェンも男性的な視点、良い意味での女性的立場からの視覚、の両方を兼ね備えた人だったのでしょうか。
私から見れば、そう考えたらモーツァルトやシューベルト、ショパンといった一見なよなよとした音楽を創造した方の方が、闇や悲劇をそのまま捉えていて、よっぽど男性的な視点で作曲していたようにおもうのです。
まあ、こんな考察ココのアホブログ主だけでしょうが。ベートーヴェンファンの皆様や専門家の皆様には一笑に付されるだけですから、ココだけのないしょ話デスヨン♪