Op.2-1第2楽章へ移行する前に。
東野圭吾さんの小説文庫「幻夜」を読了し、現在「さまよえる刃」の途中ですが。
その前に読んだもっと軽いタッチの「俺は非常勤」もそうだったけれど、東野さんの小説、いつどれを読んでもシビアです。登場人物の悲劇に妥協がない。いくつもの悲劇が積み重なって最後ズドーン!と落とす。全編全く救いがありません。
いえ、東野さんのみの傾向ではありません。作家、漫画家、アニメーション作家、映画、TVドラマ脚本演出なども加えてもよろしいが、男性の創作家が創造する物は得てしてド・シリアスです。設定登場人物これら総ていささかの妥協も観られません。赤川次郎さんのコメディタッチな小説であっても、悲劇を描く場合は限りなく悲劇です。
女性作家ではそんなことありません。林真理子さんでも宮部みゆきさんでも。
話の中での悲劇がいかに深ても、最後にほんの少しばかり「希望」を残します。その「希望」「救い」がそれまでの話の流れとずれて、多少ぎくしゃくしようが。またその物語自体が崩壊しそうな「希望を残す設定」がなんとのう人間くささとリアルを感じさせてくれるときがあります。
つまり女性クリエイターの作品にはあたかもパンドラの箱に残された「希望」のごとく、最後に「救い」が残される運命にあります。しかし男性の場合はそんなことが一切無い。「救い」などありえない。
もちろん両ジェンダーとも「例外」はいくらでも存在しますが。
そう考えたら「源氏物語」の原作者紫式部は多分に男性的な視点で物事を観察できた、数少ない女性クリエイターといえますよね?ね?