R35 GT-Rの開発リーダー水野和敏氏が書き下ろした本をビジネスコーナーで発見。そりゃもう一気に読みましたがな。
社内でも特別秘匿事項っつことでR35型GT-R開発進捗状況は月例報告にも挙げず、騙す(だます)ならまずは身内から、っつ方針を徹底的に貫いたらしいが、それにも増して水野氏の生い立ちや社内でのサクセスストーリーが凄い。
ポルシェ・ターボ(わぉ!)をぶっちぎるスーパーカーをつくる、のを目標に社内横断組織を立ち上げて、全てを開発したというその過程もさることながら、最終的にあのGT-Rを造り出してしまったという成果を残すその手法からしてやはりただ者ではない。
まあビジネス関係の書籍を探していたんだが、下手なハウツー本より、的を絞ったサクセスストーリーの方が参考になるってなもんだ。
その中で愕然としたのは「やはり」というべきか、日本車の根本的問題である「退屈さ」に関して、6年という耐用年数の消費財としてしか見ていなかった、ということを水野氏自ら語っていることである。そのあと欧州車に乗ってみて日本車との違いに愕然とした、という、まるで信じられない事実が平然と語られている。やっぱりなあ。
これじゃ、よっぽど外車の魅力を発見してオーナーになっているエンスー諸氏のほうが審美眼が数十倍発達していると言える。まさかと思っていたが国内メーカーの人々は欧州車の魅力を知らずにクルマを世に送り出していたらしい。オーマイガー! よって反省に立ってGT-Rは10年は乗れるものをめざした、ってさ
しかしそれはともかく、開発経緯をここまで書くというのは、よほど日産社内の風当たりがキツイということだ。社外の誰かに助けを求めて打ち明けたっつう、悲壮感が行間から滲み出ている。
ちなみに、別の本によればゴーン氏は当然のことながらワンマンであり、経営陣の取り巻きはどうもイエスマンばかりのようで、富士山麓にある研修所でのゴーン語録を読むと彼に意見する者はいない。また、社風は人材を育てることができずに採用で高学歴で成績優秀な者を採用してまかなっているようで、トヨタやホンダとは全く違うらしい。
’99年にルノーに助けられた時点で、従来の日産はなくなったのであり、日本が敗戦したのと同じだった。よって「日産ウェイ」という社訓には創業時の社訓は取り入れられていない。事実上の倒産を招いたのは創業精神のなせる技というわけである。
そして一番驚いたのは文面からすると以前のGT-Rの開発者は全く関わっていないような点だ。スタッフが不連続なのだ。日本国の政治と同様、コンダクターが居ない会社組織、を地で行ってる感じ。これじゃ絶対ポルシェにもメルセデスにもどこにも勝てない。歴代モデルを貫く一貫性のポリシーが欲しい。その乗り味の「一日の長」っつやつがよ。ということはゴーン社長がいなくなればもうR35のような革新的なクルマは出ない。
ちなみにR-35はプレミアムミドシップ(PM)という配置を作り出したことによる勝利。フロントミドシップ(FM)の進化形という。()内は水野氏の創案だが、筆者にはよく理解出来ない。GT-Rの、あのシャフトが2本あるようなレイアウトは知ってるが・・・。

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