祭り体験がないゆえに(2)  祭り体験がないゆえに

私達が訪れる前からナイジェリアでは、政治家、教会、弁護士に至るまで賄賂が横行しているという話を聞いていました。

黒人解放運動家であり、アフロビートの創始者であるフェラ・クティは何度も逮捕と釈放を繰り返しながら、バンドのグルーヴに乗せて黒人解放とその闇社会を世界に訴え続けました(58歳没)。

フェラ・クティの人生はミュージカルとなり、ニューヨークのブロードウェーで大ヒットしました。今回は、そのフェラ・クティの家を訪れた時のことです。

* * * * *

ナイジェリアのシュラインー1991年、西アフリカツアーの記憶

コンクリート打ちっ放しの建物にある大きな応接間のような部屋に通されると、そこには十数名もの女性が薬草(マリファナと思われる)を回してくつろいでいた。

私たちにも勧められたがやんわり断ると、ケラケラ笑いながら隣へと回していった。先乗りしていたBBC放送の取材陣に事情を聞くが、彼らもよく分からないままフェラ・クティの登場を待っていた。

すると、隣の部屋のドアが開き、パンツ一丁でフェラ・クティが出てきた。ドアが開いた瞬間、奥のベッドに二人の女性が裸で横になっているのが見えた。

部屋から出てきたフェラ・クティに女性がすかさずそれまで回していた薬草よりも大きなものに火をつけて渡す。満足げに一服した彼は、自分を訪ねてきたゲストの顔を見渡し、また一服。

フェラ・クティは親から虐待を受けた子やレイプされた子たちを引き取る形で自分の家に住まわせており、おそらく、2〜30名は同居していたと思われる。

しばらくして、BBCがインタビューを試みようとフェラ・クティにマイクを向ける。
「今後、ナイジェリアはどうなっていくと思われますか。」

BBCがこう尋ねると薄ら笑いを浮かべてフェラ・クティは応えた。
「そんなことは、外から見ているお前たちが一番分かっているだろう?」

何時間も待たされ、最初の質問で一喝される。素人の私らでもそんな質問をいきなりしたらダメでしょと思った。そもそも、ナイジェリアを植民地支配していたのはイギリスだし。

記憶が定かではないが、フェラ・クティは私たちに「(お前らは)ドラマーなのか!?」
「はい、西アフリカを旅しています。」といった会話をしたような気がする。

そして、彼は自分のシュラインに招待するよと言ってくれた。正直、その寺院を表す言葉の意味が分からなかったのだが、彼が出かける支度を始めたので、私たちも車に乗り込み、彼の車の後を追った。

夜9時を回っていたと思う。シュラインに近づくと、「RIOT! RIOT!(暴動だ!)」と群衆が叫んでいた。どうやらシュラインに入るためのチケットがあるかないかの押し問答のようだった。

確かにやばい感じ。そして、そのシュラインというものが何なのかその時に知る。そこは、彼が本拠地にしているライブ会場だったのだ。

フェラ・クティを乗せた車が到着した時、すでに演奏は始まっており、ファンク色全快のアフロビートに入り口にしてやられた。

会場に入るとステージにはホーンセクションをずらりと揃えたバンドが客を躍らせていた。その時はフェラ・クティの息子のフェミ・クティが仕切っていた。

ステージの前には人ひとりが入れる檻が二つ。その中でダイナマイトなボディの女性が踊るというか、身体をヴァイブさせていた。

3〜40分しただろうか。上下ピンクの繋ぎのようなエナメル衣装を着たフェラ・クティが、部屋で吸っていたサイズどころではない超特大の薬草をくゆらせて登場。

歌うわけでもサックスを吹くわけでもなく、バンドのグルーヴを確認しながら、薬草を楽しんでいた。そして、おもむろにメッセージらしき言葉を発し始めた。

それまでリズムに体を預けていた聴衆は、彼のメッセージを聞き入っていた。時々、相槌を打ち、声を発する様子はまるでアメリカのゴスペル教会のようだった。

この説教の時のバンド演奏が最高で、音量といい、グルーヴといい、決して平坦ではなく、フェラ・クティが発するメッセージの抑揚に合わせてドライブしていく。

延々と続くメッセージは、現地の言葉で発せられ2〜30分はあっただろうか。そろそろ、何を言っているのか分からない私たちは次なる展開がほしくなってきた頃、ダンサー兼コーラス隊の女性陣が登場し、一気に場はピークに達する。

しかし、すぐにフェラ・クティの説教に戻る。さすがに記憶が薄れているが、息子を始め、若いメンバーにその都度ソロを取らせ、最後の最後にフェラ・クティ自身がバリサク(バリトン・サックス)を抱えて、ボリュームのあるソロを展開。

その頃には聴衆もステージに近づこうと前へ前へと押して来るので、身の危険を感じた私たちは午前1時頃にはシュラインを出たような気がする。

1曲4〜50分はある、曲という概念を超えるメッセージ。理解することはできなかったが、ミュージシャンであるとともに黒人解放運動家でもある彼。政治家の汚職を始めとする不正や若者の怒りやストレスを代弁していたことは間違いない。

日本では社会的メッセージを含む表現が敬遠される。私自身、音楽表現が政治的・社会的手段になることは避けたいと思っている。

しかし、ナイジェリアのシュラインで体感したほとばしるメッセージの塊は、圧倒的な大衆の匂いとともに生命力を放っていた。

* * * * *

先のガーナ同様、私の強烈な祭り体験(祝祭)となっていますが、単なるライブレポートのように感じた方も多いと思います。

日本の祭りもそうですが、その熱気や匂い、特にアフリカでは例えようのない生命体のようなバンドのグルーヴは言葉では表現しきれません。

世界平和(photo: Umbria Festival, Italy)

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