祭り体験がないゆえに(1)  祭り体験がないゆえに

3月のライブが終わり、部室かい!(笑・京都磔磔)

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両親の墓参りも済み、

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あっという間に散った桜。

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初夏のムードが漂う今、今後予定されている企画についてじっくりと考える時間を作れています。

そんな上機嫌な私が感じていること。

過去のブログにも何度か書いていますが、改めて、私の音楽人生においてアフリカから授かったものはとてつもなく大きいなと感じています。

太鼓叩きがアフリカに影響を受けたと言えば、一般的にはそのリズムを分析し、練習して、いかに応用していったかということを想像するかもしれませんが、私は「太鼓と踊り」の関係を目の当たりにし、音楽(太鼓)の在り方を学びました。

当たり前と言えば当たり前ですが、それらは踊ることを前提に生まれたリズムであったこと。私がそれまでに(当時は鼓童で)演奏してきた表現とは違いました。

もちろん、アフリカの演奏にも強烈な自己アピールはありますし、悪いことではないのですが、彼らにとっての「良いリズム」とは踊れるリズム。大地のような懐(ふところ)の深さを感じました。

過去に書いたものですが、そんなアフリカ体験を何回かに分けて書き留めておこうと思います。お時間がある時にでも読んで、風景をイメージしていただけたらと。

* * * * *

アフリカ・ガーナのある村のトランス儀礼−1991年、西アフリカツアーの記憶

村の長老たちと並んでゲストの私たちは席に着く。反対側正面にはすでに打楽器隊がスタンバイして演奏を始めている。その周りを村人が丸い人垣を作る。子供も多く、特に騒ぎ立てることもなくおとなしく見ている。

リズムが回りだすにつれ、若い女性がぽっかり空いた丸い空間に入って踊りだした。お尻を突き出したような踊りで、足さばきは非常に細かい。踊りそのものは2〜3分だろうか。それほど長いものではないが、踊り終わる際には必ず打楽器隊に一礼をして、再び、丸い人垣に戻っていく。

一度に何人も踊ることはなく、1人が踊り終わって、はけたら次のものが踊るという比較的秩序を保ったまま、それが繰り返される。基本、踊るのは女性。

とっくに日が暮れて月明りが頼りとなる中、辺りは尋常ではない量の(マリファナと思われる)薬草が焚かれ、スモーキーになっていく。それに伴い、踊りもリズムもグルーヴ感が増していく。

そして、その祭りを仕切るアジャ・アディ(’80年代からの友人であるパーカッショニスト)がお前たちも踊れと言い、私たちを踊り場へと促した。

基本、その聖なる踊る空間は裸足にならないといけないのだが、怪我して破傷風にでもなったら怖いので、靴下を履いたままというだらしない風貌と踊りを村人にさらした。当然、村人からは失笑される。その後、そんな茶番はお構いなしに村人の踊りは続く。

昼間、私たちにお茶を出してくれた腰が90度に曲がったおばあちゃんまでが背中をまっすぐにして踊りだした。

「パンコメレン・シェレンコメン♪パンコメレン・シェレンコメン♪」

前にヨーロッパ・ツアーでアジャから教わっていた6/8拍子が、聴いたこともない速さで回り始めた時、何回か出入りを繰り返していたひとりの若い女性がいきなりトランス状態になり、今にも倒れそうになった。

私はハッ!としたが、周りの人々は慌てることなく、女性を抱きかかえるようにして聖なる空間から外して椅子に座らせ、大きな葉で仰いであげていた。

子供たちが微かに笑いながら、「また、お母ちゃん、イったわ(笑)」。

立ち込める薬草のスモークが地上30cmくらいから150cmくらいまでの分厚い層になってきた頃、それまでトーキングドラムを叩いていたアジャが上からポンチョのようなものをかぶり踊りだした。

彼の踊りはそれまでの他の踊りとは異なり、自転しながら大きな円を描く旋回舞踊。打楽器の演奏はトップスピードになり、今にも火を噴きだしそうなグルーヴ。

アジャの旋回も超高速になり、流石に村人にも緊張感が漂い始めたように思われた瞬間、アジャがトランスに入ったのだろう。

「カラカラカラカラ♪」とラットル(鳴り物)が鳴らされた。

アジャは旋回して方向感覚がなくなっているため、その音だけを頼りに音の鳴る方へと導かれていく。そして、ゲスト席の後ろのお告げの部屋へと飛ぶように駆け抜けていった。

同時に私の横にいた長老たちもスクッと立ち上がり、お告げの間へ入っていった・・・。

* * * * * *

私がものすごく集中してこの光景を見ていたことは確かですが、祭りの後、しばらく放心状態になっていたことは間違いないです。

そこにはどこの文化は素晴らしいとか、どこの太鼓はすごいとか、そんなことを超越した大自然と人との営みを見ました。

私には祭り体験がなく、地元と言えるものがないので、こういった旅の体験が創作の原点となり、自分の表現のコンセプトになっているのです。

次回は、ナイジェリア体験。



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