師走の変容。。。  22世紀に残る音

9月のレオクラシックス公演以降、自分の中で創作の取り組み方、パフォーマンスの在り方に変化が起き始めています。

良いライブを観たこともありますが、ハマったのは安藤忠雄展。建築や都市計画を通じて自己表現を達成していくプロセスに創造のスケールを感じました。

クリックすると元のサイズで表示します

以前、三宅一生展を観た時も社会という枠組みで服の在り方を想像し、企業を取り込んで繊維作りから始める制作過程に規模感を感じました。

規模感だけで言えば、私もパリ、NY、アフリカ、インド。どこでパフォーマンスしようと、それを特別に意識することなく、自分の「今」を表現してきたと思っています。

でも、それは個人の表現を世に問うという方向性しかなかったのだなと(当たり前ですが)。

それが、ここ最近、意識的に東京という街の枠組みから表現の在り方を想像することで、自分の内面から変化が起き始めている感覚があります。

あちこちの会館で「音の害」として使用禁止されつつある太鼓演奏。

その昔、オスマントルコ軍は人々の「畏れ」という想像力を利用し、音楽隊が夜襲を掛けることで血も流さずに村々を征服していったそうです。

残念ながら、今は「音害」であり、想像力も欠落しているのでしょう。

私がフォーカスを当てている太鼓と踊りとの創作。その本質的な部分は、物理的な規模感で左右されてしまうものなのか。

パフォーマンスの発信の仕方次第で、新しい出会いが生まれてくるのではないかとも。

ま、いろいろとこの時期は考えますね。師走です(笑)

クリックすると元のサイズで表示します

Photo:忘年会ではありません。「踊るブレンドラムス」@晴れたら空に豆まいて



コメントを書く


この記事にはコメントを投稿できません





AutoPage最新お知らせ