そもそも、壁だったのか。  22世紀に残る音

前回のブログで壁崩壊と書きましたが、そもそも壁だったのか。

作曲やアレンジに悩むことは毎度のことですが、レオクラシックスに関しては、自分の中で表現したいことよりも先に「太鼓の未来」という問題提起が動機になったことが今までにないと言えます。

うまく言えないのですが、「太鼓の未来、やばくね!?」は、私のようなものからすれば、「日本の未来、やばくね!?」なのです。

昨年の「Silently She Dances - 静かなるダンス」も、そういう意味では近未来をイメージした作品でしたが、自分のメッセージと客観的に向き合うために脚本を高階經啓さんにお願いしました。それによって、とても貴重な創作プロセスを実践できました。

太鼓アンサンブルに関しては、「やりたいことやればいいじゃん!」と思われるかもしれませんが、自分が開拓してきたことと向き合う作業をしてから作っていかないと、無意識のうちに同じことを繰り返すと思ったのです。

新しい曲を作るにしても時代性や条件をフィットさせつつ、何を提示するのかイメージするには過去と向き合う作業が必要と思ったのです。

けれど、この作業が実に難しかった。

そんなこんなで課題が山積みになっていった時、ふと浮かびました。

例えば、いろいろなグループが私の曲(族や彩)を演奏していても、私のことを知らない人はたくさんいる(これを曲の一人歩きと言います・笑)。

そういう人たちと向き合ったら、否応なく自分の曲、存在を客観的に捉えられるのではないかと。

「え!そんな解釈で叩いてたの!?」
「え!そんな教わり方してたの!?」

と言うことで、東京では都立白鷗高校太鼓部の生徒と「族」をぶっ叩くことになりました。

2014年、味の素スタジアム。高校総体での「族」。この中に白鷗高校の生徒たちがいました。

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すでに彼らとは稽古に入っていますが、呑み込みが早く、何よりも修正が早い。私が言っていることを素直に聞き入れられる柔軟性と吸収力。

「ったく、今時の子は!」とオッチャンは良い刺激を受けています。

京都では小学生を中心としたサスケが参加しますが、どうなることでしょう。

今回は壁について書きました。次回こそ壁の崩壊について書きます。

レオクラシックスのメッセージビデオができました。是非、ご覧ください!



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