音楽キャリアが足かせにならぬよう  22世紀に残る音

久しぶりのブログですが、まずは3月5日にたくさんの誕生日メッセージをいただき、どうもありがとうございました。2月中旬から体調を崩しておりましたが、おかげ様で今は復活しております。

さて、今回も太鼓アンサンブル「レオクラシックス」について。

音楽は時代が反映されるものですし、いくらクラシックなものが美しく、心揺さぶられるものだとしても再生芸術。今という時代とそぐわない響きはあるものです。

「レオクラシックス」を始動するにあたり、つい最近まで身近な人には「元・鼓童とか集めてやりたくないよね。懐かしむ感じって、22世紀に向けたビジョンに相応しくないし。」なんて話していました。

でも、1980年代にそれはそれは熱き思いで音作りに興奮していた自分にフォーカスすることは、太鼓アンサンブルを再構築する上で外せないことではないかと。

鼓童在籍時は前進の鬼太鼓座との差別化に悩んだこともありましたが、自分と鼓童の音作りにすごく邁進していくことで、そんな考えは自然淘汰されていきました。

そして、54になったおっさんが再び壁にぶつかっております(笑)

これだけ太鼓グループが世界に存在している今、私がどんなクオリティの音やアンサンブルを作ったところで、ごくごく一般の方にどれだけその区別がつくのか。

また、今に限らないのかもしれませんが、動員力があるものって売る仕掛けが成功しているだけであって、その内容はどうでも良いものがかなりあります。

そういった現象が、音楽を愛しているリスナーも真摯に音作りしている人も苦しんでいるところだと思います。

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Photo:本文とは関係ありません(笑)

更地にして新しいものを建てて再生!と言えてしまう経済と違って、音楽における「破壊と構築」はなかなかサディスティック(この言葉が相応しいのか分からないのですが、自虐とも違うし難しい心理状態です)。

キャリアを積んできた者ほど、私はこれで良いんだ!という自己肯定的思考にも陥りやすいものです。

「レオクラシックス−22世紀に残る音」というえらいビジョンを掲げてしまいましたが、創作的にも制作的にも着眼点と出会いがカギだと思っています。

やはり、積み上げていくタイプではないのかな。直観!

う〜む、まだ見えてきません(笑)

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photo:スポレート・フェスティバル(イタリア)



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