ミラノで思う  ヨーロッパ

2年ぶりにミラノへ来ています。

文化庁文化交流使として活動した1年は、ここを拠点にヨーロッパからアフリカ、インドまで縦横無尽に飛び回っていました。

それまで月を往復するほどの距離を旅してきた自分の経験が、文化庁の絶大なるサポートを得ることで開花した1年でした。

しかし、強烈な「孤独」と自分の自由以上に人の自由を受け入れる、受け止める難しさを学んだ1年でもありました。

あるダンスカンパニーとコラボしていた時、私の作品に参加していたダンサーが感情を露わにわめき散らしていたことがありました。

状況が分からなかった私は、私とのコラボで何かストレスがあったのか呆然としていました。

その時、ある日本人の方から「彼らにとって感情を出すことは当たり前のこと。もし、それが出来なくなったらそれこそおかしくなってしまう。」といったことを言われました。

結局、作品とは全く関係ないことで納得いかないことがあり、それについて周囲に熱く訴えていたとのこと。

激しいです。男性も女性も。

でも、思ったのです。

「私に自由を!」は言えるようになっても、人の自由に対して寛容であることは難しいなあと。

日本は感情を露わにしないことが美徳ですし、なにかおかしいと感じることがあっても率先して問題提起はしません。

何となく大人な感じがしますが、要は事なかれ主義。

結局、悶々とした空気の中、声が大きい人の意見が通ってしまうという現場があちこちあります。どんな事象においても。

太鼓に目を向けても、叩くという行為は感情を露わにしたパフォーマンスが受け入れられがちですが、「お客さんに喜んでもらうため(感動させるため)」という何か対価を求めた途端にその感情表現は美しくなくなります。

その表現が自然な感情のほとばしりなのか。

表現の自由とは大きな隔たりを感じます。

あのアメリカですら、自由という概念が内向きになってきた今。

街のカフェでいろいろと思うミラノ滞在です。

カフェちゃうけど〜。

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太鼓も新しいお部屋にお引越し(笑)

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