2009/11/15
「marathon in Yokohama」
ひと昔前の話
東京国際女子マラソンは、30年間は続いたらしい。
その東京国際女子マラソンから、バトンを引き継いだのが、横浜国際女子マラソンで、
横浜市中区の山下公園から、ミナトミライ、横浜駅、そして横浜スタジアム、中華街、
山手近くまで回る周回コースだ。
横浜から離れて3年半になるが、20代前半から40代前半を過ごした場所だ。
そこに映し出される風景を見るだけで、それぞれの場所で落としてきた思い出や、
過ごした時間がすぐに思い浮かぶ。
山下公園のすぐ近くには、サーカスというディスコ(そう、クラブではないのだ)
があった。ブラックミュージック中心(といっても、80年代後半から90年代の頃
のことだから、RUN DMC を初め、BEASTY BOYS やKIETH SWEAT やクリス・クロスが
かかっていた時代だ。かなり、大雑把だけれど。それでも、ジュニアやシェリル・
リンがかかっていたこともある)のディスコで、週末には、基地からの黒人で
溢れていた。モニターでは、SOUL TRAIN や WILD STYLEや BEAT STREET が
流れていたりした。
結構、20代の後半、仕事の後、渋谷から家の妙蓮寺をすっ飛ばして、桜木町、
そして山下公園へ、結構、夜中中ただ踊っていた(RAVE とかいうやつのずっと
前の、穴倉風の室内でのことだ)。ワインクーラーとビールを途中で飲みながら、
4、5時間踊っていた。その後、中華街のOLAF(スェーデン語で王様ですかね)へ
と行き、ビールを飲んでいた。朝方までだ。翌日は大抵、休みの日だった。
前にも書いたが、OLAF の夜中から明け方の時間には、スェーデン人のカルロ
と日本人のきみさん(漢字は知らない)がいた。
カルロは、水夫をしていて、日本に住むようになったスエーデン人だ。
その当時でも、日本に数十年いたのだと思う。
僕はビールばかりを飲み、時々、カルロと言葉を交わした。
夜中には、様々なお客が入ってきた(それぞれに、それなりのわけを抱えて
いるようだった)。大声を出すことはあっても、すぐに自分の「分け前の
場所」へと戻っていった。
僕は、そこで、バーでの「間の取り方」を体感したのだと思う(もし、そんな
ものがあるとしたら)。別に、大人としての酒の飲み方とか、決して、そういった
「マニュアル的」なものではなく。
カルロは、横浜ベースターズのファンで(大洋ホエールズの時からのファンだと
言っていた)、ベイスターズの優勝を見ることなく、喉頭癌で亡くなってしまった。
カルロが生きていたら、もうおじいちゃんになっていただろう。
おじいちゃんのカルロに、ビールをついでもらいたかった。
横浜女子国際マラソンの風景は、様々なことを思い出させるので、また別の
機会にしよう。
高橋尚子さんと、増田明美さんの解説だった。
解説者なりたての、キューちゃんが、自分の体験の話をすると、現役がその
遠い昔の増田明美さんは、どこから引っ張ってきたのか、選手にまつわるエピソード
を次々に出してきた。とてもコンビネーションがよく、いい解説だった。
1KMを3分台で走っていた。テレビで見るより、実際は圧倒的に早いスピード
なのだ。

0
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。