2011/5/2

花実  

 横浜に移動して、夕食を終えた後、今夜泊まるというホテルにチェックインを済ませ、部屋に上がった。窓があるエレベーターに乗り込むと、すでに暗くなっている空と、明るい遊園地が目に飛び込んでくる。
 部屋は広めで、部屋の中央にはダブルベッドが占領している。花実は持ってきた鞄をベッドに乗せると、中に入っていた服を広げた。壮太が夜も撮りたいと言っていて、別の服もと言われていたものだ。壮太の意見も軽く聞きつつ、花実はシンプルなワンピースに着替え、後ろでまとめていた髪も下ろしてブローしなおして、メイクも直し、窓辺のソファに座って待つ壮太の前に立つ。

「これでいい?」
「うん、かわいい、かわいい」
「…本当にそう思ってる?」

 カメラを触りながら、壮太の心が浮きだっているのがわかった。今日のデートが楽しいとか、一緒にいて楽しいとかじゃなくて、撮るのが楽しいということ。でも不思議と嫌な気はしなかった。子供のようにはしゃいで、どこか大人な本気を見せる壮太はとても魅力的に見えたからだ。

「どこで撮るの?」
「観覧車とか、あのへん」
「…乗るんだ、観覧車」

 観覧車なんか、間が持たないっていう壮太の意見で乗ったことがなかった。こういうときしか、その気になってくれないのを少しだけ不服に感じ、でもすぐにため息で済ませた。

「さ、行くか。寒くないか?」
「うん。上着持ってくから」
「ん」

 先に部屋を出る壮太を追って、目の前の左手を右手で捕まえた。壮太は何も言わずにぎゅっと握り返してくれる。
 夜でも照明やネオンで明るくなっている遊園地エリアに入ると、早速後ろからシャッターを切る音が聞こえた。今日は平日ということもあり、カップルが何組がいるけど、それほど人が多くない。壮太もあまりたくさん撮るほうではなく、しゃべりながら、歩きながら、時折カメラをのぞくを繰り返していた。
 観覧車に乗り込むと、花実は写真を見せてと頼んだ。向かいに座った壮太は、首からストラップを外すと、

「落とすなよ」

 緑の芝生に色とりどりの花。その中に自分がいる。すでにモデルの仕事には慣れてきたとはいえ、自分の写真が評価できるほど器用じゃない。好きか嫌いかでしか判断はできないけど、どれも仕事の写真とは明らかに違った。普通の自分が写っていた。

「うふふ、楽しみ」

 壮太にカメラを返すと、早速ファインダー越しに見始めた。花実は外に目をうつしつつ、いつものように彼を見ながら、喋りながら、いつもと違うデートを楽しんだ。




「ありがとうね、付き合ってくれて」

 花実はセリナと表参道に買い物に来ていた。

「良かったね、ソレ、あって」
「うん。なかなか見つからなかったから。先に電話で取り置きしといてもらって良かった」

 目の前のカフェに入り、オーダーを済ませると、セリナは早速袋から買ったばかりのワンピースを取り出して広げた。

「ところで、どうだったの? 撮影会は」
「うん、楽しかった。久しぶりにちゃんとデートしたって感じ」
「なんだかんだで、重要なときに花実を選ぶってことは、まぁ、いいんじゃないの?」
「何が?」
「若干の不安や不満はあっても」
「…そうだね」

 携帯を取り出すと、待ち受けにはその日に移した二人の写真が。写真を撮るばかりで、撮られるのはあまり好きじゃない壮太も、今回のお礼も兼ねてと、2ショットを撮らせてくれた。

「見せて、例のソレ」

 セリナが覗き込むようにして体を傾けてきたので、花実は携帯を彼女に渡す。

「ほどよくイケメンなんだから、写真くらいもっと撮らせてくれてもいいのにね」
「まぁね。盗み撮りばっかりだったからね」

 ウェイターが二人分の飲み物をテーブルに並べて、下がっていくのを待って、セリナは身を乗り出しながら、

「あれ?」

 飲み物に両手で沿えながら、外を見ている。

「どうしたの?」

 セリナは立ち上がると、テラス席になっているところまで出ていった。花実はその後を着いていき、目線の先を追って探すと、道路の向こう側のビルの並びが目に入る。

「あれ、藤川さんじゃない?」
「え?」

 ビルから出てきたらしい藤川は、携帯を手にしてから誰かにかけたのか、耳にあて、きょろきょろとしだす。そこへ彼の目の前に真っ赤な車が止まった。藤川はすぐに携帯をしまい、その車に近づく。そしてその車からショートヘアの女性が降りてきた。その女性はかけていたサングラスを外すと、藤川に近寄り、肩に手を置いた。そして一言二言交わすと、藤川が運転席に座り、女性のほうが助手席に乗り込んだ。
 ちらっと見えた女性の顔は、きりっとした目鼻立ちで、でも愛嬌のある口元だった。
 車に乗り込むと、彼は笑顔でサングラスをかけ、スムーズな発進で車を走らせて行ってしまった。

「あれ、奥さんだよ。初めて見たけど」
「ええ?」

 セリナが席に戻りながらそう言った言葉を花実は聞き逃さなかった。

「初めて見たのに、なんでわかるの?」
「車が赤だということと、ショートヘアという情報があったから。いや、でも、美人だったね〜」

 すでに奥さんとは別居状態で、世間体から離婚しないでいたとはいえ、ああも仲の良さを、自然な雰囲気がわかってしまったことを、花実は少なからずショックに感じていた。
 その後もセリナと一緒に店を回ったりしたけど、頭にはそのことばかり。




 彼氏との約束があるというセリナとは夕方に別れ、花実はまっすぐ家に帰った。部屋に入ったタイミングで携帯がメールを受信した。頭にずっといた、まさに藤川からだった。

「こんばんわ。今どこですか?」

 そのメールを見つつ、なんと返していいかわからずに、靴も脱がずに玄関に立っていると、今度は着信が。それもまた、藤川からだった。

「…もしもし」
「もしもし、花実ちゃん? 今電話、大丈夫?」
「…はい」
「突然で申し訳ないんだけど、女の子、紹介してもらえないかな?」
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2011/4/10

壮太  

「あ…ん…」
「声、なんでおさえてるの…?」
「だって…」

 瑛子が口を覆っている両手を、壮太は顔でどかすようにしてキスをする。

「…ん、ふ…」

 長く深いキスの合間に二人の息と声が漏れる。手を彼女の足の間に入れ込むと、その奥へと指を進ませる。

「あ・・・」

 瑛子は壮太の胸に顔をくっつけて表情を見せない。変わってない。ふと顔をあげた彼女と目が合い、見つめ合い、深くキスをする。
 自分の上に跨らせて、下から突き上げる。瑛子は快感に身をくねらせながら、自分なりに恥ずかしがりながら懸命に動く。壮太の上にもたれながら息を乱す彼女の背中に腕を回し、ぎゅうっと抱きしめる。

「…桜井、さん?」
「ん?」
「…ううん、なんでもない」

 そう言って、瑛子も彼をぎゅっと抱きしめた。


 罪悪感は、ある。でも、浮気は初めてじゃない。花実は美人だし、おせっかいだけど優しいし、連れて歩くには完璧といえるくらいの女だ。だけど、だからこそ時々、隣を歩くときに胸を張る自分が疲れるときがある。それは時に周期としてやってくる。数年前はちょうど近くにいた仕事で知り合ったモデルの女と体だけの関係をもってストレスみたいなものを晴らしていたけど、最近は全くそれがなかった。
 春から始めた一人暮らしは、家に誰かを連れ込むチャンスこそあったのに、何も出来ずにいた。そんなときの、瑛子との出会いだった。彼女はあの頃してきたような必要以上の連絡はしてこない。家庭がある身で好き勝手できないだろうけど、その彼女が都合よかった。深入りしない、できない。
 もちろん、嫌いだったら抱けない。前のモデルの女とは全然違う。セックスへの身の入り方が全然違う。心にも余裕がないのがわかる。
 目が覚めると、瑛子はいない。その場所に触れると、ほんのり暖かい。あの頃はいつもいた隣のぬくもり。今になって、あれの大事さが身にしみてわかる。


「小林さん?」
「おう」

 スタジオに入るなり、アシスタントの林にその名前を聞き、スタジオに急いだ。そこには先日あったばかりの新人の頃にお世話になったカメラマンの小林さんが座っていた。

「どうしたんですか?」
「よう。この前久しぶりに顔見て、最近どうかと思ってさ」

 そう言うと、テーブルの上のコーヒーを持ち上げ、もう片方の手でその横にあった雑誌を指差す。

「懐かしいですね」

 その雑誌は、カメラマンの中では有名なカメラ雑誌。その雑誌主催のコンテストで賞が取れればプロ入りが約束されるといわれ続けている。

「お前さ、最近あまりだしてねぇんだろ」
「まぁ…それなりに食っていけてますから」
「つまらねぇこと言うなよ」

 小林さんはスタジオでスタッフが動く様子を見ながら、

「昔は良い写真撮れてたじゃねぇか。最近はお仕事ばかりか」
「もう…あのころの情熱は…」

 この世界に入ったきっかけは、とある写真だった。それは風景で、自分では撮りはしないものの、その世界観に圧倒された。高校生だった俺は特に夢もやりたいこともなかったから、親に頼んで写真の学校に行かせてもらった。小林さんにお世話になっていた頃は、よくカメラを持ち歩き、知る雑誌には常に投稿していた。賞も狙っていた。でも数年の間、賞こそ取れていたものの、大賞には手が届かなかった。その雑誌では、一度も賞に手が届くことはなかった。そのうち、やりたいことよりも、生活を考えるようになっていた。

「お前が今でもイマイチなのは、それがねぇからだよ。ただの雑誌カメラマンだって、良い写真が撮れる奴もいる。お前の写真は…だんだんと商業的になってきちまってるんだよ」
「・・・」

 返す言葉がない。まさにその通りだ。だんだんと感情なくこなすことは増えている。

「俺は…あの頃の壮太の写真が好きだった」
「…ありがとうございます」
「そこでだ。秋のコレに出して、大賞を狙え」
「え?」
「もしそこで賞が取れたら、お前にデカイ仕事を任せようと思う。お前の腕が落ちてないことがコレで証明できたら任せたい。そうしたら、迫もつくし、こんな仕事で満足できなくなるぞ。…っと、聞こえちまうな。」

 小林さん自身は、第一線で活躍していて、大きな仕事ばかりだが、小さい仕事もおろそかにしない。それは彼の腕を確かに評価されているからだ。そして俺がこなす仕事は…きっと「桜井壮太」ではなくてもできることばかりだ。それはわかっている。そして…仕方ないと逃げていた。

「どうだ、やるか?」



「…それで、やることにしたんだ?」
「ああ」
「それで、私でいいの?」

 花柄のワンピースにデニムの上着をはおった花実は、持っている日傘をくるくる手元で回しながら、彼女自身もその場でくるくると回る。壮太と花実は晴れた平日の昼間、公園に来ている。カメラの準備をしながら花実に目をやる。花実をちゃんと撮るのはつきあい始めて以来だ。

「そのコンテスト、テーマは何なの?」
「・・・」
「なに?」
「…教えない」
「えーっ、なにそれっ、教えてよ〜」
「ヤダよ」

 花実は壮太の周りをくるくる回りながら、ぽかぽか叩いた。

「うるさいなっ、時期がきたらわかるから、いいだろ」
「え〜…まぁ、いっか」

 ベンチに腰掛ける彼女の視線に気づいて、顔を向けると、

「なんか、嬉しい」
「え?」
「壮太が撮ってくれるの、すごく久しぶりだから」
「…事務所には許可取れたんだろうな?」
「うん」

 コンテストのテーマは「恋」。壮太はそのテーマを聞かされて、花実以外思いつかなかった。
 初めて彼女と会ったのは、彼女が読者モデルをしていたときに、壮太がカメラアシスタントでついていた時だ。最初は今までに会ったたくさんの読者モデル一人に過ぎなかったのだが、それが初めての撮影で緊張してた花実に、声をかけたのが壮太だった。
 今でも、自分の前ではちゃんと着飾ってくれて、ちゃんと女でいてくれる彼女が自分に恋してくれてるのはわかっていた。それに素直に答えられない代わりに、それが自分に撮る事ができれば…。

「ここ以外でも撮るの? 言われたとおり、服を持ってきたけど」
「ああ。日があるうちと、日が暮れてからと…様子で決める」
「ふぅん…」
「…なにか不服か?」
「なんか、淡々としてて、ヤダ」

 ふくれて見せる彼女に、壮太は同じような顔をして見せながら、

「合間に映画見ようと思ってるんだけど」
「え?」
「この前行きたがってた店も、夜、予約してる」
「え?」
「行きたがってたホテルも、今日は夜景がきれいだろうな」
「…なんか、ズルい」

 さらにむくれる花実に、壮太は笑った。

「最近ゆっくりできなかったから。こっちはおまけだよ」

 カメラを上げて見せる壮太に、花実も笑った。
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2011/4/10

テスト  

テスト
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2011/3/2

瑛子  

「いってらっしゃい」

いつもの一日が始まる。いつもの日常だ。旦那を仕事へ、息子を学校へと送り出す。そして、昼前にメールが。これも日常となりつつある。
 諒介からのランチの誘い。もしくは、壮太からの誘いだ。
瑛子は嬉しい戸惑いを感じていた。主婦になってからというもの、家族に時間を注いでばかりいたから。
壮太と会えば、あの頃若さゆえに素直になれなかった分の、恋人のような時間を。諒介とは学生時代のような、楽しい時間を。


「で、最近どうなん?」
「え?」
「主婦業は」
「ああ…うん。いつも通りだよ」

諒介には壮太のことを、壮太には諒介のことは話していない。その必要はないと思っているし。バレてないかと、不思議な不安感が胸にいつもある。
 最近どうと聞かれて、壮太が頭に浮かび、ぎくっとしてしまった。

「来週の水曜とか、何してる?」
「別に予定はないけど」
「デートせえへん?」
「え?」
 「溜まってる有休を月一くらいで消化してるから、その日くらいにしよ思っててん」

目の前の空いた器を横に避けると、諒介は鞄から二枚のチケットを取り出した。

「すごい定番みたいで申し訳ないんやけど、映画のチケットもらったん」
「映画?」
「しかもな、今時ってVIP席とかあんの、知ってた?」

諒介は楽しそうにチケットをピラピラ揺らしながら、

「カップルシートってあるやん? あれのグレードアップした感じで、隣とも見えないようにされててな、それってカップルには好都合やない?って感じの…」

諒介はハッとして、浮きかかった腰を椅子にどかっと預ける。

「俺は何を語ってるんや…」

瑛子は大袈裟に頭をかかえて落ち込む諒介に笑ってしまい、

「うん、いいよ。行きたい」
「よっしゃ、決まりっ」

大袈裟にガッツポーズを取る彼に笑いが止まらなかった。諒介との時間は笑いが絶えない。常に楽しい雰囲気を作り出してくれる彼に、いつも癒されていた。



「先に帰ります」とメモに残し、瑛子は一人でホテルを後にする。瑛子なりの変装のつもりで、大きめな眼鏡と帽子を被り、あえて胸を張る。
壮太と会った日、瑛子はたまにこうして彼を置いていく。それは過去の彼に対する些細な仕返しのようで、どこか逃げでもあった。悪いことをしているより、この時間が終わるのが恐かったから。一人で夢のままにするのが楽だったから。

瑛子はいつものようにスーパーで夕飯の買い物をして、いつものように洗濯物をたたみ、いつものように食事の支度を始める。
 日常に隠した自分がいることで、何気ない毎日が変わる。

「どうした?」
「え?」
「何かあったのか?」
「どうして?」
「機嫌がいいみたいだから」
「…うん、まあね」

旦那に言われ、ドキっとした。そんなふうに彼が自分の変化に気づいたことがないから、余程、表に出ていたのかと。でも彼はいつも追求はしてこない。その確信があったから、不安ではなかった。
 最近は今日のように夕飯に食卓を三人で囲むのが少ない。朝は顔を合わせるし、週末は家族で出かけるのが決まった予定になっていた。

「俺、まだしばらく残業が多そうなんだ」
「もう繁忙時期に入ったんだっけ?」
「まだだけど、うちの店が改装中だってわかって、あちこち引っ張りまわされてさ」
「そうなんだ。すごいね、頼りにされてて。」
「だから夜の予定とかわかったらメールするから」
「うん、わかった」
 「お父さん、忙しいの?」
 「ごめんな。夜は遊べないけど、土日はしっかり休みもらってるから。今度はどこ行きたい?」
「俺、水族館行きたいっ!」
「よしっ」

理想の父親というのは、彼のような人をいうんだと思った。夏樹とのやりとりを見守るのが嬉しい。



いつの間にか、日が強くなってきている。雨の降る時間が減ってきているようだ。夏が近い。

「おまたせ」

諒介が瑛子の前に顔をのぞかせた。

「あ、うん」

いつもはスーツ姿の諒介が、ラフなTシャツを格好良く着こなして、いつもはちゃんとセットした髪も、無造作に仕上げていて。

「行こか」
「うん」

横に並んで歩く、この距離、この位置が心地よかった。なにも意識しないでいられて、でもちゃんと女性としての扱いが。
壮太とはまた違った、男女の距離。大きなソファに二人で座って、周りが暗くなった映画館。触れそうで触れない、肩、手、足。予告を見ながら、触れ合う、声、視線。
諒介に感じる男と、壮太に感じる男は全く違った。
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2011/1/13

花実  

「よろしくお願いします」

花実はロケバスを降りてスタッフに頭を下げながら、街角のカフェに入っていく。
 最近はスタジオでの撮影ばかりだったので、外の風を感じるロケが心地好かった。
JPA事務所からの専属モデルの話がきてから、花実の生活が一気にモデル一色となった。もともとモデルの経験が多少はあったものの、知識はないのでレッスンも増えた。イベントの仕事も馴染みの会社からの指名はあるものの、数える程度。寂しくもあるけど、新しいことばかりで、惜しんでもいられない。
今日の撮影はその新しく発行される雑誌に、花実が専属モデルとしてしっかり紹介されるもので、緊張していた。

「では、軽くインタビューしながら撮っていくので、あまり意識せずにリラックスして」
「はいっ」

カメラマンの小林さんは有名な人。優しい口調と人柄で、歳も花実よりだいぶ上。

「そう、いい感じ。足は組んでおこうか」

小林さんが撮りながら、ポージングのアドバイスをくれる。同時に別のスタッフがインタビューをしてくる。時間と共に緊張が溶けていくのがわかった。

「OKです。休憩挟んで、次行きましょう」

ロケバスに戻ろうとしたところに、

「花実」

呼ばれて振り返ると、

「壮太?!」
「おう」

思いがけずな登場に驚いて一瞬声が出なかった。彼の前に駆け寄る。

「どうしてここに?」
「小林さんは俺が駆け出しの頃に世話になった人で。丁度近くで用事があったから、寄ってみた」
「あ、そうだったんだ…」

花実の笑顔が心なしかさみしげに、

「なんか…久しぶりだね?」
「ん」

結婚の話が出てからというもの、それが原因というわけではないが、会う回数が少ない。電話やメールはしているし、会えば必ずエッチもしてるし。それでもどこか、壮太との間に違和感を感じることがあった。

「壮太は明日は休みだったよね?」
「ん? んー…予定が入ったけど、夜なら」
「仕事?」
「友達」
「そっか」
「夜…うちくる?」
「事務所のスタッフさんがね、明日顔合わせとかの飲み会してくれるんだって」
「そっか。良かったな」

壮太は片付けしている撮影スタッフを見ながら、小さく笑った。

「どうしたの?」
「いや」

ふと気がつくと、花実の手が握られた。壮太は優しく笑いかけてくる。大人の男というより、どこか男の子といった無邪気さ。花実の頭にあった不安がいつの間にかなくなっていた。
言葉に出なくでも、態度で見えなくても、だからか、時々の不器用な愛情表現がすごく嬉しかった。


「こんばんは」

グラスを片手に隣に座ったのは藤川だった。事務所が開いた飲み会には、所属しているモデル、スタッフ、関係者がそろった大規模なものだった。居酒屋を貸し切り。

「藤川さんもいらしてたんですね」
「うん、呼ばれた」

優しく笑った彼は少し頬が赤い。花実もアルコールのせいか、顔が熱くなる。

「なんか、久しぶりだね」
「そうですね」
「まぁ…もともとあまり会うことなかったんだけど…」

花実の顔を覗き込むと、

「会いたかった」
「藤川さん…」

藤川はさらに顔を赤らめて、口元を押さえながら横を向いた。

「ごめん、言ってて恥ずかしくなった」

かわいらしい藤川さんに花実は笑って、

「藤川さんは、格好つかない人ですよね」

顔を見合わせて笑い、グラスをカチンとぶつけた。

「私も酔ってきました…」
「顔に出てないけど?」
「だから…」
「だから?」
「…だから、私も、藤川さんに会いたかった」

藤川は一瞬驚いた表情を見せると、柔らかく微笑んだ。テーブルの下に会った花実の左手に暖かい感触が。それが藤川の手だとすぐに気がついた。花実の戸惑いはすぐに消え、手を裏返して握った。
恋したばかりのドキドキのようで、でもどこか心地好い落ち着きに満ちた空気だった。
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