★柳橋歌舞伎★ 福島県郡山市の東端に柳橋という里があります。江戸時代は幕府の直轄地=天領でした。遊興好きな村人達は江戸に芝居見物、高じて一座を呼んで祭りで上演もさせました。これが伝承地芝居・柳橋歌舞伎の始まりです。 ★経済成長のつけ★ 私は建築やその群の美しさが好きでした。疑うこともなく大学で建築を学びました。時は高度成長、列島改造、新幹線延伸の真っ最中。郡山もそのうねりに呑み込まれました。気づいた時は大同小異、宇都宮も仙台も盛岡もみな同じような駅前風景になっていました。“ぼろ駅舎”では恥ずかしかったのでしょうか。駅前の小さな飲み屋や蕎麦屋、本屋は見ぐさかったのでしょうか。郊外という言葉が生まれ商店主は我先に新天地に居を構え通いの主になりました。いや、テナント業で充分でした。競って子息を医者や弁護士、学者にしました。中心市街地活性化…??今更なんで? 主たる国道沿線には“ロードサイド店”という10年持たない建築(建築…?)が軒を並べました。駐車場○○○台完備。駐車台数1万台に達する昨今のアウトレットはその集大成です。車社会と経済成長は誰も異を唱えることはできませんでした。 ★日本の建築★ ちょっと立ち止まってみましょう。百年に一度の不況ですか。スローライフでなくても日本の本当の文化のなかに不況を物ともしない再生と創造のヒントがあるのではないでしょうか。建築界では今、地元で瓦を焼く人がいません。蔵や家の漆喰を手がける職人さんが消えつつあります。漆喰壁で深い軒、縁側や濡れ縁のある日本家屋は特注仕様になってしまいました。大震災後メディアやハウスメーカーの広告は「瓦屋根住宅は危険…」のような印象を与えましたが、果たしてそうでしょうか。昭和56年以降『新耐震設計基準』で建築された在来木造住宅の被害は激震地以外は僅かだった筈。古民家でも一部修復はあっても骨組みはしっかりしていた建築も多かったのです。震災の度に建築基準法が改正されますが心配なのは3寸5分(10.5cm)の土台や柱でも国が認可した金物ならOK、という風潮です。日本建築の技はこの40〜50年の進化工法の比ではありません。時間は掛かりますが林業の見直しから窯業の再興、継承職人の 育成を貴方も一緒に考えてください。勿論、我々建築に関わる者たちはその意識を高めます。 ★風景と建築→まちづくり★ 喜多方というまちをご存知ですか。ラーメンのまち、蔵のまちとして有名です。しかし、そのまちの象徴である蔵を改修する(できる)職人さんが地元にはほとんどいないのです。土壁や漆喰を日常的に気軽に手がける左官屋さんはいません。当然施主が改修しようとすれば施工費は高くなります。母屋も漆喰塗りですから蔵は後回し。どんどん剥げ落ちていきます。なまこ壁の平瓦やレンガは地元三津谷地区や郡山の日和田の釜で焼かれていました。渋い赤茶色の美しい風景素材ですが、これも需要がなく数年前に釜の火は消されました。昨年(08年)補助を受け三津谷釜には関係者が火を入れましたが、後継者や需要がなければ永続性は無理です。しかし、この努力が地元の素材を生かし地域の色や形を永続させられるのです。 当たり前の素材を生かし職を育むことが建築や風景を守りその結果、住民が誇れる観光のまちづくりとなるのです。

 

日本建築の危機!  

大学で建築学科卒業から30年目にして初の同窓会・・・、楽しかった!!

53歳前後の連中が60名以上、キャンパス内の記念堂に顔を合わせました。殆どが建築関係の職に就く仲間達。人生の僅かな時間を共有しただけなのに何でこんなに会えた事が嬉しいんだろう。シンガポールから駆けつけてくれたT君。とっくに建築に見切りをつけゴルフのプロを目指すT´君。彼の話にはみんな呆気にとられました。順風満帆な人生を送ってきたのは何人いるのか…? 

試験期間なのか土曜日にもかかわらず学内には後輩達が沢山います。今は建築学科にも女性が目立ちます。同窓会の前に08年度建築学会賞を受賞した建築棟を見学した。学生達の制作を見て回ったが、気がかりなのは学生の作品(模型)が今でもコルビュジェやCIAMの亜流であること。違うのはR.マイヤーやR.ロジャース風のアメリカ系のこじゃれたデザインが主流になってきたという程度。学生のトレーニング課題なのだろうが、相変わらず無国籍建築寄りの授業しかないのか。

現シラバスはまだみていないが、我が母校は日本の建築文化を伝授するつもりがないのか或いはできないのか、と真剣に心配するよ。そう言えば今年4月からは『○○都市大学』と名称も変更するそうで、いなか者や民芸、日本建築の美などを愛する者にはいよいよ近寄りがたい大学になるなぁ。かつて恩師・笹原先生に「茶をにごす建築家になりなさい」と言われたことがより鮮明になってきたぞぉ。
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日本建築の美  

★柳橋歌舞伎★
福島県郡山市の東端に柳橋という里があります。江戸時代は幕府の直轄地=天領でした。遊興好きな村人達は江戸に芝居見物、高じて一座を呼んで祭りで上演もさせました。これが伝承地芝居・柳橋歌舞伎の始まりです。
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★経済成長のつけ★
私は建築やその群の美しさが好きでした。疑うこともなく大学で建築を学びました。時は高度成長、列島改造、新幹線延伸の真っ最中。郡山もそのうねりに呑み込まれました。気づいた時は大同小異、宇都宮も仙台も盛岡もみな同じような駅前風景になっていました。“ぼろ駅舎”では恥ずかしかったのでしょうか。駅前の小さな飲み屋や蕎麦屋、本屋は見ぐさかったのでしょうか。郊外という言葉が生まれ商店主は我先に新天地に居を構え通いの主になりました。いや、テナント業で充分でした。競って子息を医者や弁護士、学者にしました。中心市街地活性化…??今更なんで?

主たる国道沿線には“ロードサイド店”という10年持たない建築(建築…?)が軒を並べました。駐車場○○○台完備。駐車台数1万台に達する昨今のアウトレットはその集大成です。車社会と経済成長は誰も異を唱えることはできませんでした。

★日本の建築★
ちょっと立ち止まってみましょう。百年に一度の不況ですか。スローライフでなくても日本の本当の文化のなかに不況を物ともしない再生と創造のヒントがあるのではないでしょうか。建築界では今、地元で瓦を焼く人がいません。蔵や家の漆喰を手がける職人さんが消えつつあります。漆喰壁で深い軒、縁側や濡れ縁のある日本家屋は特注仕様になってしまいました。大震災後メディアやハウスメーカーの広告は「瓦屋根住宅は危険…」のような印象を与えましたが、果たしてそうでしょうか。昭和56年以降『新耐震設計基準』で建築された在来木造住宅の被害は激震地以外は僅かだった筈。古民家でも一部修復はあっても骨組みはしっかりしていた建築も多かったのです。震災の度に建築基準法が改正されますが心配なのは3寸5分(10.5cm)の土台や柱でも国が認可した金物ならOK、という風潮です。日本建築の技はこの40〜50年の進化工法の比ではありません。時間は掛かりますが林業の見直しから窯業の再興、継承職人の
育成を貴方も一緒に考えてください。勿論、我々建築に関わる者たちはその意識を高めます。

★風景と建築→まちづくり★
喜多方というまちをご存知ですか。ラーメンのまち、蔵のまちとして有名です。しかし、そのまちの象徴である蔵を改修する(できる)職人さんが地元にはほとんどいないのです。土壁や漆喰を日常的に気軽に手がける左官屋さんはいません。当然施主が改修しようとすれば施工費は高くなります。母屋も漆喰塗りですから蔵は後回し。どんどん剥げ落ちていきます。なまこ壁の平瓦やレンガは地元三津谷地区や郡山の日和田の釜で焼かれていました。渋い赤茶色の美しい風景素材ですが、これも需要がなく数年前に釜の火は消されました。昨年(08年)補助を受け三津谷釜には関係者が火を入れましたが、後継者や需要がなければ永続性は無理です。しかし、この努力が地元の素材を生かし地域の色や形を永続させられるのです。
当たり前の素材を生かし職を育むことが建築や風景を守りその結果、住民が誇れる観光のまちづくりとなるのです。
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時代遅れのドンキホーテかもしれません。しかし、このところの建築界のだらしなさには失望です。建築や建築群の美しさに憧れこの道に進み、そして、郡山という故郷をフィールドに選んだ田舎建築家はその原風景の回帰に全力を傾注する覚悟です。
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2009/1/9

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日本建築の美
  陰影礼賛 日本建築に屋根や庇のない建築はありません
     
       バウハウスやCIAM、コルビュジェやリートフェルトの亜流建築…
       
       日本ではどこまで…いつまで許されるのか?


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