2018/7/31

4522:パティシエ  

 私は慎重にIntegra A7にビニール袋をかぶせ、元のように発砲スチロールで両サイドを固定してから、段ボールに収納した。

 一緒に入っていたその当時の取り扱い説明書を手に取ってパラパラとめくってみた。40年ほどの年月が経過した紙からは、それだけの時間の経過をうかがわせる匂いがした。それは、古いレコードの内袋からする匂いととてもよく似ていた。

 「では、これは一旦あずからせて下さい。売却額はあまり期待できませんが、動作に問題がなければ、外観の状態が素晴らしので、2万円くらいで売却できるかもしれません。ノイズが出たり、動作上の問題があれば、2,3千円というところでしょうか・・・」私はそう話した。

 「わたりました・・・お任せします。いずれにしても、我が家にあっても有効に使われることはもうないものなので、使っていただける人がいたら、それだけでも良いと思います。」

 「お時間、大丈夫ですか・・・?」

 「寧々ちゃん」は表情を切り替えるようにして、私に訊いた。

 「ええ、まだ大丈夫です・・・」

 「そうですか・・・もしよろしければケーキを食べませんか・・・?」

 「ケーキですか・・・もちろん頂きます・・・」

 「実は、娘がパティシエをやっていて、今日はお休みなんですけど、午前中自宅でチーズケーキを作ってくれたんです・・・」

 「パティシエですか・・・」私は、娘の方を見て、「それは良いですね・・・どちらで・・・・?」と話の矛先を変えた。

 「吉祥寺です・・・お店の名前は『パティシエ・ジュン・ホンマ』です。まだまだ修行の身なんですけど・・・専門学校も吉祥寺で、その学校のOBで成功しているパティシエの方の店なんです。吉祥寺と高円寺にお店があります・・・」

 彼女は穏やかで控えめな笑顔でそう話した。

 「誰かに似ている・・・誰であろうか・・・はかなげな表情がわずかばかり西野七瀬を彷彿とさせなくもない・・・いずれにしても、母親とはまた別の淡いオーラを感じさせる・・・」私はその話し振りと表情を見て、ふと思った。

 彼女はすっと立って行った。そして皿に置かれた3人分のチーズケーキを持ってきて、ソファテーブルの上に置いた。

 「寧々ちゃん」は別途、アイスコーヒーを入れたカップを持ってきてくれ、それぞれ、その脇に置いた。

 オフホワイトの色合いのチーズケーキは見た目的な派手さは全くない。大きさもやや小ぶり。しかし、その外観からは、しっとりとした質感が感じられた。

 「そのお店は競争の激しい吉祥寺でも成功していて、オーナー・パティシエの本間さんの実力は高く評価されているようです・・・」

 「寧々ちゃん」は娘の方をちらっと見ながらそう話した。

 「では、いただきますか・・・」私は期待感を胸に抱きながら、シルバーのフォークをそのチーズケーキの先端部分に入れた。

2018/7/30

4521:Integra A7  

 その古い段ボール箱には「ONKYO Integra A7」と印刷されていた。Integraという名称はONKYOがアンプに用いていたものである。

 「かなり古いもののようですね・・・これはプリメインアンプですね。ONKYOというメーカの物です・・・ちょっと開けてみていいですか・・・」

 彼女の承諾を得て、その古い段ボール箱を開けた。中には両側を発泡スチロールに抑えられて固定され、ビニール袋で梱包されたアンプの姿が見えた。

 それを箱から出して、ビニール袋をはがした。当時の取り扱い説明書も入っていた。重さは10kgほどあるのであろうか、持つとしっかり感がある。

 それをリビングルームのサイドボードの上の空いたスペースに置いてみた。思っていたよりもシルバーのパネルはきれいな状態を保っていた。段ボールの中には乾燥剤も数多く入っていたので、それが効果を発していたのであろうか。表面のパネルには錆や傷が見当たらない。

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 そのデザインは、やや無骨と言っていいかもしれない。ボリュームノブやセレクターレバー、そして様々なボタン類は整然と配置されていて、その配置の具合が「MADE IN JAPAN」の王道を行くかのような安定感のあるものである。

 使用中もきっとこまめに清掃されていてのであろう。この時代のオーディオ機器としては異例なほどに綺麗である。

 元箱が取ってあることからしても、彼女の夫は相当几帳面な性格であったことが想像された。そのシルバーに光るフロントパネルやノブなどを眺めていると、少しほっとした気分になった。

 「これはきっと1970年代後半の製品でしょう。先日引き取られていったような海外製の高級品ではなので、値段はほとんどつかないでしょう。値段が付いたとしても数千円といったところでしょうか・・・相続財産に加算する必要はなさそうですね・・・」私は、「寧々ちゃん」にそう言った。

 「そうですか・・・やはり古いものですものね・・・」彼女は少し落胆した様であった。

 「でも、とてもきれいな状態ですね・・・こういった古い日本製のアンプで良い状態の物は少ないですから、値段がつくかもしれません。引き取って、当たってみましょう。ちゃんと動作すればいいのですが・・・電源だけでも入るかどうか試してみましょう・・・」

 私はその綺麗にまとめられていた電源ケーブルを伸ばして、サイドテーブルの脇にあった壁コンセントに差し込んだ。

 そしてフロントパネルの左下にある丸い電源スチッチを押した。カチッと硬質な音がした。その電源スイッチの直ぐ上に配置されている赤いパイロットライトがすぐに点灯した。

 「どうやら電源は入るようですね・・・あとは音がちゃんと出るかどうか・・・それは私が自宅に持ち帰って試してみます・・・以前ご主人が使われていたものですか・・・?」

 「ええ、結婚前から使っていたもののようです。ここに引っ越しても最初の内はリビングではなく、レコード部屋にこれとレコードプレーヤーと小さなスピーカーを置いて聴いてました。レコード部屋の空き空間がだんだん無くなってきて、子供も大きくなったので、リビングに新たなオーディオセット購入して置きました。その時古いものは廃棄したと思っていたんですが、これだけは思い入れがあったんでしょう、残したみたいです。」

 「そうでしたか・・・」私はそのしっかり感のあるボリュームノブを少し回してみた。クリック感がしっかりとあって、指先から高級感が感受された。その他のセレクター類のノブを左右に回してみたが、やはりしっかりとした作りがなされていた。

 「その当時の価格はどれくらいであったのであろうか・・・59,800円ランクであったか、あるいはそのひとつ上くらいであったのであろうか・・・」そんなことを思った。その当時、オーディオ機器の定価は、●9.800円というのがお決まりで、きっちりとクラス分けがなされていた。

2018/7/29

4520:一人娘  

 私は二人に説明を始めた。まず、遺産の明細を説明した。不動産は自宅のみで、預貯金、みなし相続財産となる生命保険金、そして、レコードとオーディオ機器についても、実際に売却できた金額で遺産分割協議書と相続税の申告書に記載した旨を話した。

 「寧々ちゃん」は、ちょうど50歳である。いわゆる「美魔女」に分類されるであろう彼女であるが、やはり容色の衰えは隠しようがない。

 彼女が若かりし頃は相当に魅力的であったであろうことは容易に想像できる。その一人娘の年齢は26歳である。

 不謹慎とは思いながらも、彼女の娘であれば、魅力的な容姿の持ち主かもしれないという期待感を抱いていたのは事実である。

 説明をしながら、二人の表情を時折見比べるようにした。娘の容姿は母親を若くしたものというわけではなかったが、魅力のあるものであった。

 自然派とでも評すべきであろうか、際立った美貌という表現はけっして当たらない。派手さはない。

 どことなく寂しげな表情をしていて、緩やかな雰囲気を常に身にまとっている。集団の中でも真ん中に位置することはなく、いつも隅に居て、言葉も少なげというイメージである。

 1時間ほど経過したであろうか、説明とそれぞれの書類への署名・押印が終わった。「自宅の相続登記は知り合いの司法書士に依頼しておきます。青梅税務署にはこちらで申告書を提出して、控えを後日郵送しますので、大切に保管しておいてください。これで、相続関連の手続きはすべて終わります。」私はそう言って、書類の全てを鞄に納めた。

 「あっ・・・そういえば、もう一つ見つかったんです・・・」彼女は、急に思い出したように、そう言った。

 「見つかった・・・?もしかしたらまだレコードがあったのか・・・」と思った。「となると、その分の処分金額を加算して書類を作成し直す必要があるかも・・・」ちょっと心がざわついた。

 「階段下の物入にあったんですけど、オーディオ機器のようなんです・・・相当昔に使っていたもののようで、てっきり捨てたものと思っていたんですが・・・」

 彼女はそう言って、リビングから一旦出た。そして、段ボールを両手で抱えて、持ってきた。その段ボールは古いものであった。

2018/7/28

4519:グリーン  

 彼女の自宅の前に着いた。駐車場スペースに置かれていたアルファエロメオ ミトのすぐ前にフォルクスワーゲン ポロを停めた。

 「まだ、乗り換えていないのか・・・もう、ジュリエッタが納車されているのかと思っていた・・・」そのどこかしら懐かしくほのぼのした車の表情を眺めながらそう思った。

 そして、車から降りた。ドアを閉めると、軽めの音がした。すでに7年が経過した車である。納車当時は感心したその剛性感も今となってはそれほど高いものではない。

 門扉の横にはチャイムがあった。よく見かけるタイプのもので、濃い目のグレーの色合いをしていた。その小さな四角い箱の右下に配置された丸いボタンを右手の人差し指で押すと、やや間延びした感じのチャイムが家の中の向こう側で響くのが聞こえた。

 ややあって、返答があり、そして、アルミ製の玄関ドアが、軽めの金属音を発して開いた。顔を出したのは、彼女であった。

 リビングに通されて、ソファに座った。かつて、このリビングには、彼女の夫が有していたオーディオシステムがセッティングされていた。

 彼女の夫が高価なオーディオシステムを購入したのは子供がある程度大きくなってからのことであった。

 それらは少し前にすべて撤去されて、「オーディオショップ・グレン」の小暮さんが買取り、ヤフオクですべて処分された。

 いずれも人気の高いものであったので、ほぼ想定していた金額の落札価格が付いたようであった。

 オーディオセットが無くなって広く感じられるリビングルームの大きめの窓にかけられていたカーテンは淡いグリーンの色合いで統一されていた。

 ソファに座って、用意した書類をテーブルの上に並べながら、「『シェイプ・オブ・ウォーター』の色合いですね・・・このカーテン・・・」と私は、彼女に話しかけた。

 「観ましたか、あの映画・・・全編グリーンでしたよね・・・グリーンって中間的な色合いかと思っていましたけど、あの映画では悲しげなグリーンの色合いで統一されていて、とても印象的でした。あの映画を観ると、『緑の映画』という印象が強く残って・・・ファンタジックなストーリーでしたが、不思議な映画でした・・・」

 そう話しながら、彼女はアイスコーヒーを出してくれた。そして、テーブルの上に用意された書類を一瞥してから、「子供を呼んできます・・・一緒に説明を聞きたいと言っていたので・・・ちょっと待ってください・・・」と言って、2階に上がった。

 ややあって、彼女と彼女の娘が連れ立って、降りてきて、ソファに座った。私は、彼女の娘と合うのは初めてであった。

2018/7/27

4518:喪失  

 酷暑は不意に去った。身の危険を感じるほどの暑い日々がしばし続いていたが、数日前にその暑さは和らいだ。

 それでも最高気温は30度ほどまで上がるのであるが、37度を超えるような最高気温を体験していたので、涼しく過ごしやすく感じられた。

 今日もその傾向は続いていた。風が少しあり、日陰に入ると、暑さにげんなりするような感じはなかった。

 台風が近づいているようで、明日からは天気も大荒れになるとのことであったが、今日はまだその兆候は表れてはいなかった。

 私は、フォルクスワーゲンのポロのハンドルを握りながら、「もうあのような異様な暑さは戻ってこないかもしれない・・・」と思った。

 それは多少希望的観測も入っているのかもしれないが、日本の季節は徐々に前倒し傾向にあり、暑さのピークも1ケ月ほど早くなっているのではと憶測していた。

 すると、しばし続いた酷暑が今年の夏の暑さのピークで、それが去ったこれからは、意外と過ごしやすい日々が続くのかもしれない。

 私は旧青梅街道を走り、瑞穂町方面へ向かっていた。今日は「寧々ちゃん」の自宅へ向かい、遺産分割協議書と相続税の申告書に署名・押印してもらう予定であった。

 彼女の夫が59歳という若さでこの世を突然去ったのは昨年のことであった。くも膜下出血で、それは不意に訪れた。

 こういう形で家族を失うことは、心の準備ができていないので、その喪失感は深く辛いものであろう。

 それからしばしの月日が経過して、その喪失感の中に埋もれてばかりもいられないことを理解した彼女は、その遺産の処理について私に相談した。

 彼女の夫が残したものは、ささやかな自宅と、多額の生命保険金、そして大量のレコードなどであった。

 彼女の夫にとっての「お宝」であった1万枚を超える枚数のレコードや高価なオーディオ機器はすべてお金に変わった。

 そして不動産と預貯金も今回の手続きが済むと、彼女と彼女の一人娘に分配される。彼女の夫は普通のサラリーマンとしては比較的高額な保障の付いた生命保険に入っていたこともあり、今後の彼女の経済状況は全く心配のないものとなった。

 彼女の一人娘は現在26歳、独身で一緒に住んでいる。父親を急になくして取り乱す年齢ではないはずであるが、その心のうちには大きな穴が開いてしまっているかのもしれない。今日は彼女の署名も必要なので、家にいるはずであった。

2018/7/26

4517:多摩湖  

 平九郎茶屋でまったりした時間を過ごした後、ロードバイクに跨って、下り始めた。下りでは風を盛大に体に受ける。

 その風は、標高が下がるにしたがって、粘り気があるものに変わってくる。空気が重く肌にまとわりつくものに変質してくるのである。

 東吾野まで下り切った。炎暑はまだまだ勢いの衰えを見せてはいなかった。峠から下ってくると「やっぱりそうか・・・下は暑いままだよな・・・」と諦め顔になった。

 前週と同様に東吾野駅前の自販機で冷たい飲み物を購入した。そして自販機の横にある水道の水を頭からかぶり、少しでも体感気温を下げる努力した。

 ガーミンのサイクルコンピューターが表示する気温は、38度を超えていた。「これは、外で運動してはいけない温度だよな・・・」そんなことを思いながら、帰路をさらに進むことになった。

 東吾野駅からは、東峠、山王峠を越えるコースを選択することもできるが、皆暑さに参っていたので、上り返しがない国道299号線を通るコースを選択した。

 6両編成のトレインは、炎暑のなかを進んだ。私は先週よりも体は楽であった。顔振峠でも追い込んだ走りをしなかったので、脚には余力があった。

 国道299号線を走り、カインズホームの大きな店舗が角にある交差点を右折した。そして往路でも休憩した飯能市街のセブンイレブンで休憩をした。

 ここで冷たい飲み物を体内に取り入れ、ボトルの中で暖かくなってしまった水を冷たいものに替えた。

 そして、その冷たい水を首筋にかけた。首筋には血管が集中的に走っているので、ここを冷やすことで体全体の熱を少しばかり下げる効果があるようである。

 帰路には峠はないが微妙に上っている丘陵地帯を走り抜けていく。これでもか!という感じの暑さと時折訪れる緩やかな上りに体力を奪われながら、進んでいった。

 そして、ようやく狭山湖に到着した。狭山湖の堤防を走り抜けて、多摩湖へ向かった。多摩湖の周囲にはサイクリングロードが整備されている。

 そのサイクリングロードを滑空するように走った。サイクリングロードは木陰が多く、一般の車道よりも快適である。木陰の嬉しさを改めて認識しながら進んでいくと、私にとってはゴールに等しい多摩湖の堤防に着いた。

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 多摩湖の堤防を渡りながら、「この異様な暑さはいつまで続くのだろう・・・来月の下旬には全日本マウンテンサイクリングin乗鞍があるけど、この暑さでは追い込めないので調子は上がらず、むしろ下がるような感じだ・・・」と、少し不安に感じた。

 多摩湖の湖面は、こちらのそんな心理状況を知ってか知らずか、ただただ太陽から届く強烈な陽光を無表情に跳ね返していた。

2018/7/25

4516:平九郎茶屋  

 顔振峠の上りの序盤はゆったりとしたペースで入った。少しづつペースが上がってきたが、まだパワーの数値は200ワットから220ワットの間に収まっていた。

 しばし、集団の後方い付いていっていたが、1km程走ったあたりから、さらにペースが上がった。サイコンのパワーの数値を見ると、250ワットぐらいに上がっていた。

 こうなってくると、そろそろ離脱すべき状況になってくる。集団から後方へ離れだした。その間隔はするすると広がり始めた。

 集団から切れて、一旦上がっていたパワーの数値は200ワットほどに下がった。さらに1km程走った。斜度は厳しいままである。

 顔振峠は、厳しい斜度が3kmほど続く。その後短い下りを挟んで頂上直前は斜度が緩む。全部で4km程のヒルクライムコースである。

 2kmを過ぎて、厳しい斜度のエリアは残り1kmとなった。その1kmはさらにパワーの数値を下げて、175ワットほどで走った。

 このくらいの負荷であれば脚に対する負担は重くない。汗は盛大に流れ去っていくが、息が切れてふらふらになるということはなかった。

 後でストラバを確認すると、上り始めから下りの手前までの3kmの区間のタイムは18:57であった。今年の4月に走った時のタイムは17:01であったので、2分近く遅く走ったことになる。激坂もこのくらいのペースで走れば、ひーひー言わずに済む。

 下りエリアに入った。短い下りで風を切って走り、また上った。しかし、もう激坂ではない。ゴールに向かって最後の行程をやり過ごし、峠の茶屋の駐車場にKuota Khanを立てかけた。

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 顔振峠から見える景色は素晴らしいものであった。山並みは青かった。濃淡の青が見せるグラデーションは目に心地よかった。

 チームメンバー全員が揃ったところで恒例の記念撮影を済ませた。そして、平九郎茶屋で冷たい蕎麦を頂いた。

 峠は標高が高い。吹き抜ける風も心地よかった。平九郎茶屋で心地良い時間を過ごして、まったり気分に浸った。何となく下には下りたくなかった。下ると、炎暑が待ち構えているからである。

2018/7/24

4515:顔振峠  

 コンビニ休憩を終えて、先へ進んだ。県道をまっすぐに進んで丘を越えていくと国道299号線に突き当たる。

 T字路交差点の向こう側は「武蔵丘ゴルフコース」の入口であった。ここには2度ほど来たことがあった。

 比較的広い林間コースでタイガーウッズが日本で初めてプレーしたコースとして有名であった。西武の経営で、やや料金は高めであった。

 その交差点を左折して国道299号線を走った。国道299号線は緩やかな上り基調で、大きくうねるように道が曲がっている。

 トレインは陽光の攻撃を受けながら進んでいった。やがて、吾野トンネルが見えてきた。吾野トンネルは、平成27年3月7日に開通した新しいトンネルである。

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 しかし、このトンネルは横幅が狭く、ロードバイクで通り抜けるのには少し危険であるため、トンネルの手前にあるY字路を左に折れて、旧道を走った。

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 川に沿って旧道を走っていくと顔振峠の上り口に到着した。その上り口はまったく何気ない風景である。

 道の右側にはお寺があり、左側には古い民家がある。その景色は鄙びていて、とても穏やかなものである。この道を進むと激坂が待ち構えているという感じはしない。まるで獲物を狙っている猫科の肉食動物がその気配を消しているかのように・・・

 ここで一息いれた。暑さは変わりなく、汗はだらだらと流れていた。先週ほどには疲弊していなかったが、暑さで体力は相当奪われていた。

 今日は先週のように無理することなく、加減して走る予定であった。無理をすると、先週のように気分が悪くなり、軽い熱中症に陥る危険性が多分にあった。

 ゆっくりとスタートした。皆慎重であった。私は集団の後ろに位置取りして、付いていけるところまで付いて行って、ペースが上がったら離脱する予定で走り始めた。

2018/7/23

4514:冷えピタ  

 6両編成のトレインは多摩湖サイクリングロードを抜けて、多摩湖の堤防を渡った。多摩湖の堤防は陽光を遮るものがない。まだ時間が早く、太陽光はマックスの状態ではなかったが、それでも十分に威力を感じるものであった。

 堤防を渡って向こう側へ下りていき、西武線の踏切を越えた。小学校の横を通り、椿峰ニュータウンの中を横切った。ここはアップダウンがあり、汗が噴き出してくる。

 しばし下って、北野天神前の交差点を左折した。県道179号線を道になりに走った。ここはゆるやかな上り基調である。

 国道16号線を突っ切って、しばし走ると「栗原新田」の交差点が見えてくる。ここを右へ折れた。狭山ゴルフクラブの間を抜ける道を通った。

 ゴルフボールをドライバーで打つ打音が聞こえた。この暑さであれば、ゴルフをするのもそれなりに大変であろう。

 狭山ゴルフクラブは確か原則歩きで乗用カートがない。ゴルフをする人の平均年齢は相当高い。狭山ゴルフクラブのような名門コースになるとその傾向はさらに高くなる。ゴルフの最中に熱中症になる人も結構いるような気がした。

 今週の金曜日にはゴルフの予定が入っていたことを思い出した。天気予報は暑い日が続くことを伝えていた。「きっと金曜日のゴルフも暑いだろうな・・・」そんなことを考えながら、そのエリアを走り抜けた。

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 その道を突き当たるまで走ってから左折して八高線の踏切を渡った。八高線は電車の間隔が随分と開いているので、滅多にこの踏切で止められることはない。今日も止められることはなかった。

 県道218号に出て、しばし八高線の線路に沿って走った。「阿須」の交差点を越えて、入間川を渡ると、いつも休憩するセブンイレブンが見えてくる。

 実は、暑さ対策の一つとして首の後ろに「冷えピタ」を貼り付けていた。熱が出た時におでこに貼ると気持ちいい冷却ジェルである。

 「大した効果はないかな・・・」と思っていたが、まずまずの効果があった。「これはまずまずかな・・・次もしてみよう・・・」そのジェルを左手で抑えて、首筋に押し付けた。

 トイレを済ませて、補給食を摂った。補給食には「銀座デリー監修ドライカレーおむすび」を選択した。美味であった。

2018/7/22

4513:酷暑  

 テレビでは連日猛暑に関するニュースを流していた。そしてその日一日に熱中症で搬送された人の数と死亡した人の数を報道していた。

 確かに今年の夏は異様である。7月の早い時期から猛暑が続いている。「猛暑」という表現では足りないのか、今や「酷暑」という言葉が広く流布している。

 その洗礼は既に受けている。先週のロングライドでは、定峰峠を走っている途中で気分が悪くなった。その後、奥武蔵グリーンラインのアップダウンを走ったが、ヘロヘロになりながらどうにかこうにかクランクを回すという状態であった。

 軽い熱中症のようであった。頭も痛くなり、少し怖かった。翌日以降も2日ほど体調がすぐれなかった。

 その経験があったので、今日のロングライドは相当に注意しようと心に決めていた。今日の最高気温の予想は37度。「酷暑」という表現が当てはまる一日になりそうであった。

 水分補給をこまめにする。首筋に定期的に水をかけるなどして、熱が体内に籠らないように注意する。峠でのヒルクライムでは、あまり追い込まず、体に高い負荷をかけないようにする。

 そう心に決めて、朝の7時に自宅を後にした。とにかく先週の轍を踏まないように気を付けて走ることにした。

 多摩湖サイクリングロードを走った。実は今日から新たなアイテムがKuota Khanに加わった。それはShimano DURAACEの「FC-R9100-P」である。

 Shimano初のパワーメーター一体型クランクである「FC-R9100-P」は、クランクのデザインを損なわないルックスで、左右独立のセンサーによりパワー出力値と各種関連データが測定可能である。

 従来、パワーメーターはStagesのものを使っていたが、電池の消耗が異様に早くなったのと、先日のMt.富士ヒルクライムの下りの豪雨で浸水してしまい動作が不安定になってしまった。

 そこで思い切って切り替えたのである。Shimano製品の良いところはその高い信頼性だろう。電池式でなく充電式であるところも私の背中を押した。

 そのクランクを装着したKuota Khanを走らせながら「クランクの剛性感も数パーセント上がっているような気がするな・・・」と思った。

 従来使っていたクランクは一世代前のDURAACEである。ULTEGRAからDURAACEに替えた時には「さすがにフラッグシップ・・・」と感心した。その時ほどの変化はもちろんないが、同じDURAACEでも一世代新しくなることにより、やはり良くなっているようである。

 集合場所であるバイクルプラザに着いた。今日の参加者は6名。そのロードバイクの内訳はORBEAが2台、Kuotaが2台、COLNAGOとLOOKが1台ずつであった。

 今日の目的地は「顔振峠」に決まった。暑いので短めのコースを選択した。しかし、「顔振峠」は「激坂四天王」の一角を占める峠である。

 今日は「猛暑」と「激坂」という私の苦手が二重に重なったロングライドになるので、極力大人しくやり過ごし、無事に帰還することを最優先にすることを心に誓って、スタートした。



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