夜は地域の夏祭りのお手伝い、妻は地区の出店でカキ氷。私は最後の
PTAのパトロール。息子はその間お金使いまくり。
こんなことでいいのだろうか、と一抹の疑問を抱きつつも、例の「まあ、いいか」でやり過ごす。
しかし、家族崩壊や地域崩壊(実は両者は全く別のもの)が叫ばれつつも、私の暮らす地域にはその「地域」なるものが、局地的に残っている珍しいところのようです。しかし、残っていると言うことはそこから排除する構造もそのままあるはずで、ネガティブかもしれないがそう思いながら
たまたまやっているのかもしれません。
向いていないなーと思いながらPTAの役員なんぞもしていて「今までこういうタイプいない」とか言われながらもめげずに参加してますが、家族や人の流動化があるのは私にはありがたいことで、これが全部「村」ならばとてもついていけなかっただろうと思うことや場面もあります。
ある種の人からは「生意気」などと死語みたいなことを飲み会のときに
いわれたこともあり、びっくりぎょうてんしたこともあります。
特別反論することせず、「え?どこが」(充分してるか、)と応えておきましたが。だって、一番大事なのはそこで暮らすこどもやお年寄り
あるいは孤立してる人が入りやすい環境をつくることだろう、と思うからやってるだけで、村の再現なんて幻想持ってるわけではありません。第一それはコワイ。
ジモッティー(地元の人を指す言葉らしい)や流入組、シングルマザー
や、ひきこもり、あるいはまったくのシングル組などなど、いろいろいるからおもろいはずなのに、と考えはしますがこうのって実は社会的には取り組みがあるものの、局所では以外と機能していないのかもしれません。
思い込みかもしれませんが。人を大切に、とは誰もが口にしますが、「誰を?」ってついつっこみたくなる損な性分も持ち合わせてるようです。
