2016/2/29 | 投稿者: 鹿苑院

ま、4年に一度の貴重な機会ですから。
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2016/2/28 | 投稿者: 鹿苑院

うちの近所には神明神社がある。おそらくあなたの家の近くにもあるだろう。神明神社というのはそのくらいどこにでもあるのだ。祭神は天照大神で、まあわかりやすく言えば伊勢神宮の支社である。日本最高の神社だから日本全土に支社があるわけだ。

ただし、元々は必ずしもそうではなかったケースもある。「神明」という言葉は天照大神のことを指すこともあるが、一般名詞として神全般を指すこともある。
明治時代に全国の神社の調査がされた際に、後者のパターンで漠然とした神を祀っていた神社が天照大神を祀っていることにされた例が少なくない。

ちなみにこういう商品がある。白木が実に清々しく、小さなお札でも中に納めれば本当に拍手を打つ価値がある神聖なものになりそうである。
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2016/2/25 | 投稿者: 鹿苑院

新しいクルマ、日産ノートがやってきた。今日まで、うれしいとか楽しみとかワクワクという気持ちはほぼなくて、6年乗ったクルマとのお別れが寂しくて、廃車になるのが可哀想で──という、あまりハッピーじゃない気持ちでいた。
不思議なことに、新しいクルマの契約をした少し後から、今までのクルマのオーディオが異音を発するようになった。オレにはそれが「オレももうこんなにガタがきたからそろそろ引退させてくれてもいいぜ」とクルマが言ってくれているように思えて、その異音を聴くたびになんとなく気持ちが楽になっていたものだ。

今回はカーセンサーで検索して、今まで我が家と取引のない隣県の店で買ったので、どこまで信用できるのかという心配も付きまとい、それがハッピーじゃない気持ちの一因にもなっていた。
しかしどうも案ずるより産むが易しだったようだ。納車されたノートを走らせるとまことに良好に走るし、これといった不備も無い(まあ本当は数ヶ月様子を見ないと本当のところはわからないけど)。なんらストレスなく販売店から我が家までの2時間を快適に走ってきた。

しかしやっぱり、今までのクルマと別れる時はちょっと涙が出そうになりましたね。
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2016/2/25 | 投稿者: 鹿苑院

数ある兜の中で、一番かっこいいのは明珍作の諏訪法性兜だと思う。武田信玄所用の、白い毛がふさふさと付いたあれである。

大抵の時代劇では武田勝頼は長篠の戦において適当な別の兜をかぶっているが、史実では信玄から譲られたあの諏訪法性兜をかぶっていたようだ。敗走する時、近臣に持たせていたのだが、重くて逃走には邪魔だからというのでその近臣が勝手に捨ててしまったものらしい。もっとも他の家臣が拾って回収したので事なきを得た。
信玄の象徴とも呼ぶべき兜でさえ、敗走時にはぞんざいな扱いを受けるという現実がその後の武田家の凋落を暗示しているようでなにやら意味深げである。

最近は武将所用の甲冑をモデルにした五月人形が流行っているが、そんな悲しい歴史には目をつぶってもオレの息子には信玄モデルの諏訪法性兜にしてやりたい。
オレは家康贔屓だが、巷にある家康モデルは前立がシダの形になっているだけで他の部分は似ても似つかないものばかりでまったく欲しいと思えないのだ。
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2016/2/24 | 投稿者: 鹿苑院



武藤全日本って面白かったよな!…とつくづく思う。今の全日本およびW-1は知らん。
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2016/2/21 | 投稿者: 鹿苑院

『真田丸』で小県国人の会議が始まると思わずニヤリとしてしまう。
真田昌幸の意見に西村雅彦さん演じる室賀正武が必ず反対し、真田信幸が口を挟もうとすると「黙れ小童ぁ!!」と一喝する。この一連の流れがもはやお約束になっている。しかも信幸の発言が始まってから「黙れ小童ぁ!!」までの時間が回を追うごとに短くなっている。いかにも三谷幸喜脚本らしいギャグである。

今はただの面白ネタだが、回が進んで信幸が立派な武将になった時、「そちらこそお黙りなされ!!」と一喝し返して室賀を黙らせるシーンがあるとしたら、その信幸の成長を印象強くさせるための伏線の積み重ねかとも思える。
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2016/2/19 | 投稿者: 鹿苑院

辛亥革命を描いたジャッキー・チェンの映画『1911』にこんなシーンがある。
イギリスの外交官(商人だったかもしれない)が清の皇族に自動車を献上するのだが、その皇族はお返しにと掌に収まるほどの磁器の小瓶をイギリス人に渡し、こう言う。「自動車は数年経てばただの鉄の箱になるがこれはいつまでも価値があるぞ」
イギリス人は「はあ…ははは…」と苦笑いするので、脚本家の意図としては近代文明の価値がわからない時代遅れの清の宮廷人を描きたかったのだろう。しかしオレはそれを見ながら思った。その通りではないかと。

納車はまだだがついに車を買い換えた。オレとしては今まで乗ってきた車に愛情もあるし手放すことに少なからず寂しさも感じているのだけど、10万と5千kmも走った15年落ちの絶版車には下取り価格が付かず、リサイクル料と相殺にさせてくださいと言われてしまった。要するに個人的な感情は別として市場価値から言えばもはや何の値打ちもない。
片や、もし我が家に清の皇族から手ずから貰った磁器などあろうものなら、新車が3、4台はまとめて買えるほどの値段が付いて鑑定士が「良い仕事してますね。大切になすってください」と言うだろう。15年で価値が落ちるどころか古くなればなるほど骨董品としての価値は上がりそうですらある。
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2016/2/18 | 投稿者: 鹿苑院

よく混同されやすいが粉茶と粉末茶は違う。前者は煎茶の製造工程で出てしまういわばクズを集めたもので、後者は煎茶の葉をわざわざ粉末にしたものである。回転寿司に置いてあるのは後者。

粉茶は粉末茶のように湯に溶けるものではないので、茶漉しの上からザッと熱湯を注いで抽出する。ちゃんとした葉と違い、これだけでじゅうぶん濃く出る。
この粉茶は寿司のあがりとして江戸っ子に好まれた(回らない寿司屋は粉茶で回転寿司は粉末茶なのだろうか)。江戸っ子であればぬるい茶は好まないし、気が短いから抽出時間が長いのも良くない。熱湯ですぐ出せる粉茶は江戸っ子にうってつけなのだ。
江戸っ子でなくてもこの寒い季節には熱い茶を飲みたいが、ほうじ茶ではなく緑色の茶が欲しい時に重宝する。
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2016/2/17 | 投稿者: 鹿苑院

司馬懿仲達はフクロウのごとく首を180度後ろに向けることができたという。これを見た曹操は「あれは人の臣下で終わる人間ではない」と言って、自らの地位を奪われることを恐れ、決して司馬懿を重用しなかった。
…なぜおもしろ一発芸ができるだけでそういうことになるのかよくわからないが、まあ一般的には曹操の慧眼を表すエピソードとしてよく語られている。曹家の魏は司馬家に簒奪されて晋になったのだから。

しかしよく考えてみれば曹操の人物眼は当たっているようで当たっていない。魏の実権を握り専横を振るったのは司馬懿の息子の司馬昭であり、簒奪した司馬炎は孫である。司馬懿自身は終生、魏の臣下に過ぎなかった。

実は曹操にも同じことが言える。さんざん奸雄だの国賊だの言われているが、彼は漢に反旗を翻したわけではなく終生、漢の丞相に過ぎなかった。漢を簒奪して魏を建てたのは息子の曹丕である。世に曹操を魏の武帝と呼ぶのは死後に贈位されたのであって生前に帝位に就いたわけではない。
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2016/2/12 | 投稿者: 鹿苑院

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スマホの壁紙を、以前自分で撮った広島城にした。こうして見るとなんとも美しい城である。必要にして充分。これに何かを足せば蛇足になるし何かを引けば物足りなくなる、そんな気がする。

広島城は聚楽第を設計上のモチーフにしたという。聚楽第は京における豊臣家の政庁であり、政庁と言いつつもれっきとした城郭であったわけだが、考えてみれば秀吉による桃山式城郭というものは大坂城も聚楽第も伏見城もその当時のものは現存していない。とすればその姿を類推するヒントとして広島城は重要なのではあるまいか。
むろん毛利輝元が建てた広島城は原爆で焼失したが、写真も資料も人の記憶もあるうちに再建されたので、今ある広島城は信頼できる復元と思っていいだろう。

日本の名城を挙げよと言われた場合に、多くの人は姫路城や大坂城や名古屋城を挙げるであろうが、広島城はその資料的価値からもっと評価されていいはずである。
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